【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第六章 狂宴(二)

「確かに…似ておいでですね」

 

 聞き覚えのある男の声。

 薫の心臓はドキリと跳ねた。

 

 さっと強張った顔で見れば、そこに立っていたのは八津尾(やつお)明宣(あきのぶ)だった。

 薫と目が合うなり、微かな笑みを浮かべる。

 

「あら、明宣様。珍しいこと、夜会にお見えなんて」

 

 春子がやや驚いた顔になる。

 明宣は朗らかに対応した。

 

「えぇ…菊内(きくない)男爵の催される夜会には、貴賤を問わず優秀な方々が集まっておみえになると聞き及びまして、重い腰を上げる気になったのです」

「それはよろしいことですわ」

 

 春子は大仰に頷いてから、疑心暗鬼な眼差しを明宣に向けた。

 

「そういえば…明宣様は森野辺子爵令嬢と婚約されていらっしゃいましたわね?」

 

 明宣はすぐに頷いた。

 

「えぇ。ですから、こちらから懐かしい名前が聞こえたもので…つい気になって」

「いいえぇ、構いませんことよ。当然ですわ。ね? 似ておいでしょう?」

 

 春子は思いもかけぬ援軍が来たと愉しげであったが、明宣はじっと薫を見つめてから、残念そうに首を振った。

 

「どうやら違うようです」

「あら? そうかしら?」

 

 疑り深い春子に、明宣はあきれたように言った。

 

「僕は彼女と見合いまでしたのですよ。確かに似ておられますが、別人です。彼女はこんなに堂々とはしていませんでしたよ。いつもどこか落ち着きなくビクビクしておいでで…」

 

 あまりに明宣がはっきりと否定するので、春子は自信がなくなってきたようだった。

 薫を睨むように凝視してから、ツイと目を逸らした。

 

「まぁ、そうですわね。あの方、こうした場では決して前に出る方ではございませんし、いつも青い顔なさって、憐れでみじめたらしいご様子でしたものね」

 

 なんともひどい言いようだ。

 しかしそこまで言われるとかえって滑稽で、薫は思わずクスッと笑ってしまった。

 

 春子が苛立たしげに眉を寄せたが、明宣は苦笑いを浮かべてたしなめた。

 

「幼かったとはいえ、一応婚約者であった人ですから、そうまで悪し様に言われては僕の立つ瀬がありませんよ」

「まぁ…でしたら主人にでも頼んで、()()()()明宣様に相応(ふさわ)しいご令嬢を紹介して差し上げますわ。では、ごきげんよう」

 

 春子はそれでもう興味をなくしたようだった。

 薫の方を見ようともせず、早々に引き上げていく。お付きのご令嬢達も、少しばかりバツ悪そうに立ち去った。

 

 薫は長くお辞儀して見送る。

 ゆっくりと顔を上げると、一呼吸して明宣の方を振り返った。

 

「せっかくですから、その私に似た人のことについて、伺ってもよろしいかしら?」

 

 薫はにこやかに言ってから、じっと明宣を見つめた。

 いっそ、睨みたいくらいだ。どうしてよりによって今日、ここに明宣がいるのだろうか?

 

「そうですね」

 

 明宣は頷くと、庭へと促す。

 

 菊内男爵ご自慢の薔薇園が見頃であったが、今はそれどころではない。

 無言のまま足早に歩いて東屋に辿り着くと、周囲に人の気配がないことを確認してから、薫は明宣に詰め寄った。

 

「どうしていらっしゃっているんですか?」

 

 明宣は困ったように笑みを浮かべる。

 

「あの男から聞いたのです」

「あの男?」

「あなたの書類を渡しに来た、関西弁の男です」

「あぁ…」

 

 薫は額を押さえた。

 またもや宝耳(ほうじ)が余計な世話を焼いたらしい。

 

薩見(さつみ)伯爵の姪と紹介されてましたが…伯爵もそれならそうと仰言(おっしゃ)ってくだされば…」

 

 明宣はどうやら薫が惟親によって()()()保護されていたと勘違いしているようだ。

 申し訳ないが、その誤解を訂正している時間はない。

 

「お願いしますから、何も言わずにお帰り下さい」

「何かを言うつもりはありません。先程は、なんだか困って見えたので、つい口を出しました。すみません」

「謝っていただくことではありません。正直、助かりました。でも、早くお帰りになって下さい。どうしていらっしゃったのですか? あの男に行けとでも言われましたか?」

「まさか。ここに来たのは自分の意志です」

「………」

 

 薫は眉を寄せる。

 宝耳の巧みな話術によって、我知らず誘導されていることは大いに有り得ることだ。

 

「あなたが、妹のことを調べていると言っていたので…心配になったのです。危ないことに関わっているのではないかと」

 

 薫は困り果てた。

 今、ここでゆっくりと明宣を説得している暇はない。

 そろそろ天元や惟親の誘導もあって、薫がピアノを弾くための流れが出来てきているだろう。

 

「私が危ないことに関わっていたとしても、明宣様に止めることはできません」

 

 薫は決然として言った。

 

「先程、言っていた通りです。私は昔の自信なげに青い顔をして震えていた森野辺(もりのべ)薫子(ゆきこ)ではありません。だから、心配していただく必要はないんです」

 

 明宣の顔が歪む。さみしげに俯いた。

 

「そうですか…」

「すみません。………失礼します」

 

 薫は固い顔で軽く頭を下げると、その場を後にした。

 明宣には申し訳ないが、もはや()()()()()()()()()と、はっきりわからせておく必要がある。

 

 薫が広間に戻ってくると、すぐに惟親(これちか)が飛んできた。

 

「明宣君が来ているとは思わなかった。何か言われましたか?」

「いえ。心配されて来たみたいです。伯爵、彼に今日のことを話したのは宝耳さんですよ」

「なに?」

 

 惟親の顔が引き攣った。「あいつは…」と声が震えているのは、よほど腹に据えかねているのだろう。

 深呼吸して気持ちを切り替えた後に、すぐさま薫に指示する。

 

「とりあえず、私は明宣君に会って話してきます。あなたは()()()()のところに行って、手順通りに」

「わかりました」

 

 薫は頷いて、令嬢と夫人達に囲まれた天元のもとへと向かった。

 

「元兄さま」

 

 声をかけると、一気に目線が注がれる。

 

「まぁ、二人並ばれると、本当にお美しいご兄妹でいらっしゃること」

 

 クリーム色のドレスを着た夫人が溜息まじりに言うと、次々に賞賛の応酬になる。

 

「古びた骨董などより、お二人を見ている方がよっぽど目の保養というものですわ」

「今日の夜会がぐっと華やかになりましてよ」

 

 その歯の浮いたような世辞に、薫は笑顔が引き攣りそうだったが、天元は至って素直に受け取っているようだった。

 

「ありがとうございます。これが先程から話しておりました、妹です。足の悪い兄を慰めようと、ピアノを弾いてくれる優しい妹なんですよ」

 

 薫は辛うじて目だけは細めて笑ったフリをする。それと知られぬよう溜息をついた口元は扇で隠した。

 どこからそんな言葉がスラスラ出てくるのだろうか。忍というのは、そういう詐欺師めいた訓練でもするのだろうか。

 

「お恥ずかしい話ですわ。田舎者の奏でるピアノなんて、耳の肥えた淑女の皆様にはとても聴くに耐えないものでしょう」

 

 悲しげに俯いて卑下してみせれば、必ずそれを否定する者がいる。

 

「まぁ、そんな。先程来、お兄様から伺っておりますのよ。香織お嬢様のピアノはそれはそれは心を揺り動かす名演だと」

「まぁ…そんな」

 

 羞じらいつつ、薫の足が無意識に天元の足を踏んづけていた。

 よくもまぁ、そこまで大風呂敷を広げたものだ。

 

「……ぐっ」

 

 天元は呻きつつも、心配そうに見守る淑女達に笑ってみせた。

 

「いえ。時々、長く立っていると足が痛むもので。こういう時には、それこそ妹のピアノを聴くと、治るような気になるものです」

「あら。じゃあ、一度弾いてご覧になっては? よろしいでしょう? 伊都子(いとこ)嬢」

 

 声をかけられた先には、先程まで春子と一緒にいた菊内伊都子が立っていた。

 どうやらあの後、別れたらしい。春子の姿はなかった。

 

 今更ながらに薫は伊都子を観察した。

 確かに明宣の言っていたように、多少癇が強そうな感じがする。

 だが気が強いというわけでもなさそうだ。

 

 今も一気に視線を浴びて、目を泳がせつつ、警戒心もあらわに薫を睨みつけてくる。

 おそらくさっきの横柄な態度は春子が一緒であったから…つまりは虎の威を借る狐というわけだ。もっとも、春子が虎とも思わないが。

 

 天元は伊都子の前まで足を引き摺って歩いていくと、それこそあまたの女を蕩けさせたであろう微笑を浮かべて言った。

 

「よろしいでしょうか、伊都子嬢。田舎者の一生に一度あるかないかの晴れ舞台です。妹にピアノを弾かせていただいても?」

 

 伊都子はすっかりのぼせて、ボンヤリなってしまったようだった。

 

「え、えぇ……よろしくてよ。一曲ぐらいなら」

 

 天元が素早く目配せする。

 薫は頷いた。

 

 これで舞台は整った。

 

 薫がピアノに寄っていき、椅子に座ると楽団の演奏が止まった。

 同時にダンスをしている人達はその場でなりゆきを見ている。

 

 コソコソと囁かれる声。

 中には薫が先程踊った男達もいて、隣の知り合いに薫のことを説明しているようだ。

 

 薫は深呼吸をして、長く息を吐ききってから、おもむろに鍵盤の上に指を乗せた。

 

 ショパンの『幻想即興曲』。

 

 惟親がいくつかの候補から最終的に選んだものだった。

 

「あまりに重厚感のある曲だと、さすがに夜会の華やかな雰囲気にそぐわないですし、かといって穏やかな曲ですと、なかなか耳目を集めにくい。素人が見て、技巧的に難しそうと思えるくらいで、人前での演奏に耐えうる曲となれば、この曲が一番いいでしょう。旋律も美しくて、聴き映えしますし、何より()()ですから」

 

という理由は、概ね合っていたようである。

 

 強く低い和音から始まって聴衆の耳を惹きつけた後、何かの序章であるかのような左手だけの低音のアルペジオに乗って、右手の速いパッセージが始まると、周囲の人々が軽くどよめいた。

 

「……すごい」

 

 隣で明宣が呆然とつぶやくのを聞いて、惟親は満足げに微笑んだ。

 

 よろしい。だんだんと硬さも取れてきている。

 軽やかに弾きこなすために、無理難曲を十二分に練習させた甲斐があったというものだ。

 

 一方、天元は横目で伊都子を窺った。

 案の定、面目丸潰れの、なんとも情けない顔をしている。

 ゆるやかな曲調になると、クルリと踵を返して広間から出て行った。途中で菊内男爵に呼び止められたが、無視して行ってしまった。

 

 男爵はこちらに近づいてくると、無表情にピアノを奏でる薫を見ていた。

 その目はあきらかに只者ではなかった。少なくとも上流階級で苦労知らずに育った人間の目ではない。

 

 今から捕獲する小動物の動きに耳を澄ませている梟のように、そこに感情はない。

 ただ明確な敵意だけがある。

 

 演奏が終わるなりシンと静まり返った中で、最初に拍手したのは、満面に笑みを浮かべた菊内男爵だった。

 

「素晴らしい! 実に素晴らしい演奏です!!」

 

 元は船乗りであったという太い声が響き渡ると、その場の人々が追随するように拍手した。

 

「香織嬢、素晴らしい演奏を披露していただき感謝します」

 

 菊内男爵はピアノの側まで来ると、薫に頭を下げた。

 

「いえ…そんな。こちらこそ、皆様に喜んで頂けて……これで田舎の母にも自慢できますわ。ありがとうございます」

 

 あわてて薫は恐縮したが、本心だった。

 途中で少し音が流れたところがあったが、気付いたのは惟親くらいだろう。とりあえず無事に演奏が出来たのでホッとしていた。

 

 娘の十八番(おはこ)を奪われたにも関わらず、鷹揚で寛大な態度に人々は菊内男爵を讃えた。

 天元はそこかしこで囁かれる菊内男爵への賛美を聞きながら、腕を組んでニヤリと笑った。

 

 これで却って注目を浴び、賞賛を集めたのは菊内男爵その人であるという訳だ。なかなかどうして、抜け目ない男ではないか。

 

 菊内男爵は再び楽団に演奏するよう命じると、薫に手を差し出した。

 

「老いぼれでございますが、つき合っていただけますかな?」

 

 薫はチラリと天元の方を見た。天元は頷き、

 

「どうぞ。妹にとっても誉れです」

と促す。

 

 一瞬目が合った今この時に、事態が動き出したことを二人は確認する。

 

 菊内男爵は踊りながら、まだ感動さめやらぬといった様子で褒めそやした後、おもむろに尋ねてきた。

 

「香織さん。失礼ながら、ご在所は都会からは遠く離れておいでだ。なかなかピアノの楽譜などを入手するのも難しいのではないですかな?」

「まぁ、よくご存知でいらっしゃいますわね。確かにそのせいでレパートリィは少のぅございます」

「やはりそうでしたか…」

 

 そこで音楽が鳴り止むと、菊内男爵は礼儀正しく辞儀した後、薫に提案した。

 

「でしたら、娘の楽譜を譲りましょう」

「まぁ…そんな。伊都子様に悪いですわ」

「構いません。娘にはまた新たに買ってやります。お古ということに気を悪くされないのであれば…この夜会に来ていただき、素晴らしい演奏をして頂いたお礼です」

 

 それはまったく善意としか言いようのない文句だった。もし、その通りに事が進めば。

 

 薫は少し躊躇した後、おずおずと言った。

 

「本当に…よろしいのでしょうか?」

「もちろんです。後で執事に案内させますので、そちらでお待ち頂いて。あぁ、伊都子も少し驚いてしまって部屋に戻りましたが、きっと貴女(あなた)と話したいことでしょう。よろしければ、貴女一人でいらしていただけますかな? なにぶん、娘は元君のような美男がいては、緊張してうまく話せないようですから。薩見伯爵も他の方々と歓談しておられるようですし」

 

 薫は「ありがとうございます」と頭を下げた。

 

 ―――――動いた。

 

 これで菊内男爵が令嬢失踪事件と何らか関わりがあることはほぼ間違いない。あそこまで薫に一人で来ることを強調するのであれば、尚更。

 

 薫は天元のところへ向かうと、にこやかに言った。

 

「男爵様が私に楽譜を下さるそうですわ、元兄さま」

「ほぉ…それはそれは」

「伊都子様も私と話がしたいそうですが、お兄さまがいたら緊張なさってしまうそうですから、一人で行って参りますわね。伯父様にお伝え下さい」

 

 話している間にも、早速、男爵から言われたのか執事が薫の側にやって来る。

 

「ご案内致します」

 

 薫は頷くと、後について歩き出した。

 天元はヒラヒラと手を振って送り出し、姿が見えなくなってから立ち上がった。

 

「あら? いかがなさいました?」

「少し…用がありまして」

 

 天元は如才ない笑みを浮かべた。

 貴婦人達は小用だろうと察して笑顔で見送る。

 

 広間から出て角を曲がり、人気(ひとけ)がないのを確認すると、天元は廊下にある窓からヒョイと出て屋根へと這い登っていく。

 屋根上でテールコートと白いベストを脱いで、放り出した。

 

 既にネズミ達は天元の日輪刀二本を持ってきている。

 

 天元は月光に照らされた鬱金色の大刀を持ち構えると、ニヤリと笑った。

 

「ネズミ共。準備しておけ。鬼をあぶり出すぞ」

 

 

 

<つづく>

 






次回は来週の更新予定です。

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