【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第六章 狂宴(九)

「音柱様、こちらです!」

 

 薫は走り出した。

 

 このピアノの音色。いつまでもどこにいても一定に鳴り響く音色。

 これこそが千禍蠱(ちかこ)の血鬼術そのものなのだ。

 

 だとすれば…千禍蠱は…ピアノを弾いている。

 黒のグランドピアノがここにあるということは、もう一つあるのは白のピアノ。特注の金の象嵌細工の施された美しいあのピアノだ。 

 

 走り出した二人の向かう先に、千禍蠱は動揺したのだろうか。

 ピアノの旋律は一層早くなり、もはや十指で弾いているはずもない音色が鳴り響く。

 

「どうやら焦りだしたようだなァ、クソ出歯亀婆ァ!!」

 

 天元は明らかに挑発していた。それは先程から相手に攻撃をさせることで、探っていたのだ。

 

 この攻撃の律動、一定の仕組み。

 西洋の音曲に詳しくない天元であっても、その計算式はさほどに難しくなかった。最終的には()()()()()()()が知れていたからだ。

 

 千禍蠱からの衝撃波をかわして、天元はクククと肩を震わせると叫んだ。

 

「よし! できたぞ、譜面が!!」

 

 同時に複数の音の呼吸の技が放たれ、爆薬が派手に弾ける。

 薫は咄嗟に耳を押さえた。今度こそ、本当に鼓膜が破れた気がする。

 

 一気にシンと静まり返った。

 天元によって壊された梁がメキメキとひび割れて落ちていく。

 

「……何を…したんですか?」

 

 薫は不気味なほどに静まり返った屋敷の中を見渡しながら尋ねた。

 天元は軽く肩をすくめて答えてみせる。

 

「どうということもない。こんな鬼なんぞ訳もないが、いちいち使ってくる血鬼術が面倒なんでな。使えなくさせたまでだ」

「使えなく…した?」

 

 どうやら天元もまた、千禍蠱の血鬼術がピアノの音色によるものだとはわかっていたらしい。

 実体のない()というモノを消滅させるとは、まさしく音の呼吸たる音柱の面目躍如といったところだろう。

 

「記憶力がいいからな、俺は。お前がさっき宴会に行く前に言ってたろ? ピアノのあの白と黒のヤツ。八十八あるって。定まった数が一つあると、計算もやり易い」

「八十……八…?」

 

 薫は聞き返しながら、自分がとんでもない情報を天元に教えたことに気付く。

 

「駄目です!」

 

 叫ぶと同時に、天元が真後ろを向く。

 薫にはその音は一切聞こえていなかったが、常人を卓越した天元の耳には低く轟く音が足元から響いてきていた。

 ほとんど考える間もなく、反射的に技を放つ。

 

 音の呼吸 壱ノ型 轟

 

 ガツッ、と鈍い音がして床が裂けた。

 天元は自分が間一髪で攻撃を凌いだことよりも、()()()()()()()()()ことに呆然となった。

 

「まさか…計算違ったのか…」

「いいえ! とにかくこっちです!」

 

 薫は裂け目がどんどんと広がっていくその場から天元を促す。

 

「音柱様が間違ったんじゃありません。私の情報が違っていたんです」

 

 走りながら、薫は早口に言った。

 

「なんだと? テメェ嘘か、あれ」

「違います! ピアノの鍵盤の数は基本的には八十八鍵です。でも、千佳子様のピアノは例外的に百二鍵あるんです」

「百二ィ? 先に言えよ!!」

「すみません!」

 

 実際にはあの時の薫の話は間違ってはいなかったが、例外というのはあるものだ。それに今となっては正確さはどうでもよい。

 

「クソッ! 十四…十三か…残りは」

 

 十三だけの個々の音であれば一つ一つを潰せばいいが、問題は馬車の中で薫が言っていたように、ピアノというのは、同時に鳴らすこともできる。

 つまりそれだけ攻撃の幅があるのだ。

 

 天元はさっき譜面によって八十八鍵から起こるすべての攻撃を駆逐したが、今からまた十三鍵の譜面を一から作るとなると面倒なことこの上もなかった。

 しかも、残ったのはおそらく普通ならば人の耳には聞き取ることのできない音だ。

 それまでの音は一つ一つの律動を譜面に織り込んでいくことができたが、人の耳に聞こえない音の律動はそれ自体を表す術を持たない。

 

 挑発して一つ一つ潰すか…

 

「あの婆ァのいるのはここかッ!!」

 

 薫の進む先に異様に美しい白の扉が見えるなり、天元は跳躍して蹴破った。

 

 月光を浴びて、真っ白なピアノがカタカタと動いている。

 真ん中のおそらく八十八ある鍵盤はすべてなくなっていた。先程の天元の譜面による攻撃によるものだろう。両端の鍵盤だけが、音もなくカタカタカタカタ動いている。

 

 だが、おかしなことにそこに千禍蠱はいなかった。鍵盤の前には優美な椅子が置かれていたが、千禍蠱は座っていない。誰も奏でていないのに、鍵盤だけが動いている。

 

「なんだぁ…どこに行きやがった、あのクソ婆ァ」

 

 つぶやくと、鼓膜を破かんばかりの高音が鋭く響き天元に向かってくる。もはや慣れたように天元は日輪刀でその攻撃を弾いた。

 

「あの…今のは?」

 

 薫が尋ねると、天元は首を回しながら事も無げに言う。

 

「攻撃だろ。その残り鍵盤()で一所懸命してんだろうが…どうやら案外と思ったようにはいかねぇみたいだな」

「…どういう事です?」

「八十八あった方の奴らは音が普通に聞こえる分、二重にも三重にも鳴って攻撃も多彩だが、残りのヤツらは音が聞こえないから、単独でしか動けない」

 

 薫は天元の言葉をすぐには理解できなかった。

 白いピアノに残った鍵盤を見つめていると、千佳子に初めてこのピアノを見せてもらった時のことを思い出す。

 

 

 ―――――この(キー)があることで共鳴が深くなって、よりいい音が響くんですのよ

 

 

 そうだ。元々この(キー)は音そのものを出すというよりも、増幅させるためのもの。

 

 薫はそっと鍵盤に指を伸ばした。が、急にバタンと蓋が閉まる。

 

「ん? なんだ?」

 

 天元が怪訝に見てくる。

 

 薫は泣きそうになった。あの時と同じだ。あの時、鍵盤に触れようとした薫に、容赦なく千佳子は蓋を閉めた。もう少しで指を挟まれるところだった。

 

 ―――――駄目ですよ、薫子(ゆきこ)さん

 

 上品な声で上品な顔で、容赦なかった千佳子。

 幼い子供の手が傷つこうとも、決して自分の愛した名器を触らせようとしなかった。

 

 今も…そう……。

 

 薫は刀を構える。

 

「……千佳子様、どうか安らかに…」

 

 小さくつぶやいて、白いピアノに向かって技を放った。

 

 

 鳥の呼吸 参ノ型 飛燕之鋒(ひえんのほう)

 

 

 悲鳴が響く。

 見る間に白いピアノは黒く焦げて無残な姿となった。屋根は焼け落ちたのかすっかりなくなり、千切れた弦も露わとなった響板の中から、千佳子の上半身だけが飛び出て、鍵盤には首が落ちていた。

 

「…痛いわ…痛い…薫子(ゆきこ)さん。どうしてこんな酷いことをするの…?」

 

 幼い子供のように千禍蠱は泣きじゃくった。

 薫は何か言いかける天元を制すると、千禍蠱の目の前に立った。

 

 薔薇の斑紋が徐々に消えて、千佳子の顔に笑みが浮かぶ。

 

「可哀相な薫子さん。あんな母親に殺されそうになったから…こんな酷いことをするようになったのだわ。さぁ、こちらにおいでなさい。(わらわ)が慰めて差し上げましょう。今度こそ、妾と(すぐる)様の子供として生まれていらっしゃい……今度こそ、妾が貴女(あなた)を産んであげるわ……」

 

 薫はクラリと眩暈がした。

 この目だ。千佳子が時々、薫を見つめていた目。

 

 熱心に教えてくれているのだと思っていたが…そうじゃない。あの時からこの人は、自分と卓の子供として薫を見ていたのだ。

 

 狂気の瞳。

 報われない愛の(かたみ)は憎しみでなく、歪んだ想像を詰めこんだ。やがて病となり、次々と人が去る中で頑なになって、そうして無惨によって彼女は鬼に落とされた。

 

 黙って立ち尽くす薫を見て、千佳子は微笑みながら言った。

 

「嫌いよ…薫子さん。ア…ナタ…少しも、卓様に…似て、ないの。あの女…そっくりだわ……私に、似れば…良かった……の…に……」

 

 目に溜まった涙が零れ落ちる前に、千佳子は塵と消えた。

 

 薫には千佳子の絶望はわかりようもなかった。それでも彼女がここまで不幸になる必要はなかったはずだ。

 彼女を最初に不幸にしたのは誰だろう? 薫の父か、母か…それとも…。

 

 ギリと奥歯を噛みしめる。

 濡れた視界の先で、千佳子の婆やだったキクの姿がボゥと浮かぶ。

 

 深々とキクは薫と天元に向かってお辞儀した後、静かに語った。

 

「……千佳子お嬢様は…救いようのない業病に(かか)られてより、明見(あけみ)侯爵を始め実家にも見放され、遠く深い森の朽ち果てた館に、籠められましてございます。ろくに食事も与えられず、日に日に弱り、狂ってゆかれました。

 月の冴えたるある夜、あの男は現れました。紅の目の美しい殿方でござりました。

 お嬢様の腐りゆく体を抱きしめ優しい声で囁いて……お嬢様は身も心も奪われ、ご自分をあの男に捧げたのでござります。

 鬼となって近くにあった村をまるごと喰い付くした後、あの男に伴われてこの侯爵邸に戻り…逃げ惑う人々を殺し尽くしました。その時に、誰ぞが火をつけたのです。それはもしかするとあの男であったのやもしれませぬ。

 お嬢様は大事な大事なピアノを守る為に、あのピアノと一体となりましてござります。ピアノとなって奏でる間だけ、昔のお嬢様の面影が見えたものでござりました………」

 

 長い語りが終わって、天元が尋ねた。

 

「で、これから婆さんはどうすんだ?」

 

 キクは天元に白い目をむけた。それは怒っているのではなく、最初から盲目であったようだ。

 また深くお辞儀する。

 

「お嬢様をお救いくださり……ありがとうございます。お嬢様が受ける罰は、すべて私めが負うてまいります」

 

 しわがれ声ながら厳然たる口調で言い切ると、キクの体はか細く消えていった。

 天元は軽く吐息をついた。

 

「幽霊になっても主に尽くすとは…忠義者のばぁやを持ったことだな」

「……本当…に…」

 

 相槌を打って、薫はその場に倒れた。

 限界だった。体中が痛い。確実に肋骨が何本か折れている。それに頭痛が酷い。

 

 千禍蠱は確実に殺したのに、ヘリオトロープの香りだけがいつまでも残滓となって漂っている。それがひどく気持ち悪かった。

 

 視界の隅で天元があきれているのが見える。

 駄目だ。起き上がらないと…鬼殺隊から…除隊される。

 

 必死に落ちかける意識に抗って起き上がろうとすると、中指でコツンと額を打たれた。

 

「馬ァ鹿。終わったから、もう寝とけ」

 

 懐かしい。東洋一(とよいち)にもよくやられたものだ。

 ホッと気が緩んだ途端、視界が暗くなった。

 

「ハァ…大した鬼でもないのに。地味に無駄に疲れた……」

 

 天元はブツブツこぼしながら、薫を抱きかかえた。

 この姿を不死川が見たらどう思うんだろうかと一瞬考えたりもしたが、すぐに阿呆らしくなった。

 

「…知ったことじゃねぇし」

 

 言い聞かせるように言うと、スタスタと歩き始めた。

 

 

<つづく>

 





次回は来週土曜日更新予定です。
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