【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第一章 焦燥(二)

 宝耳(ほうじ)は木々の間を通り抜ける鴉の後を追って山道を歩いて行く。

 のんびりと紅葉狩りでもできればよかったのだが、生憎とこの山はほとんどがミズナラやアカガシ、ツガなどの常緑樹で、あまり紅葉はない。

 獣道を歩いていくと、時々、何かの罠のあとがある。兎を捕らえるには大きすぎる穴。

 

「……やれやれ。さすがや」

 

 嘆息しつつ罠を避けて宝耳は先へと急いだ。

 

 この山林そのものが、元水柱のものだった。

 柱であった時点に相当に貯め込んで、育手となる時に未練なく使ったのだろう。

 しかし豪快な金使いに相違して、その水柱の住まいは質素であった。猟師の山小屋と言ってもいい。なにか煮炊きしているのか、いいにおいがしてくる。

 

 宝耳はそろりとその小屋に近寄った。

 トントン、と何かを切っている音がする。

 光と風を取り入れるため小屋上部に開かれた小窓から、そっと中を窺う。

 

 土間の方では、白髪の老人が立っていた。どうやらこれが元水柱らしい。

 そこから奥の暗がりへと視線をやれば、暗い部屋の中に布団が敷かれている。誰かが寝ているのか、それとも老人が布団を敷きっぱなしにしているのかはわからない。

 

 宝耳は小屋から離れると、キュエェ! と鋭い声を上げた。雉の鳴き声を真似たものだ。

 すると木々の間で鴉がカァカァと騒ぎ出す。小屋から出たところに見える木々に向かって、クナイをいくつか放ってから、小屋脇に素早く身を隠して気配を消した。

 

 すぐに小屋から老人が姿を現す。

 天狗の面が厳しく辺りを見回している。

 まだ鴉たちは上空で騒いでいた。

 

 老人はスタスタと歩き、一本の木の前で立ち止まった。木にささったクナイに気付いたようだ。さっと振り返って、周辺を油断なく見回している。

 天狗の面をしているので、どういう顔をしているのかはわからないが、警戒しているらしいことは見て取れた。

 しばらく立ち止まっていたが、また木立の中にクナイを見つけたのだろう。そちらへと進んでいく。

 

 十分に離れたのを見計らって、宝耳は小屋に入り込んだ。

 息を潜めてゆっくりと進む。

 カチャリ、と一応、腰の短刀がすぐに出せる用意をしておいて、奥の部屋へと進む。

 

 昼でも光の差し込まない暗い部屋の中、目を凝らすと、敷かれた布団に眠っている少女の姿が見えた。

 まるで死人かのように真っ白な顔をしているが、可愛らしい少女だ。スヤスヤとよく眠っている。

 唯一おかしな点があるとすれば、口に咥えた青竹だが……。

 

「………用件は?」

 

 背後から声をかけられる。同時に閃く刃が首に押し当てられていた。

 宝耳は口の端にニヤリと笑みを浮かべた。

 

「やれやれ…早ぅにお帰りや」

「フザけた造作をして、おびき出したつもりか?」

「いやいや。反応を見るために乗ってくれはるやろ…思いましてな。元水柱殿であれば」

 

 宝耳がかつての呼び名を口にすると、かすかに老人が息をつく。

 

「………鬼殺隊の者か?」

「遠からず」

「この子のことを殺しにきたか?」

「この子、ねェ。この()、ではなく?」

「…………」

 

 老人は無言になる。

 殺気が消え、首元に当てられていた刃が下ろされた。

 宝耳は振り返り、ニッコリと人の良さげな笑みを浮かべて呼びかける。

 

「お話しましょうや、鱗滝殿」

 

 

◆◆◆

 

 

 元水柱である鱗滝左近次の住まいから妙な気配がする…という鬼蒐(きしゅう)の者からの話を聞いたのは数週間前のことだった。

 その話を持ってきたのは、宝耳が最も信頼している春海(はるうみ)だった。

 

「……鬼、としか思えぬのに、おかしなことに鬼気を感じませぬ」

「ふぅん…」

 

 春海は元は別の鬼を追っていたのだが、元水柱である鱗滝左近次の山に立ち込める暗い靄に心がざわめいて、立ち入ったのだという。

 だがあまりにも静かな気配で、迷った末、そのままにして降りてきた。

 本来であれば、本部へ報告すべき案件なのだが、その鬼の気配があまりに闘気も何もなく、まるで眠っているようなので、宝耳に相談してきたのだ。

 

「元水柱殿が鬼を拘束でもしとるんか?」

「わかりませぬ。もしそうであったとしても、その鬼は望んで拘束されておるのやもしれませぬ。非常に静かな…凪いだ気配故」

 

 春海はそう言ってから、そういえば…と付け加えた。

 

「どうやらその育手の弟子らしき少年がおりました。とても澄んだ心根の、美しい少年でございました。もし、鬼がおれば、あのような無垢なる魂は、たちどころに喰われておってもおかしゅうないというのに」

「ほぉ? 珍しいな。お前さんがそこまで持ち上げる人間がおるなんぞ」

「……私がこのまま探索を続けようか、山を降りようかと迷ぅておりましたら、目の見えぬ私が道に迷ぅたと勘違いしたのか……麓の道まで手を引いて案内(あない)してくれました。触れ合ぅても、おぞましい心は感じませなんだ。久しぶりのことにございます」

「ほぅ、ワイと一緒か?」

 

 宝耳はまぜっ返すように言ったが、春海は深々と頷いた。

 

「左様にござります。宝耳様と同じ…曇りなき心でございました」

「…………」

 

 宝耳は目を細めて、煙管(キセル)を吸ってからふぅ、と息を吐いた。

 紫煙が乾いた空気の中を広がり漂う。

 ポイと灰を捨てると、立ち上がった。

 

「フン。ほな、ワイが一度見て来ようやないか。も少ししたら最終選別やし、その頃やったらその弟子も藤襲山に行っとるやろ」

 

 そうして訪れたのが今日であったのだが、思惑通り弟子は不在だった。

 宝耳は囲炉裏端に座り、鱗滝左近次の出したお茶をすすってから、単刀直入に尋ねた。

 

「ほんで、あの鬼の娘を()()()はるんでっか?」

 

 

◆◆◆

 

 

 飼っている…という言い方に、左近次は面の中で眉を顰めたが、当然ながら目の前の男 ――― 伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)と名乗った ――― には見えていない。

 それでも返事はやや苛立ちを帯びた。

 

「禰豆子は鬼だが……人を襲うことはない」

「ほぅ?」

「もし、人を襲った場合には私が成敗する。その後に切腹することも厭わぬ」

「ハハッ」

 

 宝耳は笑った。

 ずいぶんとご執心だことだ。

 元柱が()に。

 

「今、人を襲わずともこうして鬼を匿っている…殺さぬこと自体が、鬼殺隊への裏切りと見做される…とは、思いまへんか?」

「………」

「『悪鬼滅殺』を掲げて、誰より鬼を殺してきた一人である鱗滝殿が、そのようなことを仰言(おっしゃ)られるとは、()()()()が知れば、騒ぎ立てて、すぐにでもここに数十人の隊士を向かわせることでしょうなァ」

「お前は?」

「ワイ?」

「お前は、この事を知ってどうするつもりだ?」

「さて…どないしたもんやら」

 

 宝耳は肩をすくめると、立ち上がった。

 奥の間へと歩いていき、柱に寄りかかって昏々と眠る少女を見つめる。

 青竹で作った(くつわ)を咬まされたまま、すぅすぅとよく眠っている。

 

「あれは…人を咬ませんためでっか?」

「そうだ。この二年の間はずっと眠っている。一度も人を殺したことはない」

 

 左近次の言葉に、宝耳は振り返ってせせら笑った。

 

「二年眠って起きた途端に、村一つ失くすような鬼になるとは思いまへんか?」

「そうはさせぬ。この二年の間、毎日暗示をかけておる。人は守り、慈しむもの。鬼は敵だと…」

「さて、それがどこまで効果があるんやら」

 

 フン、と宝耳は鼻で嗤う。

 人を小馬鹿にした宝耳の態度に、しかし左近次は怒らなかった。

 当然の反応だ。鬼が人を守るわけがない。左近次とて、ずっとそう思って生きてきた。今もその考えがなくなったわけではない。

 だからこそ、こうして面倒を見る一方で、自分に最も重要な責務を課している。

 

「……もし、禰豆子が人を襲った場合には、私が成敗する」

 

 自分に言い聞かせるように、左近次は再び言った。

 しかし宝耳は嘲り笑う。

 

「さて、御老体にどこまでできるもんやら。こうして面倒まで見て、情が移っとらんとは言えんでしょう?」

「………私で始末できねば、我が弟子によって始末させる」

「弟子いうのは、現水柱の……なんやったか…確か……トミタ…いや、トミタニ……」

「冨岡義勇だ」

「あぁ! そうそう、あのキレーな顔のお坊ちゃんでんな? やれやれ、師の不始末を弟子に片付けさせる気でっか?」

 

 あきれたように言う宝耳に、左近次はムッとして言い返した。

 

「元はあやつが二人を寄越してきたのだ」

「二人? あぁ…今、藤襲山に行っとる弟子でっか? ふぅん。そいつはこの娘の身内なんですな? この鬼のお嬢ちゃんの年の頃からして、兄、いうとこかな?」

 

 はんなりした関西弁に騙されそうになるが、いちいち言葉尻を捉えては、素早く洞察してくる。まして弟子がいることも、既に知っていたというなら、随分と前から目をつけられていたのかもしれない。

 

 左近次は目の前の男に、ますます警戒を強めた。

 

「なるほど。ということはすべての元凶は水柱の冨岡殿、というわけでっか?」

 

 宝耳がなにかしらの言質をとろうとしているのを感じて、左近次は慎重に言葉を選んだ。

 

「………あやつは道を示しただけだ。炭治郎は禰豆子を人に戻したいと思っている。鬼殺隊に入れば、鬼と関わる中で、あるいは救えるかもしれぬと考えたのであろう」

「たんじろうに、ねずこ、ね」

 

 宝耳は小さくつぶやいて、その名を頭に刻み、また振り返って眠っている鬼の少女を、品定めするようにしばし見下ろした。

 やがて興味もなさそうに背を向けると、囲炉裏にかかっていた鍋からさっと里芋の煮たのをつまんで、土間へと向かう。素早く草鞋の紐を結んで、立ち上がり、左近次に軽く頭を下げた。

 

「ほな、とりあえずはこの辺で。ごっそさんです」

 

 そのまま帰ろうとするのを、左近次は呼び止めた。

 

「どうする気だ? この子を」

「さぁ? ワイが決めることやおへん。それくらいは元柱であれば、わかっておられますやろ?」

「貴様、お館様の……」

 

 左近次は言いかけたが、宝耳は笠をかぶってそのまま出て行ってしまった。

 

 

◆◆◆

 

 

「義勇がね…そう」

 

 宝耳から鬼となった娘についての話を聞いた産屋敷耀哉は、静かに微笑んだ。

 

「意外だね。鬼となれば容赦ないと思っていたのに…」

「可愛い鬼っ()でしたからな。ほだされたんと()ゃいます?」

「そういう君こそ、すっかり参ってしまったんじゃないの?」

「いやぁー! そうかもしれまへんなぁ!」

 

 混ぜっ返すように大仰に笑う宝耳に、耀哉はクスリと微笑む。

 それからすぐに怜悧なお館様の顔に戻った。

 

「ずいぶんと興味深いものを見つけてきてくれたものだ。さて、どうしようか…」

「鱗滝老人は、禰豆子いう鬼に暗示をかけとるようです。人間は守るもの、慈しむもの、いうて。鬼にどれだけ効くんかはわかりまへんけど。ただまぁ、実際にワイは襲われることもなく帰ってこれましたわ」

「ということは、君もその禰豆子という少女を殺したくないんだね?」

「はて? どないですやろ? 所詮は鬼やし。下手にこの先強ぅなってからでは、手出しもでけへんようになるかしれまへんし、今のうちに処分しといた方がえぇんと()ゃいますか」

「それは本心?」

「ハハハ。ワイに本心も嘘もありまへんわ」

 

 耀哉は宝耳の言葉に冷えた笑みを浮かべる。

 確かにこの男には嘘もないし、本心もない。

 

 幼いころに、耀哉は宝耳とよく遊んだ。父はその様子を微笑んで見守りながら、帰る宝耳の後ろ姿をいつも冷たく、無表情に見つめていた。

 やさしい父の普段は決して見せることのない表情が、幼い耀哉は少し怖かった。

 父が亡くなる少し前、耀哉は父に聞いた。

 

「どうして宝耳をあんな冷たく見るのですか?」

「そんな顔をしていたかい?」

 

 耀哉がコクリと頷くと、父は寂しげに笑った。

 

「耀哉…どうしようもなく救いようのない存在に対して、我々はひたすらに滅殺してきた。けれどそれが殺すことを許されない存在であるなら…とるべき道はなんなのだろうね?」

「……どういうことですか? 宝耳は…」

 

 詳しく聞こうとした耀哉を止めるように、父は耀哉の名を呼んだ。

 

「耀哉…宝耳は影法師なんだ」

「影法師?」

「あの男は『伴屋宝耳』の影として存在しているだけだ。……いいかい、耀哉。もし、お前の代で鬼舞辻無惨を殺すまでに至ったのなら――――…」

 

 その父の遺言を聞いたとき、耀哉は意味がわからなかった。だが、長ずるにつれ、宝耳にお館様として接することが増えて、少しずつ父の言っていたことの意味がわかってきた。

 

 影法師 ――――― 宝耳に実体はない。彼は心を持たない。彼はひたすらに『伴屋宝耳』を演じている。

 それこそが、彼に与えられた『任務』の一つなのだ。

 

「どないしますか? 殺した方がえぇんやったら、一応、隊士を何人か…そうやなぁ、庚以上を五人は用意してもらわんと。できれば一人は甲か柱並の(もン)を。せやないと、あの元水柱は厄介でっせ」

 

 頭の中で素早く算段して、宝耳は言ってくる。

 言葉だけを聞いていたら、いかにも元水柱諸共にその鬼の少女を殺したいかのような口ぶりだが、別に本気でそう考えているのではない。あくまで仕事の話をしているに過ぎない。

 

「いや。殺さないよ。これは…いい兆候だ」

 

 耀哉が否定すると、宝耳は意外そうに眉を上げた。

 

「ほぉ?」

「そう…()()はしばらく様子を見ることにしよう。例の()()()共々、うまく運べば無惨への重要な突破口となるかもしれない。鬼の娘と、そう…珠世といったね、()()()の名前は。二人が出会えば、新たな潮流が生まれる。……しばらく()()を見ておいてくれ」

「ふん。()()()()…でっか」

「あぁ。余計な手出しはしなくていい。いずれ彼らには……会える気がする」

 

 宝耳はうっすら笑って頷いた。

 どうやら例の()()()()()()()で、耀哉にはおおよその未来が()えているらしい。

 

「ほな、これにて失礼しまっさ」

 

 立ち上がって宝耳は帰っていく。

 耀哉はほとんど見えなくなってきている目で、その背を見つめた。おそらく自分もまた、あの時の父と同じ顔になっているのだろう……。

 





次回は2023.01.21.更新予定です。
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