【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
第一章 焦燥(一)
刀鍛冶の里は紅葉の中、里全体が赤く彩られていた。
山裾に広がる村の中を歩けば、あちらこちらから刀を打つ音が聞こえ、陽光山からは毎日、猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石を採る人足達の歌が聞こえてくる。
目の前にひろがる秋の景色も、穏やかな村の一日も、本来であれば心和ませるものであったろう。ましてこの数年の間、鬼狩りという殺伐とした日常を生きてきた者にとっては。
しかし、薫は憂鬱だった。
◆◆◆
しかし、まだ全快ではなかったらしい。
復帰後に三つの任務を遂行したものの、三体目の鬼を滅殺した後に、また倒れてしまった。
その頃には薫の関東方面での任務拠点は
隠によって薩見邸に運ばれ、そのまま療養することになったのだが、なかなか思うように回復しなかった。
医者に診てもらっても、はっきりとした理由はわからない。とにかく貧血であるらしい。その上、微熱も続き、少しでも修練のために体を動かせば、その日の夜は嘔吐したり、頭痛でまともに眠れなかったりした。
それでも朝に走ったりしていたのだが、そうした無理を重ねたせいか、ある日、とうとう骨を折ってしまった。
林の枝々を跳躍して渡っていく修練の途中で、ズルリと足を滑らせて落ちてしまったのだ。
薫は自分で自分が信じられなかった。
こんな初歩的な訓練すら、まともにこなせなくなっている自分にひどく焦った。
落ちたまま呆然として動けなくなっている薫を見つけたのは、先の任務で一緒に戦った音柱の宇髄天元だった。
元々、この林は天元が自分で作った修練場であったのだが、もう使わなくなったので、薫が借りていたのだ。
薫が木から落ちた後、薫の鎹鴉である
「なにやってんだ、お前は」
天元は地面に突っ伏したまま横たわっている薫に、あきれたように声をかけた。
「………」
薫は突っ伏したまま動けなかった。
ただでさえ自分が情けなくてたまらないのに、よりによって柱の天元に見られるなど、恥の上塗りだ。
「まだ本調子じゃねぇんだろ? 伯爵が言ってたぞ」
「………大丈夫です」
「お前の大丈夫って、なんの信用もないよ」
天元はあっさり言ってから、一緒に来た隠に担架を作らせる。
担架に乗せられ運ばれる間、薫は悔しさで泣きそうだった。
噛み締めた唇が震えて、血が滲む。
「お前、ここにいたらまともに体、治そうとしないから、ちょっと離れたほうがいいかもな」
「冗談じゃありません!」
薫は担架の上で体を起こそうとしたが、どうやら腰のあたりを強打したらしく、痛みに顔を顰める。
天元はだるそうにポリポリ頭を掻いた。
「そんな不完全な状態で無理に訓練なんぞして、腰痛めるなんてな、馬鹿滑稽極まりないんだよ。グダグダ言ってないで、刀鍛冶の里でも行って、湯にでもつかってこい」
「……行きません!」
「ふん。俺の言葉が聞けないってんなら、風柱にでも説得してもらった方がいいか?」
平然と言う天元を、薫はハッとして見つめる。強張った顔で尋ねた。
「どうして……風柱様が出てくるんですか?」
「別に。兄弟子だったら、説得もしてくれそうだし、お前も言うこときくかと思っただけだ。それ以外になんかあるのか?」
「………」
薫は気まずくなって目線を逸らした。
天元は、そんな薫の態度にフン、とあきれた溜息をもらした。腕組みして、しれっと言う。
「ま、伯爵に伝えておくからな。それで三日以内に出発してなけりゃ、不死川に灸を据えてもらうか」
「勝手なことをしないでください!」
「生憎と、俺は柱なんでね。隊士の人事に口出す権利は一応あるんだよ」
確かにそれは事実であったが、今までそんな権利があっても、天元が使ったことはなかった。
全国を飛び回って鬼退治するだけでも一苦労だというのに、そんな隊内の些事に関わるなど面倒極まりない。
それでも目の前の地味に不器用な女には、ちょくちょく世話を焼いてしまう。これは前の任務で
嫁達はたびたび薩見伯爵邸に薫を訪ね、いつも帰ってくると天元に話して聞かせた。
「なんか…どーもイマイチ顔色が悪いっていうかー」
「せっかく持っていったあんぱんも一口しか食べないしねー」
と残念そうに溜息をつき、
「薩見家の方にも聞いたら、食事をとっても、すぐに吐いてしまったりするんだそうです」
と、雛鶴は心配そうに小声で話す。
「吐くゥ?」
まさか…と天元は思ったが、察した
「言っとくけど、孕んだとかじゃないよ。本当にただ調子が悪いの。まともに食べられないから、ずーっと顔色が悪くってさぁ。あんなんで鬼狩りなんて行った日にゃ、確実に殺されちゃうよ」
そういうわけで、森野辺薫はしばらく傷病休暇扱いだった。
天元からの助言をうけた
「音柱様の言う通りです。刀鍛冶の里には骨折に効くという温泉もありますから…」
今回の落下事故で痛めた腰のことも気遣って、伯爵は薫に養生を勧めた。
そこまで言われると、言う事をきかない自分が我儘にも思えてくる。確かに自分の無茶で怪我などしたのだから、早々に治して任務に復帰することこそ必要なことだろう。
薫はどうにか自分を納得させた。
行くまでの間、目隠しされおんぶで運ばれるのは申し訳なかったが、位置を特定されないためだと言われては仕方なかった。
日輪刀を作ってくれる刀鍛冶の集う里は、鬼殺隊にとって、お館様の住居と並ぶ重要拠点だ。もしまかり間違って、鬼にこの里の場所が知られれば、間違いなく鬼殺隊の危機となりうる。
何人もの隠の背中を経由して、ようやくたどり着いたとき、刀鍛冶の里は夕暮れを迎えていた。
目隠しをとられ、瞳を射抜くかのような強烈な西日に薫は顔を顰めながらも、赤や黄色に色づく山に囲まれた、小さな村里の景色に見とれてしまった。
村の中央を流れる小川には種々の紅葉が落ちて、まさしく『からくれなゐに水くくる』とばかりに、綾なす錦に彩られている。
紅葉する木々とは対照的に、姿変わらぬ針葉樹の真っ直ぐ伸びる姿も凛として美しい。
風にのって漂ってくる金木犀の匂いは、目の前に広がる景色にうっすらと金の薄衣を纏わせているかのようだ。
「この時期が一番綺麗なんですよ。隊士さん同士で紅葉狩りなどされる方もおられます」
最終的に、薫をこの里に運んできてくれた隠の言葉に、ハッと我に返った。
本来の目的を思い出して、気を引き締める。
物見遊山に来たのではない。まして紅葉狩りなどしている暇もない。
自分はここで体を癒やし、早く任務に復帰するために来たのだから。
◆◆◆
刀鍛冶の里に来た翌朝。
薫は久しぶりに自分の刀を制作してくれた刀鍛冶・
受け取った宮古鐵は刀の状態を見て、「ありがとうございます」と頭を下げてきた。
「どうして…お礼なんて」
薫が不思議がると、宮古鐵はニコリと笑った。
「よく手入れされています。丁寧に扱って頂いているようで…」
「そんな…最近は体調不良が続いて、ほとんど鬼を狩ることもないせいです。むしろ不甲斐ない証です」
薫は自嘲をこめて言ったが、宮古鐵は笑みを崩さなかった。
「まさか。乙にまで出世された隊士が、不甲斐ないなどと…」
「乙?」
「違いましたか? そう伺っておりますが」
「ちょっと待って下さい」
あわてて腕をまくって階級を示すようにつぶやくと、手の甲に『乙』の部分が浮かび上がる。
「どうして?」
訳がわからない。
自分のここ最近の任務で、特筆すべきものなどない。
千禍蠱を討てたのも天元の手助けがあってのことだし、そもそもあの任務は薫にきたものではない。あくまでも薫は天元を手伝ったにすぎない。
「生半可なことで乙までいくことなどあり得ませんよ。それにしては刀の状態が良いので、日頃からよほど丁寧にお手入れして頂いているのだろうと…感心しただけのこと。皮肉などではございませんから、言葉通りに受け取ってください」
「いえ…すみません。私こそひねくれたことを言ってしまって」
「ハハハ。まぁ、療養でこの里に来られる方は、概ね二種類に分かれます。森野辺さんは己に厳しい人のようですね。しかし、自分に甘くして、のんびりとこの里での暮らしに慣れた隊士の方が、復帰は早いようですよ」
宮古鐵はそう言って、刀を持って帰っていった。
目方を少し増やして強度を増すように打ち直してもらうのだ。
薫は宮古鐵の助言の通りに、少しはこの里での休暇を楽しもうとしたのだが、その日の夜からひどい
そこから二日ほどは、ほとんど食べ物も喉を通らず、寝たきり状態であった。
ようやく
――――― 本当に良くなるのだろうか…?
日に日に疑問が募り、憂鬱になった。
医者には判別できない病気に冒されているのだろうか。
もし、このままどんどん体調が悪くなって、鬼殺隊にいることができなくなったら…?
それを考えると、薫は一気に足元が覚束なくなった。
また…自分は失くすのだろうか?
ひたすらに修行し、死を掻い潜って、ようやく自らの手で掴みとったこの場所を…。
<つづく>
次回は2023.01.14.更新予定です。