【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第四章 深淵(一)

「薫ッ! オイッ!!」

 

 血まみれで河原に突っ伏している薫を見るなり、実弥はその首に当てられた刀を忌々し気に取り払った。持っていた止血用の(さら)しで傷口を押さえ、気道を塞がないように手で圧迫する。

 

 ギリッと奥歯を噛みしめて、後に続いて来ているはずの律歌を呼んだ。

 

房前(ふささき)ッ! 早く来いッ!!」

「あんたが早過ぎなんでしょお…」

 

 文句を言いながらやって来た律歌(りつか)は、薫の姿を見るなり一瞬、棒立ちになった。

 けれどすぐに走り寄ってきて、薫の胸に耳を当てる。

 弱々しいながらも、鼓動を感じると、ホッとした顔になった。それからすぐにテキパキと診察しながら処置していく。

 

「脇腹もやられてるわね…首の傷は……深くはないわ。この分だとすぐに縫合(ほうごう)すれば…」

 

 話している間にも、翔太郎の鴉によって(しら)せを受けていた隠たちが、わらわらと走ってくる。

 

「このままあんたは薫を運んで。おっ母様に言って輸血の準備を…」

 

 言いかけて、律歌はふと、倒れた薫から少し離れた所に転がっているものに気付いた。

 岩陰に隠れてさっきまで見えなかった()()()()を見て、律歌はそのまま硬直する。

 実弥は怪訝に律歌の目線の先を見やって、同じように固まった。

 

 そこに勝母の首が落ちていた。

 石の間に転がって、傾いた顔。

 赤く(こご)った目は、それでもまだ何かを睨みつけているかのようだ。……

 

「嘘…」

 

 律歌はボソリとつぶやいた。「嘘、嘘…」と唱えながら、ほとんど這うようにして首へと近寄る。

 震える手で、そうっと泥で固まった髪に触れると、一気に涙が溢れた。

 

「おっ母様!! 嫌! どうしてッ!?」

 

 律歌の悲鳴に切り裂かれたかのように、雲が千切れて、朱色の光が勝母の頭を照らした。

 その場に駆けつけた隠たちも、長らく彼らを指導してきた元花柱の突然の死に呆然とする。

 サラサラと流れる川の音と、欷歔(ききょ)する声に沈みそうになった彼らに、実弥の怒号が響いた。

 

「やることやれッ! 生存者の救護を優先しろッ!!」

 

 隠たちは風柱の言葉に、ハッと我に返ると、あわてたように作業を開始した。

 

「こちらにも生存者います!」

 

 隠は岩陰に隠れて、固まっている八重(やえ)を見つけた。大丈夫か? と問われても、八重はあまりの恐怖の連続で、声がでなくなっていた。

 

 律歌もまた、実弥の叱責に自分の役割を思い出した。

 

 唇を噛みしめて、そっと勝母の顔を空に向かせる。

 右目は刀で刺されたのか、暗い穴が虚無を覗かせている。

 律歌は開ききったままだった左の瞼を下ろした。

 そばにいた隠の一人が、懐から手拭いを出して、勝母の顔に被せた。

 

「ありがとう」

 

 律歌は礼を言うと立ち上がった。

 

「薫を最優先にする。不死川、一緒に来て。輸血が必要だわ」

 

 手短に言って、律歌はその場のことを隠に任せると、担架に乗せられた薫と一緒に山を下った。

 勝母亡き今、療養所で手当をできるのは律歌(じぶん)だけだ。

 

 

◆◆◆

 

 

 百花(ひゃっか)屋敷に戻ってきて、律歌はすぐさま薫の首と脇腹の縫合を行った。

 麻酔もなしだったが、薫は昏睡状態にあるのか、痛みで意識が戻ることはなかった。

 濡れた隊服は既に手術前に切り裂いて取り除けてしまっていたので、薄物の長襦袢(ながじゅばん)だけを着せる。

 

「さて…」

 

 律歌はしばし考えてから、傷口に障らないよう薫を横向きに寝かせた。

 こういう時のためにと勝母が外国から取り寄せた、特に温かくて軽い羽毛の掛け布団を被せると、襖を開けて実弥を呼んだ。

 

「首の傷はそんなに深くなかったけど、出血はひどいわ。やっぱり輸血が必要だから、お願い」

「わかった」

 

 すぐさま腕をまくって、薫の隣に腰をおろした実弥に、律歌は付け加えた。

 

「あぁ、悪いけど一緒に寝て」

「はァ?」

「わかるでしょ? 出血多量で、しかもあの冷たい川に浸かってたのよ。体が冷えてるの。温める必要があるのよ。だから一緒に寝てやって」

「な…ば…馬鹿言えっ」

 

 狼狽する実弥に、律歌は眉をひそめる。

 

「なに恥ずかしがってんのよ? 助けたいんでしょ」

「それは……じゃあ、温めるのはお前がやれよ。俺は血はやるから!!」

「アンタふざけてんの? 私は忙しいのよ。薫だけじゃない、八重だって怪我してるみたいだし、薫と同じように体が冷えてるなら、温めてあげないといけないの! 翔太郎の行方もわからないし…」

「他に、女いねぇのかよ!?」

「いないわよ! 来てる隠も男しかいないし。だいたい、鬼殺隊に女が少ないことくらい、柱だったら十分に知ってるでしょ! そんなに嫌なら、他の男に頼もうか? アンタ目の前で輸血しながら、他の男に温めてもらう薫見ておくの!?」

 

 実弥は黙り込んだ。

 そんなことを想像するのも無理だった。

 

「輸血も必要だし、保温も必要なの。四の五の言わずに、とっととやれッ!!」

 

 律歌の剣幕は、勝母を彷彿とさせた。

 かつて稀血で鬼をおびき寄せるために、自らの体を傷つけていた実弥を、一刀両断にどやしつけた。……

 

 

 ――――― そんなモンを利用しないと鬼を()れないようじゃ、鬼狩りとしちゃ三流どころか外道だね! この馬鹿ガキが!

 

 

 あの婆さんがいたら、同じように叱りつけられていたことだろう。ついでにドッスリと重い平手で背中を打たれたかもしれない。

「シャッキリしな!」と。

 

 しかしのんびりと回想している暇はなかった。

 律歌は無理やりに実弥の上着を脱がせると、眠っている薫の隣に寝るよう指示…というより、命令する。

 薫は横を向いて寝かされており、その背中側に実弥は逡巡しながらも横になった。

 

 律歌は輸血の準備をするために少しその場を離れていたが、器具を持ってきて、()()()()()に寝ている実弥を見て、頬をひくつかせた。

 掛け布団をガバッと取って、大声で怒鳴りつける。

 

「いつまで恥ずかしがってんだーッ! そんなんで温められるかあッ! 雛鳥抱く親鳥みたいに、抱きかかえなさーいッ」

 

 大声でわめきながら、ゴロリと実弥を半回転させると、無理やりに薫の腕の上に実弥の腕を被せるように乗せる。

 

「おいッ! これ…」

 

 反論する実弥の目の前に、律歌は注射針を閃かせた。

 

「動くな。寝ろ。このまま輸血する」

 

 平坦で無機質な声音は、いっそ怖かった。

 押し黙ると、すぐさま腕に針が刺される。

 

「ちょっと、動かないように薫の手首握ってて」

 

 律歌は次から次へと、無理難題を注文してくる。

 実弥は必死で心の中で『治療、治療』と何度も唱えながら、薫の手首をそっと握った。

 

「…………」

 

 おそろしく冷たい。ゾクリと寒気が背筋を這う。

 

 律歌は薫の手首にも器用に針を刺した。

 管に血が通っていくのを確認すると、当然のように言った。

 

「動いたら駄目だから、そのまま握っててよ」

「え?」

「なによ?」

「………」 

 

 こうなるともう動けない。

 ひたすら早く終われと念じる実弥に、律歌はバサリと布団を被せながら無情に言った。

 

「輸血自体は、そう時間かからないけど、終わっても体温が戻るまでは抱いておいてあげてね」

「はぁ? 冗談…ッ」

 

 思わず声をあげる実弥に、律歌は即座に聞き返す。

 

「な・に・よ?」

「…………」

 

 勝母とはまた別の、静かな剣幕が怖い。

 返事をしない実弥を、律歌はじーっと見てボソリと言った。

 

「……やらしーこと考えないように」

「当たり前だッ!」

「ハハッ! じゃ、頼んだわよ」

 

 ヒラヒラと律歌が手を振って出て行った後、実弥は歯噛みした。

 なんだかんだでうまく丸め込まれた気がしなくもない。

 それでもさっき、薫の手首を握ったときの冷たさを思うと、律歌がふざけているわけでないのはわかる。

 

 実弥は自由のきく方の手で薫の額に触れてみた。

 さっき手首を掴んだとき以上に、もはや凍っているのかと思える冷たさにゾッとする。

 

 ――――― 冗談じゃない…

 

 途端に焦り出す。

 

 律歌にしつこく言われても、薄い長襦袢だけの身体(からだ)には触れないように添わせるだけだったのを、思いきってくっつくと、本当に冷え切っていた。

 

「クソ…馬鹿が…」

 

 それこそ背後から抱きかかえるように、寒さに震える鳥を(いだ)くように、そっと温める。

 血がゆっくりと管を伝っていくのを感じながら、実弥は薫を見つけたときのことを思い返していた。

 

 確かに首に刃を当てていた。

 それも自分の手で。

 つまり……自死をはかっていた、ということになる。

 

 実弥は険しい顔になり、唇を噛みしめた。

 

 いったい、何があった?

 

 これまでにも薫にとってつらいことは幾つもあった。

 養父母の死から始まって、仲の良い同僚の死、師匠の死、そして……匡近の死。

 

 鬼殺隊にいる限り、死は隣り合わせにある。

 それでも自ら死を選ぶことだけはしなかったはずだ。

 歯を食いしばって、残された者の責務として、生きることから逃げたりしない。

 そういう奴だったはずだ。

 

 実弥はまだ湿っている薫の後頭部を見ながら、ふと薩見(さつみ)邸で泣いていた姿を思い出した。

 

 

 ――――― 匡近さん。どうして…いないんですか?

 

 

 ズキリと胸が痛む。あのときと同じように。

 ここに匡近がいてくれたら…と痛切に思う。

 自分では慰めることなどできない。傷ついた薫の心を癒すことも…できない。

 

 

 ――――― あなたに何がわかるんですか!

 

 

 悲痛な叫びに、何も言えなかった。

 今まで自分が薫のためだと思っていたことが、薫にとってはすべて棄てられたも同然の仕打ちだったのだと、ようやく気付く。

 でも、もう遅い……。

 

 

 ――――― 一緒にいよう…って、手を伸ばしてくれたら…

 

 

 あえかな声で訴えた薫の、希望の絶えた白い顔。

 

 ずっと昔、川べりを歩く薫が、死人のように何の感情もない目で、川の流れを見ていた姿が重なる。

 

 あのときからずっと、気付いていたはずなのに。

 目の前の大人びた顔をして笑う少女が、本当はひどく傷ついているのだと。

 幼いながらに何度も繰り返された別離の中で、少しずつ自分を削られて、息絶えそうになりながら生きてきたことを。

 

「………」

 

 かすかな溜息とともに、実弥は冷たい薫の肩に顔を埋めた。

 

 後悔しかない過去の日も、この先も、実弥には自分がどうするべきなのか、わからない。

 

 ただ、今は……

 

「生きろ…頼む」

 

 祈り、念じて、薫の身体(からだ)を包む。

 

 自分の血も、熱も、今は腕の中にいる彼女のためだけにある。……

 

 

 

<つづく>

 





次回は2023.06.17.更新予定です。
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