【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第六章 狂宴(五)

 天元はずっと眉間に皺を寄せていた。

 

 どうやら厄介な鬼であるらしいのは、菊内邸で幻影らしきものを見せられた時からわかっていた。しかも鬼のいるらしい屋敷の中に入って、老婆に出迎えまでされて、奇妙なことこの上ない。

 とっとと屋敷ごと壊して鬼を殺せれば問題ないが、こんな手の込んだ血鬼術を使う鬼が、必ずここにいて、物理的な衝撃によって殺られるとは思えなかった。

 

 幽霊かのように足音のない老婆の後を薫がついていく。

 その後ろから天元はついていった。

 

 さっきからピアノの音らしきものが聞こえてくるのが、地味に鬱陶しい。

 音がまるで煙か何かのように纏わりついてくる。煙なら払いのけられるのに、音というのが厄介だ。

 

 しかも時々明らかに流れを途絶させるような音が入り混じって聞こえてくる。

 それはひどく高い音であったり、ひどく低い音であったりして一定ではないが、流れる旋律の中に点々とシミをつくっている。

 この奏者の腕前からして、それがわざとであるのは明白だ。

 

 苛々して、一瞬気が逸れたせいだろうか。

 気付くと先を歩いていた薫の姿を見失っていた。

 

「チッ!」

 

 派手に舌打ちして、天元は走ったが、突き当りはドアがあるだけだった。

 

 明らかに怪しい。盛大に怪しい。怪しさしかない。

 

 しかし後ろにはただこれまで歩いてきた長い廊下が続いているだけだ。鬼がここに自分を呼び寄せているなら、乗ってやるしかないだろう。

 

 バキィッ!

 

 思い切りドアを蹴破って入ると、そこは十畳ほどの部屋だった。

 中には例のピアノとかいう黒いデカい楽器が置いてあるだけ。蓋は閉じられ、誰かが弾いていた形跡はない。

 後は…蔦の絡まる窓から差し込む月の光に照らされて、絵が架けてあった。

 

 小さな山村の風景だ。

 藁葺き屋根と山の斜面に沿って段々に作られた耕作地。

 年老いた使役牛がぐっすりと寝ているそばには、子供が忘れていった風車がカラカラ回っている。

 午後の柔らかな光が差している村の西北には鬱蒼とした昼なお暗い森。……

 

「………」

 

 自分がそこ(・・)に立っていることに違和感を感じたのは一瞬だった。

 

 乾いた風が吹き、土埃が舞い上がる。

 風車がカラカラ回る。

 寝ていた牛が欠伸して、鼻先にとまっていた蝶が飛んでゆく。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 それなのに、なぜか足元が覚束ない。

 

 だが、背後から名前を呼ばれると、その奇妙な感覚は霧散した。

 

「元兄ィ、嫁が決まったみたいだね」

 

 声をかけてきたのは、三つ下の妹の天花(てんか)だった。

 自分も含め弟妹達の名前には全て『天』の字がつくので、各々を呼ぶ時にはたいがい天の下の一字で呼び合うことが多い。

 

「あぁ…」

「須磨ってば長老に泣きついて、明石(あかし)から自分にしてもらったらしいよ。まぁ、明石は(しょう)兄ィの方が好きだったみたいだから、いいのかもしれないけど」

「……ふぅん」

 

 適当に返事しながら、ふと明石の事を思い浮かべる。

 

 姉の須磨が、わりと賑やかな性格であったせいか、妹の明石は大人しい物言わぬ娘だった。

 天元のすぐ下の弟である天尚(てんしょう)もまた、寡黙な性格であるのに、どうやって会話するのだろうか。

 

 弟の顔を思い浮かべると、チリチリと胸が痛痒くなる。

 天元にとって二歳年下の弟は、物心ついた自分の最初の記憶に直結している。

 

 天元がまだ言葉も十分に話せない幼子であった頃、弟が生まれた。

 小さくてフニャフニャ泣いている赤ん坊が、天元にはただただ不思議だった。

 

 じぃと見ていると、赤ん坊の方もじぃと見てくる。

 なんとなくその目の前で手を振ると、赤ん坊はまだ短い腕を必死に伸ばして、もみじよりも小さい手で天元の指を掴んだ。天元が指を抜こうとしても、ギュッと握って離さない。

 困っていると、赤ん坊は笑った。パッとその場が明るくなるような笑顔だった。

 

 それが、天元にとって初めての記憶。

 

 そう…元々、弟は……天尚は、よく笑う、誰からも愛される子供だった。

 

 大きくなり、下に弟妹達の面倒を天元と一緒に見るようになると、適当で大雑把だった天元に比べ、穏やかで優しく、よく気がつく弟は皆から好かれた。

 しかも忍びの訓練においても、優れた才能を示した。体格の優位性がなければ、天元は天尚に敵うところなどなかったろう。

 

 普段から怠惰でサボりがちの天元に比べ、真面目な天尚が才能に磨きをかければ、あっという間に兄を越すことなど目に見えている。十歳になる頃には、この一族の長になるのは弟であるだろうと思っていたし、それでいいと納得していた。

 天元にとって一族の長など重荷でしかなかった。

 

 幼い頃からの過酷な訓練。

 長ずるに従って天元の疑問は膨らんでいった。

 

 四歳だった妹が木の間に渡された綱から落ち、首の骨を折って死んだ時に、それは明らかな違和感となった。

 墓をつくって花を手向けて泣く弟妹達を見ながら、天元は泣くこともできなかった。

 

「おかしいと思わないか?」

 

 天元が言うと、天尚は眉を顰めた。

 

「元兄ィ。父上にも考えがおありなんだよ…」

 

 父は不真面目でふざけたことばかり言っている天元よりも、天尚をかっていたのだろう。

 

 子供達は厳然と格付けされていた。

 訓練において特に優秀とみなされた三名だけが、父と共に食事することを許された。

 そこにいつも入っていたのは天尚で、天元は月に一度あるかないか程度だった。

 正直なところ、父と一緒に食べてもまったく食べた気にならないので、天元としては選ばれなくて有難いくらいだったが。

 

 その後も弟妹達は亡くなっていった。

 一人は常用していた毒に耐えきれずに、もう一人は修行中に溺死して。

 弟妹達が死ぬたびに、皆から少しずつ笑顔が消えていった。天元からも、天尚からも。

 ずっと天元達を世話してきた(じぃ)が、いつものように皆に渡すはずの毒を()()()()()んで死んでしまった時に、天尚は硬直した顔で言った。

 

「『弱味』をつくっちゃ駄目なんだよ…。誰も、誰のことも……」

 

 天尚がその先に何を言おうとしていたのかは、わからない。

 だが、この時から天尚は一切の表情をなくした。怒りも悲しみも、喜びも。弟妹達の面倒を見ることもなくなり、天元と言葉を交わすこともほとんどなくなった。

 

 弟はどんどん父に似ていった。

 人を人とも思わない。無機質で凍りついた思考。

 

 もうずっと弟の笑顔を見ていない。

 幼い頃の初めての記憶は(おぼ)ろで、それが確かにあったのかすら…わからない。

 

 

 

 

 キィィィ!!!!

 

 鋭い鳥の啼き声に、天元は我に返った。

 どうもボンヤリしていたようだ。

 今は気を抜いている暇などないのに。

 

 天元達の棲処(すみか)は人里から遠く離れた集落ではあったが、時に探り当てられることもある。

 その日、天元は珍しく父に呼ばれ、直々に命を受けた。

 

「敵が山に紛れ込んだようだ。()()()()()片付けてこい…()()()な」

 

 相変わらずの鉄面皮は、もはや人形のようだった。

 敵が何人いるかは知らないが、こんな命令を下すからには一人や二人ではないのだろう。

 いよいよ(ふるい)にかけられるわけだ…と、天元は皮肉な笑みを浮かべて受諾した。

 

 敵は必ず西北の山から入ってくる。

 昼なお暗い山は、夜となれば月の光も鬱蒼とした枝葉に遮られ、一層混沌とした闇の中だった。

 

 かすかに聞こえてくる梟の声。

 風に揺れる葉のざわめき。

 小川のせせらぎ。

 自然の音の中で、少しでも異質な音がすれば、すぐさま体が反応する。

 

 才能のある弟妹達の中で、天元が唯一、誰より優れていたのは聴力だった。

 常人、それも忍びとしての訓練を積んだ者ですら聞き分けられない微妙な音を、瞬時に認識して行動する。闇における仕事では優位となる素養だった。

 だが、その長所が仇となることもある……。

 

 斜め後ろからの足音に気付くやいなや、天元は跳躍した。

 その足音の主の背後に着地すると、すぐに首をかっ切る。

 ドサリと崩れ落ちたのをチラと確認だけして、再び歩き出す。

 

 やがて、小さな滝のある場所に出た。枝葉の空間から月の光が差し込んでいる。

 その横にある獣道をオドオドと歩いている小さな人影。

 

 天元はフッと笑った。

 初任務か何かなのだろうか。随分と警戒のないことだ。

 

「おい」

 

 声をかけて振り向いた瞬間に斬りつける。

 

 覆面がとれ、その顔に天元は固まった。

 足元に倒れたその女は、震える手を懸命に伸ばして天元の足首を掴む。

 

「…うわっ」

 

 天元は情けない声を上げて尻もちをついた。

 額から血を流した女――――妹の天花は、苦しそうに顔を歪めていた。

 

「元兄ぃ…これは……父上の…試練……だ…よ…」

 

 その言葉を反芻しながら、脳裏に父の姿が浮かぶ。

 天元を呼んで、山に入って敵を掃討しろ…と命じた時、うっすらと笑っていた父。

 

 狂っている。―――――

 

 天元は思った。

 

 いや、もうずっと前から気付いていた。

 ただ、どうすればいいのかわからなかっただけ。

 

 小さい頃からここで暮らし、ここで修行し、弟妹達が死んでいっても、自分が何をすべきなのかわからなかった。

 

 考えようともしなかった。

 考えても無駄だと諦めていた。

 

 いつか自分もまた死んでいった弟妹達と同じ運命になるだろうと思って、それでもいいと投げ捨てていた。

 

 その傲慢で卑屈な思い込みのツケが、今、目の前で倒れている。

 

(はな)ッ!!」

 

 天元が抱えた時には、天花の瞳は既に生気を失っていた。

 赤く濡れた眼球を閉ざすと、頬を伝った涙の痕に気付く。

 

 天元は絶叫した。

 

 敵などいないのだ、最初から。

 ここにいたのは弟妹達だけだ。

 おそらく最初に首を掻っ切った()も、弟妹の一人なのだ。

 

 自分が殺した……二人も。

 

 何かを引きずってくる音がして、天元は泣きながら振り返った。

 

 天尚だった。

 

 両手に二人の遺体を引きずっている。

 覆面は引き剥がされており、既にこれがどういうことなのかはわかっているようだ。

 

 それでも天尚の表情は揺らがなかった。

 泣きぬれている天元と見つめ合った後に、無造作に弟妹の遺体を投げ捨てた。

 

 天元は地面に転がった二人を凝視し、かすれた声でつぶやく。

 

「……お前…なんで……」

「言ったろ?」

 

 天尚はあくまでも冷静で、恐ろしいほどに無機質だった。

 

「『弱味』をつくってはいけない…」

「弱味…?」

「『完璧』になるために」

「完…璧?」

 

 意味がわからなかった。

 弱味があれば完璧でないから、弱味を消す?

 

 それなら…弱味って、何だ?

 完璧って…何だ?

 

 天尚が刀を抜く。

 まっすぐに構えて天元を見据える。

 

「尚……」

 

 呆然とつぶやきながら、天元はようやく気付いた。

 

 自分がどうして今も生きているのか?

 弟妹達の中で、ただ年長というだけで、特に才能があったわけじゃない。

 

 自分よりも足が速いのも、体術に長けていたのも、爆薬を作るのが上手なのも、毒の耐性が強いのも、弟妹達はいつも天元より優秀だった。

 自分はただ先に生まれただけの、普通の人間だった。

 じゃあ、そんな人間が何の為に生かされていた?

 

 ―――――殺されるためだ。

 

 弟妹達の中で、最も優秀な者によって殺されるためだ。

 そうして、殺した人間の心を破壊するためだ。

 完膚なきまでに人としての情を消し去るための…自分は『駒』なのだ。

 

「尚……駄目だ…」

 

 今、ここで天尚に殺されれば、この男はもう人間でなくなるだろう…。

 

 天元は立ち上がると、静かに告げた。

 

「天尚…俺は抜ける」

 

 ビクリと天尚が震える。

 

 顔は相変わらず無表情だった。

 何の感情も映さない瞳。

 

「嫁と…この里を出る」

「………逃げるのか?」

「そうだ」

 

 答えながら震えそうになる。

 

 本当は伝えたかった。

 あまりにも真面目で一途で誠実な弟。

 父にとっての『完璧』になるために、今、天尚が殺そうとしているのは天元ではない。

 お前自身なのだ、と。

 

 だが、もう弟の心は遠い。

 天元の涙も、叫びも届かない。

 

「…抜け忍を許すと思うのか?」

 

 なんの感情もない冷たい声。

 

「許すしかない。お前は」

 

 天元は断定した。

 涙に濡れた瞳で天尚を睨みつける。噛んだ唇が震えた。

 

 天尚は何も言わなかった。

 背を向けて走り出した天元を追うこともなかった。

 

 これでもう……二度と会うこともない。

 

 そう…思っていたのに。

 

 

「お前…また、殺すのか?」

 

 天元は物言わぬ()に問いかける。

 無機質な瞳に天元が映っているが、ただの敵としてしか見えていないのだろう。

 

 闇に沈んだ森の中で、再び対峙した()を見つめながら、天元の心はゆっくりと冷えていった。

 

 あの日の自分の選択は結局、間違っていたのだろうか……。

 

 

<つづく>

 

 





次回は来週更新の予定です。
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