【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
鬼狩りの少年に出会った翌日、薫は親族達が来る前に旅支度を整えると、ばぁやのヒサに告げた。
「私は、家を出ます」
「……お嬢様!」
「もう、ここに私の居場所はないから。私は、お母様達の仇をとらなくちゃいけないから」
「仇? お嬢様、危ないことはおよしなさいまし。旦那様も、
あの館の惨殺事件は公には強盗による犯行ということになっていた。警察も何も介入した様子はないのだが、そのように表向きは処理された。
どうやら何処からかそういう作為的な力が働いたようだ。
ヒサはそうした表向きの情報しか知らない。薫が凶悪な強盗犯に向かっていこうとしている、と思ったのだろう。
薫はあまりにも陰惨に過ぎた父母達の最期を、ヒサに話す気にはなれなかった。
父はともかく、母の寧子はヒサにとって、まだ
薫は泣きそうな顔の老女の肩に手を置いた。
「わかってる。……これは、我儘です。お父様にもお母様にも申し訳ないと思うけど、私には森野辺を継ぐことはできない。ごめんなさい。………今まで、ありがとう」
寧子から貰った指輪をヒサに渡し、暇をとらせる旨を告げると、薫は小さな旅行鞄一つを持って家を発った。
行き先は決まっている。信州にいる
川は雪解け水を集めて、水嵩を増している。
鶯の鳴き方もだんだんと上手になって、冬枯れしていた庭木が芽吹きだすと、春も近くなってきたな……と、うつらうつらする早春のある日のこと。
いきなり訪ねてきた旅姿の薫を見て、東洋一は嫌な予感がした。果たして、薫が東洋一に頭を下げて、入門を願い出た時には天を仰いで大きな溜息をついた。
「いかん」
一言。それだけ言って、弟子の一人に薫を藤森の家に送らせた。
しかし翌朝には同じ姿で薫は門前に座っていた。
「入門させていただくまで、ここに居ります」
頑として入門拒否を受け入れない。
「先生、どうするんですか?」
弟子が困ったように尋ねてくる。
「藤森家にも伝えましたけど、迎えが来ても、断ってましたよ。あのお嬢さん」
東洋一は頭を掻いた。
「困ったな……まぁ、夜更けには去るだろう」
いくら春めいてきたとはいえ、まだ日が沈めば寒い季節である。夜となれば冷たさも増し、とても我慢できるものではない。いずれ諦めて帰るだろう……と、楽観していたが。
夕暮れ間近に加寿江が訪ねてきた。
「おぅ、お前さん。よく来た。連れて帰ってくれ、あのお嬢さん」
「それがねぇ、先生。
「したいんだってさ、じゃない。あんなお嬢さんに耐えられるはずもなかろうが。もう弟子も三人おる。まして男所帯だ。無理無理」
「女の育手もいるって云ったんだけど、先生がホラ、この前、鬼をやっつけたでしょう。あの技を身につけたいんだって」
「女にゃ無理」
「じゃあ、そう言いなよ」
「云っておるわ。だが、聞かんのだ」
「だろうねぇ……」
加寿江は嘆息して思案顔になる。
「私も薫子ちゃんがあそこまで頑固だとは思わなかったなぁ……」
お腹を空かせているだろうから、と篤子が持たせた握り飯すら薫は食べなかった。
「願掛けの穀断ちをしているの」
言いながら微笑む薫は、父母を失ったあの日からは考えられぬくらい、いきいきとしていた。
鬼を倒す。そのために東洋一から鬼狩りとなるための技術を教わる。それだけが今の薫にとって生きていく支えなのだ。
それがわかるだけに、加寿江は薫の願いを無下にすることはできない。
しかし、東洋一も東洋一で説得するには骨の折れる相手だった。いつも飄々とのらりくらりしているが、大事なところでは決して相手に言質をとらせることはない。
二人して頭を悩ましたが、結局答えのないままに加寿江が外に出ると、門前にいた薫の姿がない。
諦めて藤森の家に向かったかと思ったが、違った。
右手に罅割れた土鍋を持ち、左手に枝を引き摺ってこちらにやってくる。
「それ、何?」
「風で折れた木の枝を貰ってきたの」
薫は言いながら、ペキペキと小枝を折り出す。「焚き火をしようと思って」
「焚き火?」
「夜になったら、寒くなるでしょう。どうせ今日中に先生が認めてくれるとも思えないし」
「いやいやいやいや。ウチ帰ろうよ。薫子ちゃんの好きな野沢菜の炊き込みご飯あるよ」
「まぁ、美味しそうね。でも、先生にもここに居るって約束しましたから」
「いや、約束っていうか……」
東洋一は引き取って欲しいと言っているのだが。
加寿江が戸惑っている間にも、薫は小さな刀で、手で折れない太い枝を切っていき、土鍋の中へと入れていく。
「ねぇ、薫子ちゃん」
加寿江は真面目くさった顔で呼びかけた。
「先生はさぁ…厳しいよ、たぶん」
「そうですね」
「基本的にはさ、来る者拒まずなんだよ。ただ、女の人が入門してるのは見たことないし、男でもほとんどが三ヶ月もしないうちにやめていくんだ。何やってんのかは知らないけど。それくらい厳しいんだよ。生半可では先生のところでやっていくのは無理だよ」
「だからこそ、です」
ベキリと枝を折りながら、薫はあの日のことを思い起こす。
鬼のあの跳躍力。あの俊敏さ。普通の人間では対処できるわけがない。よほどの鍛錬を積まないと、たとえ日輪刀を持っていても、斬りかかる前にやられてしまうだろう。
それは、東京で出会った鬼狩りの少年の言う通りだ。
―――――刀を持つために修練を重ねた者でなければ、持つことは許されない。
あれから冷静に考えれば考えるほど、自分がひどく幼稚なことを言っていたことに気付く。彼はよく辛抱してくれていたものだ。
教えてもらった元凶の鬼というのを倒すまで、手下の鬼に倒されるわけにはいかない。そんな程度ならば、自分は鬼狩りになる意味がない。であれば、より厳しい修行に耐え、誰よりも強くならねばならない。
東洋一のあの技。すでに引退し、義足でありながら、あの動き。あの速さ。常人ではない。薫がとりあえず目指すのは、あの姿だ。
黙ってひたすら枝を折っていく薫は、両親を失った日と同じ目をしていた。決して赦せぬ者を見つめる、冷たい炎を宿した復讐の目。
途方にくれる加寿江に気付くと、薫はニッコリと笑った。
「大丈夫です」
その笑顔に薫の堅牢な意志を感じて、加寿江は諦めて家路についた。
<つづく>