【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第一章 焦燥(四)

「薫さーんっ! こっち、こっち。綺麗ですよぉ、この池」

 

 蜜璃が大きな声で呼ぶ。

 薫は一度、大きく深呼吸してから答えた。

 

「はーい。今行きますー」

 

 歩くほどに重くなっていく足を、どうにか前へと運ぶ。

 一体、自分の体はどうなっているんだろう? この程度の山を登ったぐらいで、こうまで疲れるなんて…。

 

 陽光山の中腹に翡翠沼と呼ばれる池がある…と、蜜璃が世話してくれている隠から聞いたのは、昨夜(ゆうべ)のことだった。

 

「泳いだりはできないらしいんですけど、本当に翡翠を溶かしたみたいに、きれいな青緑の池らしいんです。この時期だと、紅葉とあいまって絵みたいだって…行ってみません?」

 

 蜜璃が興奮した様子で話してくる。

 しかし気安く誘ってから、薫が今朝まで寝込んでいた病人だと気付くと、あわてて謝ってきた。

 

「ご、ごめんなさい。まだ、本調子じゃなかった…ですね」

「いいえ。もうすっかりいいの。今日は食事もできたし…いつまでも寝てばかりいても、治るものでもないし、行きましょう。私も見てみたいです」

 

 そのときは、本当にもうすっかりよくなったように思えたというのに、結局、起きて動き回ると、途端に体が重くなる。胸がむかついて、胃液が上がってきそうになる。それでも薫は懸命に足を動かして、ようやくその池の縁に立っている蜜璃に追いついた。

 

「大丈夫ですか? 顔色が悪いような…」

 

 心配そうに見てくる蜜璃に薫は無理やり笑顔を浮かべると、それとなくそばにある木の幹にもたれかかりつつ、翡翠沼と呼ばれる池を眺めた。

 確かに言われていた通り翡翠を溶かしたような、美しい青緑色だ。

 

「本当に…翡翠みたい。どうしてこんな不思議な色をしているんでしょう?」

「えっと、えっと…なんか水の成分がどうとかなんとか言ってたと思うんだけど…。直接、薫さんが隠の人に聞いたほうが早い気がします」

「そうですね。今度、聞いてみます。あっ…アオゲラが飛んでいきましたね……」

「えっ? どこどこ?」

 

 こうして時々二人で出歩いて、たわいない話をする日常(こと)が、薫にはなによりの気分転換だった。

 

 一人だと気ばかり焦ってしまって、無理に修練などした挙句に、また体を壊してしまう。

 この数ヶ月はそうした悪循環が続いていたが、蜜璃と過ごすようになって、多少は良い方向に向かっているようだ。やはり宮古鐵(みやこがね)の言ったように、のんびりと過ごした方が治りは早いのかもしれない。

 

「そろそろ帰りましょうか?」

 

 それでもまだ万全とはいえない。

 池を半周ほど巡ったところで、蜜璃が気を遣って声をかけてきた。蜜璃の話に笑って頷きながらも、薫の顔が強張っていたことに気付いたのだろう。

 

「すみません」

 

 薫は素直に頭を下げて同意する。ここで強がって、無理をすればかえって蜜璃に迷惑をかけることにもなる。実際、首元を冷や汗が伝っていた。

 

 薫の足取りに合わせてゆっくりと山を降りながら、またとりとめのないおしゃべりをする。

 

「じゃあ、薫さんは今は乙なんですね。すごいなぁ。もう将来は柱ですね」

 

 藤襲山での話から、互いの階級についての話題になった。

 

「まさか。こんな状態じゃ、とても…。蜜璃さんは、今は? 炎柱様の継子でいらしたのなら、きっと優秀なのでしょうね」

「私ですか? 私は…えーと…」

 

 蜜璃は言われてあわててグッと拳を握って力をこめる。

「階級を示して」と早口につぶやくと、すぐに手の甲に文字が現れた。

 

「あ……」

 

 薫は息を呑む。

 蜜璃は屈託ない様子で、自分の手の甲に現れた文字を告げた。

 

「丙ですね~。さすがにずっとここにいるから、上がってないや~」

 

と言うのであれば、よほど頻繁に蜜璃の階級は上がっていたのだろう。

 

 薫は呆気にとられて、蜜璃を見つめた。

 一体、どんな任務をこなせば、こうまで急激に階級が上がることがあるのだろう?

 

「あれ? 薫さん? どうかしました?」

 

 蜜璃は固まった薫に首を傾げる。

 

「あ…いえ」

 

 薫はあわてて強張る顔に微笑を浮かべて取り繕った。

 

「確か、去年に隊士になられたばかりだと伺っていたから…まだ庚ぐらいかと…すみません。勝手に過小評価してしまって」

「やだやだ、そんな! ちょっと人より多めに任務に行ってるってぐらいで!!」

「そう…なんですか?」

「そうなんです。一度なんて、日が落ちてから夜明けまでで、あちこち回って四体ぐらい片付けたことがあって」

「まぁ、大丈夫だったんですか?」

「大丈夫ですよ~。その都度、隠の人に握り飯もらったり、途中で夜鳴き蕎麦食べたりできたんで、ぜんっぜん元気でーす」

「…………」

 

 薫が言ったのは鬼と対峙するにあたって、怪我をしたりしなかったのか…という心配だったのだが、蜜璃にとっては鬼の掃討などは大したことでもないらしい。むしろ腹具合の方を気にするあたり、さすがは一人前のご飯の量がお櫃ひとつ、という人なだけある。

 

「蜜璃さんは……柱になられますね」

 

 薫はまじまじと蜜璃を見つめて言った。

 急に真面目な顔になって、自分をじっと見つめてくる薫に、蜜璃は真っ赤になって否定する。

 

「え? えぇっ? そんなそんな、まさかまさか……」

「いえ、きっとなられると思います。私は今までに柱の方々、数人に会う機会があったのですけど、どなたについても思うのは、格が違うんです。まるで、最初から立っている場所が違うみたいに……異次元の強さをお持ちです」

「そ、そうなんですか?」

「えぇ。蜜璃さんと一緒に任務をしたことはありませんが、今のお話を聞いていると、蜜璃さんも彼らと同じものを感じます。柱として必要な非凡なる才能です」

 

 自分で言いながら、つくづく薫は思った。

 

 自分には決してない才能(モノ)

 どうあがいても、宇髄やカナエ、実弥の域には行き着かない。

 背を伸ばし、手を伸ばしてそこにやっと触れる…そうであれば、薫にも目指すことはできた。だが、あそこにいる人達は、手を伸ばしても影すら掴めぬ位置にいる。

 

「あのー」

 

 険しい顔で宙を見据える薫に、蜜璃はおそるおそるといったように声をかけた。

 

「柱の皆さんって、強い…ですよね? やっぱり」

「えぇ、それはもう」

「じゃあ、やっぱり強い殿方を探すとなったら、柱を目指すべきかしら?」

 

 蜜璃はある可能性に気付いて言ったのだが、薫は質問の意味を計りかねて聞き返した。

 

「……はい?」

「あっ! あの、いえ、あの…私、前にもお話ししたんですけど、たいがいの男の子に勝っちゃうんですよね。だから、自分よりも強い殿方に憧れるというか……そういう人がいないかなー? と思って…それも鬼殺隊に入った理由なんです」

「…………」

 

 薫は目が点になって、しばし呆けた。

 しかし、蜜璃の気まずそうな顔にハッと我に返る。

 

「あ、そうなんですね。えぇ、柱の方であれば、きっと強い方ばかりですよ」

「ですよねー! 実は師範…あっ、もう師範じゃなかった ――― 煉獄さんが炎柱になってから、何人かの柱の方と稽古させてもらったことはあるんですけど、その時もトキメいちゃって…ウフフ、恥ずかしいわー。ごめんなさい。本当はこんなこと考えるなんて、()()()()()ですよね!」

 

 蜜璃は恥ずかしそうに言って、上気した頬を押さえた。

 薫は苦笑しつつ、蜜璃に尋ねた。

 

「そうは言っても、蜜璃さんのことですから、きちんと稽古はされておられるのでしょう?」

「アハハっ! それはもちろん! ちゃんとしておかないとコテンパンに()されちゃいますから! でも、そっかぁ…柱になればもっとたくさん、強い殿方とお知り合いになれますよねー。うーん…憧れるなぁ」

 

 薫は思わず笑ってしまった。

 鬼殺隊が創設されて千年、強い殿方に出会いたいからと、柱を目指した者などいないだろう。けれど、隊士になって一年そこらで丙にまで昇格する蜜璃の実力であれば、きっとそれは遠くない確実な未来に思える。

 

 ひきかえ ―――― いつまでも足止めしている自分の不甲斐なさよ。

 

 ズキリと胸が痛み、薫はふっと視線を下に向けた。

 

 きっとこの数ヶ月の後には蜜璃に追い抜かれるだろう。

 自分でもわかっている。

 今の自分の階級は、ずっと無理をしてきた成果なのだ。

 たとえ体調が万全に戻ったとしても、もうこれ以上の成長は有り得ない。

 柱になど到底追いつかない…。

 

「あれっ? 不死川さん?」

 

 前を歩く蜜璃がいきなりその名を呼ぶ。

 薫は息が止まりそうになった。いや、一瞬、止まった。

 

 引き留める間もなく、蜜璃が大声で呼びかける。

 

「おぉーい! 不死川さーんっ」

 

 ブンブン振る蜜璃の手の間から、忘れようもない彼の姿が見えて、薫はその場で固まった。一気に背に冷や汗が吹き出る。

 一体、どうしてここにいるのか…?

 

 一方、実弥は急に上から呼びかけられ、眉を寄せながら顔を上げた。

 どうやら女らしい。逆光で顔はわからない。しかし、太く編んだ長い桃色と緑の髪が見えた途端に、そこで手を振っているのが甘露寺蜜璃だと気付く。

 あんな奇天烈な髪色をした女は一人しかいない。

 

「おめェ、甘露寺だったか? なにしてやがる?」

 

 土を削って作った不揃いな階段を、大股で登りながら実弥が尋ねると、蜜璃ははしゃいだ様子で答えた。

 

「山歩きです。この先に綺麗な池があって、見に行ってきたんです」

「あぁ、翡翠沼か」

「不死川さんも今から行くんですか?」

「そんなとこ今更行くか。ちょっと行った先に…」

 

 階段の上にいる蜜璃のところまでたどり着いて、ふと蜜璃の背後に誰かいることに気付く。

 燦々と照る太陽の光の中で、消え入りそうな弱々しい姿。

 

「…………」

 

 実弥は一瞬、言葉を失った。

 立ち尽くす薫を、ぼうっと凝視する。

 だがすぐにギリッと奥歯を軋ませ、苛立たしげな表情になった。

 

「……テメェ、なにしてやがる? こんなところで」

 

 低く唸るように問いかける声は、剣呑としていた。

 蜜璃は急に機嫌の悪くなった実弥に困惑した。

 

「あ、あの薫さん…森野辺さんと一緒に行ってて……」

「………」

 

 実弥は黙ったまま、何も言わずに佇んでいる薫を、睨みつけるように見た。

 なんて顔色だ…悪すぎる。

 

「養生に来たんじゃねぇのか?」

 

 刀鍛冶の里に来ている…ということは、刀のこと以外であれば、身体を癒やしに来ているのだろう。それなのに蒼白い顔をしてうろつき回っている薫に、実弥は怒鳴りつけたいくらいだった。

 

「……はい。そうです」

 

 ようやく返事した薫の声音は、静かだった。

 

「だったら、ちゃんと寝てろ。どういうつもりだ、山歩きなんぞ」

「あ、あ、あの…あの、私が誘ったから」

 

 蜜璃があわてて言うと、実弥がギロリと睨む。

 

「なんだとォ?」

「蜜璃さんは悪くありません」

 

 鋭く言うと、薫はようやく動いて蜜璃を庇うように、実弥と相対した。

 

「私も楽しみにしていたんです。この数日は体調も良かったですし、大丈夫かと思って…」

「どこが大丈夫な顔だ?」

「………もう、帰ります」

 

 薫はそのまま実弥の横を通り過ぎようと一歩、足を踏み出したが、急にぐらりと視界が回った。へたり、と地面にしゃがみこむ。

 

「おい!」

「薫さん! 大丈夫?」

 

 あわてて横に来て薫を支える蜜璃に、薫は苦しそうに微笑んだ。

 

「すみません、蜜璃さん。せっかく誘ってくださったのに…」

「いいの! そんなのいいから…大丈夫? 抱っこしましょうか? 私、力持ちだから、薫さんくらい平気」

 

 薫はフルフルと顔を振ると、「肩だけ貸して下さい」と蜜璃に頼んで立ち上がった。

 まだ、眩暈がしている。

 

 軽くお辞儀してその場を去ろうとしたが、実弥は呼び止めた。

 

「おい」

「………なにか?」

「今のでわかった。……お前はもう無理だ」

「………どういう意味です?」

「前から言っている。鬼殺隊を辞めろ。そんな状態で、鬼狩りなんぞできっこねェ」

 

 薫は唇を噛み締めた。

 

 自分の不甲斐ない状態は、誰よりもわかっている。

 自分だけでなく、蜜璃にだって薄々わかっているだろう。薫の症状が湯治程度で治るものではないことは。

 それでも少しずつ自分を奮い立たせていたのに…。

 

 どうしてよりによって、今、一番会いたくない人に会って、一番聞きたくない言葉を聞かされるのか。

 

「蜜璃さん、行きましょう」

 

 何か言いたげな蜜璃を促して、薫は山を下っていった。

 背に痛いほどの視線を感じる。

 きっと実弥は怒っている。情けない妹弟子に、あるいは…結局はお嬢様だと呆れ返っているのかもしれない。

 

 薫は隣で支えてくれている蜜璃をそっと窺った。

 健康な体だ。

 髪色は奇抜だが、愛らしい顔つきも、弾けそうなほど筋力のある肉体も、今の薫には持ち得ない。

 彼女の実力を目にしたことはないが、一年で丙までになる才能は、きっと想像を遥かに超えた素晴らしいものなのだろう。

 

 薫は情けなくなった。

 自分は今、蜜璃に嫉妬している。

 自分よりも後輩である彼女は、この先もどんどん成長し、いずれ自分を超えていく。

 

 そのうえ ――――

 

「蜜璃さん、風柱様とお知り合いなんですか?」

 

 尋ねた自分の声音が思っていたよりも冷えた感じで、薫はすぐに打ち消すように謝った。

 

「ごめんなさい。さっき、お名前を呼ばれていたから」

「あ。はい…えっと、あの、さっきも言ってた師範…煉獄さんと一緒に稽古させてもらった方の一人です。そのときに紹介されて…」

「あぁ……そうなんですね」

 

 薫は頷いたが、眩暈がひどくて笑う余裕もなかった。

 蜜璃は暗い表情の薫に、いよいよ沸き起こる好奇心を抑えることができなくなった。

 

「あ、あのー……薫、さんは?」

「え?」

「そのっ、不死川さんとは?」

「あぁ、あの…兄弟子なんです」

「へっ? あっ、そ、そうなんですか」

「はい。すみません。仲が悪くて…気詰まりな思いをさせてしまいましたね」

「いえ、そんなことは…」

 

 答えながら、蜜璃はチラと後ろを見た。

 実弥はまだこちらを見ている。

 表情はわからなかったが、なんとなく想像できた。

 

 いつも怒ったような顔をしている人だが(今もそうだったが)、さっき薫がフラついてしゃがみ込んでしまった時は、隠している心配が表に出てきてしまったようだった。

 日頃は隊士から恐怖の権化のごとく恐れられている風柱が、あんなにまで取り乱すなんて。

 

 

 ――――仲が悪い…っていうより、こじれてる? 感じ?

 

 

 蜜璃は直感的にそう思ったのだが、それ以上、薫に尋ねるのは控えた。蒼い顔をした薫は、本当に具合が悪そうだったからだ。

 

「薫さん、ちょっと失礼」

 

 蜜璃は急に姿勢を低くすると、あっという間に薫をおんぶしてしまった。

 

「しっかり掴まっててくださいね。あっという間におりますから」

 

 言うや否や、蜜璃は薫の返事を待つことなく、走って山道を降りていく。

 道に突き出た石も軽やかに跳ねて避け、途中の小川も飛び越えて、人を背負っているとは思えぬ早さだ。

 

 薫はますます心が沈んだ。

 

 蜜璃はなんて、強くて優しいのだろう。おまけに薫と違って素直で、とても愛らしい。

 きっと、彼女のような人は誰もに好かれるのだろう。

 自分のように蒼い顔をして、いつも物欲しげにしながら諦めているような女より。

 

 

<つづく>

 




次回は2023.02.04.投稿予定です。
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