【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「やぁ~ん。気持ちいいぃぃ~」
最初は熱いと思った温泉にしばらく浸かっていると、じんわりと体に熱が伝わっていく。同時に、自分でも気付いていなかった凝りや痛みが熱によってゆっくり解けていく感じがして、それがとても快い。
甘露寺蜜璃はしばし目を閉じて、その快感を味わった。
最終選別を経て隊士になって以来、休む間もなく働いてきた。
もちろん文句はない。鬼を倒して、殺されそうになっている人を助けるのは、わかりやすく自分を肯定してくれる。
ここにいていい。
ここに自分の生きる道がある、と。
だから蜜璃は体の動く限り、どこへでも出向いて鬼と対峙し、成敗してきた。
夜明け前に鬼を殺し、帰ってごはんをたっぷり食べたあとに二、三刻ほど寝て、起きて
蜜璃の行動は一般隊士にはとてもついていけるものではなかった。隊士達の多くは、蜜璃の尋常でない食欲も含めて『バケモン』と呼んだ。
――――― ここでもやっぱりそうなのかな…。
蜜璃は少し……いや、かなり悲しかった。
見合い相手からひどい言葉で罵られてから、蜜璃は自分の
それが鬼殺隊のことを知り、煉獄杏寿郎の元で修行を積む中で、世の中には自分よりもずっと凄い人がたくさんいるのだとわかり、どれだけ嬉しかったことか。(もちろん、この時に将来の旦那様となる人もきっとこの中にいるに違いない…と思って、より蜜璃の向上心に火をつけた)
しかし自分などまだまだヒヨッコだと思っていたのに、一生懸命、隊務に精励するほどに、また蜜璃は鬼殺隊内でも浮いた存在になっていく。せっかく自分よりも強い殿方がいっぱいいそうだと楽しみにしていたのに、次々と追い抜いていってしまう自分に、蜜璃は少しばかり嫌気がさした。
だが、まだ蜜璃は希望を捨てていなかった。
森野辺薫 ―――― 蜜璃を鬼殺隊へと導くきっかけとなった人は、かなりの上位にいるのだという。
やはり、あの人は強かったのだ。
―――――その髪の色。めずらしいですけど、あなたに似合ってます…
気味悪がられていた蜜璃の髪を、家族以外で初めて認めてくれた人。
―――――甘露寺さんは桜の精ですね…
涼やかな微笑みを思い出して、蜜璃の顔がボボボボと、より赤く、熱くなる。
「罪だわーッ! 罪よーっ、あんな笑顔ーっ」
バシャバシャとお湯に顔を何度も打ち付けて、蜜璃はわめきたてた。
途中でお湯が鼻と口に同時に入って、ゴホゴホと咳き込む。
「大丈夫ですか?」
心配して、誰かが声をかけてきてくれた。
恥ずかしい…と蜜璃は赤面しながら、顔を上げた。
「大丈……ぶっ!!」
そこに立っていた人物の懐かしい顔に、蜜璃は湯の中でそっくり返ってこけそうになった。
「危ない!!」
声をかけてきた人が蜜璃の腕を掴む。
鬼殺隊に入って以来、ずっと再会を願っていた人。
蜜璃に懸命に生きて、居場所を見つけるようにと励ましてくれた人。
ずっとずっと会いたかった人が、目の前にいる。
蜜璃は嬉しさのあまり泣きそうになったが、その人の名前を呼ぼうとして顔を上げてから、しばし固まった。
―――――ん? 今、わたし………何か見た?
一旦、見上げて合った視線をゆっくりと下へとさげていく。
白い湯気の中、おぼろげに見える。
自分よりも多少小さいが……その、膨らんだ胸が。
それよりもっと下げても、小さな弟達と一緒に入っていた時にみえた
蜜璃はまたゆっくりと顔を上げた。
「薫……さん?」
蜜璃は嬉しさに固まった顔のまま呼びかける。
目の前に立っていた彼…女は、しばらく蜜璃を見つめた後に「あっ」と驚いた声を上げた。その声は温泉を囲む岩に反響して、妙に艶めかしく響いた。
「蜜璃さん…でしたよね?」
「……………ハイ」
蜜璃はニッコリ笑ったまま、ゆっくり倒れそうになった。
いや、倒れた。
あわてて薫が抱きとめてくれたのだろう。頬に確実な女の胸の弾力を感じて、蜜璃は自分の初恋が無残に散ったのを悟った。
◆◆◆
「すみません。
温泉から上がった後、宿舎へと戻る道で薫がすまなそうに言う。
蜜璃は上気した顔でパタパタ手を振った。
「いいえ! ぜんぜん! ぜんっぜん、気にしてませんから! 薫さんのせいじゃないですよ!」
「蜜璃さんが炎柱様のもとで修行されていると聞いて、煉獄家に訪ねた際にでも会えたらと思っていたんですが……結局お会いできないまま、放ってしまって申し訳ございません」
「そんなことっ! 私、私が勝手に勘違いしていたのが悪いんです! 気にしないで下さい!!」
「………驚かれたでしょうね」
薫は先程の湯治場での蜜璃の顔を思い出したのか、苦笑いを浮かべながらつぶやく。
蜜璃はますます申し訳なく思いつつ、藍地にススキの描かれた浴衣に身を包んだ薫を見て、どうして自分が今まで薫を男だと思っていたのか…もうわからなくなっていた。よくよく見れば、切れ長の瞳の楚々とした美人だ。端正な面差しの中に、女の色気が感じられる。
―――――男ではなかったとしても、やっぱりキレイでかっこいいわ!
蜜璃はすぐに失恋から立ち直った。
美しいもの、かわいいもの、かっこいいもの、おいしいもの…蜜璃にとって世の中は感動であふれている。幼かった自分の勘違いの恋も、やがて楽しい話し草になるだろう。
「正直…驚いたは驚いたんですけど……でも、もう傷ついたりはしていません! 大丈夫です!」
明るく言う蜜璃に、薫はニコリと笑って尋ねた。
「ところで甘露寺さんも、ここには休養ですか?」
「あ、はい。それもあるんですけど、本当の目的は、新しい日輪刀を作ってもらうことになってて」
「新しい…日輪刀?」
「はい。隊士になってから、とりあえず普通の打刀を作ってもらって、それを使っていたんですけど、私、自分で新しい呼吸を作ったので、それに合わせた刀の方がよりいいだろう…ってことになって。色々と注文してたら、なんか難しかったみたいで、結局、鉄珍さまっていう、この里で一番えらいおじいちゃんみたいな人に作ってもらうことになったんです」
「まぁ、鉄珍さまって…」
薫が聞いた話では、確か鉄珍というのはこの刀鍛冶の里の長であったはずだ。日輪刀を作る多くの鍛冶師の中でも、飛び抜けた腕前だという。
最近では確か胡蝶しのぶの刀を作ったのが、彼だというのを聞いた。毒を注入するという特殊な形状の、しのぶにしか扱えない打突に特化した日輪刀。
「きっと、いいものができるでしょうね」
「そうですね。薫さんは? どこか怪我でもされたんですか?」
「えぇ…」
薫は途端に自分が情けなくなって俯いた。
「少し体調が優れなくて…ここで治すようにと言われて来たんですが、なんだかいつまでも良くならなくて……」
「薫さん…」
暗くなった薫を蜜璃が心配そうに覗き込んでくる。
薫はハッとして、顔を上げた。
「すみません。弱音なんか…情けないですね」
「そんなことないです! 私で良かったら、バンバン弱音吐いちゃって下さい。あ、だからって、何かいいこと言えるってワケじゃないんだけど……。でも、ホラ! 言うだけでもラクになるってこともありますし!」
懸命に励ましてくれる蜜璃に、薫は久しぶりにホッとした気分になった。やはり、ここに来てから、ずっと張り詰めていたのかもしれない。
―――― のんびりとこの里での暮らしに慣れた隊士の方が、復帰は早いようですよ
焦ったところで、体調が良くならない限り任務に戻るわけにもいかないのだ。こんな状態で戻って、もし共同任務が割り当てられたら、他の隊士たちにも迷惑をかけることになる。
とにかく今は治すことを第一に、専一に考えなければ…!
だが、薫はすぐに自分の堅苦しいまでに真面目な性格にため息をついた。
こういう考え方がよくないのだ。もっとおおらかに…悠揚に…。
「薫さん?」
また思い詰めた様子の薫を、蜜璃が不思議そうに見つめる。
薫は蜜璃の緑色の瞳を見つめた。まるで子供のような純真さがそこにはある。
「蜜璃さん。まだ、しばらくはこちらに逗留されるのですか?」
薫の急な問いかけに、蜜璃は「へっ?」と驚きながらもうなずいた。
「は、はい。まだしばらくは鉄珍さまもかかるって言われてますから…」
「じゃあ、お願いがあるんです。いやだったら、断ってもらってもいいのですが…」
「えっ? な、な、なんでしょう?」
蜜璃はあわてふためきながら、頬を上気させる。
薫からのお願い! それがどんな頼みでもきいてあげるつもりだ。それこそ、ここからひとっ走りして木村屋のあんぱんを買いに行けと言われれば、すっ飛んでいくだろう。
「私、自分一人だと、どう休めばいいのかわからなくて…ここにいる間、一緒にいてもいいですか?」
「え?」
蜜璃は思わず聞き返してしまった。
心の中で悶絶して転げ回る。
――――― なにその極楽。嘘でしょ、いいの? 私と一緒にいたい…って、本気で言ってますぅぅ??
「私、一人でいるとあれこれ考えて、どうしても焦ってしまって。蜜璃さんと一緒だったら、少しは気が紛れるかと…すみません。失礼なことを言ってますね。でも、蜜璃さんとお話ししていると、なんだかホッとするんです」
「ホッ…ホホ…そんなぁ、私なんて全然…ぜんっぜん、大したことない人間で~」
蜜璃は訳がわからなくなって、柄にもなく奇妙な謙遜をする。
すると薫はふっと悲しそうに目を逸らした。
「すみません、急に。おかしなことを頼んでしまいましたね…」
自分勝手な要望だったと反省し、薫はすぐに取り下げようとした。しかし蜜璃はあわてたようにガシリと薫の手を掴んだ。
「ぜんぜん、いいです! ここにいる間、一緒に休みを満喫しましょう!」
力強く蜜璃が言う。
薫は少し驚いた後、ニッコリ笑って頭を下げた。
「はい。宜しくお願い致します」
◆◆◆
薫と蜜璃が出会い、改めて
刀鍛冶の里に、騒々しい来訪者が現れた。
「とっとと出せ! 明日までに出せ!」
「そんなせっかちな…」
いきなりやって来るなり、がなり立てる風柱・不死川実弥に、刀鍛冶の
最初に会ったときから、忙しない男であった。
なにせ鬼殺隊士になって初めての刀は、届ける途中でひったくって、その足で任務に向かってしまったのだから。あれから六年近い付き合いで、柱にまでなったことには驚いたが、相変わらずの短気な性格にはあきれるしかない。
「お前さん、柱になったんだから、ちーとはその短慮な性格を改めたらどうなんだ? 威厳がないぞ、威厳が」
「うるせぇ、オッサン。グダグダ言って茶ァ飲んでる暇があンなら、仕事しろォ」
「悪いが、今日の仕事は終了だ」
「なんだとォ!?」
「ま、せっかく来たんだ。ゆっくり紅葉狩りでもして行けばえぇじゃろ」
言いながら、銕吉は立ち上がった。
今日はこれから晩酌の予定だったが、残念ながら予定は変更だ。そもそも横でこうまで騒がれては、灘の生一本だって
「オイ待て! どこ行く?」
「さぁてな~」
ヒョコ、ヒョコ…と、びっこを引いて歩く銕吉に、神速とも呼ばれる風柱が追いつかないわけがない。やろうと思えば引っ掴んで、鍛冶場に無理やり連れて行くことはできただろう。
だが実弥はその場に留まって、いまいましげに舌打ちし、あきらめたようだった。
なんだかんだと文句を言いながらも、無理強いすることはない。
そういう絶妙な気遣いをするところが、なかなかどうして可愛げがあるというか…。
それにしても ―――…と、銕吉は嘆息する。
一体、何本目だろうか。
ひぃ、ふぅ…と数えて五本目で止まる。
実弥の刀を作るようになってから、これまでに五本が折られた。今回作るもので、六本目の刀になる。
当初はあまりに頻繁で、堅い鬼の首を無理にねじ斬ったり、勢い余って岩にでもぶち当てているのだろう…と思っていたのだが、原因はそこではなかった。
銕吉が不死川実弥という少年の実力を正確に認識していなかったのだ。
いわゆる一般隊士に比べ、実弥の剣技は速かった。
ましてそこに呼吸が伴えば、その威力は数倍数十倍、下手をすれば数百倍にもなる。
あまりにも速い技の圧力に、刀が耐えられず折れるのだ。
これは製作者である銕吉の問題だった。
せっかくの実力を十二分に発揮できない武器を作るなど、刀鍛冶として力量不足と言われても仕方ない。それから銕吉は様々に工夫したのだが、五本目が一番長く
実弥の日輪刀は一筋縄ではいかなかった。
ただ、重量を重くして丈夫に作ればいいというものではない。
風の呼吸は打撃を主とする岩の呼吸と違い、
風を起こし、鬼の首を薙ぎ切ることを一義とする。
技の鋭さを減じるようなことになっては意味がない。
そのためには絶妙な
風の呼吸独特の柔剛併せ持った技は、実弥の持つ身体能力に比例して強さを増す。
これでもう大丈夫だと思って作っても、あの時期の少年の成長は凄まじく、銕吉の想像を簡単に追い抜いて、より強く、より
実は銕吉は既に六本目の刀を作り終えていた。
先々代の、伝説の風柱と呼ばれた人の刀を作ったという刀鍛冶の手記などを参考に、今までの中では納得のいくものを作り上げたと思っていたのだが、先程現れた実弥を見て、すぐに「駄目だ」と悟った。
背はもうさほどに伸びることはなかったが、手足の筋肉も、晒した胸も、より分厚く精強に、体全体が一回り大きくなった印象だ。
確実に、また強くなっている。
これではおそらく数ヶ月と
銕吉は鍛冶場に置いてあったその刀を金槌で叩き折った。
「……まったく、いつまで成長しよるんだ、あの風柱は」
あきれたように言いながら、銕吉は
<つづく>
次回は2023.01.28.投稿予定です。