【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第五章 宴の前(七)

 翌日になって、帰宅した惟親(これちか)八津尾(やつお)家で起きた失踪事件について調査しに行ったことを伝えると、惟親は驚きつつも少し安心した様子だった。

 

「そうですか。わざわざ調べさせてしまってすみません。なにぶん、こちらも人手が足りないもので、確証のない人物については候補から外したものですから。しかし、八津尾子爵に…いや明宣(あきのぶ)君に会いに行くとは思いませんでした」

「それは、薛子(せつこ)様のこともありましたし…父の遺産についても、お話しする必要があると思ったものですから」

「えぇ、それは勿論そうです。あなたには正当な権利がありますから」

「いえ。私は遺産については明宣様に全て譲るつもりです。父の事業を継いで頂いているのですから、それぐらいはしないと」

 

 惟親は目を剥いた。

 

「なにを言っておられる! あなたのために守っていたのですよ、彼は!」

「伯爵……八津尾家の資産状況について何かご存知でしょうか?」

 

 薫が尋ねると、惟親はうっと声を詰まらせた。

 気まずそうに押し黙った姿を見て、薫は確信する。

 

「やはり…その様子だと、あまりよろしくない状況なのでしょうね」

 

 昨夜の話の中でも、薛子にドレスを新調することもできなかった…と、遠回しに言っていた。

 屋敷の使用人も最低限しか置いていないようだし、おそらく相当に逼迫しているはずだ。

 

 父の行っていた子供の教育に関する事業は、ほぼ慈善に頼るだけのものだ。

 短期間でわかりやすい利益を生むものではないし、初期投資としてはかなりの額が必要となる。なかなか出資者を募るのは難しいだろうし、そうなれば自分の資産を持ち出してやっていくしかない。

 

「……遺産といっても…父も相当に使っていたようですから、実際にはさほどないかもしれませんが、少しでも役立てていただければと思っています」

 

 きっぱりと言う薫に、惟親は感心した。

 やはり親子というべきか(実際には伯父と姪だが)、必要以上のものを欲しがらないあたり、父の金銭感覚を受け継いだようだ。

 

「今日にでも、念書というか…その旨について書き記したものを明宣様に届けたいのですが、こうした書面って何か形式的に決まりごとなどあるのでしょうか?」

 

 やれやれ…と惟親は観念した。

 もはや説得しても聞きそうにない。

 

「では、あとで弁護士に来るよう頼んでおきます。詳しくは彼に指示を仰いで下さい。それと一応言っておきますが、私は明宣君と知り合いではありますが、彼は私が鬼殺隊に関わっていることは知りません。あなたと私に繋がりがあることも、当然知らない。申し訳ないが、彼とあなたの仲介は出来ません」

 

 やはり宝耳(ほうじ)の言った通りだ。

 惟親には惟親で社会的な地位があり、それは鬼殺隊の円滑な運営のためには必要なのだ。彼の表の顔を潰す訳にはいかない。

 

「大丈夫です。今回のことについては、頼める人がいますから。彼に明宣様に届けてもらいます」

「…彼?」

「いえ。それより…」

 

 薫は本題に入った。

 

 そもそもは明宣の妹である八津尾子爵令嬢・薛子の失踪に鬼が関わっているのか…という調査だ。

 薫は明宣から聞いた薛子の失踪当時の状況を説明した後、借りてきた封筒を惟親に渡した。

 

「これを…鬼蒐(きしゅう)の人の…能力者の方に見てもらうことは可能でしょうか?」

「……何か、感じるものがあるのですか?」

「はっきりとはわかりませんが…なにか引っ掛かるのです」

「ふ…む。では、お預かりします。ですが、今の話からすると家出や誘拐というよりは鬼に連れ去られた…と考えた方がしっくりきますね」

「私もそう思います。それと、菊内(きくない)男爵はやはり怪しい気がします。人間と鬼が手を組むようなことは考えにくいことではありますが、前例がなかった訳ではありませんから…」

 

 言いながら、薫の脳裏には佐奈恵と一緒に行った紫陽花寺のことを思い出す。

 あの和尚もまた、自分が襲われそうになった恐怖から、寺を訪れた参拝客を鬼に差し出していた。

 忌々しいことだが、そうした醜い性根の人間がいないわけではない。

 

「それはまぁ、そうですね…」

 

 相槌をうつ惟親もまた、鬼に(くみ)した人間達…何代もに渡って鬼を利用し、利用されていた卑しい一族のことを思い出していた。

 

 先代の炎柱が助けた一族の男の子は、生贄にされるところだったいう。

 左右の異なる色の目には、怯えと、子供らしからぬ諦観(ていかん)があった。……

 

 時に人は、鬼以上に浅ましく卑怯な生き物にも成り下がる。

 悔しいが、そうした人間であっても鬼殺隊の隊士達は鬼から体を張って守らねばならないのだ。

 例え、自らが死ぬことになっても。

 

 惟親は静かな苛立ちを奥歯で噛みしめ、一息ついてから話を変えた。

 

「では、この事については一先ず於いて。さぁ、()()さん。宿題のエチュードはどこまで進みましたかね?」

 

 にこやかに微笑む惟親を薫はげんなりした様子で見てから、ピアノの椅子に座る。

 

「とりあえず…第二楽章までは」

「よろしい。では、始めましょう…」

 

 パンと手を打った惟親の合図と同時に、ピアノの音が部屋を満たしていった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ほぅ…じゃ、鬼が関わっているとみていいわけか」

 

 宇髄天元はニヤリと笑った。「派手に腕がなるぜ」

 

 夜半になって、薫から預かった封筒の解析が済んだ。

 物品などから鬼の気配を感じ取ることのできる、特殊な能力を持つ鬼蒐の者に見てもらったところ、僅かながら痕跡があるらしい。

 

 一応、鎹鴉を通じて天元に伝えたところ、ちょうど鬼殺の任務の帰りだったらしく、わざわざ寄ってくれたのだった。

 

「今回失踪した八津尾子爵のご令嬢は夜会に来ていた訳ではないようですが、菊内男爵の娘と同じ女学校であったらしいので、まったく関係がないとも言えません。警察では家出と考えたようですが、私の知る限り、妾腹の娘とはいえ、兄である明宣君との仲は良好であったと思います。既に夫人は亡くなられていますし、家が居心地が悪かったとは思いにくい」

「ふん。そんなこたぁ他人にはわかりようもないが…」

 

 皮肉めいた笑みを片頬に浮かべて、天元はつぶやく。

 その目が妙に遠くを見つめている気がして惟親が訝ると、さっと視線を元に戻した。

 

「ま、鬼に関係するなら、やるこたぁやるさ。で、わざわざそんな調査なんぞしに行った物好きの隊士はどうした?」

「森野辺くんは休んでいます。少々、無理させたようで…ぐったりしていたので」

「オイオイ。そんなことで大丈夫か?」

「大丈夫です。ただの知恵熱のようなものです。さすがにお稽古事も重なると疲れるようで……」

 

 惟親の厳しいピアノレッスンの後には、例の遺産の件で弁護士と文書作成作業があり、午後からはダンスレッスン。

 夕食後にはベッドに倒れ込むなり寝入ってしまったらしい。

 そもそも前日に八津尾家に行って帰ってきたのは深夜で、大して眠ってもいないうちに朝になって、隊士としての修練も行っているのだから、無理もない。

 

「ハハハハ!! 伯爵もなかなか厳しいな。相当に仕込まれたようだな」

 

 天元はいかにも楽しげに大笑いした。

 こと、ダンスに関しては彼が嫌がったせいで、薫が引き受ける羽目になったのだが、まったくの他人事だ。

 

「ま、前座のことは任すさ。俺は俺ですべきことがたんまりとあるんでな」

 

 話を変えた天元が、伏し目がちに意味深なことを言うと、惟親は問いかけた。

 

「例の…太鼓持ちの話の件ですか?」

 

 つい先ごろ天元によって助けられた太鼓持ちが、鬼を見たと話したのだ。

 重傷を負っていたため、すぐに事切れてしまい、結局どこで見たかなどの重要な部分は不明だ。

 

 隠による探索と並行して、その太鼓持ちを助けた天元もまた、調査している。

 やはり元とはいえ忍であったために、情報収集には長けている。三人の妻達も協力しているのだろう。

 

「まぁ、ヤツのいた茶屋はわかったんでな。だいたいのアタリはつけたさ。太鼓持ちなんぞに見られちまってるくらいだ。トボけたマヌケの鬼だろうからな。他にも目撃者がいるだろうし…おそらくは、遊郭(くるわ)の中じゃ妙な噂の一つや二つや三つや四つ…ボロボロと襤褸(ボロ)出してるだろうさ」

「そうですか…」

 

 惟親は相槌を打ちながらも、その鬼の探索には時間がかかるだろう…と予想した。

 

 遊郭というのは、古来より鬼にとっては格好の棲処となりやすい。

 それは夜を主体とする商売形態である他に、遊郭特有の守秘性がある。

 

 あの世界の住人というのは、案外と外の人間に対して壁をつくり、滅多なことでは郭内で起きた事件などについては口外しない。

 女郎や下郎の一人二人が突然姿を消したところで、一大事になることもない。

 多少、不審がりながらも受け流す…というのが、ああした世界の人間の常識だ。

 

 遊郭はあくまで楽しく遊んで行ってもらうための場所―――ということで、()()()()な話はしない…というのが、大店(おおだな)であるほどに徹底している。

 

 もっとも、さほどでもない局女郎あたりであれば、そうした噂などは尾ひれにハヒレまでつけて流れるであろうが…太鼓持ちが局程度に招ばれる訳もない。

 してみれば、例の太鼓持ちが見たという鬼は、遊郭の中でも上位の店周辺のことであろう。

 

「密偵が必要であれば、仰言って下さい。手空きの隊士を挙げておきますので」

「いや…まずは俺の嫁に行ってもらうことになると思う。それで見つからなけりゃ、伯爵に頼むかもな…。ところで―――」

 

 急に天元はつい、と冷たい視線をあらぬ方に向ける。

 

「さっきからデカい鼠が一匹、聞き耳立ててんのはどういうことだ?」

「えっ?」

 

 天元は不機嫌そうに腕を組んでクイと顎で指し示す。

 惟親がこちらからは死角となっている柱の陰へと目を向けると、そこからヒョイと影が飛び出た。

 

「いや~、さすがの音柱様には敵いまへんなぁ。失敬失敬」

 

 初対面ではあったが、天元は反射的にその胡散臭い関西弁の男に嫌悪感を抱いた。

 不信も露わに睨みつける。

 

「……いつからいた?」

 

 低く問いかける天元に、男はハハハと情けない笑顔を浮かべた。

 

「ハハ。知恵熱やら何やら言うてはって、お嬢さんもいはらへんからな…どうしたもんかー思て、ボケーッと立っとっただけですわ」

 

 天元の顔はますます厳しくなった。

 

 自分が―――この、音柱の宇髄天元が、ついさっきまで気配に気付かなかった…? その事自体が異常だ。

 

「……話は終わったから、失せるぜ。このテの奴は気に食わねぇ」

 

 言うなり天元の姿は消え、ドアが開いていた。風が一筋、すぅーっと部屋を通り過ぎる。

 

 ふぅ、と溜息をついて、宝耳は先程まで天元の座っていたソファに腰を下ろした。

 

「やれやれ、嫌われてもぅたなぁ」

 

 惟親は苛立ちを隠すこともなかった。

 

「何を考えているんだ、お前は。音柱様との話を盗み聞きするなんて」

「盗み聞きなんぞする気はあらへんがな。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉を天元が聞いたら、おそらく怒りに身を震わせただろう。

 惟親はため息をつくと、話を変えた。

 

「それで? 用件は?」

 

 仏頂面で問いかけると、宝耳は薄ら笑いを浮かべながら、懐から書類の束をバサリと机に放った。

 

「……なんだ? これは?」

「例の()()()の行方を探るのに必要なモンですやん」

 

 惟親はいくつかに目を通した後に渋面になった。

 

「まさか…これ一つ一つを調査しろということか?」

「そらそうや。ここまで絞ってやっただけ偉いとホメて欲しいわ」

 

 宝耳が持ってきたのは土地登記に関する書類であったが、その数量をざっと見ただけでも一月そこらでできる仕事ではない。

 

「後はあんたの領分や。やってもらうしかあらへん。なにせ、お館様からの肝煎りやからな」

 

 ヒラヒラと手を振って、もう自分は関係ないとばかりせせら笑う宝耳を睨みつけて、惟親は久しぶりに机の上にある煙草に手を伸ばした。

 シガレットケースから一本とると、当たり前かのように宝耳も取る。

 惟親が文句を言う間もなく、素早い動きでマッチを擦って、うまそうに吸い始めた。

 

「あぁ、そや。その()()()の名前な…珠世と愈史郎やで」

「…どうしてお前が知ってる?」

「当人らがそない呼び合っとったからな」

「呼び合ってた? お前、会ったのか?! その鬼に!?」

 

 宝耳はニヤと笑った。

 

「ハハ。その分やと、お嬢さんは本部にご注進はしとらんわけやな」

「お嬢さん?」

「今、ここにいはる森野辺元子爵令嬢やがな。元々はお嬢さんにその鬼の滅殺命令が下っとったんや。たまたま、ワイの知り合いが探り当てた鬼やったよって、ワイの方にも情報が回ってきたんで、ギリギリでどうにか邪魔できたんやけどな」

「邪魔…って、お前、何を…」

 

 訝しげに言う惟親に、宝耳は憎らしげにうそぶいた。

 

「邪魔になる、ならんはお互いさまや。ワイにとっちゃ、お嬢さんこそ邪魔者やったんや。ま、あのお嬢さん、聞き分けがええよって、殺さんで済んでよかったわ」

 

 ますます眉間の皺を深くし、厳しく睨みつける惟親を無視して、宝耳は話を続ける。

 

「女の鬼を調べてた時に出会った老婆がな、自分の兄が不治の病で苦しんでおったのが、ある日現れたそれはそれは美しい女の医者に連れられて家からいなくなった…言うててな。もちろん、その兄いうのは死んどるらしいて、墓にも名前があったし、老婆の言うことはボケた婆さんの戯言(ざれごと)くらいにしか思われとらんのやけどな…」

 

 ふぅ、と宝耳は紫煙を吐き出すと、惟親をチラとみてニヤと笑う。

 

「墓にあったのは『愈史郎』ゆう名前やった。ついでにその婆さんの父親の日記があってな。長男の『愈史郎』を『珠世』いう女の医者に診せた…と書いてあった。その長男はその後に()()()()()らしい」

 

 意味深に宝耳は言ったが、惟親は首をひねって問い返した。

 

()くなったのなら、その愈史郎という息子は死んだのじゃないのか?」

「ニブいな、あんた。ワザと強調したったんやぞ。父親の日記には『愈史郎、廿日(はつか)になくなりし』とだけあったんや。死亡したとは書いてない。()()()()()()と、取れんこともない言いようやないか」

「つまり…そこが気になっていたところに、まさしく『愈史郎』と呼ばれる鬼が現れた…ということか」

「そやそや。物分りが早ぅて助かりますな」

 

 馬鹿にした口調で言われて、惟親は苛立ちを胸に押し込めた。

 

「その『愈史郎』という息子が死んだのはいつの話だ?」

「さて? その婆さんが子供の頃というんやから、四、五十年以上は昔と違ゃうか? ま、鬼にしたら、五十年なんぞ一瞬やろ」

「しかし、五十年近くも鬼が共に行動をするとは…」

「そこは捕らえてから聞いたらえぇやろ。鬼であっても男と女やったし、そういう事なんかもしれんわな。まぁ、こっちの知ったこっちゃない」

 

 惟親は宝耳の言う想像に眉を顰めた。

 どうしてこの男はいちいち人の心を泡立たせるようなことを言うのだろう。

 ひとまず煙草をのんで、気分を落ち着けた。そもそもの問題はそこではない。

 

「それで…本当に、その鬼は()()()なのか? 本当に、我々に()()してくれるのか?」

 

 真面目な顔で問いかけた惟親に、宝耳はきょとんとなった。

 

「そんなもん、ワイの知ったことやない」

「そもそも()()()を探すのは、そのためだろうが!」

 

 ムッとなって思わず大声になる惟親を見て、宝耳はゲラゲラ笑った。

 

「そこは、それこそ御大の出番と違ゃいますん? 例の()が鬼にも効くのかは知らんけど、産屋敷の妙なる美声で(とろ)かして――――」

「貴様! 不敬な言い方をするな。お館様と呼べ!」

「あぁ、失敬失敬。ま、そこのところについては、ワイの手に負えるもんやないし、そもそもヤツらに会ってみんと、話にもならんのと()ゃいまっか? ま、そのためにもヤツらのねぐらを見つけんと。ということで―――」

 

 宝耳は机の上の書類の束を惟親の胸に押し付けると、

 

「ほな、後はよろしゅう。伯爵サマ」

と嫌味たらしく言い、煙草を灰皿にポイと放って出て行った。

 

「…くそっ」

 

 惟親は悪態をつきながら、宝耳の放り出した煙草の火をもみ消す。

 

 つくづく気に入らない。

 どこまでもあの男は信用できない。

 長いつき合いでも、いまだに何を考えているのかわからない。

 

 惟親は暗い目で宝耳の出て行ったドアを見つめた。

 

「………」

 

 それでも奴を野放しにすることはできないのだ。

 聡哉の亡き後、()の行く末を見届ける責務が、惟親にはあるのだから。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「宝耳さん」

 

 薫が階段から呼びかけると、宝耳は驚いた様子で見上げてくる。

 

「おやおや、お嬢さん。伯爵にみっちり稽古漬けにされて、くたばっとったん()ゃいますの?」

「……頼みがあります」

 

 無駄なおしゃべりほど、宝耳相手に危なっかしいものはない。

 知らず知らずのうちに、余計な情報を言ってしまいそうになるからだ。

 薫は単刀直入に話を進めた。

 

「これを、八津尾家の明宣様にお渡し下さい」

 

 薫が白い封筒を差し出すと、宝耳は面倒そうに眉を寄せた。

 

「えぇ? もぅ、あの(ボン)とは話ついたんやけど」

 

 元々、そのために薫を焚き付けて会いに行かせたのだ。

 明宣との約束(勝手に押し付けたものであったが)を果たしたことで、宝耳は一応の信用を得て情報を手に入れた。

 それで一件落着。今後一切関わる理由もない。

 

 薫は神経質そうに眉間に皺を寄せた。

 

「……明宣様に何を聞きに? 土地登記のことで話があったようですが」

「まぁ、大したことやない。あの坊が名義貸ししとった土地の件でな」

「名義貸し?」

「あんたの親父さんの事業で、色々とあの子爵家も火の車みたいやな。どうにか体裁保つので精一杯なんやろ。有力な支援者の頼みとあれば、聞き入れんわけにもいかんのやろで」

 

 やはり…と薫は内心で嘆息する。

 

 薛子が夜会に誘われているのを、黙っていたのかもしれない…と言った時の明宣の苦々しい顔が思い浮かぶ。

 おそらく八津尾家の財産状況は、小柄な令嬢一人のためにドレスを誂えることもできぬほど窮乏している…ということなのだろう。

 そんなに逼迫(ひっぱく)した状態であるのに、自分のために今の今まで、父の遺産を守ってくれていたのだから、明宣の硬骨漢ぶりにも頭が下がる。

 

「あなたの思惑にのってあげたのですから、私の頼みの一つぐらいきいて下さってもよろしいでしょう?」

「フン。乗せられたマヌケの責任を取れとは…なかなか大したお嬢さんやな。そっちにかて収穫はあったんやし、悪くない取引やったと思うけどな」

「……えぇ、そうですね。利用させて頂きました。それで、お願いは聞いていただけます?」

「ハッハッハッ! ほんまに…大した娘やで。ワイを使うとは…」

 

 言いながら宝耳は白い封筒を受け取った。

 

「恋文か?」

「…証文です。私の全財産を明宣様に譲る、という」

「ふん、もったいない。もらえるもんはもろといたらえぇのに」

「私には必要ありません。明宣様が父の事業を継いで下さっている以上、寄付するのは当然のことです」

「坊が私利私欲の為に使ったらどないすんねんな?」

「そのおつもりがあれば、既になくなっているはずです。私もどうせ親戚達が勝手に持っていくだろうと思っていたんですから…明宣様が預かっていてくれたというだけで十分です。まして、そのお金で父の遺志を少しでも支援できるのなら…本望というもの」

 

 宝耳は肩をすくめると、封筒を懐にしまった。

 

「揃いも揃って、お人好しやな。いっそ、お嬢さん。鬼殺隊なんぞやめて、元の鞘に収まった方がえぇんと違ゃいます?」

 

 薫はニッコリと笑うと、静かに一礼して階段を上って行った。

 

 あぁしてワザとに怒らせるのも、意味があるのではないかと思うと、なにせ早々に宝耳からは離れたかった。

 

 しかし宝耳は薄ら笑いを浮かべて薫を呼び止める。

 

「そういえば、お嬢さん。菊内男爵のことやけど…」

「……」

「あのオッサンには気をつけた方がえぇで。下手すりゃ、鬼殺隊のことも勘付いとる可能性があるからな」

「なんですって?」

「困ったことをしてくる人間いうのは、いつの世にもおるからなぁ…」

 

 つぶやくように言うと、宝耳はヒラヒラと手を振って珍しく玄関から出て行った。

 

 

 

<つづく>

 






次回は来週更新予定です。

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