【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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< 眞白の穴 ー肆ー >

「やぁ……珍しいな。こんなところで客人に会うなんて」

 

 産屋敷聡哉(さとや)は満開の藤棚の下で佇む少年を見て、声をかけた。

 

 本当はそんな場所に見知らぬ他人が立っていることなど有り得ないのだから、心底驚いてもよかったのだが、聡哉は不思議と今日、この日に、この少年に会うのは必然であるように思った。

 

 少年は聡哉じっと見つめて問うてくる。

 

「あんたは…さとや?」

 

 聡哉は答えず、問い返した。

 

「君は?」

「………」

 

 少年は黙り込む。何か逡巡しているようだった。

 しばらくして答えた。

 

「名はない」

「……そう」

 

 そこまでで、一旦対話は中断された。

 

「聡哉様!!!」

 

 走ってきた隠達の先頭で、聡哉の幼馴染であり、産屋敷家における将来の執事でもある薩見(さつみ)惟親(これちか)が叫ぶ。

 すぐさま庇うように少年と聡哉の間に立った。

 

「何者だ!? 貴様ッ」

 

 怒鳴られても、少年の顔色は変わらなかった。怯えても、怒ってもいない。

 隠達は少年を取り囲んだが、皆、この不気味な少年を怖がって手を出せなかった。

 

「何をしてる!? 早く取り押さえろ!」

 

 惟親が苛々して怒鳴ると、一人の隠が恐る恐る一歩、少年へと足を踏み出す。

 

 その後は一瞬だった。

 

 少年に向かって足を踏み出した隠が手を取られて地面に叩き付けられ、その隣にいた二人は腹を蹴られて池に落ちた。

 惟親の隣にいた隠は掌底で喉元を打たれて吹っ飛び、残る一人は背後に回って腕を取られ、(こうがい)を目の先に突きつけられた。

 

 聡哉は一瞬のことに驚きながらも、笑みを浮かべた。

 ゆっくりと隠の首を締め上げる少年へと近寄ると、その腕をポンポンと叩いた。

 

「ごめんね。いきなり驚かせたね。もう何もしないから、その腕を離してあげてくれないかい? 彼らは戦闘行為には慣れてないんだよ」

「あんた……さとや?」

「うん、そう。僕は聡哉だよ。少し話しをしよう。離してあげてくれる?」

 

 あきれるほどあっさりと少年は隠を離した。

 

 聡哉は少年に背を向けて歩き出す。

 呆然と立っている惟親の腕をグイと引いた。

 

「惟親。彼らに無体な命令をするものじゃない。殺されるところだよ」

 

 いつもは柔和な目が厳しく閃く。

 惟親は固まった。

 

「すっ、すみませ……」

「客人だよ。案内(あない)しておくれ」

「………はい」

 

 惟親は頭を下げて聡哉を見送ると、チラと少年をみやった。

 

 静かな表情だった。

 その顔で五人を血祭りにあげようとしていたのか……。

 

「こちらに…」

 

 とりあえず神妙に、惟親は少年を屋敷の中へと案内した。

 

 

 

*** ** ***

 

 

 

 産屋敷邸に護衛はない。

 それは隊士が多いときであっても、柱から口を酸っぱくして進言されても、代々の当主が断ってきたことだった。

 今や不文律になってしまっている。

 もっとも、先代の当主は幼い頃より特に病弱で、ひどく気鬱になる性質であった為に、親とも慕っていた風柱をほぼ常駐させてはいたが。

 

 惟親にしてみれば、その息子である聡哉もまた、それくらい気弱であってくれれば、柱を護衛につけることも許されたろうに…と思わずにいられない。まして今日のように、闖入者が入り込んだ時には。

 

「今、柱の方々を呼んでおります」

 

 惟親が言うと、聡哉は「いらないよ」と笑った。

 

「こんなことで柱を呼ぶものではないよ、惟親」

「しかし…ここに隠の案内もなしに入るなんて……」

 

 惟親の動揺は仕方なかった。

 

 護衛をつけない代わりに、産屋敷邸は幾重もの結界で守られていた。

 この結界は万単位に及ぶ暗号からなり、隠達はその暗号を解いていって、次の結界への門を開く。

 

 柱合会議などで柱達をここに連れてくる時には、二十人近い隠達によって暗号を次々に解析していくことで、一見、一つの道をただ歩いてくるかのように導いているのだ。

 

「それを…あの男は一人で、ものの三十分ほどで解法して入ってきたのですよ!」

「そう…じゃ、無理に結界を破ったという訳ではないんだね」

 

 聡哉は言いながら、さすがに驚いた。

 暗号を解くための式は、五分ごとに現れる。つまり五分以内に式を解いて、解を示さないと結界は開かない。

 結界門は全部で九つあり、それらを全て解いた上、三十分で入ってくるとなれば、その計算速度の早さは尋常でない。

 隠達はいつも特殊な計算機を使って、この結界門を解錠していくが、それでもギリギリだったり、時に時間切れになってしまうこともしばしばあった。

 

「すごいな…。関孝和の生まれ変わりかな?」

「ご冗談を言っている場合ですか!?」

「ハハハハハ。さすがの惟親も焦っているね。今日はいつもは見られない珍しいものがよく見れる。さて、と。では、彼と話をすることにしよう…」

「私も行きます」

「いいけど…今度は邪魔しちゃ駄目だよ。壁になっておきなさい」

 

 聡哉は心配性な幼馴染に釘をさして、少年の待つ部屋へと向かった。

 

 

 

*** ** ***

 

 

 

  ―――――君は?

 

 と、訊かれた時、[彼]は『真吾』と答えることができなかった。

 なぜなら[彼]にとって『真吾』であるのは宝耳(ほうじ)の前でだった。宝耳以外の人間に『真吾』として認識されるのは違う気がした。

 

 出されたお茶に毒は入ってないようだったが、[彼]は飲まなかった。喉は乾いていない。

 色とりどりの花が咲く庭を見つめていると、シャッと襖の開く音が聞こえた。

 

「やぁ、待たせたね」

 

 朗らかに言って、聡哉は上座に設えられた座布団の上に腰を下ろす。

 そこに座れば、下座の人間はたいがい平伏するが、目の前の少年は胡座をかいたまま、どんよりとした目で見つめてくるだけだった。

 

「さて、名無しのお客人。今日はどういったご用件だろう?」

「……宝耳に言われた。サトヤ様に会えと。だから来た」

「宝耳?」

 

 意外な名前に聡哉はさすがに顔色を変えた。

 

 伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)

 水柱だったが、二週間前、任務中に結核の発作を起こして死亡している。

 鬼に殺られたのではなかったが、むしろ、無理に仕事を続けたことで死期を早めたのだろうと思うと、聡哉としては後悔が残る。

 

「君は…水柱と知り合いなのかい?」

「……水柱は知らない。宝耳だ」

「あぁ、成程」

 

 聡哉は気を引き締めた。

 この少年には一言一言、言葉使いは慎重に行わねばならない。間違えば、彼は貝のように口を閉ざす。

 

「そう。宝耳と知り合いなんだね。彼が君に私に会い行くように言ったのかい?」

 

 少年は頷く。

 

「彼がこの場所を教えてくれたのかい?」

「いいや。あんたに会えと言っただけだ」

「じゃあ、ここをどうやって知ったの?」

 

 少年は無表情に滔々と語った。

 

 宝耳の死後、隠達が現れて処理を行った。

 その時に隠に宝耳の言葉を伝えると、「馬鹿言うんじゃない!」と怒鳴られた。その時の会話で『産屋敷邸』という言葉を聞き、その場所を他の隠に尋ねたが、皆が皆、教えてくれなかった。

 

 宝耳の死体とともに東京に帰り、屋敷にいた老隠に尋ねると、産屋敷邸の場所は鬼の襲撃を回避するために秘匿されており、柱ですらも隠の案内なしで通ることはできないのだと言われた。

 

 仕方ないので、焼き場から宝耳のお骨を拾って持っていく隠の後をつけた。

 彼らは骨を産屋敷邸近くの墓場へと持っていく…と言っていたからだ。

 

 そうして後をつけた途中に、奇妙な空間を見つけた。

 なぜかその場だけが歪んでいるかのような違和感があった。

 

 辺りをよくよく見ると、土の中に埋まっている門の一部を見つけた。

 偽装されていた草と土を払いのけると、埋もれた門があった。(かんぬき)でしっかり閉じられている。触ろうにも閂の両側は土に埋まっているので動きそうもなかった。

 閂を受け止めている二つの閂鎹(かんぬきかすがい)は、柔らかく白い微光を帯びていた。

 

 太い閂には見覚えのある数式が墨で書かれてあったが、その式はしばらくすると薄まって消えて、再び別の式が浮かび上がってきた。

 不思議な現象を二回ほど見送った後、微光を帯びた閂鎹にその答えを指で書いてみる。するすると、まるで指に墨でも塗っていたかのように書いた漢数字が浮かび上がり、門は消えた。

 

 気付けば、それまで鬱蒼とした緑に覆われていた前方に、道が出来ていた。

 その後は道々にある門だったり、高札だったり、不自然な木箱などに表示された暗号を解いていき、その都度現れた道を進んでこの屋敷にたどり着いたのだという。

 

「あれは呪術的なものも含んだ複雑な数式だと聞いていたんだけどね?」

 

 聡哉はやや遠回しながら、暗号をなぜ解法できたのか問うた。

 少年はなぜそんなことを聞くのか不思議だったのか、少し眉を上げたが、簡潔に答えた。

 

「………いくつかは見たことがある。(シン)にいた頃に、暦を作る男の家の本棚にあった。見たことのないものも、応用すればいいだけだ」

「やれやれ…」

 

 聡哉は肩をすくめた。

 全ての数式については記された本が残っているので、一応開いてみたことはあるが、聡哉にはただただ意味不明な記号と数字の羅列にしか見えなかった。

 

「僕には理解不能だ。難しいことはあまり考えたくないからね。ま、つまり君は暗号を解いて、ちゃんと正面から入ってきたという訳だね」

 

 問いかけたが、少年は静かな顔で黙り込んだ。

 

「君は、宝耳の継子ではないの?」

「……知らない。一緒にいただけ」

「そう。いつから?」

「……わからない。桜が咲くのを二度見た」

 

 聡哉はフフッと笑った。

 

「いいね。桜を見た回数で年を知るのは。さて―――と。それじゃあ、どうしようかな……」

 

 言いながら聡哉は立ち上がると、縁側に出て庭を眺めた。

 

 風が強い。

 藤の花びらがここにまで飛ばされて、沈丁花の葉の上に落ちた。

 

 伴屋宝耳は柱にしては珍しいくらい、腰の低い男だった。

 あのやわらかい上方の言葉で話されると、緊迫した柱合会議でも皆、気が抜けたようになってしまい、厳格な性格の岩柱からは注意されることもしばしば。

 その都度、頭を下げて笑っていた。

 皆、彼を呆れ顔で見ていたが、おそらく全員から好かれていた。

 果てしなく優しい彼の眼差しは、殺伐とした鬼殺隊の、より厳しい任務を遂行せねばならない柱にとって、安らぎだった。

 

 この少年にとっても…それは同じだったのだろうか?

 

 聡哉は部屋に戻って少年の隣に座ると、ニコリと笑いかけた。

 少年の表情は変わらない。

 相変わらず、何を考えているのかわからない。色素の薄いその赤茶の瞳には、一切の感情はない。

 

「君のことを教えてくれるかい?」

「………」

 

 少年は少しだけ眉を寄せた。

 聡哉は少年の鼻先を指をさす。

 

「そう……君のこと。今までの君のことをすべて。君が知っていること、君がやってきたこと…すべて話せるかい?」

 

 少年はコクリと頷くと、まず話したのは最初の殺人の仕事であった。

 それが覚えている一番最初の記憶だと語ったのだから、おそらくは三つか四つほどの年の頃の話だ。

 

 聡哉は少年に勘付かれないように、ゴクリと唾を呑みこんだ。

 

 目の前にいるこの少年を、宝耳は一体自分にどうしろと言うのだろうか……?

 

 

 

*** ** ***

 

 

 

 水柱・伴屋宝耳が死ぬまでの話を全て聞き終えた時、壁としてずっと黙っていた惟親は汗に滲んだ手をそろそろと開いた。

 我知らず手が震えている。……

 

 そっと少年を窺った。斜め横から見える少年の姿は、惟親とさほどに変わらない。いや、何なら自分よりもおそらく少しばかり年下だろう。

 

 少年が生まれた時には既に父母は不明。

 正確な自分の年齢もわからない。

 最初に自己紹介した時に名乗らなかった少年に、惟親は『何を勿体ぶって…』と内心、その不敬な態度に業を煮やしていたが、彼は間違っていない。

 なぜなら本当に『わからない』のだ。

 

 名もなく、年もわからず、彼は殺人を生業にして生きてきた。それが罪であるという意識すらもないまま。

 

 聡哉は少しばかり顔色が悪くなっていた。

 午後の休息時間はとうに過ぎていた。体も疲れているであろうし、おそらく精神的にもかなり衝撃を受けているに違いない。

 

「聡哉様…少しお休みなっては…?」

 

 少年が語り終えても、黙りこくったままの聡哉に惟親が声をかけると、手で制された。

 

「大丈夫だ…惟親。ああ……大丈夫だよ」

 

 二度目の大丈夫は、おそらく自身に向かって言ったものだったろう。

 聡哉は溜息をついてから、縁側からそのまま庭へと降り立つ。

 

 少年はさすがに喉が乾いたのか、用意されていたすっかり冷めたお茶を一気に飲み干した。

 表情に変化はない。

 初めて会った時から今に至るまで。

 恐ろしい殺戮を繰り返してきた半生を語っている時ですらも。

 

 聡哉は庭をゆっくりと歩き回った。

 

 考えなければならない。

 宝耳が託した意味を。

 彼をこのまま世に解き放つことはできない。

 

 人の心のゆらぎや、聲を聞くことのできる宝耳は、彼の正体がわかっていたはずだ。

 彼に()()()()()ことを。

 ()()()()()()でしかない彼を、それでも人間にしたかったのだ…。

 

 この少年が記憶を失くした二年の間に宝耳に出会えたことが、せめてもの神の配剤だったのだろうか。

 聡哉は今更ながらに神仏を恨みたくなった。

 本当に神というのは、一体なにをもって人の世にこれほど陰惨な現実を与えたもうのか。 

 

 聡哉はギリと歯噛みして目を瞑った。

 深呼吸をして、甘い沈丁花の香りを胸に含ませる。

 

「ねぇ…こちらに来てくれるかい?」

 

 振り返って聡哉は少年を呼んだ。

 

 少年はすぐに縁側までやって来る。

 聡哉は縁側に腰掛けると、少年に横に座るよう促した。

 

 だが聡哉は長い間、黙っていた。

 

 沈む夕日に合わせて朱色に染まる空を見上げる。

 少年はまっすぐに、自分が最初に佇んでいた藤棚を見つめている。その瞳は、まるでなんの感情もない穴そのものだった。

 やがて東の空から徐々に藍色の帳が降りて、一番星がキラリと光り始めた。

 

 聡哉は息を吐いた後に、軽い口調で言った。

 

「提案があるんだよ」

「………」

「君はね、宝耳になるんだよ」

 

 その言葉に少年は首を傾げた。不思議そうに聡哉を見つめる表情は、ひどく幼く見えた。

 

「今まで君はいろんなものに()()()きたんだね。きっと、君は何かに()()ことがとても上手なんだろう。君は宝耳のことはよく知っているよね? だったら()()()()()ことは、簡単じゃない?」

 

 虚ろに見つめていた少年の瞳に、キラリと楽しげな光が浮かぶ。

 

 聡哉はその様子に泣きそうになった。

 ああ、この子にとって宝耳はこんなに煌めく存在であったのか。楽しげに、優しく包むように笑いかけていたのか。

 

 ニイ、と少年の口の端が上がって…やがて満面の笑みになる。

 

 聡哉は問いかけた。

 

「さぁ……君の名前は?」

「ワイは、宝耳やで。伴屋宝耳や」

 

 声までが、先程までの暗くボソボソした話し方から、上方の宝耳の喋り方そのままに、明るく陽気なものとなっていた。

 

 聡哉はニッコリと笑った。

 内心に、凍りついた心を貼りつかせて。

 

 本物の宝耳であれば、きっとわかったであろうその聡哉の哀しみに満ちた心を、目の前にいる『伴屋宝耳』が知ることは永遠にない。

 

 

 

*** ** ***

 

 

 

「あれで……いいんですか?」

 

 ()()が去った後、惟親はおずおずと尋ねた。

 

 夕闇に沈んだ庭を見つめる聡哉の顔は、今までに見たことがないほど、冷たく暗かった。

 

「………惟親、僕はね…自分に出来ることは見極めているんだ」

 

 聡哉はっきりと言った。

 その覚悟は、齢四歳でお館様として鬼殺隊の隊士達の親となった、その日から常に心に持ち続けているものだ。

 

「あの子は影なんだよ。何かの影でしかない。宝耳はあの子を影から生身の人間にしたかったのだろう。きっと僕にもそれを求めていた。でも、僕には自信がない。自分が生きている間に彼を人間にすることはきっと出来ない。彼が何かにならねばならないのなら、()()()()()()()()()()()()()()になってもらうのが、一番都合がいいんだ。それが彼にとっても、僕らにとっても平和なことなのさ。違うかい?」

 

 惟親は何も言えなかった。

 

 要するに少年は見放されたのだ。

 彼は亡き水柱・伴屋宝耳の望んだ『人』となる道を閉ざされた。おそらく永遠に。そして、その事を知りもしない。

 

 聡哉は人として非情なことを言っている。

 わかっていて言っている。自らを弁護することもなく、受け容れている。

 覚悟した人間に、自分の薄っぺらな正義感を押し付けて、一体何になるのか? 

 

「鬼は……無惨だけで十分なんだよ」

「……聡哉様」

 

 聡哉はしばし沈黙し、瞑目する。

 遠い過去の人となった宝耳に呼びかける。

 

 

 ―――― あの子を救うことができたのは……君だけだったんだよ、宝耳。

 

 

「それで…あの少年……()()を、これからどうするんです?」

 

 惟親は緊張した面持ちで尋ねた。

 たとえ伴屋宝耳に成り代わったとしても、いきなり水柱としての任務ができる訳もない。人殺しと鬼殺しは違うのだ。

 

 聡哉は再び冷淡な表情で、闇へと沈む庭を見つめた。

 

「仕事をさせるよ。彼は…僕らの手中にあって、働いてくれる限りは害となることはない。こちらが手綱を握っている限り、鬼になることはないはずだ。有り体に言えば…使役するんだよ。―――― 死ぬまで、ね」

「…………は」

 

 惟親は唾を呑み込み、頭を下げた。

 軽く聡哉が手を上げると、そのまま部屋を出て行った。

 

 沈丁花の甘ったるい匂いが宵闇に漂う。

 東の空には月が光り、遠く遠くに聞こえる汽笛の音。

 

 聡哉はフッと笑った。

 それは自身に向けた嘲笑だった。

 

 お館様などと崇められ、常に仁愛を持って隊士達を自らの子供のように慈しみながら、結局、自分はたった一人の少年を救うこともできない。柱として今まで戦ってきてくれた男の今際の際の願いを叶えることすらできない。

 

 だが無力な自分を嘆くことだけはしたくなかった。

 自虐の果てに待っているのは、父の辿った道だ。たとえ無力で、情けない人間であったとしても、自分は生きることを許された年月、生き抜く……。

 

 

 聡哉の懊悩を知らず、()()()()は口笛を吹いて月明かりの道を歩いていた。

 

 もう[彼]の中に、真吾はいない。

 

 

 

<伴屋宝耳外伝  眞白の穴  了>

 

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