【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
窓の外を見れば、雪が勢いを増していた。
「こりゃ…下手すりゃ吹雪になるね」
帰ってきたらすぐに入れるように、風呂でも沸かしておこうかと、縁廊下を歩いていると、バサバサとあわただしい羽音が聞こえてくる。
「…
声をかけると、鴉は一目散に勝母に向かってきた。
「敵襲! 鬼、鬼! 交戦中!!」
勝母はカッと
踵を返し、修練場の横にある小部屋に向かった。
そこにはかつての弟子達の日輪刀が保管されている。
任務によって重傷を負い、隊士を引退した者。隊士であることに疲れ果て、刀を置いて姿を消した者。……鬼によって殺された者。
彼らの多くは、続く弟子達の
この部屋に入るたび、数十本はある刀の多さに、勝母はやるせない気持ちになる。
しかし今は感傷に浸っている暇はない。
目に入った数本を手早く持って、一番重く感じたものを腰に差す。
それでも、いつも持っていた自分の刀に比べれば軽かった。満身の力で技を繰り出せば、折れるかもしれない。文句を言っても仕方ないが。
祐喜之介の先導で走りながら、勝母は現れた鬼というのが
薫からの話と、自分の経験からして、あの鬼がいずれ復活するであろうことは予想できた。復活すれば、
鬼となれば人であった頃の記憶は薄れてなくなると聞くのに、あの鬼に限ってはしつこく覚えている。それほどに恨みが深く、憎しみが枯れることもないのだろう。
激しさを増してきた雪が、容赦なく勝母の顔に当たってべシャリと溶けた。
走り、呼吸しながら、勝母の血が徐々に熱くたぎる。もはや一人の育手ではなく、一人の鬼狩りに戻りつつあった。
やがて倒れた木々の間から、戦っている薫と翔太郎の姿が見えた。
そのほかにも朱色の髪をした、右肩が白く膨れ上がった鬼の姿。しかも一体ではない。
勝母は苛立たしげに歯軋りすると、跳躍した。
花の呼吸 陸ノ型 渦桃
その場にいた紅儡の分身二体が、勝母の豪速の剣撃によって切り刻まれていた。
薫も翔太郎も呆気にとられた。
「なんだい、他愛も無い」
勝母は薫の隣にストリと着地すると、隙なく構えながらも、あきれたように言った。
「アンタたちも、こんなのサッサと始末しちまいな」
「してますよ!」
翔太郎は叫んで技を放ち、目の前の一体を倒す。薫も頷いて、技を繰り出す。
鳥の呼吸 参ノ型
上下からの剣撃によって、紅儡の首と右腕が落ちた。
勝母が来る前に始末したのも含め、紅儡のすべての分身を倒したものの、薫は構えを崩さなかった。
「勝母さん、来ます」
「そのようだね」
さすがに勝母は説明を受けずとも勘づいていた。
足元からゴゴゴと響く振動。バリバリと地面が割けると、また紅儡が姿を現した。
今度は八体。
すべての紅儡の足は触手によって形作られ、それは木の根のように土中に潜っている。
「本体は地下というわけか…」
勝母は皮肉げに頬を歪めた。
睨みつける左目がギラリと光る。
翔太郎はゴクリと唾を飲み下した。
いつもは少しばかり口やかましい婆様ぐらいに思っていた勝母の、凄まじいほどの闘気を感じて圧倒される。
かつては毎日のように鬼を
年経ても、いざ鬼を前にすれば、現役の頃の気力が戻る。
「雑魚ばかりを相手にしても仕方ない。翔太郎、薫、あんた達は技で土を掘るんだ。あいつらは私が引き受けよう」
言うなり勝母は駆けていくと、たちどころに二体の紅儡の首と右腕を斬り落とす。
「……あの人、まだ現役でもいいんじゃないの?」
翔太郎はなかば呆気にとられて言った。
薫も同意したかったが、今はゆっくり話している暇はない。
「翔太郎くん、やるわよ!」
声をかけるなり、薫は土に向かって技を放つ。
分身の紅儡は、いつも輪になって現れた。今も、薫らを囲うようにして八体が土から出てきた。であれば、おそらく各々の分身の対角線上の中心部に、本体がいる可能性が高い。
薫は渾身の突き攻撃である漆ノ型
その間にも勝母は分身をあらかた倒すと、再び出現する前に薫らの方にやって来て、自らも技を叩き込む。
花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬
連続九回の斬撃は地面を深くえぐりこんで、現れ出る触手も一緒くたに断ち斬る。
コオォォ…と不気味な咆哮とともに、再び紅儡が四体の分身となって現れた。
そのうちの一体が、刀を振り上げている。
「あっ!」
薫は声を上げた。
あれは勝母の刀だ。最初に現れた紅儡の首と右腕を切断したあとに、拾う間もなく、新たに分身との戦闘に突入してそのまま置き捨てられていた。
「まさか、あれは私のかい?」
勝母は目を
「そうです」
薫が頷くと、勝母はさっとあたりを見回した。
「
「あっ…さっき助けて、逃しました」
「そうかい。じゃ、問題ない」
勝母は瞬時に理解した。
刀を持って逃げた八重は、おそらくこの鬼に捕まった。
日輪刀を持っていることで鬼殺隊士と思われ、人質にされたのかもしれない。あるいは八重が翔太郎の居場所を教えたのか…?
考えながら、勝母は自分の刀を持っている紅儡に向かって一目散に走っていく。
花の呼吸 肆ノ型 紅花衣
大きい円を描く斬撃は、一瞬の間に紅儡の首も右肩も落とした。
黒い塵と消える右手から地面に落ちていく刀を、勝母は空中で取ると、続いて攻撃してくる二体目の紅儡をなんなく一刀両断する。
花の呼吸 壱ノ型 椿の
ざっくりと斬りつけられた紅儡は、ヒギャアアアア! と、けたたましくわめいた。
勝母の握る日輪刀は、見る間に
「あぁ、これこれ」
勝母は手に馴染む柄を握りしめて笑った。
この太さ、この重さ。
さっきまで持っていた刀はやたら細いのと、軽いのとで、技の精度に納得がいかなかったが、自分の日輪刀であれば、現役時代の八分程度には力を発揮できるだろう。
「さぁ、やろうか」
低く唸るように勝母が言うと、紅儡の紅い瞳に怯えが浮かんだ。
――――― 所詮、お前は雑魚だ…
記憶に刷り込まれた女の言葉と、目の前の女の醸す充溢した気合が重なり合う。
紅儡
逃すまいと勝母は広範囲の技を繰り出す。
花の呼吸 参ノ型 零れ桜・散華
呼応するように薫と翔太郎も、土に向かって技を放った。
風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ
鳥の呼吸 漆ノ型 磐穿喙
ようやく本体らしきものにぶち当たった。
土に隠れていた紅儡の大きな紅い目。おそらく腕にあるものだろう。この大きさからすれば、本体はどれほどに巨大なのか…?
薫は刀を振り上げたが、紅儡はその紅い目玉を落ち着きなく動かしてから、薫をじっと見つめてくる。
「この野郎! 一気にえぐり出してやる!!」
翔太郎はようやく見えた本体に息巻き、重ねて技を繰り出そうと刀を構える。
薫はハッとした。
紅儡の紅い瞳から、涙が溢れ出していた。
「待って!」
あわてて制止するや、妙な声が響く。
――――― 逃ゲテ!
いきなり呼びかけてくる声に薫は混乱した。
頭の中に直接、訴えてくる。何度も。
――――― 逃ゲテ!
――――― 逃ゲテ!
「な……」
問い返すことはできなかった。
ゾワリと、全身に悪寒がはしった。
同時に―――――
ドオォォォォン!!!!
山鳴りが起きたのかと思うほどの衝撃が襲った。
それがただの地の鳴動でないのを、薫は反射的に悟っていた。ほとんど無意識に防御の技を放ちながら、自らの体を切り刻もうとする
それでもおそろしいほどの威力をもったその攻撃によって、薫は吹っ飛ばされた。
伸びた枝に手足や顔を傷つけられながら、木々の間を抜け、腐って折れた巨木にぶち当たると、地面に落ちた。
「ぐ…」
頭をしたたかに打ちつけたのか朦朧とする。
必死で意識を保とうとするが、瞼が抗いきれずに落ちてくる。
急速に闇が薫を包み、そのまま気を失うかに思えたが ――――
「キャアアアァッ!」
甲高い悲鳴が、一瞬の安息を破って響き渡った。
<つづく>
次回は2023.05.20.更新予定です。