【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第三章 死闘(五)

「待っていたよ、黒死牟(こくしぼう)とやら!」

 

 薫たちが崖の方へと向かうのを確認してから、勝母はその場に立ち上がった。

 手には長く愛用してきた真朱(まそほ)の日輪刀が握られている。

 

 呼ばれた鬼がゆっくりと振り返った。

 (あか)く光る、六つの金の瞳。真ん中に刻まれた『上弦、壱』の文字。

 聞いていた通りだ。

 勝母はゾクリと背筋が寒くなるのを感じながら、笑った。本当に笑うしかない。

 

 父を殺した後、鬼殺隊に残ることを決めたが、どこか釈然としないものが勝母の中で(くすぶ)っていた。

 しかし篠宮(しのみや)東洋一(とよいち)から裏切者である鏑木(かぶらぎ)浩太の話を聞き、その裏切者と偶然にも遭遇して、戦いの中で父を鬼としたのが上弦の壱たる黒死牟なる鬼だと知った。

 

 この時、勝母は素直に嬉しかった。

 これで自分にまたひとつ、鬼殺隊士でいる意味ができたと思った。

 いずれその鬼に会い、滅殺することを心に決めて鍛錬を積み、柱として東西南北、どんな鬼でも殺してきた。

 だが結局、現役の間に邂逅は訪れなかった。

 

 こればかりは仕方ない。

 有象無象の鬼はいても、十二鬼月、まして上弦など…百年の歴史を紐解いても数えるほどしか出現していない。

 育手となって自分の研鑽した剣技を弟子たちに伝え、いずれ無惨も含めて討ち取ってくれようと…諦めを含んだ夢を託した。

 

 だが、今、ようやくヤツは現れてくれた。

 今になって、ということが勝母には何か意味があるように思えた。

 

 一方の黒死牟は勝母を見ても、何らの感慨もなさげだった。

 ホオォォ、と不気味な呼吸音が響いたのち、無言で刀を振るう。

 

 

 月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮

 

 

 勝母は奥歯を噛みしめて、防御の技を繰り出す。

 

 

 花の呼吸 参ノ型 零れ桜・散華

 

 

 技を放つと同時に、不規則な軌道を描いて旋回してくる剣撃をかろうじて(かわ)した。……と思ったが、飛び退って地面に降り立った途端に、耳から血が(ほとばし)る。

 右耳をザックリと斬られていた。

 あと少し躱し損ねれば、首が血を噴いて転がっていたはずだ。

 

 勝母は首筋にヒンヤリとした死を感じた。

 自分は今、糸のように細い生死の境に立っている。

 刀を持つ手に力を込め、再び構えて、黒死牟を睨み据える。

 

 黒死牟は自分の剣撃を相殺させ、かつ躱した目の前の年老いた女に、少しだけ目を(みは)った。

 もっともそれは勝母にすらもわからぬほど、わずかな表情の変化だ。

 

「たいしたもの…」

 

 抑揚のない声で称賛され、勝母は口の端に笑みを浮かべた。

 

「そう思うなら手加減などいらぬさ、上弦の。それとも婆相手に本気を出すのも億劫かい?」

 

 黒死牟は軽く目を細めた。

 自分の剣気までも見抜くとは、相当に場数を踏んだ手練(てだれ)と認める。

 

「死ぬ…算段は……出来たか?」

「ほぉ。やはり待っててくれたわけかい」

 

 勝母は感心したようにうそぶいた。「女のおしゃべりは長くてね」

 

 薫に八重(やえ)を連れて逃げるように話している間、勝母は黒死牟が気付いているだろうとわかっていた。いつ攻撃されてもおかしくなかったが、薫が逃げていき、先程、勝母が呼びかける時まで、手出ししてこなかった。

 

「さすがは剣士であっただけの度量は持っているようだ。もっとも、鬼ごときが持ったところで、宝の持ち腐れ。豚に真珠の類だがね」

 

 勝母が揶揄(やゆ)すると、黒死牟の顔はわずかに歪んだ。

 

「……(さか)しらなる…ことよ…」

「まったくだね。年寄りは口減らずだよ。もっともアンタの方がもっと年寄りか」

 

 こうして軽口をききながらも、勝母の顔を除く全身からは冷や汗が噴き出て、少しでも気を緩めようものなら、その場にくずおれそうだった。もしそうなれば、この目の前の鬼はたちどころに勝母を微塵に切り刻むだろう。

 

 

 ――――― あんな鬼がいくらもいたら、この世は既に滅んでいる……

 

 

 かつて、この鬼に遭遇して立ち合った篠宮東洋一の言っていた意味がようやくわかった。

 確かに異様なまでの重圧。凄まじい闘気。

 その場の引力すらも変えて、空気が絶えず振動しているかのような、異常な緊張感が勝母を圧迫してくる。

 

 これで上弦の壱。頭目の無惨はいかほどのものか…。

 

「逃がすため…か。狡智に…長ける」

 

 ボソボソと話す黒死牟の言葉は相変わらず抑揚がなく、あきれたようにも、苛立たしげにも聞こえる。

 勝母はニヤリと意地悪く笑った。ただの腕自慢ではなく、しっかり頭も働くようだ。わざと勝母が会話などして、薫らが逃げる時間を稼いでいることに、とっくに気付いていたらしい。

 

「婆の無駄話につき合わせてすまないね。ついでに一つ聞こう。五百旗頭(いおきべ)卓磨(たくま)という男を知っているか?」

「…五百旗頭…」

「岩の呼吸の剣士だ」

 

 返事を待ちながら勝母は呼吸を始める。

 わずかに開いた口から、静かに息を吸い込む。

 つとめて冷静に、心を平らにして、全身の知覚を開放する。

 

 ようやく会えた。

 今、この時を逃してはならない。

 

 勝母は目を(つむ)った。

 かつて使ったその技は、その後、二度と使われることなく、勝母の中で封印されていた。

 弟子にも、これぞと思う者――― 例えば胡蝶カナエといった、一定以上の実力を持った者にしか教えなかった。

 

 この因業深い技は、創作者の恨みと憎しみを昇華させた、諸刃の剣だ。

 

 浅い呼吸。

 死へと向かう呼吸。

 全身へと送り出す熱を一点に集中させる。

 チリチリとした痛みと膨張感。

 ひどく乾いた瞳から、末期(まつご)の涙が零れた。

 

 

 花の呼吸 終ノ型 彼岸朱眼

 

 

 再び開いた左眼は、視力を失った右目と同じく、真っ赤に染まっていた。

 

「父を魅了した貴様の力、とくと見せてもらおう」

 

 低く唸るように言うと、黒死牟が訝しげにつぶやいた。

 

「……父……?」

 

 勝母は大きく踏み出すと、技を繰り出した。

 

 

 花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬

 

 

 普通の鬼ならば避けることなどできず、相殺するために血鬼術を繰り出すくらいしかできない早さの剣撃。しかし黒死牟には、そよぐ風ほどのものであったのだろうか。緩やかな動作ですべてを躱し、平然と立っている。

 

「年老いて…これほどの剣気……かつては…柱か」

「大昔さ。お前には、昨日も三十年前も変わりなかろうがな…」

「よかろう…」

 

 黒死牟はユラリと刀を構えた。

 

「非道なる父殺しの技……見せてみよ」

 

 平坦な声の中に揶揄を感じ、勝母は掠れた声でつぶやいた。

 

「………よくも」

 

 血管を流れる血が一気に沸騰する。

 怒りは直ちに飽和し、勝母の瞳に目の前の鬼の一挙手一投足、毛の一筋たりとも見逃さない、視覚の極地にある世界を見せた。 

 

 

 花の呼吸 壱ノ型 椿の火影

 

 月の呼吸 弐ノ型 珠華ノ弄月

 

 

 ほぼ同時に放たれた技。

 黒死牟の変幻なる剣撃は、あっさりと勝母の技を包容して無力化し、反対に勝母は有り得ない角度から襲いくる月の刃を躱すのが精一杯だった。しかもこれは今、終ノ型を発動しているから可能で、もし、先程のように何もせずに臨めば、もはや手加減のない黒死牟を前に、あっさり命を奪われていただろう。

 

 大きく間合いをあけて、再び向き合って対峙する。

 勝母はスゥゥゥと呼吸を深くした。

 太腿から流れ出る血が、足元に大量の血溜まりをつくる。筋肉を引き絞って血止めの技をしても、もはや止めるのは難しいようだ。

 

「惜しむべきよ…。その技…精強なりし時のままに保つこと…できぬ。……すべて、人なる時しか…生きぬゆえ…」

 

 黒死牟は六つの目を細めてつぶやいた。

 勝母は八相に刀を構えながら、フッと笑った。

 

「そう思うか?」

「老いは…すべてを無に帰す。哀れな…こと…」

 

 訥々(とつとつ)としたつぶやきは、どこかに同情を含んでいるようにも聞こえた。

 しかし勝母は黒死牟のその言葉を聞いた途端に、呵々(かか)と笑った。

 しばらく大笑いしてから、勝母は目の前の鬼を、まるで未熟な弟子に対するかのごとく、慈愛をもって見つめた。

 

「…そうだな、お前は強いのだろう。だがな、私は今この時にあって、己の強さを信じて()ける。お前は何得ることもなく、己の中にある強者の(おご)りによって、その身を滅ぼすだろう!」

 

 叫ぶと同時に、走り出す。跳躍して、その首を取りにゆく。

 

 

 花の呼吸 陸ノ型 渦桃

 

 

 黒死牟は勝母の言葉を反芻することもなく、技を放つ。

 

 

 月の呼吸 陸ノ型 常世孤月・無間

 

 

 異様な早さをもった一振り。

 それだけで無数とも思える斬撃が勝母に襲いかかる。

 

 あと少しで首に届くかに思えた真朱の刀は、しかし黒死牟の有り得ない重さを持った斬撃によって、バキリと折れた。

 同時に、避けることなど到底できない縦横無尽の攻撃が、勝母の両腕を断ち切った。

 

 ――――― オノレ…!

 

 勝母はそれでもあきらめることはなかった。

 

 大きく口を開くと、目の先に飛ぶ折れた自分の刃を、ガキリと咥えた。

 裂帛なる気合は声にならず、見開いた瞳はさらに赤く染まり、視力を失って久しい右目の周囲から頬にかけて、奇妙な紋様が浮かび上がる。

 

 今や、勝母は一つの火の玉と化していた。

 凄まじい昂揚に、身体中の血が蒸発するかに思える熱さを帯びる。

 鬼狩りであった頃の勢いのままに、勝母は疾走した。

 (まなじり)を決した赤い瞳は斬撃をかいくぐり、老いたとは思えない俊敏な動きで、黒死牟を追い詰めんと向かっていく。

 

 黒死牟は軽く動揺したのかもしれない。

 自分でも気付かぬ間に、虚哭(きょこく)神去(かむさり)をまた振るっていた。

 無数の目に覆われた刀が一閃し、勝母の首を斬った。

 しかし、それでも勝母はその口に欠けた日輪刀を咥えたまま、黒死牟に迫った。

 

「………!」

 

 黒死牟はわずかに後退(あとずさ)って、向かってきた頭を止めるように、刀を前へと押し出す。

 光を失って久しい赤い右目を、虚哭神去が刺し貫いた。

 

 ゆっくりと、勝母の口から真朱の刃が落ちた。

 

「首だけで来おった、か……見事。…だが……執拗也」

 

 黒死牟はつぶやき、ブンと刀を振った。

 (きっさき)に刺さっていた勝母の頭が飛んで、ゴロリと泥の上で転がった。

 

 しばらくの間、黒死牟はその赤く染まった左目を見つめていた。

 カッと見開かれたまま、もはや何も映すことのない瞳は、それでも黒死牟を凝視している。

 

 赤い目に、ヒラリと雪が舞い落ちた。

 まだ熱があるのか、ジュワリと溶けて消える。

 

 いつの間にか雪は小降りになっていた。

 見上げれば鈍色(にびいろ)の雲がどんどんと流れていく。

 地上はそうでもないが、空の方は強い風が吹いているようだ。

 

 黒死牟はゆっくりと勝母の頭に近寄ると、血のこびりついた髪を無造作に掴んだ。

 

 

<つづく>

 





次回は2023.06.03.更新予定です。
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