【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第六章 狂宴(三)

 薫は応接室に案内された。

 舶来の調度品と思われる豪華なソファやキャビネットがあったが、どこか寒々しい部屋だった。

 なんとなく埃っぽい。もしかすると、普段はあまり使われてはいないのだろうか。

 

 薫は立ち上がって扉に耳をつけた。

 足音がないのを確認してから、こそっと呼びかける。

 

「ネズミ…さん。あの……いらっしゃいますか?」

 

 キキッと声がするなり、ネズミが火の気のない暖炉から飛び出してきた。

 薫の日輪刀を持っている。

 

「ありがとう」

 

 薫は受け取ってから、日輪刀を持ってソファに腰掛けた。

 すぐに取れるように背後に置いておいて、ドレスとショールで隠しておく。

 

 もはや菊内(きくない)男爵による何らかの関与があるのは間違いないが、今ここで仕掛けてくるのかはわからない。失踪した令嬢は皆、帰ってから消えたという話なのだから。

 

 果たして、コツコツと足音が近づいてきたと思ったら、ノックもなしにドアが開いた。

 楽譜を持って、伊都子(いとこ)が現れる。

 チラ、と薫をみやった顔は冷たく、取り付く島もないようだったが、薫が立ち上がった途端にニコリと笑った。

 

「あら、ごめんなさい。わざわざ立たなくてもよろしくてよ。どうぞ、おかけになって」

 

 伊都子は先程までの態度とは打って変わって、ひどく上機嫌であった。

 

「まさか、ピアノをお弾きになられるとは存じ上げませんでしたわ。しかも、とても上手でいらして。私、他にピアノを習っておられるご令嬢方を存じ上げていますけど、皆様、せいぜい趣味程度にしかされないので、お話にもならないんですの。貴女(あなた)でしたら、ここに持ってきた楽譜の価値もおわかりになりますわよね?」

 

 伊都子はそう言って、机の上に何冊かの楽譜を広げた。

 千佳子に習っていた時に使っていたベートーヴェンのソナタを集めたアルバムや、リストやモーツァルト、先程薫が弾いたショパンもある。

 

「まぁ、こんな貴重な楽譜…本当に頂いてよろしいのでしょうか?」

「構いませんことよ。私はすべてマスタしておりますし」

 

 薫は楽譜をパラパラとめくって、途中で一枚のカードを見つけた。

 

「あら…? これは…」

 

 取り出して見れば、それは鍵盤を模したような黒と白のカードだった。

 一瞬だけ伊都子の顔が強張って、すぐに笑った。

 

「あぁ、栞代わりですわ。どこまで練習したかわかりますでしょう?」

 

 伊都子はそう言ったものの、薫はカードを手にした途端、ドクンッと大きく心臓が跳ねた。

 頭の中で勢いよく血液が流れるのがわかる。グルグルと巡る血流が、心臓の音とは別に鼓動を打つ。

 

 急激な体の変調に、薫は気持ち悪くなって口を押さえた。

 伊都子が不思議そうに見ている。

 

「あら? いかがなさいまして?」

「いえ…大丈夫です」

「でもお顔の色が優れませんわ。ここで少しお休みなられるとよろしくてよ」 

 

 伊都子はやけになれなれしく薫の肩に手を置き、ソファへと寝かせた。

 

「申し訳ございません」

「いいえぇ。薩見(さつみ)伯爵には私から知らせておきましょう」 

 

 伊都子はそう言うと、そそくさと立ち去った。

 ドアから出て行く間際の意味深な笑みを見て、薫は確信した。

 

 おそらく明宣(あきのぶ)の妹である八津尾(やつお)薛子(せつこ)は伊都子に殺されたのだ。

 無論、直接的な手を下したのは彼女ではない。

 

 明宣が言っていたではないか。

 

 ――――喧嘩の翌日に薛子が冷静に抗議をすると、彼女も言い過ぎたとすぐに謝ってきて、かえって仲良くなったと申しておりました。

 

 おそらくそれが伊都子の処世術というやつなのだろう。

 そうして相手に胸襟を開いたふうを装って油断させ、襲わせる。

 

 鬼に。

 

 薫は起き上がると、隠してあった日輪刀の短い刀を取り出した。

 鞘から抜くなり、テーブルに置いてあったカードを刺した。

 

 ギャアアアアアァァァ!!!!!!!

 

 カードの中から、耳障りな声が響く。

 途端に窓がビリビリと震えた。

 

 薫は眉を顰めながら、カードをポイと投げると、立ち上がって二つの刀を構えた。

 

 電気がブブッと揺らめき……消える。

 

 同時に。

 

 カードの中から暗い靄が立ち昇り、ヌウッと人影らしきものが現れた。

 窓からのほのかな月明かりが、その姿を闇の中に照らし出す。

 

 目の前に現れたその()に、薫は停止した。

 思考も、体も。

 

「……嘘」

 

 思わずつぶやく。

 

 ()の右目から血が流れていた。

 手で押さえながら、ギロリと薫を睨みつける。

 

 ガシャーン!

 

 派手に窓が割れると同時に天元に怒鳴られた。

 

「何してやがる!? とっとと()れよ!」

 

 我に返って刀を構えると、()はいきなり逃げ出した。

 ドアを開けて、一目散に逃げていく。

 

「待っ……」

 

 待って、という前に天元が追いかける。

 薫はあわててついていった。

 

 長い廊下はなぜかうっすらとした暗さに包まれていた。誰かのいる気配もない。

 広間から聞こえていたざわめきも聞こえない。

 さっき執事に連れられて通った廊下と同じであるはずなのに、なぜかまったく違う場所であるかのように思える。

 

 廊下の灯りはすべて消えていた。

 だが、なぜか()の姿だけがくっきりと見える。

 それに、妙に甘い匂いがしてくる。懐かしい匂い。これは……。

 

 困惑する薫の目の前で、天元がクナイを()に投げつけようとしていた。

 

「駄目です!」

 

 薫は叫んで、クナイを持つ天元の手を掴む。

 天元はチッと舌打ちした。

 

 そうする間に()は突き当りの部屋へと入った。

 目の前でドアがバタンと閉まると、天元は立ち止まった。

 クルリと向き直った顔は冷たい。

 

「どういうつもりだ?」

「……すみません」

 

 素直に頭を下げる薫に、ハァと天元は溜息をついた。

 

「まぁ、いい。鬼にしては妙な気配だったし…とりあえず、ここに入ったら今度は邪魔するなよ」

 

 しっかりと釘をさしてから、天元はドアノブに手をかける。

 警戒しながらそうっと開けたが、反撃はなかった。

 中を窺うと、ここも月明かりだけが窓から差し込んで、仄暗くガランとしている。

 

「チッ! 逃げたか…」

 

 天元はズカズカと中に入っていって見回したが、()の姿はどこにもなかった。

 

 薫も入って…気付く。

 

 壁にかけられた絵。そこに伝う血。

 

 ドクン、ドクンと再び心臓が大きく拍動し始めた。

 

 かすかに漂う…そう、これは……ヘリオトロープの香り。

 

「…………まさか」

 

 ゆっくりと絵の前に立って見つめる。

 

 雨に濡れた薔薇園を描いた絵だった。

 手前には深紅の薔薇が幾重にも、争うかの如く美しく咲き誇っている。

 奥には雨に霞んだ東屋。

 もっと奥には雲間から差す光。

 もうすぐ雨が上がる…その一場面を切り取った繊細な絵。

 

 薫はこの絵に覚えがあった。

 いつも六月になると、ピアノの部屋に飾ってあった。千佳子のお気に入りの絵のうちの一枚だ。

 

 そっと、その絵に触れると、さっきカードに触れた時と同じような嘔吐感に襲われる。

 

「なんだ?」

 

 天元は具合の悪そうな薫を訝しんだ。

 

「音柱様…」

 

 薫は絵から手を離すと、深呼吸してから言った。

 

「おそらく…鬼の本体はここにはおりません。さっきの…()は、この絵から本体のいる場所に戻ったのだと思います」

 

 天元は眉を寄せて絵を見つめた。

 触れてみても変異はわからなかったが、額縁からポタポタと血が床に落ちているのを見て、おおよその見当はついたようだった。

 

「血鬼術か…七面倒臭ぇな」

 

 言うなり持っていた大刀で、バッサリ絵を切った。

 薫は無残な状態になってしまった絵を無言で見つめた。辛うじて隅に残っていたサインを確認して、暗い気持ちで覚悟する。

 

「行きましょう。もうここには用はありません」

「お前、鬼の棲処がわかってるのか?」

「……はい」

 

 薫は頷いた。

 

「おそらくは……かつての明見公爵邸です」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 天元と薫はそのまま馬車に乗り込み、少し遅れて惟親(これちか)がやって来た。

 

「ガラスの割れた音がしたので、少々騒然とはなりましたが、菊内男爵がうまく言って事なきを得たようですよ。私は騒ぎに紛れて出てきましたが…収穫はあったようですね」

 

 薫は暗い顔だった。

 さっき浮かんだ答えは正解なのだろうか。できれば誤りであってほしい。

 

 天元は腕を組んで、フンと鼻を鳴らす。

 

「さっきからこんな調子だよ。何を見たんだか知らねぇが…」

「どうしたんですか、薫さん」

「伯爵。明見(あけみ)侯爵邸は伯爵のお屋敷の先ですよね?」

 

 惟親は当惑して薫を見つめながら、頷いた。

 

「そう…ですが。どうして明見侯爵邸のことを?」

「そこに鬼がいる可能性が高いからです」

「まさか!」

 

 惟親は思わず大声になった。

 

「確かに火事の後には廃墟のようになっていますが、鬼がいるという話は聞いたことがないですよ。あの辺りで人が襲われたり、行方不明者がいたりすることもありませんし。まぁ、鬱蒼として不気味なので、お化け屋敷のように言われて肝試しに入る酔狂な人間がたまにいますが、そうした人間も普通に戻ってきていますし…」

 

「あの周辺の人を襲う必要はありません。鬼は…絵さえあれば、その絵の飾ってある家に直接行けるのだと思います。おそらく絵と鬼の間に血鬼術によって()が出来ているのでしょう」

 

「絵?」

「あの部屋にも絵があったな。ってことは、鬼は絵を描いた当人ってことか?」

 

 天元はすぐに察したようだった。

 問いかけられて、薫は陰鬱な顔で頷く。

 

「絵…? それに明見……」

 

 惟親はすっかり困惑した様子でつぶやきながら、自ら答えを導くと、「まさか…」と信じられないように薫を見つめる。

 

「別室で伊都子嬢から楽譜を渡された中に、一枚のカードがありました。黒と白の…まるでピアノの鍵盤のような……」

「千佳子様が…鬼になったと仰言(おっしゃ)るのですか…?」

 

 惟親が呆然として言うと、天元は眉を寄せた。

 

「ちかこぉ? なんだ、男じゃねぇのか?」

 

 薫は天元の素っ頓狂な物言いに、キョトンとなった。

 

「は? 男?」

「だって、お前…あの訳のわからん黒い人形を男だと思ってたんだろ?」

「黒い人形?」

「そうだよ。お前、あの黒人形のこと『彼』とか言ってたろうが。俺はあれは鬼の分身か何かかと思ったんだ。で、お前の話からして、どうやら知り合いっぽいから、咄嗟に俺の邪魔をしやがったのかと…」

 

 薫はまじまじと天元を見つめた。

 天元はそういえば柱であるのだ。だとすれば新たな柱となった()と会ったことはあるはずだ。

 

「音柱様には、その…黒い人形(・・・・)は知り合いには見えませんでしたか?」

「知り合いィ? 誰だっつーんだ、それ」

「…………」

 

 薫は明宣から聞いた薛子の話を思い出していた。

 

 ――――聞き間違いかもしれませんが、私を呼んでいたのです。『おにいさま』と言っていたように…聞こえました。

 

 あの時、薛子もまた、伊都子の渡したカードから現れた黒い人形に、勝手に投影したのだろうか。

 自分の望む…最も愛しい人の姿を。

 

 思えば菊内邸で()を追いかけている時も、周囲と隔絶されたかのようなおかしな感じだった。

 おそらくあの時既に、血鬼術の隧道(トンネル)のようなものが出来上がっていたのだろう。

 薛子が『おにいさま』を追っていた時も同じように、あの踊り場の絵まで音もなく運ばれた(・・・・)……?

 

 薫は推理しながらどんどん落ち込んでいった。

 こんな血鬼術を操るような鬼であるなら、どれだけ人を喰ったのだろうか。

 生前の姿からは考えられない。

 

 頭痛がしてきて頭を押さえると、昔、カナエに問われた言葉が甦ってくる。

 

 ―――――もし、あなたの知っている人が鬼となってしまったら、どうする?

 

 あぁ……。

 

 薫は奥歯を噛み締めた。

 どうしてよりによって今、思い出すのだろうか。

 

 天元は隣で深刻な顔をする薫を見て、はぁと大仰に溜息をついた。

 

「で? どうやら鬼が知り合いだったみたいだが、どうしたいんだ? お前は」

「それは…」

 

 薫は額から手を下ろしながら、その問いに答える。

 まるで用意されていたかのように。

 

「鬼になったのなら、滅殺するまでです」

 

 そう。あの時だって、カナエに言ったではないか。

 

 ――――鬼となれば、容赦はしません

 

 天元は無表情に薫を見つめた。

 前に惟親から聞いた森野辺薫評が思い浮かぶ。

 

 真面目で頑固で責任感が強い。

 こういう人間が得てして、最も厄介なのだ。

 行動動機に善意と正義しかないから。

 多少なりと利己的であった方がまだマシだ。

 

 髪を掻き上げて纏めながら、天元はフッと笑う。

 

「まぁ、これでやめるくらいなら、最初に言った必ず(・・)絶対に(・・・)遂行する(・・・・)って言葉も御破算ってことだし、鬼殺隊なんぞとっとと辞めた方がいいわな」

「辞めません!」

「返事だきゃいいな。ま、今度は邪魔すんなよ。誰の幻影を見たか知らねぇが、簡単に持っていかれてんじゃねぇよ」

 

 言われた途端に、薫は真っ赤になって俯いた。

 天元はキョトンとなった後にニヤリと笑った。

 

「なんだ…そういうことか。ま、男も女もサカる年頃だもんな」

「さっ…さか……」

 

 身も蓋もない言い方に薫は絶句したが、向かいに座っていた惟親はムッとして叫んだ。

 

「何を言っておいでですか! そんなことは許しませんよ!」

「なんでアンタがそんなに怒るんだよ。まったく…しばらく一緒に暮らして、すっかり娘みたいになってんな」

 

 天元が悪戯っぽい目で言うと、惟親は軽い咳払いの後、目線を逸らした。

 どうやら、わざとからかわれたようだ。

 お陰で暗く重苦しい雰囲気がすっかり消え、ようやく気分が落ち着いた。

 

「では、とりあえず隊服に着替えた後に明見邸に向かうということでよろしいでしょうか?」

「そういうことだな。それにしても…奇妙だな。うまくいきすぎているというか…伯爵」

「はい?」

「やっぱりあの菊内とかいう親爺は曲者だぞ。調べた方がいいな」

 

 天元の言葉を聞いて、ついこの間似たようなことを言われたのを薫は思い出した。

 

「そういえば、宝耳(ほうじ)さんも…同じようなことを言ってました」

「あいつが…?」

 

 惟親にとって宝耳は天敵の類らしい。一気に顰め面になる。

 

「なにか言っていたんですか?」

「菊内男爵には気をつけた方がいい…って。もしかすると…鬼殺隊のことも勘付いている可能性がある…って」

「なんですって!?」

 

 惟親は気色ばんだ。ギリギリと歯噛みすらする。

 

「またあの男は…勝手に……」

「まぁ、そう怒りなさんなよ、伯爵。ヤツが調べてんなら、ちょうど良かったじゃねぇか」

 

 天元は大したことでもないようにヒラヒラと手を振る。

 

「とにかく、そっちについちゃ任せるぜ。俺たちゃこれから鬼を狩るだけなんでね」  

 

 まるで弁当を持って花見にでも行くかのような軽い調子で天元が言うと、薫は今更ながら彼が柱であることに納得してしまった。

 この根拠のない安心感を与えられるのは、歴戦を生き延びた鬼殺隊士の頂点である柱しかいないだろう。

 

 

 

<つづく>

 





次回は来週更新予定です。

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