【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「先生! 先生、先生、先生っ!!」
加寿江が真っ青な顔で飛び込んでくるなり、
「…鬼か?」
低く尋ねると、加寿江がコクコクと頷く。
「森野辺様のお館です。下男がやられてます」
後ろから入ってきた藤森家の下男・勘吉も、震える声で告げた。
「わかった」
すぐさま自分の部屋に戻り、無造作に立てかけておいた刀を手に取ると、弟子達に告げた。
「いいか、お前ら。一刻して儂が戻らんかったら、連絡して隊士を送ってもらえ」
「鬼ですか?」
「俺らも行きます!」
弟子達は息巻いたが、東洋一は一喝した。
「阿呆か! お前らなんぞ来ても足手まといじゃ!」
普段は滅多と怒らない東洋一の怒号に、弟子達は青ざめた。
踵を返し、東洋一は外へと飛び出すと、加寿江が乗ってきた荷馬車に乗り込んだ。
既に待っていた勘吉が馬に鞭を当てようとした時、加寿江が走ってきた。
「待って!」
「加寿江、お前は藤森の家に戻れ。怪我人を運ぶかもしれん。用意をしておいてくれ」
東洋一が叫ぶと、加寿江は頭を振った。
「私も行く!」
「阿呆!」
「
「なに…?」
「一緒に逃げようとしたの! でも、一人で戻ってしまった。お母さんとお父さんを助けようとしてる!」
東洋一の脳裏に、夏の日に見かけた頼りなげな薫の姿が浮かんだ。
「馬鹿な……ひとたまりもないぞ……」
呟いて、勘吉に出るように云う。
「先生っ!」
加寿江が叫んだ。
「薫子ちゃんを助けて! 薫子ちゃんを……。お願い、お願いします。先生っ!!」
雪の中で加寿江がうずくまって、必死に祈るのを見届け、東洋一は空を仰いだ。
さっきまできららかな星空が見えていたのに、いつのまにか風が出て、藍鼠色の雲が一面に広がっている。
今宵は新月。
鬼が蠢くにはいい夜だろう。
東洋一はフゥゥと呼吸を整えた。
既に現役を引退して数十年だが、近隣で鬼が出没した時には退治してきた。
東洋一程度で退治できる鬼であれば、だ。もし、そうでなければ現役に任せるしかない。
その時には東洋一も既にこの世にないだろうが。
勘吉は辰造の死体の場所まで来て、馬車を止めた。
東洋一は頷くと、馬車から降りた。
「ここまででいい。お前は森の外まで出ておけ。もし、やってくる人間がいれば入れるな」
「はい」
勘吉は頷くと、また馬車を半回転させて戻って行った。
東洋一は死体を見た。
頭をやられている。
ここまで逃げてきて力尽きたのか。まだ、食べられてはいないようだ。ということは、まだ鬼は館の中にいる。
点々と赤い血が続き、館へと向かう足跡があった。
おそらく、薫子のものだろう。
館の扉は開いていた。
中に入るなり、血の匂いが鼻をつく。
鬼特有の、腐敗した死体の匂いも。
ゴトン、と二階で音がした。
すぐさま階段を登り、二階の廊下に出ると同時に濁声が響いてくる。
「てンめぇェェ!! つまらん真似しやがってェェ。手足もいでから、殺してやる!!」
東洋一は息を吸い込んだ。
普通に走っていては間に合わない。
慣れたとはいえ、義足は義足だ。
風の呼吸 壱の型 塵旋風・削ぎ
凄まじい威力の螺旋の風が、鬼に向かって突進する。
同時に東洋一の斬撃が鬼の腕を斬り落とした。
「ガアァァァッッ!!」
痛みに鬼が悲鳴を上げる。
さっき首に刺さった鉈などとは比べ物にならない。
「間に合ったようだな、お嬢さん」
東洋一は床にへたりこんだ薫の前に立つと、鬼に対峙した。
「貴様……鬼狩りかァ!?」
鬼が激昂するのを、東洋一は冷たく見つめていた。
「昔な。今は、引退したが……それでもお前さん程度なら儂で十分のようだ」
いつもと変わりない飄々とした口振りで云うと、馬鹿にされたのに気付いた鬼がギリギリと歯噛みした。
「ふざけるなよォ! 耄碌したジジィがァ!」
「ジジィがすべて耄碌しとると思うなよ」
のんびりと言ったが、刀を構えると、その隙のない姿と鋭い眼光に、鬼が一瞬怯む。
風の呼吸 弐の型 爪々・科戸風
避けることなどできなかった。
ゴウと風のうなる音がしたかと思った瞬間には、斬撃による風の威力だけで鬼の身体は斬り裂かれていた。
人間が…しかも不具の老人が、自分を殺すことなど、考えもしていなかったのだろう。
ゴトンと落ちた首がいつまでも再生しようとせず、倒れ込んだ体を動かすことができないことに、鬼は混乱した。
「くっ……なんでだ、なんで……」
言っている間にバラバラと視線の先にある体が散り散りになっていく。
「うあ……あぁぁ」
恐怖が鬼を襲う。
鬼狩りの爺は無表情に見ていた。
長きにわたり鬼を成敗してきた老人の、酷薄な顔が目に焼き付いた。
不意に、その横で呆然と座り込んでいた娘がよろよろと立ち上がった。
見開いた目は瞬きすることなく、塵となって消えていく
「……死ぬのですか?」
鬼狩りの老人に尋ねている。
「あぁ」
老人が頷くや否や、娘は老人の刀を奪い取った。
刀が再び、頭を突き刺す。
抜いて、また再び。
何度も、何度も、突き刺してくる。
「こんな…簡単に……死なせるものか……お父様を…お母様を……殺しておいて。……おのれ、おのれ………オノレェェェェェェ!!!!」
呪詛のように唱えながら、娘は刀を頭に突き刺した。
鬼は消えながら嘲嗤った。
愚かな娘だ。
もう、痛くもなんともないのに。
そんなことをしても、お前の父も母も戻りはしない。
お前は一人だ。お前は……
◆◆◆
鬼の頭が灰のように消えた後も、薫は刀を振り下ろした。
頭がなくなったとみるや、今度はまだ残っていた胴体を。
だがそれもすぐに塵となり消える。
東洋一はしばらく腕を組んで眺めていたが、カツン、と床に乾いた音が響くと、薫の手から刀を取り上げた。
「もう、おらん」
「…………」
薫は肩で息をしながら、目を見開いたままワナワナと震える手で空を掴んだ。
「どうして……?」
「鬼は、首を斬れば、消える」
東洋一は冷静に答えながら、それが薫の望む答えでないことはわかっていた。
薫は
泣いてはいなかったが、涙が瞳の中で潤んでいた。
本人ですら想像をしていなかった自分自身の怒りに、まだ慄えが止まらぬようだ。
カチカチと奥歯が細かく鳴っている。
薫は床に座り込むと、落ちてあった鉈を見つめた。
「私は……私はさっき…あの鬼の首を斬りました……」
「日輪刀で首を斬らぬ限り、再生する」
「……にちりんとう?」
「鬼狩りの持つ剣だ。それでしか鬼を成敗することはできん」
「………鬼」
小さくつぶやいて立ち上がると、ソファの上に横たわった母の元へと歩いていく。
「……死ねば塵となって消えるようなものに、殺されたというのですか……。母も、父も……」
平坦な声に感情はない。
東洋一は静かに薫を見つめていた。
薫の後ろ姿にかつての頼りなげな様子はない。
むしろこの残酷な状況に目を逸らさず、向き合おうとする強靭な精神力を有していことが驚きだ。
鬼に家族を殺され、命を助けられた者達を幾人も見てきた。
命を救われ、有り難がる者。
身内を亡くした喪失感に呆然とする者、泣き叫ぶ者。
薫はただただ静かだった。
ゆっくりと屈み、目を見開いたままだった母の瞼をおろす。
脳みそが半分なくなっている父の頭を持ち、母の横へと置く。
そのままその場に座り込んだ。
東洋一は肩にとまった鴉に隠を呼ぶように言った。
ここから先は東洋一の領分ではない。
「お嬢さん、ひとまずは藤森の家に行くよ」
肩を叩くと、薫は首を振った。
「あんたも怪我をしとる。このままここにいたら凍え死んでしまうよ。お父上と母上のことは、こちらでちゃんとするから」
「………父と母だけではありません。辰造さんも、トヨさんも……」
「あぁ。皆、面倒をみる。とにかく、来なさい。加寿江も心配しとる」
加寿江の名を出したからなのか、薫はゆっくりと立ち上がると、大人しく東洋一について歩き出した。
藤森家に送り届けた後、一切の表情をなくした薫がどういう行路をたどったのか……再び再会するまで、東洋一は知らない。
<つづく>