【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第五章 宴の前(八)

「……はぁ」

 

 いよいよ夜会に行く日も迫ってきた。縫製部の隠が持ってきた仮縫いの夜会服(ドレス)を着て、薫は思わずため息をもらす。

 目の下にくっきりと(くま)をつくった女の隠がどんよりした目で見上げてきた。

 

「あの…何か…お気に召さないですか?」

「えっ? あっ…いえ、そういう訳じゃないんです」

 

 今更、コルセットをつけるような格好をする羽目になったことにため息がつきたくなっただけで、まさかわざわざこの潜入捜査のためだけに夜会服を作ってきてくれた隠の仕事に文句をつけたい訳ではない。

 

「任務のことを考えると少し自信がなくて…とても美しい仕立てのドレスですね。それに思ったよりも軽いです」

 

 艷やかな濃藍の生地に、胸元と裾部分には金糸でダマスク柄の細かい刺繍がされた豪奢なドレスであった。正直、一度着るだけで終わらせるには勿体ないくらいだ。

 隠はニッコリと笑った。

 

「よかったです。最初はサテン生地で作っていたんですが、軽い方がいいだろうということで、タフタ生地に変えたんです。やっぱりこういう衣装を作るのは、なんだかんだ言って楽しいんですよね。皆、文句言いながらもついつい気合が入っちゃって、夜なべして刺繍なんかしたりして…」

「まぁ…」

「それに一応、最近の流行なんかも取り入れて、バッスルっていうのはもう古いらしいので、それをなくした意匠になっているんですよ」

 

 疲れの残る顔色ながらも、嬉々として語る女隠を見て、薫は思わず微笑んだ。

 急な仕事で大変ではあっても、やはり女性としては美しい服を作るのは楽しみであるらしい。

 

「色々と考えて作って下さったんですね。確かにバッスルがなくなって随分、楽になりましたね」

 

 薫がまだ子爵家にいた頃に着せられたものはバッスルという腰当てをつけ、引き裾(トレーン)もまさしく床を引きずって歩くように長かった。

 たまに着ていた母の寧子が「重い、重い」とぶつぶつ文句を言っていた記憶がある。その頃からすると、こうした服装にも流行があるのか、わりとすっきりとした形のドレスに変化している。

 だが、夜会服であるから仕方ないとはいえ…

 

「この襟ぐりの広いのは…仕方ないんですかね」

 

 胸元近くまで開き、肩もほぼ露わになるのは、どうしても落ち着かない。

 どうしてコルセットで胴をあそこまでガチガチに固めておいて、首から胸元はこんなに空いているのだろうか。

 女隠は申し訳なさそうに説明した。

 

「一応、調べたところによると、昼用のドレスは首元までぴっちり詰めて作るみたいなんですけど、夜用はなんだかこんな服なんですよ」

 

 薫もその辺りの着装儀礼については、うっすらと覚えていた。

 西洋(あちら)の貴婦人は同じ招待でも昼の園遊会と夜会とでは着用する服装が違うし、それ以外でも散歩用や食事用やらでいちいち着替えるらしい。面倒なことだ。

 

 憂鬱な顔になる薫を見て、女隠が尋ねてくる。

 

「やっぱり…気になりますか?」

「そうですね。ショールをしてればいいんでしょうが、ピアノを弾くときには邪魔になるでしょうし…」

 

 薫はまた思わずため息が出た。

 ピアノのことだけでも気が重いというのに、その上でこのドレスを着てダンスまでしなければならないのかと思うと…。

 

 しかし、見ていた女隠と目が合うと、ハッと口に手を当てた。

 

「……すみません」

 

 小さくなって謝る薫に、女隠はくすっと笑った。

 

「いいんですよ。あちらの服なんて、そもそも馴染みもないんですから…ましていつもの隊服とは正反対ですからね。わかりました。森野辺さんがせめて胸を張って着れるようなものに仕上げてきます」

「えっ? いいです、いいです! これで十分です」

「いえ。あくまで任務が最優先ですから。服が気になって肝心のお仕事に支障をきたしてはいけませんからね」

「そんな…もう日にちもそんなにないのに…」

「大丈夫です! 腹案はあるので、あぁ…首周りの寸法だけもう一度、計らせてもらいますね」

 

 女隠は再び薫の身体測定をした後、「じゃあ、早速!」と、ドレスを抱えて帰っていった。引き止める間もない。

 

 薫は少し心配になった。

 大丈夫だろうか? なんだかちょっとおかしな様子になっていたような気がしなくもない。忙しすぎて、自棄(やけ)になっているのではないか……?

 

 嵐の去った後のように呆然として佇んでいたが、ふとソファに置かれた風呂敷包みに気付いた。

 

「……忘れ物かしら?」

 

 少し迷ったが、中を確かめるために開けてみると、入っていたのは男物の礼服だった。

 大柄な上着から想像するに、おそらく音柱である宇髄天元用に仕立てた燕尾服であろう。薫の衣装合わせの後に、届ける予定だったのだろうか。

 

 去っていった隠を追いかけるのは可能であったが、今から薫の夜会服の手直しのために忙しくなるだろうと思うと、また一つ仕事を押し付けるようで申し訳ない。

 

「どうしました?」

 

 逡巡する薫に惟親(これちか)が問いかけてくる。

 外套を羽織っているので、これから出かけるらしい。

 

「あ…さっきの隠の人が忘れていってしまって…たぶん音柱様にお届けするものだと思うのですが…」

「おや、そうですか。では、誰かに届けさせておきましょう」

「あ…でしたら私が参ります。住所を教えていただけますか?」

 

 薫が申し出ると、惟親は「少し遠いですよ」と言いながら、住所と駅からの簡単な地図を描いてくれた。都心部ではないらしい。

 

「ここだけの話、柱の方々の家はお館様の屋敷を遠巻きに守るように配置しているのです。お館様はお屋敷にも、守衛すら置こうとされませんからね」

 

 その上でお館様のお屋敷の正式な位置というのは極秘で、惟親ですらも、隠達の案内なしに行くことはできないらしい。

 

 渡された住所は少し郊外ながら、電車であれば日帰りできる程度の距離だった。

 頭の中で実弥に与えられた新たな屋敷が思い浮かぶ。

 位置的には天元の家からやや離れた場所だが、徒歩でも行けるだろう。蝶屋敷からもそう離れていないので、どうやらこの近辺に柱の住居が点在しているらしい。

 

 そういえば、前に訪れた翔太郎の実家も遠からぬ場所にあった。柱の住居は隊から貸し与えられると聞いているが、風波見(かざはみ)家に関しては、あるいは伝説とも呼ばれた風柱の威光を尊重して、邸宅をそのまま下賜したのかもしれない。

 

 隠が忘れていった唐草模様の風呂敷を肩に背負うと、薫は音柱の屋敷へと向かった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……誰、アンタ?」

 

 取次を頼んだ女性は、剣呑とした目でしばし薫を睨みつけた後、横柄に問うてくる。

 

「鬼殺隊の人?」

「あ…はい。森野辺…」

「嘘!」

 

 自己紹介を途中で遮って、女は甲高い声で叫んだ。

 

「隊士だか隠だか知らないけど、こんな格好の鬼狩りはいないわよ」

「………」

 

 このとき、薫は自分が隊服を着ずに来たことを後悔した。確かに、銘仙の着物を着た隊士などいないだろう。

 

「いえ、あの…急ぎだと思って…着替えずに来てしまって…申し訳ありません」

 

 謝罪する薫を女は訝しげにジロジロと見つめた。

 

「本当ぉ~に隊士なの? また(・・)ウチの天元様を追っかけて来たんじゃないでしょうねぇ~?」

「天……音柱様を追っかける? どうしてそんなことをするんですか?」

「どうしてって…よく言うわ! だいたい、そこらで見かけてフラフラついてきて、家の周りウロついて、あわよくば~って思ってるんでしょ! アンタ達は!!」

「まさか…」

 

 誤解だと釈明しようとして、ハタと気づく。

 もしかすると、この女性は噂に聞く音柱の三人の嫁の一人なのであろうか。

 

 もし、そうだとすれば今のこの対応にもある程度合点がいく。と同時に、この人に対して「音柱様のどこが格好いいんですか?」なぞと言おうものなら、おそらく烈火の如く怒り出すだろう。

 

 困ったことになった…と思案していると、フッと女の姿が翳った。背後に立った大柄な人の姿に、薫は内心ホッとしつつ頭を下げた。

 

「玄関からキャーキャーとうるせぇのが騒いでると思ったら、なんだ、何しに来た?」

 

 天元がポンと軽く女の頭を叩くと、女はハッとした様子で振り返る。

 

「天元様! また、女が来たじゃないですか!」

「妙な勘違いしてんじゃねぇよ、須磨。コイツはお前の考えから一番遠い部類の女だぜ。なにせ、俺のことは『特に格好いいとは思わない』んだからな。な?」

 

 嫌味に問われて、薫はぎこちなく笑うしかなかった。

 内心で、この人はどうしていつまでもあんな昔のポロッと出た一言を覚えているのだろうか…と、あきれる。

 

 須磨、と呼ばれた妻女(おそらくそうであろう)は、天元の言ったことを聞くと、唖然とした様子で薫を見た。

 ズイ、と近寄ってきて小さな声で問うてくる。

 

「え? アンタ、目ェ悪いの?」

「……そうかもしれません」

 

 否定するもの面倒で、軽くいなすと、天元がハハハと笑った。

 

「まぁ、入れ。須磨、客人だから、無礼なことすんじゃねぇよ」

 

 カランカランと下駄音をたてて、着流し姿の天元は屋敷の中へと入っていく。

 須磨はさすがに自分の非礼が恥ずかしくなったのか、軽く頭を下げると、それからはおとなしく薫を客間に案内した。

 

 畳を変えたばかりなのか、い草の清しい匂いのする部屋で待っていると、今度は随分と落ち着いた風情の女性がお茶を運んできた。

 

「須磨が失礼をいたしました。宇髄天元の妻・雛鶴と申します」

「あ…森野辺薫と申します」

 

 ようやく挨拶ができた。

 ホッとする間もなく、雛鶴の後ろからまた一人、少し気の強そうな目つきの鋭い女性が同じように頭を下げた。

 

「同じく、宇髄天元の妻・まきを(・・・)と申します」

「あ…はい…森野辺薫…です」

 

 少々戸惑ったのは、やはり噂通りであったのだということへの驚きと、彼女達があまり薫に対していい印象を持ってないらしいと思えたからだった。雛鶴はよくわからないが、須磨にしろ、まきを(・・・)にしろ、どちらかといえば敵意に近いものを感じる。

 

「今日は…どういったご用件でしょうか?」

 

 尋ねてきたのはまきを(・・・)だった。

 雛鶴が軽く諌めるような視線を送ったが、()()()は無視して薫を真っ直ぐに見つめてくる。

 

「あの…次の任務で着用する服を預かって参りました」

 

 薫が丁寧な口調で返事すると、()()()は眉間に皺を寄せて首を傾げた。

 

「次の任務で? 一体、どんな…」

「すみません…それ以上は隊務に関わることですので、私からは申し上げられません。音柱様に聞いて下さい」

 

 まきを(・・・)は頷くと、薫の脇に置かれた風呂敷包みを見た。

 

「それですか?」

「はい…」

「では、私が渡してきます」

 

 そのまま取って持って行こうとするので、薫はあわてて風呂敷を自分の後ろにやった。

 

「すみませんが…これも含めて隊務に関わることですので!」

 

 怪訝に薫を見つめる()()()に、雛鶴が厳しい口調で言った。

 

「いい加減にしなさい。みっともないわ」

「だって…気になるじゃないの!」

「気になるって…勝手に思い込んでるだけでしょう?」

 

 雛鶴があきれたように言うと、()()()はバツ悪そうに押し黙った。

 

「ごめんなさい。珍しく綺麗なお嬢さんが来たものだから、私達も驚いてしまったの。天元様があの通りの方だから、たまにあなたようなお嬢さんが迷い込んできたりするの」

 

 雛鶴の説明を聞いて、ようやく()()()と須磨の態度の理由がわかったが、わかると脱力する。

 

 どうやら音柱が大層モテるらしいことはわかった。だが、自分に嫉妬が向けられるのは甚だ遺憾というほかない。

 

「どうやら不本意らしいな」

 

 ようやく現れた天元を薫はまじまじと見た。

 

「なんだ? めずらしく見てくるな」

「はい。音柱様が美男なのかと、よくよく見ておりました」

「ほぉ。で?」

「……すみません。やはり、私は目が悪いようです」

 

 天元は一瞬、引きつった笑みを浮かべたが、特に言及することもなく部屋に入ってくると上座に座る。

 

「で? 服だって?」

「はい。隠の方がこちらに渡しに来る予定だったのですが、私の夜会服の手直しであわてて帰ってしまったので、届けに参りました」

「あぁ…あれか…」

 

 渋い顔の天元に風呂敷包を差し出すと、チラと天元がまきを(・・・)を見やる。

 

「開けてみろ」

「いいのですか?」

 

 まきを(・・・)は興味深げに風呂敷包みに手を伸ばすと、さっと開く。

 中にあった燕尾服を見て、眉を寄せた。

 

「これって…洋服(よーふく)?」

「面倒くせぇーの」

 

 天元はハーッと盛大なため息をつく。さもありなん…と薫も内心では同意しつつも、任務のためには仕方ない。

 

「一応、着てみてもらって…問題があれば手直しするとのことですので、試着していただけますか?」

「今?」

「今です。時間がありませんから」

「お前って…ホントに四角四面な奴だよな」

 

 ゲンナリしたように言って天元が立ち上がる。

 まきを(・・・)は風呂敷包ごと持って後についていった。雛鶴も軽く会釈して去っていく。

 

 再び一人取り残され、薫は冷めたお茶を啜った。

 ぼんやりと庭を見ていると、似た景色が思い浮かぶ。

 

 考えてみれば柱の屋敷というのは、おおむね似ているのだろうか。以前に訪れた実弥の屋敷のことを思い出すと、同時にあの日のことも思い出す。

 苦しげに言われたあの言葉。

 

 ―――――お前が(うん)と言えば……

 

 すべてを思い出す前に首を振った。

 今、ここは感傷にひたる場ではない。

 

 お茶を飲み干すと、ほぅと息をついて呼吸を整えた。

 

「あの~」

 

 しばらくしてから、おずおずと呼びかけてきたのは、最初に会った須磨という妻だった。

 

「ちょっと、いい?」

「なんでしょう?」

「あっちの服って、よくわかんなくて…」

 

 薫は首をひねった。

 天元は以前にも似た任務をしたことがあると言っていた。当然、服も着たはずだが。

 

 須磨に案内されて行ってみると、天元はほぼ用意された燕尾服を着てはいたが、シャツの(ボタン)が留められていない。

 

「釦がねぇシャツなんぞ寄越しやがって」

「燕尾服のときは前立ての第二から第四までのボタンは据え付けのものではなく、スタッド釦になるのです。あ…音柱様は体格がよくていらっしゃるので、第五までですね」

「なんだそりゃ」

「確か、釦の入った箱があったはずですが…」

「これかい?」

 

 薫が言うと、まきをが青いベルベットの生地が張られたケースを差し出す。

 受け取って開けてみると、中には銀色の台座に白蝶貝が嵌め込まれたスタッド釦とカフス釦が並べられてあった。

 

「あぁ…これです。こちらの丸い方がスタッド釦ですから、シャツの前たての釦穴に差して留めるんです」

 

 説明する薫を皆して見つめてくるが、誰も使い方がわかっていないようだった。

 しばし思案した後に、薫は天元の前に立つと、グイとシャツを引っ張った。

 

「よく見ておいてくださいね」

 

 それから、薫は一つ一つ釦の付け方からポケットチーフの折り方まで丁寧に説明していった。

 最終的には、三人の妻それぞれに実際にやらせて、最後まで手間取っていた須磨もきちんと釦をつけられるようになると、安堵のため息をついた。

 

「ありがと、ありがと、お嬢さん。よくわかったよ」

 

 まきを(・・・)は当初の不穏な態度はどこへやら、すっかり打ち解けた様子で薫の手を握って礼を言った。

 

「天元様、やっぱり何着ても格好いいですねぇ!」

 

 須磨が三つ揃いの燕尾服姿の天元を見て褒めそやすと、雛鶴までも惚れ惚れしたように見つめている。

 

「どこか…不備はありますか? 動きづらいとか」

 

 薫はそもそもの目的を忘れそうになって、あわてて尋ねた。

 天元は女達の嬉しそうな様子とは相反して、不満げだった。

 

「こんなモン、どう着たって面倒だろうが」

「それはそうですが…実際に肩が動かしにくいとかキツイ部分とかはないですか?」

「…大丈夫だろ。実際、鬼に対する時にゃ、上なんぞ脱げばいいんだ」

「それは結構なことです」

 

 薫は皮肉っぽい口調になった。

 もし、夜会で鬼に遭遇しても自分はコルセットを取り外す暇などないだろう。

 

「なんだぁ、今の。えらく不満そうじゃねぇか」

「そんなことはありません」

「嘘つけ。文句あるんなら言え」

「……じゃあ、代わりにダンスを…」

「それは断る」

「結局ダメなんじゃないですか!」

 

 思わずムッとなると、雛鶴がクスクス笑った。

 

「まるで、妹さんみたいですね。天元様」

 

 天元は一瞬、ピクリと眉をあげたが、すぐにやれやれと肩をすくめてみせた。

 

「実際、任務じゃこいつは妹になるんだからな。まったく、クソ生意気な妹だ」

「では、隠の方にはピッタリだったと伝えておきますね、元兄さま(・・・・)

 

 薫がわざとらしく言うと、三人の妻達は目を丸くした。

 ややあってからまきを(・・・)が大笑いする。つられて須磨と雛鶴も笑った。

 

 薫は内心でホッと胸を撫で下ろした。

 どうやらこれで、天元の嫁達の妙な嫉妬の対象にはならずに済んだようだ。…

 

 

 

<つづく>

 





次回は来週更新予定です。

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