【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第四章 深淵(四)

「なんや、なんや。えらいせわしないなぁ…」

 

 宝耳(ほうじ)は普段とは違い、妙に張り詰めた百花(ひゃっか)屋敷の雰囲気に目を丸くした。

 隠の人数も多く、皆やって来た宝耳に目もくれず忙しく走り回っている。

 

「ぎょうさん、死によったんかいな…? 困ったな」

 

 ブツブツとつぶやきながら歩いていると、ようやく見知った顔が廊下の曲がり角から現れた。

 

「おう、律歌(りつか)よ。どないした? えらい忙しそうやないか」

 

 律歌はやや寝不足なのもあって、しばらくまじまじと宝耳を見つめてから、ようやく目の前の男が誰かに思い至ったようだった。

 

「あぁ…誰かと思ったら。宝耳さんじゃないの。なに? なんか用?」

「なんか用とはぞんざいな。ワイはこれでもおっ()様に呼ばれてきたんやで」

 

 くだけた口調で、この屋敷の主人の呼び名を言った途端に、律歌の顔は曇り、目が潤んだ。

 宝耳は瞬時に異変を悟った。

 

「どないした? まさか…死んだんか?」

 

 律歌は目から零れ落ちた涙をぬぐい、コクリと頷いた。

 

「……おそらく鬼にやられたの。首を斬られてた」

「首やと?」

 

 宝耳の胸がざわついた。

 若い鬼であれば、今でも難なく討伐できるだろうと…そんな話をしたのはつい一昨日のことであるのに。

 

「おそらく…ゆうことは、まだその鬼についてはわかっとらんのか?」

「えぇ。詳細を知っていそうな(かおる)翔太郎(しょうたろう)は意識不明で、弟子の八重(やえ)はよっぽど怖い目に遭ったのか、口がきけない状態なの」

 

 宝耳は眉を寄せた。

 確か、一昨日、勝母(かつも)と会ったときには、その弟子の娘は出奔したと言っていた。勝母の日輪刀を持って行ったので、もし市場に出回るようなことがあれば回収を頼むとも言われていたが、戻ってきていたのだろうか?

 

 宝耳が考えていると、律歌はスンと(はな)をすすって尋ねてきた。

 

「それで…おっ母様に呼ばれたって?」

「おぅ。いや、一昨日(おとつい)にもここに来たんやけどな、ちょいとばかし話があって。そのときに言い忘れとったことがあったみたいでな…手紙もろたんや」

 

 話しながら、宝耳は律歌に勝母からの文を渡した。

 律歌は受け取って、その手短な用件だけの手紙の、見慣れた太い文字にまた目を潤ませた。

 

「おっ母様の字ね…。『夫ノ日記有リ。必要ナラバ来イ』か。これを貰いに来たの?」

「あぁ。忙しいとこ悪いけど、見せてもらえんか?」

「うーん。私も東京からこっちに戻ってきたばっかりで、いきなりこの状況なのよ。おっ母様の部屋に用意してあるのかもしれないけど…悪いけど、自分で確認してもらってもいい? あ、それ以外には勝手に触っちゃ駄目よ」

「わかっとる、わかっとる。どこで勝母刀自(とじ)の目が光っとるやしれんのに、そないな恐ろしいことするかいな」

 

 わざとらしくブルブル震える宝耳に、律歌は笑って言った。

 

「その前に、おっ母様に挨拶していってね」

「おぅ…なんぞ手伝えることあったら言い。おっちゃんの手ェでよければ貸したろ。猫よりは役に立つで」

「ありがと。そのときには遠慮なく頼むわ」

 

 律歌は少しだけホッとした顔になると、呼びに来た隠について走っていってしまった。

 

 宝耳はしばらく考えてから、屋敷の離れの方へと向かった。

 そこは死亡した隊士たちを一時的に安置する場所だった。

 

 鬱蒼とした木々に囲まれ、濃い影の中にある離れ家は、洋風の建築になっており、床がコンクリートで下足のまま入っていけるようになっている。夏場でもひんやりとしているが、冬の今は足先から寒さが染みてくる。

 

 ガランとした部屋の中に、白木の棺が一つあった。

 蓋はまだされていない。

 宝耳は無表情に棺の側まで来てから、両腕を斬られ固まった遺体にかすかに眉を寄せた。

 

 切断された左右の腕は、歪な形のまま白く固まっており、胸の上には折れた刀が置かれていた。

 面を覆う白い布を取り除けると、瞼の閉じた左目の安らかさとは対照的に、右目は暗い穴が空いていた。

 恨めしげに宝耳を見つめているようだ。

 顔はある程度、綺麗に拭かれていたが、それでも切創が残っている。特に口周りは、まるで裂けたかのように深く抉れていた。

 宝耳はよくよくその傷口を見つめてから、フッと笑った。

 

「さすがでんな、勝母刀自。おそろしいほどや…」

 

 確証はない。だが、おそらく勝母は両腕を斬られたあと、刀を口に咥えてでも鬼に迫ったのだろう。

 その気魄、その執念。

 さすがは老いたりとはいえ、往時には最強を冠した花柱だ。刀を持てなくなっても、最期の瞬間まで諦めなかった……。

 

 宝耳は再び布を顔にかぶせると、軽く黙礼してから、離れを出て行った。

 

 本来の目的である那霧(なぎり)博士の日記を探さねばならない。

 勝母の部屋に向かっていると、途中で不自然に辺りを見回しながら、廊下を歩いて行く娘の姿が目に入った。

 

 宝耳は首を傾げた。

 確か、あれは勝母の弟子ではなかったろうか?

 今となっては、最後の弟子となった星田八重。

 もっとも勝母からは修行に耐えきれず、出て行ったと聞いていたが…。

 

 キョロキョロと見回す八重に気付かれる前に、宝耳はさっと物陰に身を隠した。

 八重のほうもバタバタと走り回る隠たちに気付かれないように、柱の影に身を潜ませたりしながら、東にある療養部屋へと向かっている。

 

「あの坊主、意識が戻ったはいいが、鬼に助けられたとか言ってるらしい」

「ハァ? 頭でもぶつけたのか?」

 

 屈み込む宝耳の頭の上辺りで、隠たちは噂しながら走り去っていく。

 こちらもまた気になる情報であったが、隠たちを始めとして屋敷の人間はどうやら意識の戻った坊主の方へと集中しているらしく、すっかりこちらの棟は人気がない。

 無人となった廊下を歩いて行く八重の顔は蒼白で、見開いた目は、ひどく切羽詰まっていた。

 宝耳はそのまま八重を追った。

 やがて風通しのために半分障子戸の開いた和室の前に来て、八重が懐から短刀を取り出したのを見て、宝耳はニヤリと笑った。

 どうやらこちらを選んで正解だったようだ。

 

 そろそろと八重は中に入ると、部屋の中央で眠る人物をしばらく血走った目で見つめていた。

 

「……お…お…」

 

 低く呻いて、八重が短刀を振り上げる。

 しかし眠る人物の首元を狙った剣先は、すんでのところで止まった。

 

「怪我人を殺すなんぞ…穏やかやないなァ」

 

 ニンマリ笑って宝耳が言うと、八重がキッと睨みつける。

 

「う…ぐッ!」

 

 腕を振り払おうとするが、宝耳はガッチリ掴んでいてびくともしない。それどころか腕を掴む力がどんどん増していき、とうとう八重の手からぽろりと短刀が落ちた。

 宝耳は短刀を踏むと、すぐさま廊下の方へと蹴飛ばした。

 

「うっ……ううっ」

 

 八重は振りほどこうと腕を振り回すが、宝耳はまったく気にする様子もなく掴んだまま、そこに横たわっている人をチラと見やる。

 

「なんや、お嬢さんやないか」

 

 薫が眠っているのを知って、尚の事、八重の腕を掴む力が増した。

 

「これはこれは、面白いことやな。えぇ? 勝母刀自の弟子っ子が、なんでまた怪我して意識のないお嬢さんを殺そうとするんや?」

「う……おお…お」

 

 八重は必死に何かを訴えようとしていたが、言葉にならない。

 宝耳は首を傾げた。

 

「なんや、お前さん。しゃべられへんのか?」

 

 問いながら、さっき律歌に言われたことを思い出す。

 そういえば弟子の娘は、口がきけなくなっていると、言っていたような気がする。

 

「喉が痙攣しとるんか?」

 

 尋ねた宝耳に、八重は口をパクパクと鯉のように動かす。

 宝耳は眉を寄せ、その言葉を読み取ろうとした。

 

「……お……に…?」

 

 だが、全てを言う前に、廊下から聞こえた律歌の声に、八重はビクリと身を震わせて固まった。

 

「もー、ちょっと。誰よ、こんなところに懐刀(かいとう)を放り出して…しかも剥き出しで」

 

 律歌はパタパタと足早に近づいてくると、廊下に転がっていた短刀を拾い上げようとして、部屋を見た途端に血相を変えた。

 

「ちょっと! なにしてんのよ!?」

 

 大声で宝耳を制止したのは、腕を掴まれた八重が痛そうに顔を歪めていたからだ。

 律歌は大股に歩み寄って、宝耳を叱責した。

 

「いったい、なに考えているのよ!!」

「いや、ちょいと話を聞こうとして…」

「話? 八重は今、喋れないんだって言ったでしょ?」

 

 宝耳が律歌に気を取られて力を弱めた隙に、八重は素早く腕を振りほどくと、よろめきながらその場から(のが)れた。

 途中で廊下に落ちたままの短刀を拾うと、裸足で庭に飛び降りる。

 

「八重! どこ行くの!?」

 

 律歌は叫んだが、八重は庭を縦断して走り去っていく。

 あっという間の出来事に、律歌はしばらく呆然と庭を見つめていた。

 

「いったい…何?」

 

 誰にともなくつぶやいたが、宝耳が背後から声をかける。

 

「なんなんやろなぁ、ホンマに」

 

 律歌は振り返ると、宝耳をジロリと睨んだ。

 

「なにやってるのよ? ただでさえ忙しいってのに。八重はもしかしたら、おっ母様を殺した鬼を見てるかもしれないのよ? 貴重な証人なのよ?」

「せやけど、なんも喋られへんやないか。よっぽど怖い目に遭ぅたんかして、話そうにも喉が痙攣してまうみたいや」

「………」

 

 律歌は眉を寄せると、静かに薫のそばまで来て、相変わらず青ざめた寝顔を見て溜息をついた。

 

「お嬢さんも、その鬼と戦ったんか?」

「……わからない。さっきも言ったでしょ。私はこのひと月近くは東京に行ってて、昨日、帰ってきたばかりだったの。ここに向かう途中で鴉からの救援要請を聞いて、あわてて駆けつけたのよ」

 

 昨日戻ってきて今日に至るまで、律歌は動き回って気の休まる暇もない。顔には疲労の色が濃かった。しかし宝耳は頓着することもなく、また新たな事実を伝える。

 

「ふん。ほな、さっきの弟子っ子が逐電しとったいうのも知らんのやな」

「えぇ? なに、それ? どういうこと?」

「そのままや。ワイがここに一昨日(おとつい)に来たときには、勝母刀自から弟子が逃げたと聞かされたんや。しかも何を考えとんのやら、勝母刀自の日輪刀を持って逃げよった」

「はぁ?! なに考えてるの、あの子!」

 

 律歌は憤然となったが、宝耳は仕方なさそうに肩をすくめた。

 

「ワイにもよぉわからんことばっかりや。ほんの前に来たときには、勝母刀自と二人で茶ァ飲んで、昔話なんぞしてもろとったゆぅのになぁ…。手紙もろてトンボ返りで戻ってみれば、百まで生きると思とったお(ばば)様は亡ぉなって、お()はん一人でキリキリ舞いしとるし、お嬢さんはこの通り、枕元で騒いどっても、なーんも知らんで寝入っとるし」  

「そうだ。八重はここに何しに来たの?」

 

 律歌はふと思い出して問うたが、宝耳はゆっくりと首を振った。

 

「さぁ…なにがしたかったんやら?」

 

 あえて八重が薫の命を狙ったことについては言わなかった。

 一応、律歌にこれ以上心労をかけるのもよくないだろう…という言い訳はできたが、結局のところ、なんとなく言わないほうがいい気がしたというだけだ。

 

 律歌はしばらく考え込んで、薫の顔を見ながらつぶやいた。

 

「もしかしたら、薫にお礼がしたかったのかしら?」

「お礼?」

「八重は薫が倒れた場所の近くで見つかったの。あの子だけが意識もあって、そんなに大した怪我もなかったのよ。もしかしたら、薫が助けたのかもしれないわ」

「ほぉ。それで声が出んでも、一目、顔見てお礼がしたかった…と?」

「ちょっと偏屈な子だから…私やあなたがいて、恥ずかしくなっちゃったのかもね」

「ふぅん」

 

 宝耳がやや白けたように相槌を打つと、律歌は眉を寄せた。

 

「なによ。そもそもどうしてあなたがここにいるのよ?」

「ワイか? いや、お嬢さんも怪我しとるいうから、一応見舞いにな」

「あぁ、そう。じゃ、顔も見たし、さっそく手をお貸しいただける? 八重を連れ戻してちょうだい。あの子だって、軽傷とはいえ怪我してるのに」

「えぇ? さっきのお()はんの言葉を借りるなら、偏屈な恥ずかしがりなんでっしゃろ? 追うたら逃げよるんと()ゃいます? むしろ、ここで待っとけば、そのうち()()()()()()来ますやろ?」

 

 律歌はしばらく思案した。確かに宝耳の言う通り、八重は妙に気難しいところがあり、追えば逃げるような性格ではある。それにそもそも修行を嫌がって出奔していたのなら、なおのこと今ここで治療を受けるのは、本人にとってはいたたまれないものがあるのかもしれない。

 

「そうね。ま、死にはしないでしょ」

 

 とりあえず律歌は八重については、置いておくことにした。

 正直、仕事は山積みで、逃げ出した弟子にかかずらっている暇はない。

 

「ほな、ワイは勝母刀自の部屋で探しものさせてもらいますわ」

 

 宝耳は片付いたとばかりに、さっさと立ち去っていく。

 律歌はその後姿を見送りながら、ふと以前に勝母に言われた言葉を思い出した。

 

 

 ――――― 伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)は優秀だよ。でも、アイツのすべてを信用はできない…

 

 

 いつもフラリと現れては、とぼけたような態度で本心を見せない男。

 律歌は時々、宝耳と話していると、どこか空虚なものを感じることがあった。

 嘘つきというわけではないのだが、彼の言葉はうわすべりしているように思えることがあるのだ。

 

「う……」

 

 薫のうめき声に我に返ると、律歌は元々の用事を思い出した。

 そもそもは薫のガーゼなどを交換するついでに、傷口の状態などを診に来たのだ。

 

「……助け…て……さ…み…さ…」

 

 包帯を巻き直していると、薫の顔が歪み、苦しげにその名を呼ぶ。

 あまりよくない夢を見ているようだ。

 

「薫、薫」

 

 軽く揺すってみたが、悪夢はすぐに消えたのか、また静かな寝息に戻った。

 律歌は軽く息をついて、手当てのためにはだけていた肌襦袢の衿を合わせる。

 そっと布団をかけてやってから、ポンポンと上から軽く叩いて、励ますように呼びかけた。

 

「不死川は仕事終わらせたら、すぐに飛んで来るだろうから…それまではゆっくり寝てなさい」

 

 

 

<つづく>

 





申し訳ありません。
都合により、次回の更新は二週間後の2023.07.15.になります。
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