【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「どうやら、
薫は隣でその葉を鍋で煮ていたが、返答に困って黙り込んだ。
「あんたが悪く思うことじゃないさ。実際、あの子には覚悟が足りない」
「覚悟…」
「まだあの子は、母親を鬼に殺された日で止まったままなんだ。鬼への恐怖と、母親を失った悲しみの中で、自分を哀れむことしかできないでいる」
勝母の言葉はその通りかもしれなかったが、薫は容易に頷けなかった。誰しも、恐怖に足がすくみ、身内を殺されたことを嘆くのは、当然のことではないだろうか。
「冷たいかもしれないが、そこを乗り越えないと隊士になるなんぞ到底無理な話だ。自分を哀れむ暇があるなら、ひたすらに鍛錬するしかない。恐怖しながらでも、勝手に体が動くほどに鍛錬を積まなけりゃならないんだ」
話しながら、勝母の手はブチッブチッと止まることなく葉をちぎっていく。赤い葉の汁が指先を紫色に染めていた。
「でも、あの子は基礎訓練で手を抜いている。当人はうまく誤魔化しているつもりだろうが、こちらも
勝母の言葉に、薫はさっと目を伏せた。
まだ鬼殺隊士になることすらも考えていなかった頃、深夜の河原で出会った鬼殺隊士の青年に刀をねだった自分が恥ずかしい。確かに、あの頃の自分も日輪刀さえあれば、鬼を殺せるのだと安易に考えていた。
「どうしたんだい?」
勝母は気まずそうな薫に首をかしげ尋ねた。「申し訳無さそうな顔して」
「いえ…耳が痛くて」
「はぁ?」
「昔、まだ鬼殺隊のことなんかもよくわかっていなかった頃、私も同じようなことを考えたことがあったんです。たまたま出会った鬼殺隊士の方に、日輪刀をくれないかと無理なことを頼んだりして……」
勝母は驚いたようにあんぐり口を開いた後、大笑いした。
「ハッハッハッ! そりゃあ、その隊士も随分と驚いたことだろうねぇ!」
「いつか会えたら謝りたいとは思っているんですが、なかなか機会がなくて。生きておられるといいんですが…」
「名前は聞いてないのかい?」
「はい。青い刀だったので、水の呼吸の方じゃないかと思うんですが…」
「水の呼吸は多いからねぇ。太刀筋なんかは覚えてないのかい? 今のアンタから見たところ、どうだい? 生きてる可能性はありそうだったかい?」
「そうですね……」
薫は記憶を辿って、あの時、自分と子供を救ってくれた少年の立ち回りを思い出す。
凄まじい勢いで近づいてきた影。
なんらの躊躇もなく薫の頭の上を跳躍したと思った刹那、響いた鬼の断末魔の悲鳴。
まさに一刀両断。
鮮やかで、無駄のない剣捌きだった。
「かなりの遣い手だと思います。呼吸の型を繰り出すこともなく、鬼を倒していましたから」
そう。そうして鬼を斬ったあとも、平然としたものだった。走ってきたはずなのに、息切れ一つしていなかった。
うっすらとつむった薫の瞼の裏に、風にはためく羽織が見えた。
「あ、そういえば。
「弁柄色と亀甲柄の、片身替わりの羽織…?」
勝母はしばらく考えて、該当しそうな人物を一人思い出した。
フフッと笑みがもれる。
「ご存知なんですか?」
「いや。それらしいのがいるにはいたと思うがね…そいつなんだかどうかはわからない。ま、私の考えている奴なら、そう簡単に殺られることもないだろうから、そのうち会えるだろうよ」
薫は少々残念だったが、勝母がそう言うのであればいずれ会うこともあるのだろうと、あえてそれ以上詮索することは控えた。
勝母はむしった葉を、薫のかき混ぜる鍋の中に放り込みながら、感慨深そうにつぶやく。
「そんな無知なお嬢さんも乙とはね。時間は過ぎるもんだよ」
「………乙になったのは、半分は音柱様のお陰のようなものです。その後はずっと体を壊して、ろくに働くこともできないでいますし……申し訳ないです」
「ハハッ! 階級が上がって、しばらく療養するなんてのは、ザラにあることさ。あんた、これまでがトントン拍子だったから、今、足踏みしてるように思えるかもしれないが、普通はみんな今のアンタみたいにえっちらおっちら療養して怪我を治しながら、どうにかこうにか上にあがってくもんだ」
「……そうでしょうか?」
「そうだとも。いけないねぇ。アンタの近いところにいる人間が尋常じゃないから、焦っちまってるんだね?」
薫の脳裏に実弥を筆頭にして、カナエや
考えてみれば、彼らは皆、図抜けていた。彼らがいわゆる普通の規格からズレているのはわかっているのに、どうしても引き比べて落ち込む自分に嫌気がさす。
黙って考え込んでいる薫をあきれたように見ながら、勝母は三好秋子のことを思い出した。
「そういや、アコだったかね。あの子も何度か怪我してはその度に療養しちゃいるが、それでも長く隊士をやっているせいか、最初に比べると随分と気力が追いついてきたよ」
勝母がまた洗った薬草の葉をむしりながら話す。
「
「あぁ。気迫、覚悟、自信…。どれか一つに偏ることもなく、自らの力を信じてやっていく気持ち、とでも言えばいいのかねぇ。うまく言えないが、まぁ、技術的な部分に精神面が追いついてきた、ってことさ。ブレない心は強い剣を生む。階級としてはまだまだかもしれないが、若手の指南役としては随分、重宝されているようだよ。将来的には育手になってもいいかもしれないね、あの子は」
「育手…」
薫は鍋の中でぐるぐる回る草を見つめながら、ふと匡近のことを思い出した。
――――― 薫も一緒にやらないか?
あの日、彼の言葉に頷いていたら、今頃自分はもっと気楽でいられたのだろうか。
急にボンヤリと黙り込んだ薫を、勝母はチラリと見た。
まただ。こちらに来てから時折、薫はこんなふうにボンヤリと何か考えている。
なかなか自分の体が本調子にならないことに思い悩んでいるのもあるのだろうが、それ以外のことがあるような気がしてならない。
というのも、最近になって急に大人びた顔を見せるからだ。まぁ、言っても薫もこの年で十九歳になるのだから、大人なのだし当然といえば当然なのだが。
「どうしたんだい? なにか考えてんのかい?」
軽い調子で問いかけると、薫はハッとして「いえ」と、止まっていた菜箸を再び回し始める。
「顔色は悪くないようだが…気分が良くないなら、無理しなくていいんだよ」
「いえ。それは大丈夫です。こちらに来てから、本当にとても良くなっているので…」
その言葉は事実だった。
休養で訪れた刀鍛冶の里では、良くなるどころか、毎朝嘔吐感と頭痛に苦しめられ、食欲も落ちていたのが、吉野に戻ってからは普通に食事も摂れるようになっている。理由はよくわからないが、いわゆる水が合うというものなのだろうか。
「そりゃ良かった」
勝母はにっこり笑ってから、今度はじっと薫を見つめる。
「体調も悪くないっていうのに、浮かない顔だね。今もボンヤリしちまって……なんだい? ようやっと好きな男でもできたかい?」
「………まさか」
薫は勝母の軽口に、ふっと歪んだ顔になった。
その悲しげな、泣きそうな表情に、勝母は少し驚いた。
いつもの薫なら、真っ赤になって否定し、それを
薫はしばらく黙ったまま、菜箸を動かして薬草をかき混ぜていたが、小さくつぶやくように言った。
「匡近さんに…一緒に育手にならないかと誘われたことがあったんです」
「へえっ?」
勝母は今度は完全に驚いた。
脳裏に人の良さそうな微笑を浮かべた粂野匡近の姿が思い浮かぶ。
「おや、まぁ。なんだかんだと、あの男も言うときには言うもんだねぇ!」
かつて自分がけしかけたこともあったのだが、そのことは勝母はすっかり忘れていた。
面白そうに笑う勝母に、薫が問いかけた。
「やっぱり、
「まぁ、そりゃそうだろうよ。っていうか、それ以外どう思うんだね?」
勝母が当たり前のように言うと、薫は俯いた。
「私、言われたときにはよくわからなかったんです。自分が鬼殺隊を辞めるなんて、考えることもできなくて。まだまだ自分の中で、鬼狩りとして十分に働いたとも言えないのに」
「アンタ……」
勝母は沈んだ薫の顔をまじまじ見つめたあとで、フフッと笑った。
「それで粂野に対して申し訳ないと思ってるのかい? ちゃんと
「振るなんて……私は、匡近さんのことも好きでしたし…ただ、一緒に育手になるとか、そういうことが、言われたときには考えられなくて」
「なるほどねぇ」
勝母は頷きながら、薫が無意識に言葉に混ぜた煩悶の正体に気付いたが、あえてそのことについては言及を避けた。
また草の葉をブチブチと取りながら、勝母は断定する。
「悪いが、アンタにゃ育手は無理だね、薫」
薫は意外そうに勝母を見た。
今まで、道場でも同輩や後輩の修練に付き合う中で、きっといつか育手となったときには、優秀な弟子を養成できるだろうと皆から言われてきた。
人にものを教えるということは、時に難しくもあったが、工夫を重ねて当人が成長することは嬉しかったし、自分もまた共に成長できる面もあるので、少しは自信の持てる分野ではあったのだが。
しかし勝母は自らが育手としてやっていく中で、いわゆる技術を指導する育成者としての才能と、弟子を育てて隊士となるべく送り出す育手としての才能は別物である、と痛感していた。
久々に昔のことが思い出される。
「昔、アンタの師匠が…
――――― そんな感傷は、欺瞞だ…
――――― 鬼殺しという死地に弟子を送る…そういう矛盾を飲み込んで育手は弟子を仕込むんだ…
――――― 私らは、代々の育手達が継いできた意志を、連綿と続いてきた負託を受け止める義務があるんだ……
「……キツイ言葉だったろうね。だが、最終的に東洋一は育手を続けた。あの男なりに覚悟が定まったんだろう」
勝母の話を聞きながら、薫は金木犀の下にある墓の前で佇む東洋一の姿を思い出した。
不意に東洋一の声が聞こえる。
――――― すまんなぁ…儂は、育手としては未熟者だ
寂しそうに言っていたのはいつのことだったろう?
薫がまだ最終選別に行く前だ。
きっと勝母に発破かけられても、東洋一はずっと悩み続けていたのだろう。
それでも自分に課せられた
自分に同じことができるだろうか? 自分の育てた、まだ子供のような彼らを、いつ殺されてもおかしくない
その答えを、勝母は既にわかっていたようだ。
「アンタにゃ無理だ。アンタは優しい。とても優しいし、育手としての責任感も強いだろうから、きっと必死で耐えるよ。でも送り出した弟子が何人も死んでいくごとに、あんたの心も少しずつ死んでいく。最終的には自ら死を選ぶかもしれない。そんな奴は育手になっちゃいけない」
薫は愕然とし、沈黙を呑み込んだ。
優しい、という勝母の言葉が、そのまま自分の未熟を
勝母は最後の葉をブチリととると、山盛りになっていた葉を鍋にぶちこんだ。
呆然と固まっている薫から菜箸を取り上げて、ぐるぐる混ぜながら淡々と話す。
「私が昔、アンタは私の若い頃に似ていると言ったのを覚えているかい?」
「………いえ」
「大昔の私は一人で平気だったんだ。一人でも十分に強かった。伊達に十三で柱になったわけじゃないんでね。自分は強いと思っていたし、誰もが認めた。認めさせたよ、有無を言わさず。その強さは血反吐を吐くぐらいの修練で得たものだったから、私にとっては絶対的なものだった」
勝母はそこまで言ってから、しばらくの間、鍋を見つめていた。黒くグツグツと煮立っている中に、過去の己を探しているのだろうか。
「私には強くならなければならない理由があった。カナエや律歌からも聞いたろうが、私の父は鬼殺隊を裏切って鬼になった。私の祖母を殺し、母と弟を喰ったんだ…私の目の前で。その時から私にとって父を殺し復讐を果たすことこそが、すべての目標になった。だから、その目標が叶ったとき ―――― 父をこの手で殺したときに、私は強くなる理由を失った。花の呼吸の終ノ型を使ったせいで、右目の視力は完全に失われたし、いっときは両目とも見えない状態だったんだ。正直、鬼殺隊を辞めるつもりだった…」
薫は聞きながら胸が痛くなった。
淡々と語るほどに、いままで生きて、今こうして穏やかな笑みを浮かべるに至った勝母の、その凄絶な境遇に沈黙するしかない。
この話はかつて東洋一にも聞いたことがあった。
東洋一はきっと
父を殺した勝母が、生きる希望も、意味も、己すらも失くしてしまうことがわかっていたから。
勝母は痛ましい顔を伏せている薫を見て、フッと笑った。
「ところが具合の悪いことにねぇ…その時は、柱が何人もくたばっちまって。お館様もまだ幼くていらしたし、私もやる気がなくなったんで辞めます…ってなワケにはいかなかったのさ。それでも、きっと一人だったら、私は再び立ち上がることなんて、できなかった…」
「一人じゃ、なかったんですね」
薫がホッとしたように言うと、勝母は少し照れたような、むず痒そうな顔になる。
「酔狂な奴がいたんだよ」
「それが、旦那様だったんですか?」
「あぁ…やめやめ! 年寄りになんの話をさせてんだい、アンタは」
勝母は急に恥ずかしくなったのか、大声で無理やり話を打ち切った。
薫はあえて大げさに溜息をついてみせる。
「残念です。もうちょっと詳しく伺いたかったのに。先生も勝母さんの旦那さんのことは、一目置いていらっしゃったみたいだし」
「へぇっ? 東洋一が? 何を余計なこと言ったんだい、あの男」
「勝母さんの旦那さんが、勝母さんにとって、とても大事な存在だった…って」
「ば…っ」
勝母は言おうとしていた文句を呑み込んだようだ。いつになく顔が真っ赤だった。
どうやら東洋一の言葉は間違ってなかったらしい。きっと勝母にとって、亡くなった夫は一番つらいときに支えてくれた人であったのだろう。それは今も、ずっと。
「やれやれ。もういい、もういい。ホレ、ザルと新しい鍋をここに置いとくれ。濾すよ」
薫はクスクス笑った。
今日の勝母は少しだけ、少女の頃に戻ったかのように初々しくて、可愛らしかった。
◆◆◆
その夜、修練を終えて自室に戻ろうとする薫と鉢合わせた八重は、ギョッとして立ち竦んだ。
「あら? こんな遅くにどこかに行くの?」
「……森野辺さんこそ、こんな遅くまで何を…?」
八重の声音は固かった。振り返りもせず、ジロリと睨む目には、まだ薫への嫌悪があるようだった。
「私はいつも通り、回復訓練よ。昼にできなかった分を、やっておきたかったから」
「それって、私のせいだって言いたいんですか?」
苛立たしげに問いかける八重に、薫はさすがに厳しい顔になった。
「八重…さん。どうしてそんなふうに考えるの? 私はそんなことは言ってもいないし、勿論、思ってもないわ。昼過ぎから勝母さんのお手伝いをしていたから、時間がとれなかっただけよ」
理路整然とした反論に、八重は黙り込んだ。怒りをこらえた肩が震えている。
薫は一息ついてから、静かに八重を見つめ返した。
彼女の苦境は理解しているつもりだった。だが、八重にとっては薫に理解してもらうことすら、腹立たしいのかもしれない。
「あなたが私のことを嫌っているのはわかったわ。ここから早く出て行って欲しいと思っているのでしょうね」
「………」
「でも、私もようやくここに来て、回復訓練がまともに出来るようになってきたの。私は鬼殺隊士よ。あなたのような弟子と違って、早く復帰して鬼を退治しないといけないの。そのためには、正直なところ、あなたの我儘や癇癪に付き合っている暇はないわ」
「なんですって?」
八重は声を荒げて、くるりと薫に向き直る。
その手に持っている刀に、薫は一瞬、眉を寄せた。紅梅色の
八重は薫に見られていると気付くと、あわてて刀を後ろに隠し、またギッと睨みつけてきた。
薫は軽くため息をつくと、冷たく八重を見据えた。
八重の気持ちもわかるが、ここでの修練は勝母にも許されたことだ。
薫のほかにも回復訓練に励む者はいるし、翔太郎もその一人だ。
個人の好悪の感情だけで、修練場所を追い出されてはかなわない。
ここは勝母の監督下にある場所だが、所有は鬼殺隊であり、鬼殺隊士は全員ここで修練できる権利を持っている。
「私はこれまでにここで何度かお世話になっています。そのたびにあなたのような弟子の人とも一緒に修練に励んだわ。彼女らは私を始めとする現役の鬼殺隊士と練習する中で、より技を磨いていったものよ。あなたはもっと私を利用すべきだわ」
「利用?」
「そうよ。弟子同士で稽古するのと、実戦を経た人間と稽古するのとでは、吸収できるものが違うわ。決してあなたにとって無駄にならないはずよ。あなたがもっと自らを高めたいと望むなら―――…」
薫が言い切る前に、八重は薫の頬を張った。
パチンと鋭い音が、冷えた空気を切り裂いた。
信じられないように見つめた薫の前で、八重はブルブルと震えている。
「よくもそんなことを…」
恨みのこもった目に涙をにじませながら、八重は怒鳴った。
「なにが利用して、よ。なにが自分を高めたい、よ。
「そんなこと…」
薫は驚きながらも、すっかりあきれてしまって、言葉が出なかった。
八重に嫌われていることはわかっていても、こうまでひねくれた見解をされるとは思わなかった。否定しかけるものの、それさえ受け入れてはくれなさそうだ。
「あんなこと言われて…もう私、ここにいられないじゃない! あんたのせいよ!!」
悲鳴のような叫びを薫に浴びせて、八重はその場から駆け去った。
<つづく>