【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第五章 決意(二)

 薫が居座りを始めて四日目の朝。

 東洋一(とよいち)は薫の前に立った。

 

「お前さん、まだ藤森の家に戻る気はないんか?」

「ありません」

「東京に親戚とかおらんのか? 天涯孤独ということもあるまい。子爵家の令嬢だった御仁が」

「……いません。誰も」

 薫は簡潔に答え、東洋一をじっと見つめた。しばらく睨み合って、根負けしたのは東洋一だった。はぁぁ、と大仰な溜息をつくと、「ついてこい」と云って歩き出した。

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 連れてこられたのは近所にある山だった。さほど高さはないが、山の上から吹き下ろしてくる風は強く、冷たい。

 暗い山道を、義足をものともせず、ひょいひょいと東洋一は登っていく。

 一方、五体満足で若い薫は追いかけるだけでも息がはずむ。一体、どういう御業を使ってそんなことができているのだろうか。

 

 一刻ほどかけて、九合目ほどまで登ると、東洋一はクルリと振り返り、懐から青黒い石を取り出して見せた。

「この先、登れば頂上だ。そこに、これと同じ石を置いてある。それを持って、ウチの家まで帰って来い」

「え?」

「日暮れまでだ。それまでに戻ってこれれば、入門を認めてやろう。無理であれば、潔く諦めることだ」

「……わかりました」

 頷くなり、薫は雪に泥濘んだ道を駆け登る。

 

 頂上にはすぐに着いた。まだ、わずかに雪が残っていた。

 積もった雪で隠されていた岩の上に、東洋一が見せたのと同じ色の石が置いてあった。

 手に取ると、ずっしりと重い。拳ほどの大きさなのに、中に鉛でも入っているかのように重かった。袂に入れればあるいは山を下る間に破れて落ちるかもしれない。

 

 石を懐に入れて、道を戻ろうとして立ち止まった。

 一箇所から自分は登ってきたはずなのに、道が三つある。

 足跡を探したが、泥と雪と落ち葉で判然としない。

 

 登ることに夢中で、周りを見ていなかった。どの道も、自分が来た道のように見える。

 焦りそうになって、深呼吸をした。

 落ち着かなければ。きっとこれも修行の一つなのだ。

 

 目を閉じて、東洋一と登ってきた道を思い出す。

 そういえば途中に、一面に背の高い草が生い茂る場所があった。ほとんど木がなく、薫の肩ほどの高い草に覆われた野原。

 森を抜けてその場所に出た時、山の稜線となる場所まで続いていたのを覚えている。

 山の規模からいっても、真裏でない限り、あの場所には必ず出るはずだ。

 

 よくよく見ると、三本の道の内の一本は雪がまだわりと残っている。足跡もない。ここは違うだろう。

 残りの二つの経路のどちらか……?

 

 あまり迷っていられない。おそらくこの山は修行用の山で、工作がなされている。罠があちこちに張り巡らされていると考えた方がいい。引っ掛かって足止めをくうことを予想すると、長く逡巡する暇はない。

 

 とりあえず選んだのは、太陽を背に降りる道だった。

 登る時に真正面から差し込む光を眩しく感じた。であれば、その反対方向がおそらく来た道だと推測した。

 

 泥濘に転びそうになりながら進む。やはり途中、何度か罠が仕掛けてあった。

 落ち葉に隠されていた仕掛けを踏み、上から石礫(いしつぶて)が降ってきたり、横から丸太が襲ってきたり。

 あっという間に着物も顔も泥まみれになった。

 

 半分ほど下ったと思われた時、行く時に通り過ぎた野原に出た。

 自分の通った道が間違いでないとわかって、ホッと安堵したが、遮る木がない分、上から吹き下ろす風の勢いがすごい。しっかり踏ん張っていないと煽られて転がってしまいそうだ。

 空腹で力が抜けそうになるのを、必死で気負い立たせる。

 

 天気は良いのだが、風は冷たかった。

 しかもたまにとんでもない突風が吹き降りて、地面から巻き上がった小さな礫が頬を打った。地味に痛い。それに、風に煽られた草がバタバタとうねって、時折目に入ってくるのにも辟易する。

 

 大きな岩の陰にうずくまって風を避け、しばし休息した。

 昨夜、近所のお婆さんがみかねてくれた林檎以外は、水しか飲んでいない。五穀断ちをして三日目ともなると、意識が朦朧とするときがある。

 

 それにしても、この厄介な草の間を、東洋一はどのように道を見つけて歩いていたのだろうか?

 行きは後をついて行くだけだったので、さほど気にも留めてなかった。

 

 まったく道らしい道がない。

 

 時々、岩があるのでそれを目印に、とにかく草をかき分けて、前に前にと進んでいると、いきなり麓の村が眼下に広がった。

 足下の断崖に気付いて、背筋が凍る。あと一歩踏み出していれば、ここを転げ落ちることになったろう。

 

 踵を返して、また草の間を歩き出す。とりあえず麓は見えたのだ。あとはあそこにむかっていくだけ。

 もうすぐだろう。

 太陽はまだまだ中天にも来ていない。

 

 しかしその予測は見事に外れる。

 すぐに下っていけばいいと思っていた野原がいつまでも終わらない。どこまで歩いても、麓へと続く山道が見つからないのだ。

 この野原はこんなに広かっただろうか?

 上を見上げると、白い雲が悠々と青い空を渡っていく。

 

 おかしい……。

 

 薫は辺りを見回した。うねるような高低の土地に、岩と、低灌木が点在する枯草の野原。

 岩に寄りかかって、ふと気付く。

 この岩。さっき休息した時の岩ではないか? 岩の周りをゆっくり一周して、辺りを見回した。

 

 なんだか狐につままれたような気分だった。

 どうも、ぐるぐると同じ場所を周回していたらしい。

 なぜそんなことになるのか…と考えると、岩であった。目印と思っていた岩が、妙な配置で置かれているのか、なにがしかの錯覚をさせている。

 

 その上での風だ。

 吹き下ろす風が強くて、冷たくて、痛くて、思考回路を麻痺させる。

 気を抜くと風に煽られ、蹣跚(よろ)けて元いた位置から外れてしまう。

 もう日は中天を過ぎている。そのうち傾いてくるだろう。猶予はない。

 

 背面に太陽の熱を感じながら歩くのだ。なるべく目を瞑って。岩を見ると、幻惑される。

 うっすらと半目で歩いていると、急に足元が消えて視界が暗くなった。

「……っつぅ…」

 したたかにお尻を打ちつけて、顔を顰める。落とし穴だ。こんなところにも罠。

 

 しかし、薫は笑みを浮かべた。

 おそらくは、道が合っているということだろう。

 落とし穴から這い出すと、再び岩を見ないように歩き出した。

 

 

 日が山の端にかかりだした頃、薫は東洋一の家に戻ってきた。

 門前に立っていた東洋一に、薫は懐から石を取り出して渡す。

 この石も曲者であった。罠を避けるとき、重いので身体の均衡が狂うのだ。それも含めて持たせたのだろう。

 

「ホゥ……」

 東洋一はそれだけ云うと、踵を返した。

「あの……!」

「はよ、風呂入れ。若い女子(おなご)が泥だらけになりおって」

 呆れたように言ったのが、その泥だらけにした張本人なので、薫は思わず笑ってしまった。

 

「そういえば……」

 東洋一は足を止めて、振り返った。

「名前はなんと言ったかな? たしか~……森野辺…薫子(ゆきこ)だったか?」

「………」

 薫はしばらく考えて、「いえ」と答え、

「森野辺薫、と申します」

と、名乗った。

 

 

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 東洋一に入門を認められたものの、薫の仕事のほとんどは家事であった。

 兄弟子達は女であり妹弟子でもある薫に、ほとんどの家事・雑用を押し付けた。

 

 東洋一はしばらく様子を見た。それで薫が嫌になって辞めるのであれば、それはそれで都合が良かった。

 しかし、薫は、わずかな家事の隙間に、あるいは皆が寝静まった後に、誰よりも早起きして朝の飯炊きの前に、東洋一が教えた型を繰り返し練習していた。

 実弥のような天才的な資質はないが、粘り強く弱点に向き合って克服しようとする堅実さがある。

 

 そもそも薫に与えた試練も、本来は三人の兄弟子達のために作ったものだった。

 入門して三ヶ月。節目にその試練を与え、(ふるい)にかけるつもりだった。

 だが、薫がどうしても諦めず、居座り断食を続けるので、仕方なくあの山へ連れて行った。

 夜には迎えにいかねばならんな…などと、考えていたのだが、予想を裏切り、日暮れ前に戻ってきた。

 

 その段階で既に兄弟子達よりも能力が上であることは示されていた。

 今はまだ型のすべてを教わっていないため、やり込められることもあるが、精度自体は真面目な修練を重ねている薫の方が上回ってきている。

 これで型をすべて覚えれば、後輩ながら実力は勝ることになるだろう。

 

 おそらく兄弟子連中もそのことを感じ取ってきているのだろう。

 最初は物珍しさと、薫の殊勝な態度に柔らかかった態度が、日に日に剣呑さを増してきている。

 そろそろアイツらにも山での修練を行う必要があるな……と、思っていた時には既に事件は起きていた。

 

 

 

<つづく>

 

 

 

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