【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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▼今回、残酷描写があります。



第四章 蹂躙(四)

 森野辺子爵夫妻の死亡から二ヶ月が経とうとしていた。

 

 薫は年始を過ぎて一月いっぱいは藤森家で過ごした。

 ようやく二月になって東京に戻り、父母の葬儀を済ませると、そこからはそれまで会ったこともない親類縁者が次々に屋敷におしかけるようになった。

 

 勝手に父の書斎の資料を漁ったり、母の高そうな着物を持ち出したりしていく。

 いよいよ持っていくものがなくなると、遺された薫の処遇について、互いに押し付けあった。

 

 ――――どうするっていうんです? あの娘。

 

 ――――ご令嬢なんて言っても、元は子守奉公をしてた下女だというじゃありませんか。

 

 ――――子爵も面倒なものを残されて…。

 

 ――――慈善だか福祉だか知らんが、下賤の者のためにつまらぬことをしているから、先代まであった財産を食い潰して、ほとんど残ってないらしいぞ。

 

 ――――三千円ほど持たして、元の奉公先に送り返せばいい。

 

 ――――佳喜(けいき)達が死んだとき、寧子(やすこ)夫人の親戚の家にいたらしいじゃないか。そこで面倒みさせればいいだろう。

 

 ――――八津尾(やつお)子爵にお願いしては? 元々縁談が持ち上がっておられたのだし。

 

 ――――あの八津尾子爵が許すはずなかろう。

 

 ――――でも明宣(あきのぶ)様から子爵に願い出たという話ですよ。あの娘を引き取ることを。

 

 ――――ハッハッハ! ちょうどいいじゃないか。蓼食う虫も好き好きとか…よくもまぁ、あんなケチのついた娘を嫁に貰おうなどと考えるものだ。

 

 ――――無理ですよ。八津尾家の方ではその話の火消しに躍起になって、明宣様には古見だとかいう成金の娘との縁談を進めようと……

 

 ――――どこでもいい。ウチで面倒は見んからな。

 

 ――――そんなこと、私共だって御免です。

 

 ――――元は佳喜の子でもない。(すぐる)の娘だろう。旅芸人の女と駆け落ちした……

 

 ――――あの弟御がそもそもの問題ですよ。社交界の華とばかりに皆が褒めそやすから、いい気になって。挙句、西洋(あちら)の思想にかぶれて、自由恋愛だの何だのと…

 

 ――――先代は卓を勘当していたのだし、その娘が森野辺に帰ってくるなどおかしな話だ。

 

 ――――そうそう! 私、びっくりいたしましたのよ。ホラ、明見(あけみ)侯爵の千佳子様。あの娘にピアノを教えてらして。

 

 ――――あの方も浮世離れなさっておられるからなぁ…。

 

 ――――いいえぇ…私、ちょっと恐ろしく思いましたよ。千佳子様はまだ本心のところ、許してはおられないんじゃないかしら。復讐のためにあの娘に…。

 

 ――――やめなさい。侯爵夫人となって十年は経っているのだぞ。卓と婚約していたことなぞ、とうの昔の話だ。

 

 ――――あら、それでも自分を棄てて、あの娘の母親と出奔されて、千佳子様は相当恨みに思ったはずですよ。

 

 ――――そんな娘をよくもまぁ、のうのうとピアノの稽古になぞ向かわせるなぞ、子爵も子爵ですよ。厚顔無恥というのか……

 

 ――――佳喜様も、奥方も人が良すぎてらっしゃったから……。

 

 ――――慈善、慈善と篤志家ぶるのも結構だが、娘に大した財産も残してないから、引き取り手もおらんのだ。

 

 ――――そもそも………

 

『親族』と称する人達は、連日やってきては口さがなく故人を誹謗する。

 薫はもはやまともに聞く気も失せていた。

 

 要するに彼らは薫を放り出したい。

 その上で森野辺に残るわずかな財産を自分達のものにしたいのだ。

 

 勝手にすればいい。

 そう切り捨てたかったが、東京の家に戻ると感傷が押し寄せ、離れ難かった。

 

 父が毎晩吸っていた煙草の匂いが染み込んだ書斎。

 母が普段着ていた藤色の紬の着物。

 トヨ達と一緒におせちを作った台所。

 辰造がいつもきれいに丹精してくれていた庭。

 

 今はヒサと二人だけだった。

 信州に連れて行った使用人はすべて殺され、東京の屋敷に残っていた者には辛うじて残っていた財産を分けて、暇を与えた。

 親族達がいなくなった夜だけ、静寂が訪れる。

 

「お嬢様、それでは私は休ませていただきます」

「……はい、おやすみなさい」

「まだ、起きておられるのですか?」

「………お父様に勧められていた本を読んでいるの。もう、いつまで読めるかわからないから」

「お嬢様…」

「気にしないで、ばぁや」

 

 ヒサは頭を下げると、自室へと引き取った。

 

 薫はしばらくの間、父の書斎で本を読んでいたが、うとうとと微睡(まどろ)みはじめた。

 

 

◆◆◆

 

 

 また、夢を見る。

 

 信州の館だ。

 真っ暗な玄関ホール。

 

 倒れたクリスマスツリーの向こう、階段下で、トヨが下半身をなくした姿で立っている。

 

「お嬢様、逃げて」

 

 右目が落ちて、顔の半分は肉が露わになって血まみれだ。

 後ずさりすると、いつのまにか後ろに立っていた辰造が薫を見下ろしている。

 

「お嬢様、駄目です。行っては駄目です」

 

 パックリと割れた頭から、ボタボタと脳みそが垂れ落ちている。

 

「旦那様に、頼まれたんです」

 

「お嬢様、逃げて」

「行っては駄目です」

 

 腕を掴まれる。

 離して! と叫ぶ前に、バチンと閃光が爆ぜる。

 

 次の瞬間には、二階の廊下にいる。

 

 両親の部屋から、父が頭を半分喰われた状態で歩いてくる。

 

薫子(ゆきこ)……来てはいけないと言ったのに……」

 

 母が頭だけ真後ろを向いて、近づく。

 

「来ては駄目と、何度も何度もお知らせしたのですよ」

 

 館に向かう前、薫の中に響いていた警告は、あるいは父母の声なき叫びだったのだろうか。

 

 ヒュンと奥から手が伸びて、鬼が薫の頭を掴んだ。

 

「ウマそうな娘だ……」

 

 云うや否や、頭をもがれた。

 

 母と同じように、ありえない角度で自分の背中が見えている。

 

 廊下にいたはずの父母の姿はない。

 

 メリメリと髪の毛が頭皮ごと剥がされる。

 ミシミシと頭蓋骨に(ひび)の入る音。

 ムシャムシャと脳みそを()む音。

 

 おかしい。

 殺されているはずなのに、どうして自分は知覚しているのだろう?

 

 おかしい。

 おかしい。

 

 死んでいるのに………

 

 

◆◆◆

 

 

 うっすらと目を開くと、燭台の火のボンヤリした光りが映る。

 

 深呼吸をしてソファの上でゆっくりと起き上がる。

 辺りを見回すと、暖炉の火はもう消えていた。

 

 寝間着が汗でじっとり濡れていた。

 体が強張って、軋んでいる。

 

「………」

 

 薫は自分の体を抱きしめながら、深く息を吐いた。

 ひどく……疲れた。

 

 信州の館から戻ってから、頻繁に見る夢だった。

 

 あの時、自分は東洋一(とよいち)に助けられたはずなのに、夢の中ではいつも死んでいる。

 死んでいるはずなのに、はっきりと鬼が自分を食べていくのがわかるのだ。

 

 あるいは父も……そんな状態だったのだろうか?

 そう考えると、今もまた慄える。

 恐れよりも、怒りが、全身を熱くいきり立たせる。

 

 あの時、消えていく鬼を見ながら、何もできぬまま、見過ごすことができなかった。

 辰造も、トヨも、父も、母も、苦悶の中で死んでいった。

 

 それなのに殺人鬼は罪を犯したことを詫びることもなく、証拠すら残さず、ただ消え去るのみ。

 

 許せなかった。

 

 父の恐怖を、母の痛みを、味あわせたい。

 苦痛の中で死ね、と呪った。

 

 結局、鬼は塵となって消えただけ。

 自分の無力さが残っただけ。

 

「………」

 

 もう一度、吐息をついて立ち上がると、薫は自分の部屋へと戻った。

 

 汗で濡れた寝間着を変えようと思ったのだが、ふと洋箪笥にかかったケープが目に入った。

 

 信州に向かう前に、寧子と一緒に行った日本橋の三越で買ったものだ。

 

「早いけれど、クリスマスプレゼントですよ」

 

 そう言って、寧子は薫が見ていた葡萄茶(えびちゃ)色のビロードのケープを買ってくれた。

 

「そんな…いいです」

「いいじゃありませんか。似合いますよ。ちょっとまだ長いけど、これから貴方は成長するでしょうから……」

 

 薫は寧子の嬉しそうな顔を見ていると、無下に断るのも悪い気がした。

 それにつややかなビロードのケープに目を奪われたのは確かだ。

 

 せっかく買ってもらったのに、着るのが勿体なくて、ずっと観賞用だった。

 

 しばらく見つめてから、薫は寝間着ではなく、白のブラウスを着て、黒の別珍のスカートを履いた。その上から初めてケープを羽織る。

 

 静かに階段を降りて、外に出ると、外気の冷たさにフゥと息を吐いた。

 白くなって消えていく。

 

 すっかり人気のなくなった道を歩く。

 空には雲がうっすらとかかり、星も月も隠していた。

 

 目の前を猫が音もなく横切っていく。

 ガス燈にポツリポツリと照らされた道を進んでいくと、サラサラと川の流れる音が聞こえてきた。

 

 いつもここで川が流れるのを見ていた。

 どうしてなのかわからない。

 

 実弥にも、東洋一にも、他にも何人かに訊かれたが、いつも理由は曖昧だった。

 はっきりと説明できない。

 

 こんな時間に出歩いて、こんな場所に一人、ぽつねんと立っているのを見たら、実弥はどんな顔をするだろうか。

 そんな考えが浮かぶと、思わずクスと笑みがこぼれた。

 きっとひどく怒られるだろう。

 そして、すぐさま森野辺の屋敷に送り届けてくれるだろう。

 

 実弥の顔が思い浮かぶと、寿美達の顔も出てくる。

 いつも薫を姉のように慕ってくれた小さな子供達。

 いつも明るく騒がしかった、懐かしい家。

 

 不意に、辰造の話を思い出した。

 

 ――――ひどいもンですよ。まるで野犬にでも喰われたのかってな有様で。部屋中、血だらけの地獄絵図のようでした。

 

 ドクン、と心臓の音が響く。

 

 そうだ。まさに地獄絵図だった。あの館の有様。

 もしかすると、不死川一家を襲ったのも『鬼』だったのだろうか?

 

 ――――俺は見た。鬼だ。

 

 無人となった志津たちの家を見に行った後に会った乞食も、そんなことを言っていた。

 あの時は本気にしていなかったが、真実、鬼が志津も子供達も殺して喰ったのかもしれない……。

 

 ますます心臓の音が早鳴る。

 鬼というのは、一体、どれだけいるのだろう…?

 

 ――――私たちの身近にいる、どこにでもいる鬼。

 

 加寿江の言葉が甦る。

 

 同時に、近くで小さな子供の悲鳴が聞こえた。

 

 反射的に寿美達の姿が浮かび、薫は声のした方へと駆け出した。

 

 それは河原にある掘っ立て小屋から聞こえた。

 

 走ってくる子供がいる。

 助けてェと、幼い甲高い声が叫んでいる。

 

 子供は必死に走っていたが、途中で石につまづいてこけた。

 後ろから異形のモノが追いかけてきている。

 

 姿形は多少違うが、間違いない。

 ()、だ。

 

「くっ…!」

 

 薫は石を拾うと、鬼に投げつけた。

 

 遮二無二投げる。

 石礫を受けて、鬼の足が止まる。

 

 その間に子供を抱きかかえて、走った。

 

「このオォォォォ!!」

 

 鬼が咆哮をあげて迫ってきた。

 

 もう、すぐ…あと一歩で捕まるすんでのところで、前から凄まじい早さで影が迫り、フワリと薫を飛び越した。

 

「ギィィヤアァァ!!!!」

 

 断末魔の悲鳴をあげたのは鬼だった。

 

 子供と抱き合ったまま、へたりこんで後ろを見ると、パラパラと鬼が消えていく。

 

 その前で刀を持った少年が立っていた。

 無地の赤錆色と、亀甲柄の片身替わりの羽織が、夜風にはためいている。

 

――――鬼狩りだ……。

 

 初めて本物を見た。

 

 なんと鮮やかに、あの忌まわしい存在をなぎ切るのだろう。

 

 美しい青の刀が鞘に収められる。

 東洋一の物とはまた違うが、あれは日輪刀だろう。

 鬼を殺すことの出来る唯一の刀…。

 

 鬼狩りの少年はこちらに近寄ってくると、粗末な着物を着た子供と薫の格好に違和感を感じたのだろう。眉をひそめた。

 

「……姉妹か?」

 

 子供は薫から離れると、ブルブルと頭を振った。

 

「悲鳴が聞こえたので、来ただけです」

 

 薫が云うと、少年は怪訝な顔をした。

 

「こんな時間に、何をしている?」

「…………」

 

 結局、怒られるのか、と薫は思った。

 実弥ではなかったけども。

 

「どうしたぁ…?」

 

 声をかけてきたのは、髭面の男だった。

 子供が「父ちゃん」と抱きついた。

 

 どうやら子供は小便をしようと起きて外に出たところで鬼とかちあったらしい。

 父親は今になって子供が傍らにいないことに気付いて探していたところだった。

 

 薫はホッとした。

 この子は一人ぼっちでなくて、よかった。

 

 掘っ立て小屋に歩いていく父子の姿を見ていると、不意に少年が言った。

 

「隠を呼ぶ。家まで送ってもらえ」

 

 ぞんざいな言い方だったが、悪い印象はなかった。

 

「いえ。一人で帰ります。すぐそこですから」

「女子供が一人で歩くような時間じゃない」

「でも、ここまで歩いてきましたから。助けて頂いて、ありがとうございました」

 

 ペコリとお辞儀して歩きだすと、後ろで軽い溜息が聞こえた。

 

 ザクザクと河原を上がっても、少年はついてくる。

 

「あの、大丈夫ですよ?」

「……帰り道だ」

 

 そう言われると、何も言えない。

 仕方なしに歩くついでに、声をかけた。

 

「あの、鬼狩りの方ですか?」

「…知ってたのか?」

 

 少年は少し意外そうだった。

 

「その刀は……日輪刀、と云うと聞きました」

「あぁ」

「その刀…頂くことはできませんか?」

 

 自分でも唐突だとは思ったが、言ってから気付いた。

 

 そうだ。この刀さえあれば、鬼を殺せるのだ。

 さっきのように襲われた人を助けることもできる。

 今の子供のように、あるいは父母達のように、無辜(むこ)の者達が殺されずに済む。

 

 鬼はただ首を切っても死なない、と東洋一(とよいち)は言っていた。

 日輪刀だけが、鬼を殺傷するのだと。

 

 少年は言われた時には驚いた顔だったが、刀に手をかけ、静かに言った。

 

「駄目だ。これは鬼殺の剣士しか持てない」

「……その刀でしか鬼は殺せないと聞きました」

「そうだ。だが、刀を持つために修練を重ねた者でなければ、持つことは許されない。ただ刀を振り回せば鬼を殺せるというものではない」

 

 そうか、と薫は思い至る。

 加寿江が東洋一のことを先生と言っていた理由。

 

 東洋一が何の師匠なのかと聞いたとき、剣術の師匠みたいなものだと、言っていた。

 それから父母を殺めた鬼を殺した時の、あの尋常ならざる剣技。

 

 おそらくは鬼を殺すには、それ相応の技術が要るのだ。

 そうした技を伝承していかねばならぬほどに、鬼というのはこの世に跋扈しているのか。

 

「鬼は…まだ、いるのでしょうか?」

「いる」

「なぜですか? なぜ、あんなものが…」

「鬼は元々は人だ」

 

 少年は当たり前のように云う。

 しかし薫は凝り固まった。

 

()()()()()()によって、鬼にされてしまった者。人を殺し、喰らい、超人的な力を身につけたのが、鬼だ」

 

 淡々と話し続ける横で、薫はわなないた。

 

「人が……鬼………?」

 

 茫然として呟く。

 

 あの、父母を殺した化け物が元は…人?

 そんな馬鹿なことがあるだろうか。

 

 人が鬼になるのなら、それはどこにでもいるはずだ。

 どうして人を鬼にする?

 ()()()()とは何だ?

 

 その存在がわかっているのに、どうしてこの鬼狩りはそいつを野放しにしているのだろう?

 

「その()()()()はどこにいるんですか? その鬼を殺せばいいのでしょう?」

 

 薫は思わず苛立ちを露わにした。

 鬼狩りの少年は無表情に薫を見やり、すぐに目をそらして、再び歩き出した。

 

「……歩け。家はどこだ」

 

 冷たい声だった。

 それ以上、何も話す気はないようだ。

 

 薫は唇を噛み締めると、先に立って歩き出した。

 

 助けてもらったのに、失礼な態度をとっていることはわかっていた。

 けれど自分があまりに無知であることに悶々とする。

 その答えを教えてくれそうもないことに、苛々する。

 

 家の前まで来て、門を開けて振り返ると、もう少年の姿はなかった。

 

 

 

<つづく>

 

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