【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「薫、悪いが、
繕い物をしていたが、針を針山にさして手早く片付ける。
「すぐに準備します」
勝母と反対方向に小走りに向かい、薬を作る部屋に入る。
人気のない部屋の中は、凍えそうに寒かった。
ストウブに火をつけて、薫は薬の瓶から手慣れた様子で分量を量っていく。ストウブの暖気が部屋を暖めるまで、薫は何度もかじかむ手を擦った。
ハァ、と息で指先を温めて、チラリと窓の外を見つめた。
雪は降っていないが、陰鬱な空だった。いまにも雨が降り出しそうだ…と思っていたら、降ってきた。
この天気であれば、鬼も動いているだろう。
冬が近づくほどに、薄曇りの日が多くなって、夜にだけ跳梁跋扈する鬼が昼日中でも歩き回る。しばらくは鬼殺隊にとっては忙しい日が続く。
それでも薫はまだ、復帰できていなかった。
刀鍛冶の里を逃げるように去ってから、今、薫は吉野の
あの後、気を失った自分がどうやって帰ってきたのかわからない。
翌朝になって宿舎の布団の上で目が覚めたということは、実弥が修練場から運んでくれたのであろう。
蜜璃はちょうど鉄珍に呼ばれたとかで不在で、薫は申し訳なく思いながらも、簡単な書き置きをした後で、即座に里を出た。
とにかく実弥に会いたくなかった。
自分が何を言ったのか、おぼろげに覚えていることを思い出しても、彼に対して八つ当たりであったのは間違いない。
多くの人が実弥のことを天の邪鬼だと言い、薫もそうだと思うが、最終的に彼が優しい人であることは知っている。
だからこそ甘えてしまった。
自分の不安や焦燥を彼にぶつけて、当たり散らして……みっともないこと、この上もない。
謝るべきだとわかっていたが、会いたくなかった。
今の自分はあまりにも弱い。弱くて惨めで情けない。
風柱として極悪な鬼と対峙しながら、なお強くあり続ける彼には及びもつかない。
また彼に会えば、自分はきっと嫉妬する。同時に彼の優しさにすがって、また怒鳴り散らすのだ……。
刀鍛冶の里を出ても、まだ体調が良くなったとはいえない状況で、
しばらく考えた後、薫は久しぶりに吉野の那霧勝母を訪ねることにした。
「あんた…なんて顔色だい!」
会うなり勝母は叱りつけるように言って、心配そうに薫の両頬をさすった。
「なんだって、こんなひどい顔色してんだろうね。まともに食べてないんじゃないのかい?」
そう言って、薫が改良した臓物煮込みを早速食べさせられた。しかし不思議とその日は食欲が戻って、久しぶりにきれいに平らげた。
薫は自分の体調について勝母にも相談し、勝母も詳細に調べてはくれたものの、結果はやはり判然としなかった。
「ま、いいじゃないか。あんた、ずーっと働き詰めで、疲れが溜まってたんだよ。ここで養生しながら、私や
「律歌さんが、東京に?」
「あぁ。どうやら無惨をはじめとして十二鬼月は、ほぼ関東一円を根城にしているようだね。あちらでの被害が多くなってきている。隊士の動員も、今や三分の二近くがあちらに振り分けられているよ。そのせいで、救護者を手当するのも蝶屋敷だけだとおっつかないようでね」
勝母の言葉通り、薫と再会して三日後には律歌は東京へと旅立ってしまった。
薫は勝母の手伝いをしながら、時々、翔太郎と一緒に復帰にむけた回復訓練をして過ごしている。
◆◆◆
「いやー、薫さんと一緒に修行なんてホント久しぶりだなー」
楽しそうな翔太郎の傍らには、いつも仏頂面の
勝母の弟子である彼女は、翔太郎とずっと一緒に訓練してきて、すっかり気心の知れた仲なのだろう。何かというとすぐに口喧嘩を始める。
「しゃべってばっかいないで、ちゃんと修行をしなさいよ」
「やってんだろ! いちいちうるさいな。だいたいなんでお前までいるんだよ!」
「私は勝母先生の弟子なのよ! ここで稽古して何が悪いのよ! むしろ、アンタが居座っているんじゃないの! ちょっとは遠慮しなさいよ!」
「なーにが居座って…だ。お前だって似たようなモンじゃねぇか。今年の最終選別にも行かせてもらえなかったくせに!」
その指摘は八重にはきついものだったようだ。強張った顔になって、黙り込む。唇を噛み締めて、拳を震わせた。
「翔太郎くん、そんなふうに言うものではないわ」
薫は少し強い語気で言った。「最終選別へ行くのかどうかは、育手の裁量によるものよ」
「だから、その育手にまだまだだ、って言われてるってことじゃないですか」
「……早く行ければいいというものじゃないわ。呼吸の技をきちんと身につければ、勝母さんだって許可をだすでしょう」
「つまり、まだまだってことだ」
翔太郎が嫌味たらしい口調で言うと、八重はとうとうその場から走り去った。一瞬、薫の方をジロリと睨むように見た目に、涙が光っていた。
「……翔太郎くん」
薫はあきれ半分、怒り半分で声をかける。翔太郎は気まずそうに目をそらして、ぶつぶつと言い訳がましくつぶやく。
「だって…フツーさぁ…普通、一年くらい修行してれば、最終選別に行くぐらいはさせてもらえるんじゃないの? まして、あの勝母さんの下で、あれだけ厳しい修行してて、行けないってさぁ…」
「あら、じゃあ翔太郎くんは一年ほどの修行で行けたの?」
「そりゃあ、そうですよ。っていうか、俺の師匠は一年で行けないんだったら、諦めろっていう人だったし」
「まぁ…厳しいのね。私が翔太郎くんと同門だったら、きっと破門されていたでしょうね。私は一年半以上かかったもの」
「え?」
「人それぞれよ。育手の考え方も。同じ呼吸ですら違うのだから、花の呼吸を習得しようとしている八重ちゃんと、翔太郎くんとでは違っていて当たり前ではなくて?」
翔太郎は形勢不利となるや、途端にしょぼくれた。
薫は笑って、翔太郎の肩をポンと叩く。
「あとで、ちゃんと謝りなさいね。言い過ぎた…って」
「…………はい」
そのあとは翔太郎と簡単な打ち稽古をしてから、薫は以前に足繁く通った滝の方へと向かった。
全集中の呼吸・常中を身につけるために、何度もこの道を往復した。
夏の強い日差しと、鬱蒼とした木々の作り出す木陰の影の濃さと対照的に、冬の日は弱く、うっすらと雪の積もった木々は葉を落としてうら寂しい。
この道を登っていると、胡蝶カナエのことが思い出された。
美しく、気高く、誰より強い。
そのくせお茶目で、ときどき
今でも時々、この坂道を登りながら薫は錯覚しそうになる。
あの滝壺の縁の岩の上に胡蝶カナエがいて、現れた薫に親しげな笑顔を向けて、手を振ってくれるのではないのか…と。
しかし薫が滝壺の見える場所まで来ると、そこにいたのは胡蝶カナエではなく、星田八重だった。
◆◆◆
「あ、八重ちゃん」
薫が声をかけると、八重は素早く振り返り、ギッと睨みつけてくる。
「
薫は翔太郎と同じように名前で呼んでくれていいと言ったのだが、八重は頑なに薫を『森野辺さん』と呼んだ。単に目上だからと気を遣っているというのではなく、八重はどこか堅苦しく、薫に他人行儀だった。
「なんですか? ここで修行されるんですか?」
思っていたよりも険のある八重の口ぶりに、薫は少し面食らった。
「あ…えっと…」
すぐに返事できないでいると、八重は眉根を寄せたまま軽くため息をついて、岩場から降りた。
「……ほんと…
薫の横を通り過ぎざま、ボソリとつぶやく。
あえて聞こえるように言っていた。
「八重ちゃん、あの…」
薫は振り返って、八重の肩を掴んだ。
すぐに八重は苛立たしげに腕を振って、肩に乗せられた手を払った。
「やめてもらえます?! 私、あなたに八重ちゃんとか呼ばれたくないんですけど!」
薫は払われた手を握りしめながら、八重をじっと見つめた。
「……ずっと言いたかったのは、それ?」
八重ははっきりと薫を睨みつけてしばらく黙っていた。
薫は八重の反抗的な態度の理由がわからず問いかけた。
「私、なにかしたのかしら? もし、何か気に障ること…」
「そういうところよ!」
八重は苛立たしげに薫の言葉を遮った。気を落ち着かせるようにふぅと息を吐き、腕を組んで、冷たく薫を見据えた。
「苦労してきたかしらないけど、所詮は華族のお嬢様なんでしょ。あなたになんか、その日食べるのにだって苦労して、生きてきた人間の気持ちなんてわかるわけない。いかにも情け深い顔して、上辺の優しさで声かけてこないでよ」
薫は思いもよらないことを言われて、目をパチパチとしばたかせた。
何も言わない薫に、八重はそれまで溜め込んでいた不満をぶちまける。
「他人からすれば、あなたはさぞ優しい人に見えるんでしょうけど、実際のところ、あなたがやってることは、私の邪魔ばっかりよ。今だって、私がここでやってるのに、わざわざやって来て……こんな状況、私が譲るしかないじゃないの」
「譲らなくてもいいわ。私は他の場所に行くから」
「そんなことを言われて、私が『はい。有難うございます』って、素直に従えると思うの? そんなことをすれば、翔太郎から後になって言われるのよ。どうしてあなたに譲らなかったんだ? って!」
「そんなこと…じゃあ、翔太郎くんには私の方から言っておくわ」
フン、と八重は鼻をならして嘲笑った。
「『わたしが
嫌悪も露わな八重の言葉に、薫は心底困惑した。
何をどう言っても、八重にはねじれて聞こえてしまうようだ。
どう弁解すればいいのか考えあぐねていると、のんびりとした声が割って入ってきた。
「まぁ、まぁ…黙って聞いとったら、たいそうなことをお言いやなぁ」
薫も八重も声のした方を振り返る。
「アコさん!」
薫は驚いた。
去年まで主に関西方面で仕事をしていたときに、たびたび共同任務に行っていた
薫の任地が東京方面に移ってからも、互いに手紙のやり取りなどをして、頻繁に連絡はとっていたものの、こうして会うのは久しぶりだ。
秋子は坂道を登ってきて、ふぅと一息ついてから、薫に手をあげた。
「お久しぶりやねー、薫ちゃん。なんや、またべっぴんさんにならはって」
「アコさんこそ、とっても大人っぽくなって」
以前はおさげ髪に丸眼鏡という姿だったのが、いつの間にか耳下でばっさり髪を切っている。
「いやぁ、鬼に掴まれることがあってん。そン時にバッサリ切ったついでに、もー切っとこー思て」
「いいじゃないですか、お似合いです!」
薫がニコニコ笑っていうと、背後で八重がボソリと吐き捨てるように言う。
「しらじらしい」
薫は振り向くと、さすがに非難をこめた眼差しで八重を見つめた。
せっかくの旧友との再会までも水を差すような嫌味な言い方だった。
「どういう意味です? 八重さん」
『八重ちゃん』と呼ばれるのが嫌だということはわかったので、薫は
腕を組んで秋子と薫を交互に見てから、ふんと鼻を鳴らした。
「自分が美人だってわかってて言ってるんでしょ。自分の方が上だって思ってるくせに」
あまりに悪意に満ちた八重の言葉に、薫はもはや呆気にとられた。
呆然となった薫の隣で、秋子がジロリと八重を睨んだ。かと思うと、ハアァーっとわざとらしいほどに大仰なため息をもらす。
「ホンマになぁ、妬まれるほどの美人やのぉて良かったわ。
「なっ! 私は羨んでなんかいないわ!!」
カッとなって怒鳴る八重に、秋子は平然とうそぶいた。
「へぇ? ウチは何もアンタやとは一言もいうてへんで。たいがいこういうこと言われて、怒り出すんは、脛に傷を持つ人やから、まぁ、自分でそない思うんやったら、せいぜい反省して、礼儀いうんをも少し勉強しはった方がえぇんと
八重は自分よりも背の低い秋子を内心で馬鹿にしていた。しかし、思ったよりも口が達者で、下から睨め上げてくる冷たい目に思わずたじろぐ。
秋子は隙を見せた八重に容赦なく、一歩詰め寄った。
「さっきから聞いとったら、ホンマあんた不幸やな。自分で言えば言うほど情けのぉなっていっとるんと違ぅの? それともなんや? 惨めで哀れっぽいこと言うて、可哀相に…って、同情されたいん?」
「………なにを…」
八重はあからさまな秋子の皮肉に、ワナワナと身を震わせた。
目に涙が浮かぶ。
「自分で自分の言うたこと、よぅよぅ思い返してみぃ。それで反省できたら、アンタにもまだ幸せになる道が残されとるわ。あとは自分でどれだけ頑張るか、や」
冷たく突き放すように秋子が言うと、八重はギリと唇を噛み締めて、その場から走り去った。
薫は声をかける間もなく去った八重の後ろ姿を心配そうに見送った。
「………ホンマに、薫ちゃんは相変わらずやなぁ」
秋子が隣で呆れたように言った。
薫は振り向いて、さびしそうな笑みを浮かべた。
「正直、あそこまで嫌われると思ってなくて…ちょっと驚いて」
「驚く、て。怒りぃや。アレ、めっちゃ八つ当たりやん」
「そうなんですか?」
秋子はため息をついて首を振った。
八重の去った方角を見てから、薫に向き直る。
「なんや心配やわぁ。薫ちゃん、ああいうのに弱いやんか。わかっとる? 理不尽なこと言うてんのはあっちやで。薫ちゃんが申し訳ない顔する必要ないんやから」
「申し訳ないとは思わないけど……色々と大変な思いはしているんだろうから…」
多くの鬼殺隊士と同じように、八重もまた、たった一人の親族だった母親を鬼に殺され、勝母の元にやって来た。
肉親を失った喪失感も癒えないまま、必死に鬼狩りとしての修練をする日々の中で、なかなか上達しない己への不安や焦燥は薫にも理解できる。
しかし秋子はビシリと言った。
「あかん、あかん。そんなんは」
厳しい秋子の表情に、薫は何も言えなくて口を噤む。
「えぇか、薫ちゃん。世の中には、自分の不幸に
秋子の言うことは確かにもっともなことかもしれなかったが、薫は逡巡した。
その不幸は八重が望んで作り出したものではない。被害者である彼女に、自らの心の弱さまで克服しろと、強要できるだろうか。……
秋子は返事をしない薫に、少しバツ悪そうに肩をすくめた。
「正直なとこウチもな、これまでに何回か言われたことあんねん。『親も殺されたことのない奴に、なにがわかんねん』て。そら、わからん。ウチは家族を養うために入った、
秋子はやわらかい口調で言いながらも、その眼鏡の奥の目には強靭な光を宿していた。
覚悟をもった瞳だった。
そうだ、この覚悟だ。
どんな事情であれ、鬼殺隊士である以上、己の不幸に振り回されて嘆いているようでは、鬼と対峙することはできない。
自分もまた、ここで、この場でカナエに言われたではないか。
――――― 認めなさい。自分の弱さも、醜さも。全て認めて、前に進みなさい
カナエは強かった。
それは柱として、単純に技量があったというだけではない。
自分の迷いも弱さも見つめて、心が挫けそうになりながらも、燃え尽きることのなかった、鬼を滅殺するのだという強い
鬼殺隊士としての覚悟。
それを持てない人間は、鬼狩りという命の狭間で生きていくことなどできないのだと、薫に教えてくれた。
そこに生半可な同情はなかった。
薫は軽くため息をつき、秋子に言った。
「すみません、アコさん。私も、少し気が弱くなっていたみたいです。ここのところ、体調が思わしくなくて、焦って……少し、自分を見失ってました」
秋子はハハッと笑って、薫の背をポンと叩いた。
「えぇやん、えぇやん。そうやって自分の弱いところを、打って、打たれて、鍛えていくしかないんや、ウチらは。隊士になってからも、修行や」
「……そうですね」
薫は秋子の言葉に頷いて微笑んだ。
今の自分が、カナエのように八重を教え導くことなどできるのかわからなかったが、それでも彼女に迷いがあるのなら、できるだけ受け止めてあげよう。
たった一人で抱えていたら、重くなっていくだけだから。
◆◆◆
秋子は怪我した隊士の付き添いで来たらしく、その日のうちに帰っていった。
帰る間際に思わぬ情報を教えてくれた。
「そうそう、そういえば。
秋子が唐突にその名前を出してきて、薫は驚いた。すぐに頷く。
笠沼は薫にとって初めて共同で任務にあたった、
その任務が終われば、佐奈恵は隊士を辞めて隠となり、笠沼と結婚する予定だった。だが佐奈恵は鬼に殺され、笠沼は佐奈恵を失った悲しみから、薫に恨み言を吐いて、そのまま行方知れずとなってしまった。
「あの人な、今、隠やっとんねん」
「え!?」
「いつの間にか戻ってきとってなぁ。最初、ウチも知らんかったんやけど、
「あ……」
なんとなくその姿は想像できた。
隣で升田がとりなすさままで思い浮かぶ。
「せやけど、色々、反省しとったし……ま、ようやく自分でもケリつけたんやろ。そのうち薫ちゃんにも謝りたいーて、言うとったしな。元の、佐奈恵さんといた頃の優しい顔に戻っとったわ」
「そうですか……よかった」
薫はホッとして微笑んだ。
ずっと一緒にいた幼馴染であり、恋人だった佐奈恵を思い、笠沼がまだ暗澹とした気持ちをかかえて放浪しているのではないかと思っていたが、彼は彼なりに時間をかけて己の心に向き合ったのだろう。
「ま、そうやって時間かけて戻ってくる人もおる。あの子も、ちょっとずつでもわかってくるやろ。あんまり気にしすぎんようにし」
秋子は励ますように薫の肩をぽんと叩くと、手を振って去っていった。
<つづく>
次回は2023.04.01.更新予定です。