【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第二章 育手と弟子(四)

 

 ――――― 椿の君…!

 

 夢に久々に出てきた、まだまだ若造であった頃の夫の姿に勝母(かつも)は苦笑した。

 

 なにが椿の君だ。

 まだ鬼殺隊士として飛び回っていた頃、憲法黒の羽織の後ろ身頃に一輪染め抜かれていた椿の花。

 それを見て、名も知らぬ勝母のことを『椿の君』と呼んでいたらしい。

 再会出来るようにと、近所の稲荷神社にいなり寿司を持っていって、願掛けをしていたというのだからあきれる。

 

 出会ったときから、頓狂でおかしな男だった。

 頭はいいのだろうが、ぜんぜんそうは見えない間抜け面で、しょっちゅう鴨居に頭をぶつけて、(かまち)に足を引っ掛けて…ドジで騒々しい奴だった。

 

 勝母はしょっちゅう怒っていたが、それこそ馬耳東風で、見事なくらい聞き流していた。

 人の話を聞かないくせに、時々鋭く、痛いところをついてくる。

 他人に無関心にみえて、実のところ、当人ですら気付かぬ本心を(さと)らせてくれた。

 

 それは勝母だけにではなく、おそらく多くの人間に対してそうであったのだろう。

 だから嫌われることもあり、反対に好かれる人間にはとことん愛された。

 患者の中には、神様仏様の次のお題目に唱える人間もいたほどだ。

 

 けれど亡くなったときには、その嫌っていた者すらも泣いていた。

 結局、誰からも愛され、必要とされていた人だった。

 

「…………」

 

 勝母は布団の中でつらつらと亡き夫のことを考えていたが、ふと我に返った。

 どうして今朝はこんなに思い出すのだろうか。夢にまで出てくるなんて…。

 きっと妙な話を聞いたせいだろう。

 

 昨日、その話を持って、雪の降る中を訪れたのは、伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)だった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「あぁ~、とうとう降り始めましたな。さむ、さむ」

 

 激しく擦りながら、宝耳は来るなりストウブに手をかざす。

 

「まったく、手袋くらいしておきな。霜焼けになっちまうよ」

「ほんまにな~。誰ぞ作ってくれる、器用で心優しいオナゴなんぞおりまへんやろか?」

 

 何気なく宝耳が言った言葉に、勝母は眉を寄せた。

 

「……薫に余計なこと頼むんじゃないよ」

「へぇぇ? なんでいきなりお嬢さんの話になんぞ…。こっちに来てますんか?」

 

 どうやら宝耳は薫が来ていることは知らなかったらしい。

 勝母はチッと小さく舌打ちした。

 

「余計なことを言っちまった」

 

 宝耳はニヤニヤ笑って、案の定、図々しいことを言い出す。

 

「いや~。そうなんや~。確かにあのお嬢さんやったら、この寒い中、遠路はるばるやって来た中年男を憐れんで、手袋くらいは縫ってくれそうやなぁ」

「やかましい。アンタに作ったら、他にも作ってくれと身の程知らずにも言ってくる奴がわんさといるんだ。勝手なことをおしでないよ!」

「へぇへぇ。鬼より怖い花柱様の言うことに従わぬ阿呆はおりまへん」

「なにが花柱だい。アンタがまともに隊士をやってる時にゃ、とうの昔に私は辞めてたろうが」

「そないでしたかな? なんや、誰ぞから聞いたような気がしたんやけど。ま、こんな話はどうでもよろしいわ。今日は折り入って聞きたいことがありますねん」

「聞きたいこと?」

「ご夫君のことですわ。亡くなった那霧(なぎり)旭陽(あさひ)博士について、お伺いしたいことがございましてな」

 

 勝母はグッと厳しく宝耳を睨みつけた。

 あからさまな警戒と、妙なことを言い出したら容赦なく叩き切りそうな気迫が漲る。

 なまじの人間であれば、そこで震えて声も出せなくなったであろう。

 しかしそこは宝耳であった。ふてぶてしいまでにニッコリと笑みなど浮かべる。

 

「ま、ま、そう最初から(いき)り立つモンやありまへんわ。ワイの話、気になりますやろ?」

「ふん。何が言いたいんだか知らないが、聞きたいこととやらをとっとと言いな」

 

 勝母は意味深な宝耳の態度に、苛々と早口になった。

 宝耳は特に気にするでもなく煙草を取り出し、火をつけながら尋ねてくる。

 

「ご夫君のお知り合いに、御堂(みどう)月彦(つきひこ)いう男がおりまへんでしたか?」

 

「御堂、月彦?」

 

 勝母は鸚鵡返しに言ってから、しばし夫との思い出を掘り起こしてみたが、その名に聞き覚えはない。

 

「知らないね」

 

 すげなく答えた勝母に、宝耳は煙を吐いてから、サラリと言った。

 

「左様でっか。実はこの男、無惨かもしれまへんねん」

 

 実にあっさりと、とんでもないことを言う。

 勝母は愕然としながら、ますます警戒を深めた。

 

「その男とウチのが、どう関わってるっていうんだい?」

「……さぁ、詳しいところはわかりまへん」

 

 宝耳はフゥと煙を吐いて、その立ち昇る煙を見つめながら話し始めた。

 

「那霧博士はなかなかご優秀な方やったようですな。外国に行って、ようけ勉強しはって、技術も知識も身につけて帰ってこられた。ケチな人間やったら、なかなかそういう自分が苦労したことを勿体ぶって教えへんかったりするもんやけど、那霧博士は誰にでも、それこそ興味のある、熱心な人間には、たとえそれが学生や研究者やのぅても、出し惜しみせずに教えてくれはった……というのは、ある年寄りの町医者から聞いたことですわ。そのご老人、元は代々漢方医の家で、にわかに増えた外道の医者に負けるもんかと、一念発起して独学で新しい医学を学んではったらしいんですわ。でも、独学でできる限界もあって、そんなときに那霧博士を紹介されて、すっかり意気投合しはったそうで。お互いに本の虫、新しい知識を学ぶことが好きで好きでたまらんかったと…これは、そのご老人が言うてはったんですけど、()ぅてます?」

「………ああ」

 

 勝母は言葉少なに頷いて、在りし日の夫を思い浮かべた。

 確かに宝耳の言う通り、医学の知識はもちろん、それ以外のことでも自分の興味を惹くことには、ひたすら追究していたように思う。

 ずっと本を読んで、研究をして、徹夜することも少なくなかった。(そのことでよく勝母は怒っていたが)

 

 宝耳の言うように、自分の得た知識を独り占めすることはなく、誰かの為になることを喜ぶ人であった。

 宝耳は静かな勝母の声に、フと笑みを浮かべてから話を続ける。

 

「御堂月彦言うんは、那霧博士のおった研究所にいっとき、足繁く通っておった節がありましてな。それが那霧博士の死亡と合わすようにして、ふっつり姿を見せんようになった。ただこれは、当初は那霧博士が死んだことによるもの…というよりも、同時期に平川いう教授が行方不明になったから、と思われとったようです」

「行方不明?」

「知りまへんか? 平川橋蔵教授。旦那さんの直属の上司やった人やけど」

「…すまないが、夫は仕事について話すことは少なくてね。あれで、家族と仕事との区別はしっかりする人間だったんだ」

 

 これは外国で過ごした影響なのだろうか。

 夫が仕事仲間を家に招くことは一度もなかった。

 教え子がたまに本を借りに来たり、夫の忘れ物を取りに来たりすることはあったが、基本的には自らの仕事について、勝母に詳しく語ることはなかった。

 もっとも聞いたところで、勝母もわからなかっただろう。

 夫の論文などを見せてもらったこともあるが、ほとんどアルファベットと呼ばれる見慣れない文字で綴られており、読めなかった。

 

 ふと今日のような雪の降る寒い夜に、ずっと論文を書いている夫に紅茶を淹れてやったことを思い出す。

 

 ――――― 紅茶を淹れるのが上手になりましたね、(みゆき)さん…

 

 今となっては誰呼ばれることもない名前を思い出して、勝母は目を伏せた。

 いけない。年をとるとこれだ。

 死んだ人間のことを思い出すだけで、目が潤む。

 

「今も、その平川教授とやらは行方不明なのかい?」

 

 感傷的になりかける自分を追い払うように、勝母は尋ねた。

 その問いに宝耳がニヤリと意味深長な笑みを浮かべる。

 

「それが妙でんねん。その時に行方不明になったんは平川教授だけやのうて、その弟子も一人、行方不明でしてな」

 

 長年、鬼殺隊で過ごしてきた勝母はすぐに察知した。

 

 多くの場合、鬼の凶行の現場に遭遇しない限り、そこに鬼が存在するかもしれないと考えられる一番の理由は、行方不明者が出ていることだ。しかもその地域で頻発していたら、鬼の仕業であることが濃厚だった。

 鬼は人を喰らう。

 当然、殺してからその人物は跡形もなくなるから、残された家族などが行方を捜す中で、各地の藤の家や、巷間(こうかん)に潜ませた情報収集を行う隠、鬼蒐(きしゅう)の者などを通じて、鬼殺隊に情報が伝わってくるのだ。

 

「その『御堂』とかいう奴の仕業だってのかい?」

 

 勝母が尋ねると、宝耳は「さぁ?」とうそぶいた。

 

「見たわけやありまへんし、行方不明になってんのはその二人だけで。しかも弟子の方は賭け事でけっこうな借金もあったみたいやし、警察の方では弟子が教授を殺して、どこぞに埋めて、そのまま金持って逃げてるんと()ゃうか…? みたいなことも考えとったみたいですけど、結局は迷宮入りですわ。それよりも色々と詳しく聞き込んだら、むしろ『御堂』と昵懇(じっこん)やったのは、那霧博士の方やったと」

 

 また夫の名前が出てきて、勝母はかすかに眉を寄せる。

 

「……それで?」

 

 静かに促す勝母に、宝耳は淡々と続けた。

 

「ワイが聞き込みした人の中に、当時、大学の図書室で働いてはった人がおりましてな。この人が、那霧博士とウマが合ったんかして、よぉ覚えてはりましてん。曰く、那霧博士はその『御堂月彦』のために、なんぞ調べ物をしてはったようなんですな」

「調べ物?」

「そう。なんでもその『御堂月彦』は病に罹ってて、その病気を治すために必要な薬草……あ、いや、花か。珍しいんやけども、普通は珍しくない花、みたいなことを言うてはった…て」

「珍しいが、珍しくない? なんだい、それは。頓知か何かかい?」

「さて、それが…ワイにもよぉわかりまへん。そのご老人の記憶では、珍しい花じゃないんやけども、その探してる花は珍しいもんなんやと。よぉわからん説明をされたことは覚えてはったんですわ。なんとも奇々怪々な花もあったもんですわな」

 

 勝母はしばらく腕を組んで黙り込んだあとに、宝耳に鋭く尋ねた。

 

「アンタの話からすると、その『御堂』というのが、私の夫に、訳の分からない花について探させた…ということは、無惨がその花を欲しがっていた、ということかい?」

「まぁ、そうなりますな」

「…………」

 

 勝母はまた考え込んだ。

 夫がその『御堂』というのが鬼であることなど知っていたはずがない。知ったが最後、殺されただろう。もし殺されずに済んだとしても、そんな重大な事実を勝母に言わないはずがない。

 

 しかし不思議だ。夫はあの性格だ。無害そうな顔して、わりと言いたい放題なので、敵を作りやすかった。

 鬼の性状は、多くは傲慢で尊大で我儘、残忍。

 総大将である無惨であれば、それは数十倍、いや数百倍くらい倨傲(きょごう)であろう。あの夫相手に、よくも殺さなかったものだ。それほどにその『花』とやらが必要だったのか、あるいは……。

 

 勝母はずっと記憶の奥底に押し籠めていた、夫が亡くなった日のことを、ゆっくりと思い出した。

 前日にたった一人の息子を失って、ただでさえ精神的に疲弊しきっていた勝母に追い打ちをかけるように、亡くなった夫。

 もう自分が生きているのか、死んでいるのか、わからないくらい勝母の心は壊れた。

 

 同じようなことは昔にもあった。

 父を殺して、自らの存在意義を見失っていたときだ。

 だがあの時は夫がいてくれた。悲しむことすらできなかった自分のそばに寄り添って、見守っていてくれた。

 

 そう。

 あのときは、夫が ――― 旭陽(あさひ)がいてくれた。だから立ち直れた。けれど旭陽が死んだ、そのときには……

 

「あ…」

 

 勝母はふと思い出した。

 旭陽が死んだ日、訪れていた奇妙な男のことを。

 

 

 ――――― 那霧君が、細君(さいくん)はこの青い矢車草に似ていると言っていましたよ…

 

 

 

<つづく>

 




次回は2023.04.22.更新予定です。
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