【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第二章 育手と弟子(三)

 翌朝になって、八重(やえ)が姿を消したらしいことがわかった。

 

「すみません…」

 

 薫は素直に謝った。

 あのあと八重を追いかけなかった。追いかけても振り払われるであろうし、少し頭を冷やしにでも行ったのだろう…と軽く考えていたのだ。

 しかも勝母(かつも)の長年愛用してきた日輪刀も一緒に持って行ったことを知り、あのときに見た紅梅色の柄巻(つかまき)と合致して、ますます申し訳ない。

 

「あのとき、きちんと注意すべきでした……」

 

 薫の謝罪に勝母はフンと鼻をならし、皮肉げに頬を歪めた。

 

「馬鹿な子だよ。刀を持ち出したところで、あの子じゃ鬼を狩るどころか、重くて振ることもできないだろうに。売ったところで無銘(むめい)モノ。二束三文ってとこだ。売りにでた時点で隠が動いて、アシがつくってのにさ」

 

 心底あきれた様子で勝母は話す。

 暗い顔の薫を見て、ポンと励ますように肩を叩いた。

 

「アンタが気にするこっちゃないさ。今までだって逃げ出す奴はいた。去る者は追わず、だ。ま、本気でやる気があるなら、戻ってくるだろう」

「……そう、ですね」

 

 頷きながら、昨夜の八重の涙を思い出す。

 

 自分はいったい、どうするべきだったのだろう?

 なんと言ってあげれば、彼女を励ますことができたのだろう?

 

 いや、何を言っても、ただそばに寄り添うことすらも、八重には苛立たしいのだろう。

 薫に怒りをぶつけることでしか、彼女は自分の気持ちと向き合えないのだ。

 勝母に弱音を吐くこともできないし、翔太郎(しょうたろう)には馬鹿にされる。

 

 実弥に八つ当たりして逃げてきた自分のことを思い返し、苦い気持ちが胸に広がった。

 

 勝母はそんな薫を見て、軽く首を振った。

 

「まったく、アンタはなんでも自分のせいにしがちだね。昨日、薬事室でアンタとしゃべってたろう? あのとき、私は八重が来ているのを知っていたんだ」

「え?」

「本人がいるのをわかっていて、言ったんだよ。『覚悟が足りない』んだと。途中でどこかに行っちまったが。これまでにも同じようなことは当人に言ってきたんだよ。でも、どうもわかってない…聞く耳を持たなかったんでね。あえて、恥をかかせたんだ」

「どうしてそんなことを?」

 

 薫にはわからなかった。勝母は本来そんな意地悪をする人ではない。

 

「アンタの前で自分のことを批判されたとなれば、あの子の矜持(きょうじ)は傷つくだろう。しかし、逃げてきたものに、真正面から向き合わせるためには、荒療治が必要でね。それでも、こうしてトンズラしちまったってことは、やっぱりあの子は逃げることしかできないんだろう。最終的に逃げるやつは、鬼殺隊には()らない」

 

 きっぱりと言い切る勝母に、薫は非情なものを感じつつも、否定できなかった。

 単独任務であれ、複数任務であれ、逃げ癖がついた者がいては、他の隊士に迷惑になり、助けるべき人も助けられない。

 

 勝母は久しぶりに厳しい元柱としての顔つきに戻っていた。

 

「同情するかい?」

「いえ…その通りだと思います」

 

 首肯(しゅこう)しながらも、やはり後味の悪さが残る。

 

 

 ――――― もう私、ここにいられないじゃない!

 

 

 八重なりに必死にここでの暮らしを、鬼殺隊士としての自分を掴み取ろうとしていたのなら、薫は彼女の居場所を奪ったことになる。

 

 

 ――――― 鬼殺隊を辞めて、どこに行けと言うんです!?

 

 

 実弥に怒鳴りつけたことを、自分がしてしまっているなんて…本当に因果応報とはこのことだ。

 暗い顔でうつむく薫に、勝母は嘆息した。

 

「あの子がどんな道を選ぶにしろ、誰のためでもない、自分のためのものでなけりゃならない。誰かのせいにして選んでいては、結局のところ、どこかで(つまづ)くのさ…」

 

 言ってから勝母は苦く笑った。

 また若い頃の自分を思い出す。

 

 こんなことを言う自分も、昔はずいぶんと年上の人間を困らせたものだ。

 今になってみれば、あんな我儘な小娘に、よく耐えていてくれたものだ。

 年寄りの昔話を鼻で嗤っていた自分が、まさかその昔語りをするようになるとは……本当に年月は誰の身にも平等に降り積もる。

 

「アコも言っていたが、あの子は自分の不幸しか見えてない。私もそうだった。私も若い頃には自分ほど不幸な人間はいないと思ったもんだ。だからこそ、この不幸に負けるものかと必死になって技を磨いたがね……自分の殻に閉じこもって、自分しか見えず、周りの人間に迷惑をかけたこともある。しかし、最終的に私を救ったのは、もしかしたら私の弱さかもしれない。たった一人で、立っていることもできないくらいに弱くなっても、寄り添ってくれる人間がいるとわかったとき、私はより強くなる道を掴んだんだ。自分の強さを求める心が、何のために()るのかをようやく理解できたんだよ」

 

 勝母は話しながら窓辺へと行き、窓を開けた。

 昨日、日が沈んでから冷え込みが強くなってきたと思っていたが、とうとう夜更けに降ったようだ。

 うっすらと白い雪が木々の枝に積もっていた。

 しかし今はやみ、差し込む光が凛とした勝母の姿を明るく照らす。

 悠揚と笑みをうかべた顔には、誰も傷つけることのできない強固な自信があった。

 この自信は覚悟と背中合わせなのだ。

 

 薫はふと、三好秋子の言葉を思い出した。

 

 

 ――――― あの子も、ちょっとずつでもわかってくるやろ…

 

 

 深く傷つき、癒やしが心に平穏をもたらすために必要とする時間は、皆が同じわけではない。早くに前を向いて立ち直る者もいれば、なかなか現実を受け入れられずに背を向ける者もいる。

 笠沼だって、ようやく立ち直ったところだというのだから。

 

「きっと、戻ってこられますよ」

 

 薫はようやく笑顔になって、勝母に言った。

 勝母は大きく頷いた。

 

「あぁ。待つさ。年寄りにできることなんて、それくらいだ」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「おい」

 

 いきなり声をかけられ、しかもその声の主が普段滅多と話しかけてこない風柱・不死川実弥であったので、産屋敷家執事・薩見(さつみ)惟親(これちか)の返事は一拍遅れた。

 

「は……はい?」

「アイツは帰ってきたのか?」

「は? あいつ……と申されますと?」

 

 すぐに思い当たらず問い返すと、実弥の眉間に苛立たしげな皺が寄る。

 ややあってボソリとつぶやいた。

森野辺(もりのべ)薫だ」

「ああ!」

 

 ようやく得心して、惟親はホッとした。

 風柱である実弥が具合の悪い妹弟子を心配しているのだとわかったからだ。なにせ顔つきだけでは、いつも怒鳴られそうな形相なので、何を言われるのかとビクついてしまう。

 

「森野辺くんでしたら、刀鍛冶の里に湯治で治療に行って…」

「それは知ってる」

 

 強い口調で遮られ、惟親は言葉を途切らせてから首をかしげた。

 

 なぜ薫が刀鍛冶の里に行ったことを知っているのだろうか?

 薫当人が知らせた?

 いや、そうであれば今、彼女の行方について尋ねてくるのも妙な話だ。

 

「それで? それから帰ってきたのか?」

 

 実弥は不機嫌な顔で、答えを急かしてくる。

 惟親が答えようとすると、背後からトン、と肩を叩かれた。

 振り向けばそこに立っていたのは、音柱の宇髄天元だった。

 

「柱合会議もうわの空の理由はそれか? こんなところで執事殿捕まえて、何をコソコソと…」

 

 肩に乗せた手はそのままに、天元は惟親そっちのけで実弥に話しかける。

 からかうような口調に、実弥はギロリと天元を睨みつけた。

 

「うるせぇ、テメェに関係ねぇだろうがァ」

「ほー。そんなこと言っていいのかねぇ?」

 

 天元は(うそぶ)くように言って、惟親をチラリと見てくる。

 軽く顎を実弥の方へと向けるので、惟親は頷いてから、先程言いかけた話を続けた。

 

「森野辺くんは刀鍛冶の里での療養が今ひとつ効果がないようなので、現在は吉野にいらっしゃる那霧(なぎり)勝母(かつも)様の元で療養しております」

「吉野…」

 

 実弥は目を見開いて、つぶやいた。

 明らかにホッとしたように、息をつく。

 見た目が怖いのでわかりにくいが、相当に心配していたらしい。

 惟親は実弥の性根が透けて見えた気がして、少しだけ微笑ましく思った。

 

 しかし背後の天元がクックッと愉しげに大きな体を折り曲げて笑うと、すぐに実弥の顔はまた不機嫌になった。

 

「なんだァ、テメェ…」

「いやいや」

 

 天元は笑いを収めると、腕を組んで実弥を見下ろした。

 

()()()()心配でたまらない風柱に一つ提案がある」

「うるせぇ。心配なんぞしてねぇ」

「まぁ、聞け。ここに…」

 

 天元はズボンのポケットをゴソゴソ漁ると、紙切れらしきものを取り出した。

 

「切符がある。京都までの」

「………」

「俺に討伐しろと命令が来てるわけだが、俺も嫁を密偵に行かせているところでね。正直、こっちを離れたくないんだな」

「………」

「だーれーかー、代わりに行ってくれる奴いねーかなー?」

 

 わざとらしい大声で呼ばわる天元を、実弥は鬱陶しそうに見つめる。

 しかし天元はその渋面に対しても、惚れ惚れするようなつややかな微笑を浮かべてみせた。

 

「なぁ? 執事殿。別に今回のこの任務、どうしても俺じゃないといけないってわけじゃないよな?」

 

 また意味深な目で尋ねられ、惟親は天元と実弥の顔を素早く見比べてから、天元の方を向いて(というより実弥に目を合わさないようにして)、頷いた。

 

「はい。とりあえずは柱のどなたかに行ってもらうべきかと判断しまして。音柱様にお任せしたのは、以前にも何度か訪れておられるようでしたので、土地勘がおありだろうと思いまして」

「風柱も以前に関西方面で活躍されておられたようだから、あの辺りはわかるよな。な?」

 

 実弥はふっと視線を逸らして答えない。

 やれやれと天元があきれた溜息をついた。

 惟親は迷ったものの、勇気を出して実弥に願い出た。

 

「風柱様、もしよろしければ…一度、森野辺くんに会ってきてもらえませんか? 吉野に行ってからは、まだ何の連絡もなくて、正直私も心配ではあるのです。もちろん、那霧様が万全の対応はして下さっているでしょうが、そうでなくとも彼女はすぐに無理をする性格ですので、あまり焦らぬようにと風柱様からもご指導いただければ助かります。兄弟子からの言葉でしたら、無下にすることもないでしょうし…」

 

 惟親の無意識の言葉は、実弥に鈍い痛みを与えていたが、無論のこと善良なる執事はそんなことを知る由もない。

 スッと、天元が無言で実弥の面前に切符を示す。

 実弥はまたジロリと天元を睨みつけた。

 しかし最終的にチッと舌打ちすると、天元の指に挟まれてあった切符を掠め取った。

 

「ふん…仕方ねぇ」

 

 さも不本意であるかのようにつぶやく実弥を、惟親は微笑ましく眺め、天元はまた小刻みに肩を揺らした。

 

「じゃ、これは貸し借りナシってことでいいよな?」

 

 天元が言うと、実弥はムッとなって言い返した。

 

「お前が嫁と離れたくねぇとか抜かすから、代わってやんだろうがァ」

「あぁ、そうだ。要は、お互い様だ。そうだろ?」

 

 どうにもこうしたことでは、天元と実弥とでは勝負にならないようだ。

 気まずそうに口を噤んだ実弥の肩をポンポンと軽く叩くと、

 

「今度は喧嘩するなよ」

 

と言い残して、天元は去っていった。

 

 

<つづく>

 




次回は2023.04.15.更新予定です。
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