【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第二章 育手と弟子(五)

「あの人が死んだ日に、一人、やってきた男がいる」

 

 勝母(かつも)は宙の一点を見据えながら、記憶を辿る。

 宝耳(ほうじ)の目が鋭くなり、次の言葉を待った。

 

「……おかしな男だった。勝手に家に上がり込んでいたのに、私は気付きもしなかったんだ。だから、警戒した。警戒したが…危険には思えなかった」

「ほぉ…?」

 

 宝耳は首をひねる。勝母は矛盾したことを言っているが、自分でもわかっているのか、その顔には疑問が浮かんでいた。

 

「普通の、少しばかり顔色の悪い、(ヤサ)男にしか見えなかった。ひどく、沈んだような…暗い顔をしていた」

「なんぞ話はしましたんか?」

「……そのとき、私は夫の好きだった花を持っていたんだ。青い矢車菊だよ。庭に咲いていたのを()って持ってきたところで、その男があの人の眠っている布団の傍らに立っていたんだ。あんまりにも気配がなくて、青白い顔してるから、死神か何かが来たのかと思った。私の方を見て、近付いてきて、矢車菊を一本、取ったんだ。それを夫に手向けた」

「………」

 

 宝耳は目を細めた。

 死者に花を手向けるとは、えらく洒落たことをする。鬼であれば、勝母を見た途端に、その場で殺してもおかしくないはずなのに。

 ましてそれが鬼殺隊の元柱となれば、もっとも苛立たしい存在であろうに。

 

 勝母が鬼殺隊の人間であることを知らなかったのだろうか?

 だとすれば、鬼の惣領(そうりょう)にしてはずいぶんと迂闊なことだ。

 いや、それとも鬼舞辻無惨という数百年近い時を生きてきた兇悪なる鬼の宗主であれば、()()()()は歯牙にもかけないということか…?

 

「それで? なんも言わんと消えましたんか?」

「ちょっと待ちな。なぜなんだか、この辺りのことは靄がかかったみたいに、薄らボンヤリしているんだよ」

 

 勝母はそう言って、頭を強く押さえた。

 眉間に深い皺を寄せて、苦悶の表情になる。

 

 宝耳は黙って待った。

 本来、史上最年少にして最長期間、柱を務めた五百旗頭(いおきべ)勝母(かつも)という人間が、一人の男の妻になるなど、想像もできない。にも関わらず、結婚し子まで()した仲であるならば、勝母はよほど夫を頼りにしていたに違いない。

 その夫の早すぎる死。

 おそらく勝母にとって、相当深刻な衝撃だったろう。

 

 人というのは、つらい記憶をいつまでも鮮明に覚えておけるほど、強くない。

 つらく、苦しく、悲しいほどに、必死で覆い隠そうとする。

 ある者は何重もの扉の先に、ある者は濃い霧の向こうに、ある者は深く暗い沼の底に、自らを傷つける記憶を遠ざけるのだ。…… 

 

「……感謝しろ、と」

 

 やがて勝母はポツリと言った。

 

「感謝?」

 

 宝耳が聞き返す。

 勝母は頭を押さえていた手を徐々に離して、呆然と言った。 

 

「夫に感謝しろ、と。あぁ、そういえば…夫のことを『那霧(なぎり)君』と呼んでいた」

「ふん。ということは、その男が旦那さんの知り合いということは間違いないようでんな。しかし感謝しろ…とは、旦那さんはよっぽどその男に恩を売りはったようですなぁ」

 

 宝耳は感心したように言って、目線で勝母に続きを問う。

 勝母はひどく重苦しい溜息をついた。

 

「……どうやら、私は夫のお陰で命拾いしたらしい」

「ほぉ?」

「『那霧君に感謝しろ。さもなくば、貴様を生かす理由などない』。そう言って、去っていったんだ……」

 

 勝母は今更ながらに思い出した。

 

 あの日、自分を一瞥した冷たい瞳。

 赤く閃いた気がして、思わず腰に日輪刀を探したのだ。だが結局、勝母は動けないまま、男の後ろ姿を見送るしかなかった。

 あきらかにおかしな男だと認識していながら、勝母はどこかで否定したかったのかもしれない。

 去っていく男の背中は、ひどく寂しげで、ひどく疲れたように見えた。

 夫を失って虚脱している自分と同じものを感じた。

 

 感傷に浸りかけた勝母を、宝耳のがさついた声が引き戻す。

 

「さて、どちらにとって僥倖やったんやら。()()花柱が、無惨と知っておいて、放っておくはずもないですやろし」

 

 暗くなった雰囲気を混ぜっ返すように、宝耳がトボけた口調で言う。

 勝母は最前までの痛みと哀しさを、再び胸の奥底に追いやった。

 

「それを言うなら、向こうだって恨み骨髄だろうよ。もっともあの頃にはもう私は隊を離れて久しいし、子供を産んでからは育手も休んでいたからね。どこまで太刀打ちできたか…」

「おやおや、らしくもなく謙遜を。今かて、若い鬼であれば造作もなく殺せますやろ?」

「若い鬼ならね。無惨となれば、そう簡単でなかろうさ。上弦ですらも、異次元の強さだというし…」

 

 話しながら、ふと東洋一(とよいち)の言葉を思い出す。

 

 ――――― あんな鬼がいくらもいたら、この世は既に滅んでいる…

 

 それこそ()()篠宮東洋一をして、そこまで言わせるだけの鬼が上弦であるならば、鬼の首領たる無惨の強さなど、およそ推し量れるようなものでないのだろう。そんなのと自分が、それこそ触れ合うほどの近さにまでいたなど……信じられない。

 

「その男が『御堂(みどう)』だっていうのかい?」

 

 勝母が問うと、宝耳は軽く目を閉じてフゥと紫煙を吐く。

 

「その可能性は高いですな…」

 

 勝母はしばらく考え込んでから、また宝耳に尋ねた。

 

「そもそも、なんだって、その『御堂』とかいう男が無惨だと思うんだい?」

「そうでんなぁ…」

 

 宝耳は短くなってきた煙草を灰皿にポイと投げ入れて、新たな煙草を取り出した。火を点けながら、まるで世間話をするかのように話す。

 

「…いくつか理由はありますんやけど、一番奇妙なことは、『御堂月彦』という男が存在しとらんということでしょうかな」

「存在してない?」

「その『御堂月彦』。元々その研究所に来るキッカケになったのが、どこぞのお偉方からの紹介やということなんですけど、そのお偉いさんもどういう経緯で知り合ったのか、今となっては知りようもありまへん。ただ周辺について調べれば調べるほど、『御堂月彦』なんぞという男は存在せぇへんのですわ」

 

 勝母は眉を(ひそ)めた。

 

「戸籍もないってことかい?」

「戸籍はあります。ただ、戸籍通りであれば『御堂月彦』は六歳で死亡してますねん」

 

 黙り込む勝母の前で、宝耳はなんてことない様子で煙草を()む。

 

「裏社会で経歴を買う人間は、いくらでもおりますけど、死んだ子供なんてのはあんまり使い道もないように思いますんやけどな。ただ、名前を借りたかっただけなんか…まぁ、いずれにせよ那霧博士の死亡と前後して、ふっつりと『御堂月彦』は姿を消した。おらんようになった時に、研究所では二人の男が行方不明になった」

 

 宝耳はそこで話を途切って、フゥと煙を吐いた。

 チラリと勝母を見ると、納得していない顔だ。案の定、反論してきた。

 

「それだけで、『御堂』を無惨と断定とするのは早いんじゃないのかい?」

「勿論、ただの鬼かもしれへんし、ただの犯罪者かもしれまへんな。せやけど、ただの鬼にしては上手いこと人間に化けてますし、犯罪者にしては、金に執着がない。さて、そこでもう一歩進めて考えてみましょうや。そもそも『御堂月彦』が無惨やとした場合、なぜ()()()()()()()()()()()()()()? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 挑戦的な宝耳の視線に、勝母はすぐに察した。

 

「………『花』か」

 

 勝母がつぶやくと、宝耳は軽く口の端を上げた。

 

「実のところ、『御堂月彦』のような、身許不詳で存在する人間いうのは、間々おりましてな。ワイが最近、入れあげてる芸妓(げいこ)もなかなかに捉えどころのない、えーェ女ですねん」

 

 勝母は一気に白けた顔になった。冷たく言い放つ。

 

「商売女の身の上なんぞ、聞いたところで本当だか嘘だかわかったもんじゃないだろ」

「まぁ、そないですけど…せやし、あの界隈には上手いこと鬼が紛れ込みやすいのも、昔からのことですやんか。盆暮れとなく顔出して、あっちこっちの花街を渡り歩いとったお陰で、ようやっと()()女性(にょしょう)に会えたようでしてな。(ほだ)し絆され、最近では頼まれ事もされるような間柄ですわ」

 

 勝母はいきなり聞きたくもない(おんな)の話を始めた宝耳に、最初は呆れていたが、だんだんと疑念が湧いた。

 なぜ、今、この男はこんな話をするのだろう?

 

「お前、何が言いたいんだい?」

 

 怪訝に尋ねた勝母に、宝耳は目を細める。

 

「不思議なことでっせ…」

 

 ゆっくりと白い煙を吐いて言った。

 

「その芸妓が『青い彼岸花』が欲しいんやと言いますねん」

「『青い彼岸花』?」

「そう()()()()()。不思議やおまへんか? さっき、ワイ話しましたやろ? 那霧博士が『御堂月彦』に頼まれて探していた花の特長。()()()()()()()()()()()()()()()。赤い彼岸花はたいして珍しィもないけど、『青い彼岸花』()うんは、なかなかに珍しい…とは、思いまへんか?」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 結局、勝母の話がどれくらい宝耳にとって有用であったのかはわからない。

『御堂』(なにがし)については何も知らなかったし、夫である旭陽(あさひ)と、無惨に繋がりがあるかもしれないなど、そうそう信じられることでもなかった。

 

 しかし雪が止んだ帰りがけ。

 勝母は珍しく宝耳に注意した。

 

-----------

 

「アンタ、()()()()()()()()()()()んじゃないよ」

「ハハッ。ホンマにおっ母さんみたいなことを仰っしゃりますな」

 

 笑って茶化そうとする宝耳を、勝母は厳しく戒める。

 

「……その(オンナ)が無惨の手下だったら、油断すれば寝首かかれるかしれないんだよ!」

「そうでんなぁ。いや、事と場合によったら、手下どころか無惨本人かもしれまへんしな」

「馬鹿なことをお言い! そんなだったら、とっくにアンタの頭と胴は離れているよ!!」

「せやけど、無惨本人と会ってるかもしれまへんのに、こうしてしっかりくっついたまま生きて、今も口やかましぃ怒鳴ってはる人もいますしなぁ」

 

 婉曲に自分のことを言われて、勝母はむぅと不本意に口を噤んだ。ややあって、憮然とつぶやく。

 

「……無惨は、男だろう?」

「さぁ? 誰も無惨を見たこともないのに、男と断定してえぇもんやら」

「………」

「何事も、初手から決めてかかってはあきまへん。ありえへんことが起きるのが、この世の常。まして相手は鬼だっせ?」

 

-----------

 

 諭すように言う宝耳を思い出して、勝母は渋い顔になった。

 まったく、年寄りは頑固になると言うが、自分もご多分に漏れず、年々頭が固くなっているのかもしれない。

 確かに宝耳の言う通り、無惨を見たことのある者など、誰もいないのだ。いたとすれば、それは裏切者か、既に死んだ者だけだ。

 無惨という名前と、伝承からだけで()と決めつけていたが、相手は千年近くの時を生きてきた化物だ。女に変ずる(すべ)くらい持っていてもおかしくない。

 

 勝母はハァと息を吐いて、起き上がり、手早く着替えた。

 箪笥(たんす)の上に置かれた懐中時計をいつものように手に取ると、懐に入れかけて手を止める。久しぶりにパカリと蓋を開くと、もはや動くことのない文字盤と、蓋裏に貼られた色褪せた写真があった。

 五歳になった息子のお祝いのときに、せっかくだからと写真師を呼んで撮ってもらったものだ。

 何度も撫でたせいだろうか。写真に写る夫も息子も、もう顔の判別ができないくらい薄くなっていた。

 

「まったく……妙なのとつるんだもんだね、アンタは」

 

 勝母はあきれたように写真の中の夫に呼びかける。

 生前から素っ頓狂な人間であったが、死んでからもこんなふうに驚かせてくるのだから、本当に油断がならない。

 こうやって時々、思い出させてくれているのだろうか?

 

 

 ――――― ずっと、そばにいますよ……

 

 

 あの日、祝言の席で、そっと耳元で囁かれた言葉。

 

「なにが……ずいぶんと先に逝ったくせに…」

 

 勝母は鼻の奥にツンと沁みてくる悲しみをのみこんだ。

 

 息子と夫を立て続けに亡くした後、勝母は茫然とするばかりだった。

 生きている意味すらわからなくなった。

 昔の仲間たちが来て励ましてくれたが、それでも家族を失った勝母には、彼らの言葉は遠かった。

 

 元に戻るきっかけをくれたのは、結局、夫 ――― 旭陽(あさひ)だった。

 丹念に綴られた旭陽の日記を、毎日少しずつ読んで、少しずつ勝母は心を取り戻した。 

 

 日記の最後は、死の三日前。

 震える手で書いたのだろう。ただでさえ悪筆なのに、いっそう文字は乱れていた。

 書かれていたのは、たったひとこと。『ありがとう』。

 勝母はその文字を見た瞬間に、目の前で旭陽が言うのを聞いた気がした。……

 

 パチンと時計の蓋を閉じてから、ふと気付く。

 

 あの日記に、それこそ『御堂』某について書いているかもしれない。

 宝耳に渡してやってもよかったが、読めるだろうか?

 夫独特の勉強法というか、勘を忘れないようにと、ある時期から日記はすべて英語で書かれていたのだ。そのせいで、勝母は辞書片手にゆっくりゆっくり読み進めて、すべてを読み終えるのに一年以上かかってしまった。正直、どうしても解読できず、読み飛ばした部分もある。

 

「しまったね。昨日のうちに渡せば良かった…」

 

 しばらく考えてから勝母は机に向かい、ささっと(ふみ)をしたためる。

 

『夫ノ日記有リ。必要ナラバ来イ』

 

 文をこより状にしてから、窓を開いて鎹鴉を呼んだ。

 

檀弓(まゆみ)、すまないね。行ってもらえるかい? 戻ってきたら鶏肉をやろう」

 

 足に手紙をくくりつけると、鴉は曇天へと羽ばたいていった。

 ハァと息を吐く。白いゆらめきが、冷えた空気に溶けていく。

 

「寒いね…また雪になるかね」

 

 つぶやいてから窓を閉じ、部屋を出ていこうとして、机の上に置きっぱなしの懐中時計に気付く。

 さっき宝耳への手紙を書いているときに置いて、そのまま忘れていた。すぐに取りに戻り、懐にしまいこむ。

 

「そばに…いてくれるね…?」

 

 そっと胸に手を当ててつぶやく。

 言ってから、勝母は少し恥ずかしくなった。

 

 

 

<つづく>

 




次回は2023.04.29.更新予定です。
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