【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「テメェ、何やってんだ!?」
その姿を月明かりの下で見た途端、実弥は声を荒げた。
驚いたのか、近くの椎の木にとまっていた梟が、バサバサと羽音をならしてどこかに飛んでゆく。
ここは刀鍛冶の里に作られた、怪我をした隊士たちが回復訓練を行うための修練場だった。
陽光山とは別の、鬱蒼とした木々に覆われた山だ。
だが少し開けたこの場所は、枝が打ち払われて、月明かりが差している。
薫は木々の間に消えていく梟の姿を見送ってから、振り返って実弥を見た。
「……修練です」
当然のように言ってから、尋ね返す。「風柱様もですか?」
「馬鹿が…フザけんなよ」
実弥はツカツカと歩み寄ると、薫の持っていた木刀を掴んだ。
薫は取られまいと力を込める。
「離せ」
「嫌です」
「離せっ
「嫌です! そっちこそ離して下さい!!」
怒鳴りあって、しばらく睨み合う。
ブルブルと木刀が小刻みに震えた。
実弥は歯噛みすると、チッと舌打ちして手を離す。
後ろへ二三歩よろけながらも、薫はグッと踏みこたえた。
「何考えてんだァ、テメェ。昼にはあんな真っ青な顔してたクセに…」
「もう、治りました」
「嘘つけ。まだ顔色が悪いだろうが」
「月明かりが白いから…そう見えるだけです」
そう言う薫の顔は、言葉通り白く、透き通ってみえた。
まるでそのまま、月の光の中へ消えてしまいそうなほど、儚い。
「いいから、帰って寝ろ。修練なら、朝にでもやりゃいいだろうが」
その言葉に薫はフッと目線を落とす。
唇を噛みしめて黙っていたが、しばらくして反論した。
「鬼を狩るのは夜なんですから、夜に修練した方がより実戦に近いでしょう」
「……なんだ、そのつまらねぇ言い訳は」
「私は…風柱様や蜜璃さんのように、昼の修練だけでやっていける人とは違うのです。今は任務に携わることもできない。せめて、実戦に近い環境で鍛えておかないと…」
実弥は眉を寄せた。
薫にしては、ずいぶんと卑下した言いようだ。らしくない…。
「お前、何を焦ってる?」
「……え?」
「今は休めと言われたから、ここに来てるんだろう? だったらしっかり休んで、体を治してからだろうが。中途半端なことして、無駄に時間を潰してんじゃねェよ。そんなだから、とっとと鬼殺隊を辞めろっ
薫は固まった。
実弥の言うことは、いちいちもっともだ。なんの反論もできない。ずっと前から、音柱の宇髄天元からも言われている。
それでも、一向に体調が戻らない自分に焦って、成長ができなくとも、せめて今の技量を維持しておきたいと、ジタバタあがいている。
ザアアアァァと、風が鳴る。
強い風が吹くと、雲が動いて月を隠す。
みるみるうちに灰色の雲は重なり合い、星は見えなくなった。
「……関係ないじゃないですか」
凍りついたまま、薫はボソリとつぶやいた。
小さな声は実弥に聞こえなかった。
「なんだとォ?」と聞き返すと、薫がじっとりとした目で見上げ、睨んでくる。
「私が無理をして体調を崩したとしても、風柱様には関係ないでしょう? 倒れたら、それ見たことかと嘲笑っていればいいじゃないですか」
「テメェ…」
実弥は信じられないように薫を見つめた。
今までにも何度も薫には辞めろと言ってきた。そのたびに「否」と言われるのもいつものことではあったが、ここまで嫌味ったらしい反撃をしてきたのは初めてではないだろうか。
実弥は苛立ちを拳に押し籠めた。
「いい加減にしろォ、テメェ。そんな状態で無理に復帰して、鬼狩りができると思ってんのか? 今のお前なんか、簡単に鬼にやられるぞ」
「それが?」
薫は冷たく言った。
「私が鬼に殺されても、風柱様には関係ないでしょう?」
実弥は絶句した。
見開いた目に、無表情な薫が映る。
実弥を見ながら何も映さないでいる瞳は、冷たく、暗く、陰鬱な翳を宿している。
ポツリ、と灰の雲に覆われた空から滴が落ちてきた。
徐々にその水滴は多くなってゆき、大粒の雨となった。
風の唸りと一緒に、ザアアァと雨音が上から降ってくる。
実弥はその雨が自分にだけ降ってくるのかと思った。
全身を冷たく濡らして、じわじわと寒くなっていく。
薫の言葉は、鋭い刃だった。
実弥はあっさり傷ついて、すべてを丸裸にされた。
薫に死んでほしくないから、鬼殺隊を辞めろと言ってきた。
悲しんでほしくないから、関わりを絶ちたかった。
自分には未来なんてないから。一緒にいても、明日を繋げる確証はないから。
こんなに想っていることを、わかってくれない薫に、憎悪にも似た苛立ちが募る。
だが同時に、自分が今までその『想い』を必死に隠してきたということも、わかっていた。
実弥は俯いて、薫の目から逃れた。
「……今日は、もう帰れ。雨も降ってきた…」
「鬼を狩るのに雨なんて関係ありません。むしろ、雨の時は昼でも跋扈するというのに…」
「いいから帰れ!」
実弥が怒鳴ったが、それは悲鳴のようにも聞こえた。
「それ以上、何を鍛えてお前が強くなるっていうんだ?! お前はもう限界だ! だから体が悲鳴をあげてんだろうがァッ!!」
薫は反論の代わりに木刀を振るった。
ビュン、と闇を裂いた剣先は実弥を叩き斬る勢いだったが、実弥が反射的に腕で防御すると、木刀はあっさり砕けた。
ささくれだった木の破片で腕が切れ、血が流れた。
薫が我に返ったように、強張った顔になる。
「……あ……」
持っていた柄だけの木刀がボトリと落ちた。
震える手が何かを掴もうとする。しかし、虚空をむなしく掻いて、よろめくと薫はその場に崩折れた。
「もう……私には……無理だと言うんですか?」
薫は俯いたまま問うた。
ややあって実弥が短く、はっきりと答える。「ああ」
ザリッと、薫は雨に濡れた地面を掴んだ。
「じゃあ…私は、どうすればいいんですか?」
「…………」
いつも顔を合わせれば言っていたのに、肝心なときにその文句は出てこない。
実弥はギリッと奥歯を噛み締めた。
黙っている実弥に、薫が叫んだ。
「鬼殺隊を辞めて、どこに行けと言うんです!? また、私の居場所を奪うんですか!?」
必死なその眼差しを、実弥は受け止めきれずに、また目を逸らす。
「………お前だったら、鬼殺隊を辞めたって、どこででもやってけるだろうが…」
「どこででも? 簡単に言うんですね。私を突き放す人はみんな、簡単に言う。私がその場所にいるために、どれほど必死になって生きてきたかなんて、知ろうともしない…!」
薫は今までこらえてきたものが、一気に吹き出したようにまくし立てた。
「あなたに何がわかるんですか! ずっと、ずっと一人で生きていくしかない者の気持ちなんて。あなたにとっては大したことのない日常であっても、私はそこで生きるために必死なんです。誰かに必要とされるために、必死になるしかなかった!」
母を失って天涯孤独となった幼い頃から、今までの日々が脳裏を駆け巡る。
北国の冷たい川で
みすぼらしい孤児に文字を教えてくれた優しい人は消え、懸命に働いて認められたかと思えば、森野辺の養女として引き取られ、新たな父母に気に入られるために勉強して、ようやく心が通じ合えたと思ったら、鬼によって彼らは殺され、薫は再び一人になった。
孤独。
それは絶えず薫につきまとった。
ぽっかり空いた穴は、覗き込んだらどこまでも暗く何も見えない…。
虚ろな表情で薫はつぶやいた。
「あなたは…私の努力が無駄だと、言うんですね……」
「そうじゃねぇ……薫」
名前を呼ばれると、薫はビシャリと掴んだ土を実弥に向かって投げつけた。
「どうして…」
震える声でつぶやきながら、薫は胸を押さえた。
ひどく胸が痛い。
苦しい。
実弥は薫の息遣いが荒くなったことに気づき、しゃがみこんで、少しためらいつつ肩を掴んだ。
「おい、大丈夫か?」
薫は必死で呼吸を行おうとしていた。だがどうしてもうまくできない。
徐々に焦りが募ってくる。
すがるように、実弥の着物を掴んだ。
「どうして……言ってくれなかった…の…」
か細い声が雨音に混じって訴える。
実弥は聞き返した。「なに?」
「
切れ切れにつぶやいて、涙が一筋、頬を伝って落ちる。
実弥の着物を掴む手が力を失い、泣きぬれた瞳が閉じた。
実弥は凝然として何も言えなかった。
あのとき ―――― が、いつを指すのかは、もはや二人の間で言葉にする必要もない。
気を失った薫を抱えたまま、実弥はしばらく動けなかった。
最初から…間違っていたのは、自分だった。
ずっと前から、薫の心は孤独で寂しいのだとわかっていたはずなのに、求めてきた手を振り払って拒んだのは実弥自身だ。
乱暴に薫を引き止めておいて、突き放した。
――――― 救いがたい…。
実弥は自分を呪いたくなった。
どこまで自分は傲慢なのだろうか。
我ながら、馬鹿すぎる。
これで薫のためだなんて…どの口がほざくのだ。
ずっと自分のことしか考えていなかった。
薫の気持ちなど、考えることもなかった。
理解されなくてもいいのだと自分に酔って、相手のことなど何一つ、理解しようともしていなかった。
実弥は雨に濡れた薫の白い顔を見つめた。
ずっと見ていると、まるで死人のように思える。
急に不安になって、そっと口の先に手のひらをかざす。かすかな息の気配を感じて、ホッと胸をなでおろすと、そのまま薫を抱き上げた。
「………ごめん」
短くつぶやいた言葉は、雨の中に消えていった。
<つづく>
すみません。
しばらく本編休止し、その間『椿の涙-鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母の帖』の連載を再開します。
今後の物語に多少関わる予定ですので、よろしければご覧下さい。