【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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 スピンオフの『桎梏の闇』『椿の涙-鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母の帖』とリンクした内容になっておりますので、そちらを一緒に読んでもらえると、より香ばしく読めます。

※ 必読というわけではありません。


<光りの果て - 破 - >

 それからしばらく、月彦は研究室に行かなかった。

 

 すでに自らであの大学と同程度の機材を備えた研究室は出来て、実験の方法なども教えてもらったので一人で試薬なども作れるようになっていたし、どうしても行く必要があるわけでもなかったのだ。

 それに何より、再び那霧(なぎり)旭陽(あさひ)に会うかもしれぬ……と考えただけで億劫だった。

 

 鬼殺隊士の妻(正確には鬼殺隊士だった妻)を持つ男になど、好んで接触したいとも思わない。

 無論、月彦の素性がバレたとしても、その妻もろとも殺せばいいだけだ。鬼狩りごときを怖がるわけもない。

 

 月彦がそれでも敬遠したのは、旭陽を見るたびに伊南(いなみ)旭耀(きょくよう)を思い出すのが嫌であったためだ。自らの手で殺したあの医者の、愚かで人の良い笑顔。白々しい同情に、腹の底から虫酸が走る。

 それに旭耀を思い出すと、同時に女の声が響く。するとしばらく頭痛が続いた。

 

 こんな状態になる自分が疎ましい。

 まだ昔の…無力で脆弱だった頃の自分。

 忘れていたはずの忌まわしい過去。

 顔のない女の声だけが、鬱陶しく耳に残る。

 

 紅の目で闇を見据える。

 

 闇。

 

 いつまでも続く…無明の闇。

 

 老いることもなく、永遠にも近い命を持っていても、今の自分はあの頃と何ら変わらない。あの、塗籠(ぬりごめ)の中に籠もっていた頃と同じ。陰鬱に纏わりつく闇の中に沈んだままだ。

 

 

 ―――― 闇の中を進むがいい……

 

 

 (おさな)くもあり、年経た老人でもあるような不思議な声が、冷たく言い放つ。

 

 

 ―――― 手に入らぬものに手を伸ばして、(くう)()く虚しさは永遠に続く……

 

 

「うるさいッ」

 

 怒鳴ると同時に、目の前でなにやら報告していた鬼を数匹殺していた。

 いきなり理由もなく殺されたことに納得できなかったのだろう。コロコロと足先に転がってきた(イボ)だらけの青黒い肌の鬼の首は、恨みがましい目で月彦を睨みつけた。

 

「……知っているか?」

 

 月彦はその首を鷲掴みすると、自分の目の先に持ってきて語りかけた。

 

「鬼は()()()()()()()()()()()()らしい」

「む、ざん……さ……な……ぜ?」

 

 首が切れ切れに問いかけるのも、月彦には聞こえていない。

 

「鬼狩り共は()()()()()()()()()()()()()()()()いるんだそうだ」

 

 心底楽しそうに笑ってつぶやく。

 掴んでいた鬼の首は、ゆっくりと棘のある蔓で覆われていき、青黒い肌すらも見えなくなると、やがてジャクジャクと咀嚼する音が響いた。

 

「他愛もない……」

 

 月彦は物足りなさそうにつぶやいてから、再びソファに腰かける。

 

 ぼんやりと視線を動かしてゆき、やがて机の上に置かれた本で止まる。

 旭陽から借りっぱなしになっているものだ。

 

「………」

 

 気怠げに立ち上がって、その本を手に取った。

 灰色の装丁の洋書。独逸(ドイツ)語で書かれたものだ。

 独逸語は、ほぼ独学で習得したが、それでも時々、辞書にすらない専門用語については、旭陽に教わった。

 お人好しの、能天気の馬鹿に見えて、語学力が並外れていることも、また旭耀を思い出させる。

 

 あの男も唐語やサンスクリット語などを読んでいた。

 そのことを知ったのは、殺した後に旭耀の住処で、例の『薬』についての記述を探し回ったときだ。

 あらゆる古今、世の東西の文献を渉猟(しょうりょう)し、細かい注釈を加えていた。その厖大(ぼうだい)な知識量は、おそらく当時の大学寮の学者など到底敵わなかったはずだ。

 そうやって他者より優れた才を持ちながら、まるで大したことでもないように振る舞っていたことも、腹立たしい。

 (なが)い時を生きても尚、旭耀の辿り着いた場所に至らない。

 千年近い月彦の苛立ちの原因は、すべてあの男に帰結する。

 

 

 ―――― この旭耀と……は、きっと君をお救い申す。

 

 

 救う?

 よくも言ったものだ。

 人をこんな中途半端な身体(からだ)にしておいて、無能な医者めが。貴様などは殺されるべくして殺されたのだ。なんの文句が言えようか。

 

 

 ―――― もう薬は頂けませぬ。あなたが、殺したのです……

 

 

 静かな、泣くことを押し殺した女の声が、また響く。

 

「……っぐ」

 

 いきない脳髄を刺されたかのような痛みと悪心(おしん)に、月彦の体がグラリと揺らめく。

 目を閉じると、旭耀の姿と同時に何かがよぎる。

 赤い切袴。粗末な(うちき)。赤茶色のうねった髪。………

 

「……なん……だ、これ……は」

 

 うめくようにつぶやきながら、月彦は何かを思い出しかけそうだったが ――

 

 

 ―――― 二度と、……は貴様の前には現れない。

 

 

 冷たい声とともに、痛みが消え、思い出は霧散した。

 

「…………」

 

 月彦はしばらく呆然としていた。

 

 自分は何を見た? いや、何も見ていない。

 自分は何を考えた? いや、何も考えてはいない。 

 

 それなのに、どうして心臓はやかましく鳴動しているのだ?

 動揺? この自分が?

 いったい何に?

 

 月彦は押さえていた頭から手を離し、本を落としていたことに気付いた。例の灰色表紙の独逸語で書かれた本だ。拾おうとして、本の間から何かが飛び出していることに気付く。

 

 本を取り上げて、その隙間から飛び出た一片のものを引っ張り出した。

 写真らしい。

 被写体は花だった。それも形状からして彼岸花だと思われる。

 

 白黒写真の色はわからない。

 どうせどこぞの道端に咲いていた()の彼岸花でも撮ったのだろう。

 ほかの花ならまだしも、よりによって彼岸花を写真に撮っていることも、月彦には業腹だった。つくづく旭陽という人間は、月彦を苛立たせる法を心得ているかのようだ。

 興味もなく、なんとなしに裏返して、月彦は固まった。

 左端に小さく走り書きがされている。

 

『アオヒガンバナ……?』

 

 確信が持てないらしく、最後に疑問符がある。

 月彦は再び裏返して、写真を見た。

 確かに彼岸花に似ている。月彦ですら最初はただのよく見る()い彼岸花だと思ったのだから。だが、この彼岸花の色が()であるなら? 

 

「ア……ハ……ハハ……ハハッ…」

 

 月彦は笑い出し、しばし止まらなかった。

 暗い部屋の中で、哄笑が長く響いた。

 

 

*** ** ***

 

 

「あれ? 御堂(みどう)さん。お久しぶりですね!」

 

 会うなり嬉しそうに駆け寄ってくる旭陽に、月彦はいつにない笑顔を浮かべた。

 

「ご無沙汰してしまい、申し訳ない。また体調が思わしくなかったものですから」

「あぁ…あの日からですか? 確かに顔色が悪かったですしね、今は随分と良くなったようですね。とても生気にあふれているというか…嬉しいことでもありましたか?」

 

 相変わらず能天気で(さと)い。

 月彦はそれでも今日ばかりは苛立つことはなかった。

 

「えぇ……」

 

 愛想よく返事してから、まずは旭陽から借りていた本を返した。

 

「長くお借りして申し訳ない。とても興味深く拝読させていただきました」

「ハハッ。いやいや、病床にあられても本の虫だけは治まらなかったようですね」

「それで、今日はお聞きしたいことがございまして…」

 

 月彦は言いながら、胸元のポケットから例の白黒の彼岸花の写真を取り出した。

 

「こちらの写真が、本の間に挟まっていたのです。見覚えがあると思うのですが」

「ん? なんですか、これは……彼岸花、かな?」

 

 旭陽は月彦の差し出した写真を見ながら首をひねる。

 月彦はペラリと裏返すと、走り書きを指さして言った。

 

「ここに、『アオヒガンバナ』とあります。なかなか珍しいもののようですが……」

「アオヒガンバナ? …ってことは、青い彼岸花なんでしょうかねぇ? はて? こんな写真がどうしてこの本に差し挟まっていたのやら」

「覚えはないのですか? ご自分で撮影されたのでしょう?」

「いやぁ~、僕は写真にはとんと疎くて。写真機なんてものも持ってませんし」

 

 月彦は一気に鼻白んだ。

 思わず呆けてしまっている間に、旭陽が写真を取り上げていた。

 

「うーん……」

 

 裏返したり、また戻したりしながら、旭陽は考え込んでいた。

 

「この文字は僕じゃないですねぇ」

「え?」

「僕、罫線がないと字がまっすぐに書けないんです。いつも右肩上がりになっちゃって。それに『ヒ』っていう字も、僕が書いたら最後の()()が、()()になっちゃうんですよ」

 

 そう言われて見てみれば、写真裏の言葉はまっすぐで一文字一文字が手本でもあるかのように綺麗な文字だった。

 何度か旭陽に教えてもらって知っているが、旭陽の字はもっと癖の強い、正直悪筆に近いものだった。

 

「それにしても、なんだってこんな写真が本に挟まってたんでしょうか……? 誰かに貰ったのかなぁ」

 

 まったく悪意のない旭陽の能天気な声が、月彦を一気に奈落に落とした。

 急に黙り込んだ月彦に、旭陽は怪訝に首をかしげる。

 

「どうかされましたか? 随分とまた、顔色がおもわしくないようですが……」

「いえ……あなたがこの花のことを知っていると思っていたものですから」

「『アオヒガンバナ』ですか? 僕は知りませんが……もしかして御堂さんはご存知でいらっしゃるのですか?」

「……いえ。見たことはないのです。ただ、聞いたことが…あって…」

「そうなんですね。見たいんですか?」

 

 月彦は眉を寄せた。

 屈託ない旭陽がまた苛立たしい存在となってくる。

 

『見たいんですか?』だと?

 よくもぬけぬけとそんな愚問をしてくるものだ。

 

 月彦は拳を握りしめて、伸びる爪を抑えた。

 

「実は……この花は私の病気の薬となる成分を含んでいると考えられるのです」

「えっ?」

「私の病を治すために薬を調合してくれた医師は、随分と昔に亡くなってしまったのですが、彼の残した記録から薬の調合に『青い彼岸花』という花が必要であることはわかっているのです。ただ、どこを探しても見つからず……手がかりさえ掴めなかったものですから、今回、この写真を見て、てっきり那霧君がご存知かと思って」

 

 旭陽は思っていた以上の重大さに、すっかり泡食った様子で何度も頭を下げた。

 

「うわわわ! そ、それは本当に…本当に、申し訳ないです! そんな大事なことと知らずに、能天気なことを言ってましたね、僕。ちょっと、ちょっと待って下さいよ! 思い出してみます。えぇっと……えーっと……」

 

 旭陽はうーん、うーんと唸りつつ一生懸命に思い出そうとしているようだったが、ガックリとうなだれた。

 

「駄目だ、まったく思い出せない」

「…………そうですか」

 

 月彦の顔は無表情に凝り固まった。

 もう何度目かわからない。こうして糠喜びさせられるのは。

 いつもであれば、すぐこの目の前の男は殺される。だがなぜか月彦の考えに、その選択肢は出てこなかった。

 

 旭陽は月彦がひどく落ち込んでいるのだと思ったらしい。

 重くなった空気を変えようとしてか、明るい口調で尋ねてきた。

 

「御堂さん。もし、その花を手に入れて病気が治ったら、なにがしたいですか?」

 

 思いもかけぬ問いに、月彦は詰まった。

 今、この時に聞くことか? と言ってやりたい。

 しかし旭陽は、地蔵のように柔らかで優しいほほえみを浮かべている。

 

 結局、思いつくものなどない。

 

「は、ハハ……考えたことも……ありませんね…」

 

 渇いた声で言うと、旭陽はますます相好を崩す。

 

「じゃあ、僕と出かけませんか? 是非、御堂さんにお見せしたいんです」

「……なにをですか?」

「矢車草と、湖と、空です」

「……はい?」

 

「昔、友人たちと山登りに行ったときに、偶然に矢車草が群生している場所を見つけましてね。そこから湖が見えるんですが、晴れた日に行ったら、空の青、湖の青、矢車草の青っていう…見事なくらい青の美しい景色が広がっているんです。とても幻想的なんですよ。まさしくエリュシオンって感じで」

 

「………」

 

 エリュシオンとは、ギリシア神話に出てくる死後の楽園と呼ばれる場所だ。

 おそらく『青』つながりで矢車草を思い出して、月彦を慰めようとしたのだろうが、その短絡的な思考がますます腹立たしい。

 

「……それはまた、随分と素朴なものですね」

 

 月彦は皮肉っぽく言った。

 エリュシオンだかどこだか知らないが、何が楽しくてこの苛立たしい男と物見遊山になど行かなねばならない?

 

 しかし旭陽はフフッとおかしそうに笑った。

 

「素朴かぁ…そうですね。でも、御堂さんは素朴なものが好きですよね?」

「私が? そうでしょうか? そんなことは考えたことがありませんが」

「そうですか? でも、美しいものが好きでしょう? それもなんというか、複雑で難解なものよりも、単純なものが好きというか…」

「……私は那霧君ほど頭が良くもありませんしね」

 

 月彦がやや投げやりに言うと、旭陽はまたあわてて言い繕った。

 

「あ…いやいや違うんです! どうも言葉が足らなくてすみません。なんと言えばいいのかな。僕が思ったのは、御堂さんは『複雑性の極致としての単純なもの』が好もしいと思う人なんだな、ということなんです。だから、つまり……ものすごく直感的な頭の良さと、単純なものを美しいと思える理解力を備えた人なんだなってことです。……伝わりました?」

 

 正直、言われたことは意味不明で、大して興味もなかった。

 だが最後に旭陽が情けなく尋ねる姿が滑稽で、思わず月彦は本気で笑ってしまった。

 

「とりあえず、褒められたと思っておきましょう」

 

 旭陽はめずらしく月彦が声を出して笑ったので、ホッとした顔になった。

 アオヒガンバナの写真をもう一度眺めて、考え込んでから尋ねてくる。

 

「このお写真、お借りしてもいいですかね?」

「それは……お借りするも、元は貴君のものですし」

「あ、そうだった。いや、さっき矢車草の群生する場所のことを思い出したのも、この彼岸花が青だっていうのを聞いて、青い花といえば…って、思って。で、今度はその景色のことを考えてたら、山登りしたことを思い出して」

「山登り?」

「えぇ。趣味なんです。で、この写真ももしかしたら、山に行ったときに撮ったものかもしれないな…と思って。山登りの仲間の中に、写真が趣味の人間がいまして。わざわざカメラなんてもの持ってきて、色々撮っていたんですよね。たぶん…佳喜(けいき)君だったんじゃないかなぁ…?」

「心当たりがあると?」

 

 月彦はぐっと身を乗り出す。旭陽は月彦の剣幕に目を丸くしつつも、ニコリと笑った。

 

「えぇ、はい。もしかすると、手がかりが掴めるかもしれません。少し、待ってていただけますか?」

 

 

 ―――― どうか、どうか、あと一年待って下さい。 

 

 

 旭陽の言葉と、あの日の旭耀が重なる。

 月彦は苦いものを飲み下しながら、微笑んだ。

 

「もちろんです。ずっとお待ちしていますよ」

 

 そうだ。

 ずっと、ずっと……千年近く待ってきたのだ。

 今度こそ、お前を殺さずにおいてやる。

 だから、見つけてこい。

 私のために、今度こそ完成させろ……!

 

 月彦の心の叫びも知ることない旭陽は、すっかり興奮しているようにみえる月彦を見て、嬉しそうに微笑んだ。

 

「よかったです」

 

 穏やかに月彦を見つめる旭陽の姿は、もはや旭耀そのもの……いや、生まれ変わりとしか思えなかった。

 

「御堂さんはやっぱりすごいですね。長く病にあって、きっと不自由な思いをなさってきたことでしょうに、決して諦めておられない。僕は医者ですから、患者さんが治るのを助けはしますが、やっぱり最後には患者さん自身の生きる希望に左右されるところは大きいのです。前にもお話しましたけど、長く病気を患っていると、どうしても投げやりになる人は少なくないのに……御堂さんは病を克服することを諦めず、一生懸命でおられるのが、とても素晴らしいです!」

 

「……ありがとうございます」

 

 月彦は礼を返しながら、その目は一瞬、紅く閃いた。

 

 やはりこの男は嫌いだ。

 いちいち月彦の生への執着まで美化してくる。そのくせそこに嫌味も皮肉もない。

 

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 旭陽の素直で屈託のない心が、心底嫌いだ。

 

 

<つづく>

 





次回は2022.12.24.に更新予定です。
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