【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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< 眞白の穴 ー参ー >

 その日は、久しぶりに沢山の殺人を行った。

 おそらくこれまでの[彼]の仕事の中でも、一、二を争うほどであったろう。もっとも死人の数を数えたのは、最初の仕事の時だけなので、真偽はわからない。

 

 (チャン)のいる船会社に入るなり、玄関にいた手下の男を小刀で一突きして殺した。

 雪弥(ゆきや)はヒイッ! と潰れた悲鳴を上げると、腰を抜かしながら階段を這うようにして上へと逃げる。

 気付いた男達が次々と襲ってきたが、躱しながらほとんど一度の動作だけで殺す。それからは殺した人間の持っていた武器で確実に仕留めていった。

 

 三階建ての洋館の最上階で、とうとう最後の一人になった張は、震えながら小判の入った箱を開いてみせた。

 

「これを全部やる。……今更だろう? お前の師匠はもう死んでる。これからは俺が使ってやってもいいぞ……」

 

 [彼]は言われながら、首をひねった。

 師匠…というのは、あるいは[彼]に殺人術を教えてくれた鍼師の(ジジィ)のことだろうか?

 

 成程、世間ではああいうのを師弟関係というのか。

 酒が切れたと癇癪を起こして、殴って蹴って、半殺しの状態で豚小屋に放置する。

 阿片狂いの仲間と一緒になって、異様な興奮状態に陥ったまま、()()を慰みの道具にする。………

 

 張を殺した後、[彼]は目の前の殺戮に言葉を失って震えるばかりだった雪弥の手を掴んだ。

 

「行こうか」

「………ど、どこ……」

香麗(こうらい)屋だよ。あそこの人間はみんな、殺さなきゃ」

 

 ヒィィッと雪弥はまた悲鳴を上げて、あわてて駆け出した。

 走って、走って、何度も転ぶ。阿片のせいで、まともに足も動けなくなっているのだろう。

 

 [彼]はゆっくりと追った。

 やがて懐かしい娼館にたどり着いた。

 

 日が傾いて、辺りには夜の帳が下り始めていた。

 店の軒先に吊られた大提灯には火が灯され、薄暗くなってきた道を明るく照らしている。

 

 その夜は何かの祭りか、あるいは御大尽の大判振舞でもあったのか、遊郭内は騒がしかった。あちこちで爆竹が鳴らされ、太鼓や笛の陽気な音が鳴り響いていた。

 

 赤丹で塗られた格子の艶めかしい玄関から入るなり、[彼]は隅に控えていた用心棒に飛刀を投げつける。

 用心棒が刀を抜く前にドスリと飛刀が胸に刺さった。ウッと呻いた用心棒の体が傾く前に、[彼]は匕首(あいくち)でその頸動脈を斬り裂いた。

 そばにいた遊女は悲鳴を上げる間もなく、白い首を掻き切られる。

 

「いやあぁぁ。助けてぇぇ」

 

 雪弥がわめきながら奥へと逃げていく。

 その場にいた者達がそれぞれに悲鳴を上げる。

 何事かと階上から覗いて見た者達は、血まみれの惨状にしばらく呆然となった後、思い出したように声を上げた。

 

 有難いことだった。

 ここにいると教えてくれて。

 

 目に入る動くモノは全て、殺していく。

 これは復讐ではない。

 仕事でもない。

 仕事は(チャン)を殺したところで終わっている。

 

 自分を……小猫(シャオマオ)としての自分を知っている人間を全て、殺す。

 そうすれば、自分は『真吾』として生きていける。

 何もない人間として、まっさらになって、再び宝耳(ほうじ)と一緒に生きていく。

 そのためには、ここにいる人間は全て殺さねばならない……。

 

 [彼]が[彼自身]の動機を持って殺人を犯したのは、これが最初で最後だった。

 

 すっかり日が沈んだ頃。

 

 納戸の隅に隠れて生き残っていた禿(かむろ)の少女を抱きしめて、雪弥がブルブル震えながら必死に命乞いをしていた。

 

「ねぇ! もうやめて!! もう…あなたのいた紅幇(ところ)はとうになくなっているのよ! 今更意味がないのよ!! 助けて!」

 

 [彼]は顔を歪め、首を少し傾けて雪弥を見た。

 醜い…と思った。

 

 今まで殺す相手に対して特に何も思ったことはなかったが、雪弥には奇妙なほどの嫌悪感を覚えた。

 それはひとときであっても、姉弟(きょうだい)のように一緒に暮らしたからだろうか。

 時に自分のご飯を分けてくれ、酔客に殴られた怪我の手当してくれた姿を思い起こす。

 あの美しく、優しかった雪弥と今を比べる程に、その醜悪な様に失望が募る。

 

 殺した客の男から奪ったピストルを雪弥に向けて発砲するのと、呼ばれたのは同時だった。

 

「真吾ッ!!」

 

 宝耳の声が聞こえた途端に、[彼]は我に返った。

 

 だが、我に返る…とは何だろうか?

 我なのは、誰だ?

 

 混乱して硬直し、背を向けたままの[彼]を、宝耳もまたしばらく呆然と見つめた。

 

「鬼が出たと聞いて……来たら……。これは…お前なんか……?」

 

 宝耳の声は震えていた。

 怒りなのか、恐怖なのか。

 

 ゆっくりと振り返って見つめると、宝耳は長い間凝視した後に、グニャリと顔を歪めた。その目から涙が滂沱と落ちる。

 

「お前は……鬼やない。鬼やないんや………」

「……俺は」

 

 俺は、真吾。

 そう言うはずなのに、声が出なかった。

 

 背後からの殺気を感じたと同時に避けたが、背中を抉られた。

 焼けるような痛みに唸り声を上げて、真吾は倒れた。

 

「………痛いじゃない」

 

 雪弥が抱きしめていた禿(かむろ)の少女が、立ち上がってじっとりとこちらを見ていた。

 手には額を撃ち抜かれた雪弥の頭。

 血に染まった雪弥と正反対に、少女の頬にあいた銃痕は、見る間に消えていく。

 

「目立たないようにゆっくり一人ずつ殺して食べてたのに、どうしてこんなことするの? ひどいわ」

 

 異様なほどに白い顔をした少女は、そう言ってニイィィと嗤った。

 血を垂らした真っ赤な唇が裂けんばかりに吊り上がる。

 真吾に向かって、手が伸びる。

 鋭い爪が真吾の首を掻き切る前に、宝耳がその白い腕を断ち斬っていた。

 

 

 水の呼吸 弐ノ型 水車

 

 

「鬼狩りかッ!」

 

 禿は吠えるように言うなり、ズズッと成長した。

 髪が床につくまで伸びて、大人の女のような姿になると、足は黒く細い八本の脚となった。まるで蜘蛛のようだ。

 

「オノレ! いつも厭わしい!!! 妾の爪の先でせいぜい踊るがいい」 

 

 ザアアァと白い糸が宝耳に向かって降り注ぐ。

 すぐに宝耳は呼吸の技を繰り出した。

 

 

 水の呼吸 参ノ型 流流舞い

 

 

 糸は切れたが、宝耳は膝をついた。

 ポタ、ポタと口の端から血が垂れ落ちる。

 

 鬼の攻撃ではなかった。

 蜘蛛女がアハハハハと甲高い声で嗤った。

 

「なぁに? お病気? 大変ねぇ、人間は。そんなになっても、鬼退治に行かねばならないなんて…鬼狩りはよほど人がいないのね」

「……やかまし」

 

 宝耳は辛うじてそれだけ言うと、立ち上がる。

 

「自分だけでも大変なのに…お可哀そうな鬼狩りさん。この木偶(デク)人形も助けるの?」

 

 言うなり蜘蛛女はその場で固まっていた真吾へと糸の雨を降らせた。

 

「真吾ッ! 逃げえッ!!」

 

 宝耳が叫ぶと同時に真吾は立ち上がろうとしたが、既にその時には鬼の糸に絡められていた。

 助けようとした宝耳もまた、蜘蛛女の織り上げた巣の中に入っていた。

 

「……っぐ!!!」

 

 宝耳は腕に絡みついた糸を切ろうとして、急にガクンと膝をついた。

 仰向いて、ポッカリと口を開けて、白目になっている。

 そのまましばらく停止していたが、ビクンと動くと、ぎこちなく立ち上がった。

 

「いらっしゃい、鬼狩りさん。さぁ……」

 

 蜘蛛女はそう言うとキャキャキャと楽しそうに笑った。

 

 ブルブルと異様なほどに宝耳は震えている。

 う、う、と呻きながら真吾を見て、口を動かした。『逃げろ』と。

 

 だが、真吾にはどうやって逃げればいいのかわからなかった。

 周囲の景色はさっきまでいた部屋なのに、どこか現実感がない。宙に浮いているかのような感覚。足元には白い糸で織られた蜘蛛の巣が広がっている。

 

 何かが違う。

 出口がない。

 

 ゆっくりと宝耳がこちらに近づいてくる。

 逃げろ、逃げろと口だけ動かしながら。

 右手の刀が、震えながら徐々に上がっていく。

 

 真吾はボンヤリとその青鼠色の刀を見上げた。

 丹念に手入れしていて刃こぼれもない。美しい日輪刀。

 あれを振り下ろされたら、真吾は死ぬだろう。

 

「さぁ…殺セ!」

 

 蜘蛛女が叫ぶと、宝耳の日輪刀が真吾へと襲いかかる。

 真吾は逃げなかった。

 そのまま宝耳の懐に入り込むと、自分を殺そうとしていた右手を掴み上げる。ギリギリと力を加えると、やがて宝耳の手から日輪刀が落ちた。

 

「……ど…うして」

 

 明らかに動揺して蜘蛛女はつぶやいた。

 

 真吾は日輪刀を拾った。思ったよりも重い。いつも宝耳は軽々と振り回しているので、もっと軽いものだと思っていた。

 

 蜘蛛女は刀を持ちながらも攻撃してこない真吾を見て、ニヤリと笑った。

 

「益体もない……いっそ、あなたに殺してもらいましょうか。ついででしょ? これだけ殺した後なんだから」

 

 そう言って再び蜘蛛の糸を投げつけてくる。

 頭や腕、足に絡みついた細い粘着質なその糸を、真吾は面倒くさそうに払ったが、はりついた糸はとれない。

 

「さぁ……殺りなさい」

 

 蜘蛛女は指を動かして糸を操った。

 だが手応えがない。

 真吾はだらりと刀を持ったまま、立ち尽くしている。

 

 蜘蛛女の顔色が変わった。

 

「お前……どうして……」

 

 どんよりとした真吾と目が合って、蜘蛛女の目に恐怖が浮かんだ。

 

 一方の真吾は首をひねった。

 

 蜘蛛女の瞳の中には文字が浮かんでいた。

『下弦参』。

 あれでモノが見えているのだろうか? 不思議な目だ…。

 

「お前……死んでるの? 一体…」

 

 怯えを含んだ問いかけに、真吾はしばらくその言葉を反芻した。

 そうしておそらく初めて笑った。

 

 言い得て妙だ。

 死んでるのか? とは。

 

 そうか。自分は死んでいるも同然なのか。

 最初から。

 生まれ落ちたその時から。

 

 誰にも望まれず、自分が生きていることを感じたこともない人生の中で、いつの間にかそんな存在になっていたのか。

 

 ずっとずっと自分は死んだまま生きてきた―――――。

 

「……()ゃう」

 

 宝耳がくぐもった声でつぶやいた。

 

「お前は生きてる。生きて…行くんや」

「………なぜ?」

 

 真吾は聞き返した。

 宝耳の目からまた涙が流れる。

 

 その先の言葉を待っていた真吾の首に、蜘蛛女の放った糸が巻き付いた。

 

「もういいわ。一息に死ねばいい」

 

 操ることを諦め、真吾の首を締めにかかる。

 

 だが、攻撃に対しての真吾の動作は素早かった。

 日輪刀を逆手に持つと、すぐさまその糸を断ち切る。

 

 蜘蛛女は真吾に自分の血鬼術が通じないことで、相当に焦っていたのだろう。

 宝耳にかけていた術が弱くなった。

 

「真吾、下や! 蜘蛛の巣の中心を刺せ!!」

 

 宝耳が指示する。

 真吾は言われるままに、日輪刀を足元に広がる蜘蛛の巣の中心へと突き刺した。

 ブブブブ…とまるで蝿の音のような振動音と共に、元の部屋へと戻る。

 

 体が自由になると、宝耳は真吾から日輪刀を取り上げて、すぐに技を繰り出した。

 蜘蛛女は遮二無二、糸を放つ。

 

 

 水の呼吸 肆ノ型 打ち潮

 

 

 うねる刀の軌道は蜘蛛女が繰り出した細い糸をすべて寸断した。

 

 蜘蛛女の額からグググと角が伸びた。

 ギロリと真吾を見るなり、一足飛びに目の前に立った。

 

「この死神が!!」

 

 伸びた鉄色の爪が真吾に襲いかかる。

 後ろへ回転して避けようとした時に、宝耳の呼吸音が聞こえた。

 ひどく…荒い。

 

 

 水の呼吸 捌ノ型 滝壺

 

 

「キャアアアァァァ――――ッ!!!!」

 

 耳をつんざく甲高い悲鳴が響き、コロリと蜘蛛女の首が転がった。

 

 宝耳は鬼を討ったと同時に、その場に膝をつく。

 肩を激しく上下させながらも、またいつものように片手で拝みながらつぶやいていた。

 

「どうか……今度……は……」

 

 最後まで言う前に、ぐらりと体が揺らいで倒れた。

 真吾が助け起こすと宝耳は「すまん」と小さく言って、塵となって消えゆく鬼を見つめた。

 震える唇で必死に言葉を紡ぐ。

 

「普通に…生きて……幸せに……」

 

 息も切れ切れに言う宝耳に向かって、少女の姿に戻った鬼が手を伸ばしてくる。

 真吾は身構えたが、宝耳はその白い手を握った。

 

「大丈夫や……大丈夫……」

 

 鬼の心の声を聞いたのだろうか。

 やさしく呼んだ。

 

千鶴子(ちづこ)……」

 

 ボロボロと鬼の手は崩れて消えた。

 

 ホッとしたように笑いかけてから、急に宝耳は咳き込んだ。

 鮮血が真吾の作り出した乾いた血痕の上に飛び散る。

 しばらく止まらない。

 真吾は宝耳の背中をゆるゆるとさすった。

 

「……真吾」

 

 宝耳はようやく咳が止まると、真吾の手を取った。

 

「えぇか…ワイが死んだらな……お前は聡哉様のとこに……行け」

「さとや?」

「あの人なら…お前を救ってくれる、きっと」

「…………救いなんていらない」

 

 無表情に言う真吾に、宝耳はいつものように優しく笑いかけた。

 

「お前は嫌かもしれんけど……」

 

 だんだんと小さくなる声。

 日輪刀が手からすべり落ち、震える手で真吾の頬を撫でる。

 

「生きてて…欲しいんや」

「…………」 

 

 じいっと宝耳を見つめる真吾の目から涙が溢れた。

 自分の手を伝い流れる涙の熱さを感じながら、宝耳は静かに目を閉じた。

 

 聲が聞こえる。………

 

 

 ―――――シナナイデ…シナナイデ……。ヒトリニシナイデ…。

 

 

 土の中から呼びかけられて以来、滅多と()()ことのなかった真吾の聲。

 その聲は目の前でただ呆然と泣いている、大人びた顔の少年からは程遠く、哀れなほどに幼かった……。

 

 

<つづく>

 

 





次回2022.10.1.更新予定です。
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