【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第六章 狂宴(四)

 かつては白い漆喰と、海外からわざわざ取り寄せたという煉瓦で装飾された壁は、もはや黒く煤けたまま、何年も放り出されて無残に朽ちていた。

 どこからか伸びた蔦が廃墟となった館の半分近くを覆っている。

 

 鎖で施錠された門を軽く飛び越えて邸内に入ると、すぐに薔薇の香りが漂ってくる。

 かつて丹精に栽培されていた薔薇園。

 あの時、菊内邸にあった絵に描かれていた絢爛たる薔薇園も、今は誰に手入れされることもなく、荒れ放題だった。

 それでも花は関係なく季節を感じて咲いている。

 

「どうだ? 懐かしいか?」

 

 辺りを見回しながら進む薫に、天元が問うてくる。

 

 明見邸に来るまでの道すがら、薫は天元に千佳子のことを話した。

 千佳子が元は薫のピアノの先生であったこと、社交界で比類なき美しい女性であったこと、(ライ)病となって夫に捨てられるように離縁されたこと。

 

「人を恨んで鬼になるには十分な理由だな」

 

 すべてを聞いた後に天元が言ったのはそれだけだった。同情はない。

 

 薫は落ちた薔薇を見ながら口を開きかけたが、その時、館の本玄関の大きな扉がギィィと開く。

 すぐさま天元と薫は構えたが、そこから現れたのは小さな老婆であった。

 

「………キク…さん?」

 

 薫がつぶやくように問いかけると、老婆は返事をせずに深々と頭を下げる。

 

「ようこそお出でくださりました…お嬢様がお待ちでございます」

 

 天元は眉を寄せると、薫に尋ねた。

 

「なんだよ、この小っさい婆さん」

「この人は千佳子様の婆やさんです。昔は時々会ってましたけど…」

 

 言いながら薫はチラとキクを窺う。白い顔に表情はない。

 昔はいつも薫に対して厳しい目線を向けていたが、今は何も思ってないかのように佇んでいるだけだ。

 なんとなく吹けば飛ぶかのような希薄な印象だった。

 

「どうぞこちらへ…」

 

 否とも応とも言う前にキクは館の中へと歩き出す。

 怪しいことこの上ないが、いずれにしろ館には入らねばならない。そうして千佳子にも対峙する必要がある。向こうが招いているのであれば、断る理由はない。

 天元と薫は目配せして、キクの後について入っていった。

 

 中も相当な荒れようだった。

 壊れた壁から這ってきた蔦が中にまで伸びている。

 かつては豪奢なペルシャ絨毯が敷かれていた床には、黒焦げになったそれがわずかに残っていたが、その上は獣が踏み荒らし、糞があちこちに落ちていた。

 

 キクがしずしずと歩いていく。

 暗い廊下を、朽ちて落ちそうな階段を、不気味に鳴り響く柱時計の広間を通って、再び長く暗い廊下を。

 

 どこからか微かにピアノの音が聞こえてきた。

 考えるともなしにその曲名が浮かぶ。

 ドビュッシーの『月の光』。

 まさにこの廃墟の崩れた屋根や壁の間から差し込む、月の深閑とした光に重なる。

 

 薫はだんだんとボンヤリしてきた。

 

 一体、いつまで歩かねばならないのだろう?

 こんなに広いお屋敷だったろうか?

 

 長く暗い廊下がどこまでも続く。

 かすかなヘリオトロープの香りに、どこかに誘われているようだ…と思った瞬間、薫はハッと我に返った。

 

「こちらへ」

 

 キクが扉を開けた途端に、自分が既に血鬼術に入っていたことに気付いた。

 背後にいたはずの天元の姿もない。

 扉を開けたキクの姿もなく、扉すら存在しない。

 もはや後戻りは不可能だった。

 

 そこに広がる景色は、夜の森の中だった。

 ホゥホゥと梟が啼く声がする。

 月明りに木立の影が重なる森。

 

 薫は足を踏み出しかけて、ピタリと止まった。

 草や落ち葉に紛れてマキビシが撒かれている。油断なく辺りの気配を探ると、神経がピリピリと逆立った。

 

 背後からヒュッと何かが迫る音がして、薫は反射的にしゃがみ込んだ。

 目の前の幹に手裏剣が三本刺さったのを確認してすぐに跳躍する。

 ガサガサと熊笹が不自然に動いたかと思いきや、人影が飛び出してくる。

 閃く刃を見て、薫はすぐに日輪刀を抜いた。

 

 キイィンッ!

 

 金属の交わる音が響く。

 すぐに飛び退って、薫は相手を素早く観察した。

 

 闇に溶け込むような黒装束に覆面をしている。顔を見せたくないのだろうか。身のこなしも流麗で一切無駄がない。よく精錬され研磨された一振りの刀そのもののようだ。

 

 だが、ここは確かに明見邸の中であるはずなのだ。であれば、目の前のこの忍者のような格好の者も―――と考えて、思考は止まる。

 

 忍者…と言って思い浮かぶのは、いつの間にか姿を消した宇髄天元である。

 ここに彼もいるのだろうか。

 だがのんびり考える暇もなく、黒装束の人間は薫に向かってくる。

 

 振りかざされた刃を払い、横へと飛び退る。

 するとまた背後から殺気。

 薫は二つの刀で二方向から襲いかかってくる刃を受け止めた。

 

 擦れ合う刃の音に混じって、ピアノの音が聞こえてくる。この状況に不似合いな流麗で軽やかな調べの曲が、集中を削ぐ……。

 

 薫はギリと歯噛みすると、一人を蹴りつけて、自由になった刀でもう一人の黒装束を斬りつけた。ハラリと覆面が落ちて現れた顔を見た途端に、思わず声が出た。

 

まきを(・・・)さん?!」

 

 天元の妻の一人、まきを(・・・)が薫を睨みつけていた。

 額から血がタラリと流れている。薫がさっき斬った傷だろう。これがまきを(・・・)であるなら、もう一人は……

 薫に腹を蹴られて吹っ飛ばされた一人は、ゆっくりと起き上がると、自ら覆面を()いだ。

 

 雛鶴だった。

 

 眩しいほどの満月の月明かりの下で、薄笑いを浮かべている。

 その姿を見て、薫は確信した。

 これは幻術だ。血鬼術によって作り出された幻影に違いない。

 薫の知る雛鶴もまきを(・・・)も、こんな狡猾な笑い方をするような人ではないのだから。

 

 だが、どうして彼女達の姿に見える(・・・・・・・・・)のだろう?

 鬼が彼女達を知るはずもない。

 

 そういえば菊内邸でカードから現れた()を、天元は『黒い人形』だと言っていた。

 薛子(せつこ)はおそらく明宣の姿を追って消えた。

 

 鬼が対象者の思考を反映させて、幻影を作り出し錯乱させているのだとしたら、彼女達が今、薫の前に現れる意味はなんだろうか。それほどまでに自分は彼女達に心を開いていたとも思えない。そもそも今日を含めても二回しか会ってないのだから。

 むしろ彼女達の幻影を見て混乱するとすれば、天元の方であるはずだ。……

 

 考えながら二人からの攻撃を躱し続けるのは難しかった。

 幻影とはいえ、斬りつけられれば服が裂けるし、爆竹のようなものを投げられれば火傷も負う。

 彼女らを傷つけるのは正直いい気分ではなかったが、この膠着状態を続けていられる余裕もそろそろない。

 彼女らを倒すことで、何らかの突破口にはなるはずだ。 

 

 肚を据えると、スゥゥと息を吸い、細く長く吐く。

 

 鳥の呼吸 肆ノ型・改 双環(そうかん)狭扼(きょうやく)

 

 刀を素早く振り回すと、二つの円環が二人に向かっていき、そのまま首を絞めるように断ち斬る。

 断末魔の叫びと共に、二人は倒れた。

 違和感を感じたのは、消えなかったことだ。鬼の分身であれば、首を落とせば塵となって消えていくのが定石なのに。

 薫は雛鶴の真似をしていた一体の首にそっと手を伸ばした。

 

「やめろ!」

 

 いきなり背後から怒鳴られ、ビクリと震えて薫はすぐさま振り返った。反射的に構えたが、誰がそこにいるのかはわかっていた。

 

「音柱様…」

 

 薫がホッとして声をかけると、天元は呆然と凝視する。

 彼もまた、幻影であった須磨を斬ったのだろうか。腕に彼女を抱えていた。既に息絶えたのか目は閉じ、口の端には血が流れた跡がある。

 

 薫は近寄りかけてふと立ち止まった。目の前にいる天元が幻影でないという確証はない。

 逡巡してその場に立ち止まったまま、薫は注意深く天元の様子をうかがった。

 

「お前……」

 

 天元は静かに薫を見つめていた。

 だが、その目には何の感情も見えない。それなのに胸が苦しくなるような痛みを感じる。涙が(こご)って、凍りついて、そのまま硝子のようになってしまった目だ。

 

また(・・)……殺すのか?」

 

 天元が抑揚のない声で問いかけてくる。

 

 薫は困惑した。『また』?

 

「俺と戦うために…嫁を殺したのか?」

 

 須磨をそっと地面におろしながら、尋ねてくる。

 

 静かな威圧感に薫は後ずさった。

 さっきから一体、何を言っているのだろう?

 

「あの時、見逃したのは…俺を絶望させるためか?」

 

 天元はギロリと薫を睨みつけると、声を震わせた。

 怒っているはずなのに、痛々しく悲しげだった。

 一体、彼は何を見ているのだろう。

 

「そうやって俺の『弱味』を消して、俺を引きずり込む気か!? そんなに俺を殺して…『完璧』とやらになりたいのかよ!!?」

 

 激昂して天元が薫に向かってくる。

 どうにか最初の一太刀をギリギリで躱すと、大きく飛び退って間合いをとった。すぐに刀を構える。

 

 どうやら幻影ではないような気がするものの、天元の様子は明らかにおかしい。薫を誰かと勘違いし、その誰かと戦う気でいる。あるいは幻影に取り憑かれているのかもしれない。

 この状況を作り出した鬼の思惑としては、相討ちを狙っているのだろう。

 

 薫はギリっと奥歯を噛み締めた。

 さっきから苛立たしかった。この張り詰めた空気の中で、流れてくるピアノの音も、濃密なヘリオトロープの香りも。

 

「音柱様! しっかりなさって下さい!!」

 

 薫が叫ぶと、天元は目を見開いた。

 その顔に困惑と、絶望が浮かぶ。

 

「……お前…」

 

 ささやくような小さな呼び声。

 

「鬼に……なっちまったのか……」

 

 憤怒と悲哀の入り混じった顔で見つめてくる。

 だが、次の瞬間には表情を失くした。

 鬱金色の日輪刀を交差して掲げ持つと、天元は冷たく言い放つ。

 

「鬼に…容赦はしねぇ」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 月光に満たされた部屋の中には、一枚の白いキャンバスがあった。

 そこには明見邸に入ってきた二人の鬼殺隊士が絵として描かれながら、動いている。無残な薔薇園の姿を見て、思うところがあるようだ。

 彼らの横に、両頬に薔薇の紋様が刻まれた女の顔が現れる。

 

 かつての明見侯爵夫人。今や鬼となった千禍蠱(ちかこ)は艶然と微笑んだ。

 

「まぁ…こんなふうに会えるなんて、嬉しいこと。――――婆や」

 

 ずっと自分に付き従っている婆やを呼びつける。

 キクは足音もなく寄って、しずかに側に立った。

 

薫子(ゆきこ)さんがいらっしゃるのよ。ちゃんと準備をしないとね」

 

 浮き立って言う千禍蠱に、キクはかさついた声で返事する。

 

(すぐる)様の御子でいらっしゃる……」

 

 千禍蠱は一瞬、無表情に黙り込んだ。だが、すぐにクスクスと笑う。

 

「えぇ、そうよ。帰ってきてくれたの。(わらわ)の元に。あの女ではない。妾のところに。………ねぇ、薫子さん」

 

 言いながら千禍蠱は軽やかに白いグランドピアノを奏で始める。

 

「お出迎えして頂戴」

 

 命を受けて、キクは姿を消した。

 

 ドビュッシーの『月の光』。

 ピアニッシモで始まる静寂の曲。

 揺らめき煌めく音。

 

 陶然と弾くと、その音は一つ一つ、彼らの中に入っていく。

 彼らの感情の(ひだ)の中に、分け入っていく。

 

 ゆっくりと…気づかれぬよう…ささやかに。

 

 細胞のすべてに浸潤していく。

 

 ひそやかに、緩やかに。

 

 千禍蠱は少しだけ眉を上げた。

 薫は自分がいることを知っているせいか、警戒が強い。少し、手間取りそうだ。

 

「………かわいい薫子さんは後にしましょうか。邪魔をされても嫌ですしね」

 

 独りつぶやいて、千禍蠱はもう一人やって来た男の記憶を(ほど)いていく。

 

 最初は興味もなかった顔が、ゆっくりと愉悦していく。

 クックッと喉で笑った。

 

「まぁ…これはこれは。面白いこと。さすが下賤の者は…醜い」

 

 千禍蠱は恍惚となって、鍵盤を踊らせる。

 背後にある画布には見る間に鄙びた田舎の景色が浮かび上がっていく。

 

「さぁ…懐かしい故郷に……お帰りなさい」

 

 千禍蠱はうっとりと微笑んだ。

 

 

 

<つづく>

 





次回は来週更新予定です。

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