【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第三章 死闘(四)

 薫はハッと目を開いた。

 八重(やえ)の声だ。

 逃げたはずの八重が、なぜここにいるのかと思ったが、その理由を考えている暇はない。

 

「先生! 先生ッ!! 誰かッ! 誰か助けてえッ!!」

 

 助けを求めて泣き叫ぶ声。

 もしかすると、勝母(かつも)も今の衝撃をくらったのだろうか。

 

「……う……くッ」

 

 薫は呻きながら、ゆっくりと体を起こす。

 すべてが重かった…体も頭も。

 本当はあのまま眠っていたかった。

 けれど今は、微睡(まどろ)みに沈んではいけない。

 

 薫は立ち上がって、脇腹から溢れてくる血に気付いた。

 いつの間にか、やられたらしい。

 衝撃波と一緒に襲ってきたあの異様な攻撃を、完全に避けることはできなかったのか…?

 グッと腹筋に力を込める。

 常中の呼吸を行い、ゆっくりと傷口をひき絞る。それでもチリチリとした痛みが続いた。

 

 いったい、なにが起きたのか?

 

 薫はヨロヨロと歩き、木に刺さっていた自分の日輪刀を引き抜いた。

 もう一本は、折れて地面に落ちていた。

 おそらく防御したときに、剣撃の圧に耐えきれなかったのだろう。

 この前、打ち直してもらったばかりだというのに、どれほどの力によって、こうまであっさりと折られたのか。

 

「くっ…」

 

 痛みに顔を歪めながら、のろのろと歩く。

 どこに向かっているのか自分でもわからない。だが、そこに行きたくなくとも、足は勝手に動く。まるで吸い寄せられるように。

 

 泥濘の道なき道を進んでいると、水の流れる音が聞こえてきた。

 熊笹の茂みの向こう、切り立った山岨(やまそわ)の下に川が流れていた。何度となく常中の修練のために訪れた、あの滝壺の上流の川だ。戦いの間に、だんだんと下に降りてきていたらしい。

 

 薫は強く降る雪に抗うように顔を上げた。

 重くたれこめた雲が、暗澹たる予兆を感じさせる。

 

 やがて折れた木々と、吹きすさぶ雪の間から、奇妙な物体が見えた。

 最初は小さな山かとも思ったが、山にしては歪な形だった。

 薫はもう一歩足を進め、凝視する。

 泥にまみれているが、隙間に覗く灰白の肌と、そこに這う緑の血管は、すぐさま紅儡(こうらい)を思い起こさせた。

 

 不意に。

 

 

 ――――― ドクンッ!

 

 

 また心臓が強く打つ。

 

 薫は胸を押さえ、木肌がめくれ上がった小楢の幹に寄りかかりながら、紅儡らしきものの姿をじっくりと見つめた。

 時間がかかったのは、()()が巨大であったせいだ。

 薫は離れた場所から見たからわかった。目の前にあったら、いったい何なのか、まったくわからなかっただろう。

 

 それは腕だった。

 おそらくは紅儡の腕。

 首も胴もない。

 ただ巨大な腕が地面の上に()()()()()

 太くなった肩のあたりから白い無数の触手となり、今はまるで気息(きそく)奄々(えんえん)と、数本だけが緩慢に動いていた。

 

 薫はあれが地中にあった紅儡の本体だと、直感した。

 いや、確信していた。

 それはさっき紅儡の()()に触れたあと、脳裏に浮かんだその姿そのままであった。

 

 手の平を地面につくように倒れ伏していた()は、いきなりビクビクと震えたかと思うと、跳び上がって回転した。

 ズシン、と地面が揺れ、土煙が舞う。

 その姿はまるで陸に打ち上げられた魚のようだった。

 どうやら斬られたらしい。

 赤紫の血が噴き上がり、雪で覆われ始めた地面に雨のように降った。ベロリと灰白の皮がめくれあがって、生々しい赤い肉が露わとなる。

 白い触手が痙攣したように激しく蠢いた。

 

 薫は顔を(しか)めた。

 また、気分が悪くなってくる。

 

 のたうちまわる()の間から、着物姿の男の姿が見えた。

 気味悪いほどに静かな佇まい。

 吹き荒れる雪と、長い黒髪に遮られ、顔はよく見えない。

 

 

 ――――― ドクッ、ドクッ!

 

 

 薫の心臓が飛び出さんばかりに強く拍動する。

 

「醜い…モノだ…」

 

 小さなつぶやきが聞こえてくる。この距離で聞こえるわけがないのに、耳元で囁かれているのかと勘違いするほど、その微かな息遣いですらも、薫には聞こえた。

 黒く長い髪を後ろで一纏めに縛りあげ、その手には不穏な気配を纏った刀が握られている。点々と仄赤く光る、不気味な刀。

 

 薫はその場から逃げたい衝動にかられた。それなのに足は一歩も動かず、目を逸らすことも、瞑ることすらもできない。

 

 

 ――――― ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……

 

 

 鼓動が早く、胸を叩き割らんばかりに強く打つ。

 カチカチと歯の根が鳴り、汗が全身から噴き出した。

 

(くびき)を外し…あの御方から…逃れられると…思ったか…?」

 

 男は静かに問いかける。

 紅儡の()はひっくり返って、手の平を上に向けるように倒れていた。上腕部分にある大きな紅い瞳からは、涙らしき大量の透明な液体が流れ出る。

 

()()()……お前は…要らぬ」

 

 男はなんの感情もない声でつぶやくように言うと、再び刀を振り上げた。そのとき ――――

 

 

 風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風

 

 

 繰り出された呼吸の技は、薫からは見えない。紅儡の巨大な()の向こうから放たれたようだ。

 紅儡の()の手首部分を切り裂き、男にも襲いかかる。

 しかし、男はあの不気味な刀を一振りするだけで、その攻撃を散らした。

 反対にやられたのか、翔太郎のうめき声が聞こえた。

 

 男は翔太郎の急襲にも、まったく驚いていなかった。

 むしろ既に気付いていたかのように、うっすらと、本当に微かな笑みが口の端に浮かぶ……そんな気配を、薫は感じ取った。

 

 男は刀を構えると、相変わらず小さな声で告げる。

 

「二人…ともに…逝くがよかろう…」

 

 男の刀が一閃する。

 そうして信じられないことに呼吸の技を放った。

 見たこともない、けれど間違いなく強力な剣技。

 

 

 月の呼吸 参ノ型 厭忌月・銷り

 

 

「ウアアァッ!」

 

 翔太郎の悲鳴と共に、切り刻まれた紅儡の()が、木々を倒しながら吹っ飛んでいく。

 チラリと紅儡の肉片と一緒に、翔太郎の足が見えた。

 異常な剣撃はそこいらの木々も、土も、岩をも砕き、それらはすべて、切り立った崖上から谷底へと落ちていった。

 

 男が立っている場所は、一瞬の間に、開けた平地になった。

 あまりにもあっという間のことで、薫は愕然と見ているしかなかった。

 土煙は強い風にあおられて早々に消え、男は刀をブランと無造作に下げたまま、薫に背中を向けて佇立している。

 

 

 ――――― ドクンッ!

 

 

 薫は胸を押さえた。

 跳ね上がる鼓動の音が、相手にも聞こえそうだ。

 

 木々を渡る風の陰鬱なうなり声が、ふぶく雪の間を錯綜する。

 

 薫は柄を強く握りしめた。

 呼吸の技を使うのであれば、鬼殺隊士であるかもしれないが、同じく呼吸の技を使った翔太郎を、紅儡もろともに攻撃するなど、味方とはいえない。

 では、敵なのか…?

 

 薫はそろりと一歩、足を進める。

 ぐっと腰を落として、男に向かって行こうとしたが、急に腕を掴まれるや、引き倒された。誰何(すいか)する隙も与えず、口を塞がれる。

 

「……静かに」

 

 勝母が声をひそめて囁く。

 薫はふっと、強張った体の力を抜いた。

 

 先程の衝撃波でやられたのだろうか。勝母のこめかみからは血が流れ、腕や胸も切られて着物に血が滲んでいた。

 しばらく押し黙ったまま、気配を殺している。

 おそらくは、あの不思議な呼吸の剣士に気付かれないため。

 

 相手に動きがない…と感じたのか、勝母はひそひそと囁いた。

 

「……薫、八重を連れて逃げとくれ」

 

 薫は勝母の隣で口に両手を押し当てて、半泣きになっている八重を見た。恐怖のあまりに腰を抜かして立てないようだ。

 

「八重さん、逃げたんじゃ…」

 

 薫が問いかけようとするのを、勝母はシッと口元に人差し指をたてて制した。

 

「気付かれるよ、あの鬼に」

「鬼…なんですか?」

「わからないかい? あんまりにも異様で、今までのとは比べ物にならないからだろうが…あれは鬼だよ。それも…」

 

 勝母は言いかけて止めた。

 今はむやみに怖がらせる必要はない。それに丁寧に説明している暇もない。

 

「私が出て、ひきつけてる間に、アンタは八重と一緒に谷の方へと逃げな。技は使えるね?」

 

 勝母が最後に確認したのは、薫に谷へと()()()()()()逃げろ、ということを示唆していたからだ。落下時に地面に叩きつけられないように、技で相殺する必要がある。つまり、走って逃げることなど許されないほどに、あの鬼は強い…と。

 

「駄目です。相手なら私が…」

 

 薫が即座に断ろうとすると、勝母は首を振った。

 

「私じゃ、この子を背負って走ることもできないんだよ」

 

 そう言って、勝母は左の腿を軽く叩く。

 よくよく見れば、勝母の藤色の袴は、血に染まって黒く色を変えていた。相当な深傷(ふかで)を負ったらしい。

 おそらく八重をかかえて逃げることを選んだ瞬間に、勝母は死ぬだろう。

 それでも薫はゆるゆると首を振った。

 

「………駄目…です」

 

 声が掠れる。涙が出そうになるのを、喉奥で押し留める。

 勝母は微笑みを浮かべてから、キッと顔を引き締めると、薫の肩を叩いた。

 

「頼むよ、薫」

「………」

「あの鬼は、私が相手する必要がある。ずっと待ち望んでいた父の……仇だ」

 

 薫は慄然として勝母を見つめた。

 

 見えることのない右目。

 それは昔、勝母が鬼となった父と戦ったときに、花の呼吸の大技を使用したことで光を失ったもの。

 父という存在を殺した勝母の葛藤が如何程のものであったのか……薫には考えも及ばない。

 それでも今、薫を見つめる瞳は穏やかで、一点の曇りもなかった。

 

 薫は項垂れるように深々と勝母に頭を下げた。

 自分などには到達でき得ない場所で、勝母はもはや覚悟を決めている。

 顔を上げ、もう一度勝母の顔を目に焼き付けてから、薫は八重の腕を掴んだ。

 

「あ……先せ…」

 

 八重は身をよじって勝母に手を伸ばす。

 勝母はその手を一瞬だけ握りしめると、グイと押しやった。

 

「…いきな」

 

 勝母は短く言った。

 

 薫は無理やり八重を背負うと、走り出した。

 さっきまで紅儡の腕が倒れていた場所をグルッと回り込むようにして、ガサガサと茂みの間を縫うように走り抜ける。

 

 背後から勝母の凛とした声が響いた。

 

「待っていたよ、黒死牟とやら!」

 

 

 ――――― 黒死牟……

 

 

 その名前を胸に刻む。

 

「先生ッ!」

 

 八重が体をひねって叫んでいた。

 薫は翔太郎と紅儡の落ちていった谷の断崖まで来て、スゥゥと息を吸い込んだ。

 

「八重さん! しっかり掴んで!!」

 

 後ろを向いて叫んだときに、ホォォォと不気味な呼吸音が聞こえてきた。

 半身だけこちらを向いた鬼 ――― 黒死牟と目が合う。

 紛うことなき鬼だとわかる、六つの目。

 その真中の瞳に刻印された文字は、『上弦・壱』。

 

 ゾワ、とまた悪寒がはしった。

 ドクリ、と鼓動が強く胸を打つ。

 

 勝母と、黒死牟の技がぶつかった。

 突風が吹き寄せる。

 

 薫は跳躍した。

 念じるように、祈るように、呼吸の技を放つ。

 

 生きて…勝母さん。必ず、生きて――――!

 

 

 

<つづく>

 





次回は2023.05.27.更新予定です。
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