【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第五章 虚実(二)

 凶刃はまたしても(かおる)に届かなかった。

 前回は宝耳(ほうじ)が止めたが、今回、短刀を振り上げた八重(やえ)の腕をがっちりと掴んでいたのは、風柱である不死川実弥だった。

 

「何の真似だァ? テメェ…」

 

 ただでさえ凶器のような風柱の顔と、ドス黒い怒りに満ちた声が低く響いて、八重は一気に蒼白になった。へなへなと腰が抜けたように座り込む。

 

「おやおや、まぁまぁ…今日はお嬢さんに珍客がよう訪れることですなぁ」

 

 のんびりと宝耳が入ってくると、実弥はギロリと睨みつけた。

 

「なに呑気なこと言ってやがる? テメェ、房前(ふささき)に頼まれて、見張ってたんじゃねぇのか?」

「見張りとはまた穏やかやないな。ただの付き添いでんがな。お嬢さんがもしも容態が急変したときに…いうことで」

「似たようなもんだ。テメェがここを離れたから、こんな女が忍び込んできたんだろうが」

「そない殺生な、風柱様。ワイかて小便くらいさせてもらわんと」

「……だったら、そこの野郎を置いていけばいいだろうが」

「この坊主はまだ怪我から本復(ほんぷく)しとりませんねや」

「いや、俺大丈夫…」

 

 翔太郎(しょうたろう)は思わず会話の流れで言いかけたものの、背後からの凄まじい怒号にかき消された。

 

「なにやってんのよぉッ! アンタたちッ!!」

 

 律歌(りつか)は部屋に入るなり、その惨状に混乱した。

 土足で上がり込んだのであろう、点々とついた足跡。はねた泥で汚れた布団。転がった灰皿。

 すっかり散らかった部屋の中で、病人の枕元に群がる男共と、久しぶりに姿を現した八重。

 しかもその手には短刀が握られ、その八重の手を実弥が握り潰す勢いで掴んでいる。

 

「いったい、なんなの? これは」

 

 困惑気味につぶやいたが、すぐに答える声はない。

 実弥が八重の腕をギリッとひねって、手に持っていた刀を奪い取ると、無理やり立ち上がらせて、律歌へと押しやった。

 

「この女が薫を殺そうとしていた」

 

 吐き捨てるように言った実弥の言葉に、律歌は目をしばたかせる。だが実弥の手に握られている短刀の閃きは、贋物(ニセモノ)ではない。

 先程までの状況を考えても、実弥の話が嘘でないことはすぐにわかった。

 よろけるように自分のところに来た八重の肩を掴んで、律歌は泣きそうになりながら叱りつけた。

 

「いったい…なにやってんのよぉ…あんたは」

 

 律歌はもはや情けなかった。

 親を鬼に殺され隊士になりたいとやって来て、それでも修行が厳しくて逃げるのは、今までにもいたし、それを咎めるつもりはない。だが、この数ヶ月、律歌は亡き勝母(かつも)に代わって、薫の治療にあたってきた。勝母もまた、きっと薫や翔太郎を守るために戦って死んだはずだというのに。どうしてそれを踏みにじるような真似をするのか…理解できない。

 

「おっ()様に申し訳ないと思わないの? あんた、勝手におっ母様の日輪刀を持ち出して逃げたというじゃないの。そればかりか…薫にだって、助けてもらったんでしょう? それなのに、どうしてこんな…」

 

 しかし八重は律歌の涙まじりの非難に、ギリっと奥歯を噛みしめた。

 暗い目が薫を睨む。

 不穏な気配を察して、実弥が視線を遮るように立つと、八重はまた捕まってはたまらないと思ったのか、障子戸の近くまで後ずさった。

 

「八重…お前、なに考えてんだ?」

 

 翔太郎もまた理解不能だと言わんばかりに非難すると、八重は我慢ならなかったのか、とうとう叫んだ。 

 

「私は悪くないわ!」

 

 叫んでから、ハッと口に手をやる。

 律歌が呆然としながら問いかけた。

 

「八重…あんた……声が、戻ったのね…?」

 

 八重は自身でも意外であったのか、驚いた様子であったが「わたし…わたし…」と何度かつぶやいて、声を取り戻したことを確信すると、傲然と胸を張った。

 

「そうよ! 私は悪くない! 私は鬼を殺しに来ただけなんだから!!」

 

 その場にいた全員が、キョトンとして八重を見つめた。

 自分に集中する視線にも八重は臆することなく、眠る薫をビシリと指差すと、勝ち誇ったかのように言いきる。

 

「その女は鬼よ!」

 

 一気に、シンと静まり返り、全員が固まった。

 最初に怒鳴りつけたのは実弥だった。

 

「フザけんな、テメェ! ンな嘘、誰が信じるかッ!」

「そうだ! お前、なに言ってんだ? 殺しにきた挙句に、そんな馬鹿な嘘でごまかせると思ってんのかよ!?」

 

 翔太郎も詰め寄って、八重の襟首を掴む。

 しかし八重は翔太郎の失った右手の、まだ痛みの残る脇の辺りをグイと押しやって逃れた。

 翔太郎が痛みに顔をしかめ、八重が少しだけ申し訳なさげに手を引っ込めた瞬間に、いつの間にか近づいてきていた律歌がパシリと八重の頬を()った。

 

「いい加減にしなさいよ…」

 

 律歌の声は震えていた。それが怒りなのか悲しみなのか、本人にも区別がつかない。

 

「あんたが…薫に対して、いい感情を持っていなかったのは知ってるわ。薫が元華族の令嬢だからっていうだけで、苦労知らずのお嬢様だと決めつけて、勝手に羨んで…翔太郎が、薫に好意を寄せてることだって、あなたには許せなかったんでしょう。自分勝手に妬んで敵視した挙句に、そんな根も葉もない嘘を……」

 

 八重は律歌に殴られた頬を震える手で押さえながら、ギロリと目の前に立つ二人を睨みつけた。

 

「嘘じゃないわ! 私、聞いたんだから!! 六つ目の鬼が、その女に向かって言ってたのよ!『娘』って! 間違いなく聞いたんだから!!」

「うるせぇ! まだ言うか!!」

 

 翔太郎は手を振り上げたが、八重は顔を庇いながらまだ続けた。

 

「久しぶりに会った…って、言ってたのよ! ずっと、この女は私たちを騙してきたんだわ! 鬼のくせに鬼殺隊に入って…そうよ! もしかしたらこの女と一緒に任務に行って死んだ隊士は、この女が殺して食べたのかもしれないわ!!」

 

 律歌と翔太郎はその禍々(まがまが)しい言葉に、もはや怒りを通り越して呆気に取られた。

 固まった二人の後ろで、無言で動いたのは実弥だった。

 ずっと薫のそばで立っていた実弥は、音もなく近寄って、気付けばその伸ばした手で八重の頭を鷲掴みにしようとしていた。

 

 いきなり目の前に現れた風柱の、狂気を宿した瞳に射抜かれて、八重は真っ青になってまたその場にへたり込む。

 だが八重の頭を掴もうとしていた傷だらけの左手は、宝耳によってすんでで止められていた。

 

「お怒りはごもっともやけど、風柱さまが手出しするような相手でもございまへんやろ。隊士でもない、修行を嫌がって逃げ出すような、根性なしの弟子っ子風情でっせ」

「離せ」

 

 静かに実弥は言ったが、その迫力は普通であれば聞き入れるしかないほどに恐ろしい恫喝を秘めていた。

 

「離す前に、ワイにも少しは喋らせてほしいもんですな。―― 律歌よ…」

 

 宝耳はその場の雰囲気を和ますためにか薄笑いを浮かべ、のんびりと言ったものの、律歌に向けた視線は鋭かった。

 

「なに?」

「お()はん、治療しとったなら気付いとるはずや。お嬢さんの首の傷、あれ、鬼にやられたもんと()ゃうやろ?」

 

 宝耳の問いかけに、顔を強張らせたのは律歌だけではない。実弥も眉を寄せ、唇を噛み締める。その沈痛な面持ちに、宝耳は確信を深めた。

 

「お嬢さんは自刃しようとしはった…そういうことやな?」

「嘘だ!」

 

 すぐに否定したのは、翔太郎だった。

 

「薫さんが自殺なんて…そんなこと考えるわけがない!」

 

 しかしこれもまた八重が声を上げた。

 

「そうよ! この女、首に刀を押し当ててたわ。鬼に食べてやるって言われて、怖くなって、自分で死のうとしていたのよ!」

 

 実弥の、圧死させるかのような視線からジリジリと逃げつつ、八重はそれでも半笑いの上ずった声で、必死になって叫ぶ。

 律歌はすぐさま反論した。 

 

「確実なことはわからない。鬼にやられたのかもしれないわ」

「ふん。そやなぁ」

 

 宝耳は頷いてから、目の前で俯いている実弥に尋ねた。

 

「風柱様は、どない思います? 可愛い妹弟子のことや。なんぞ心当たりありまへんか?」

 

 実弥は唇を引き結び、答えない。

 やがてじっとりと宝耳を睨んで言った。

 

「そんなことは、どうでもいい。問題は、この女が療養中の鬼殺隊士を殺そうとしたことだろうがァ…」

 

 しかし宝耳は実弥の焦り(・・)を見過ごさなかった。

 

「ふ…ん。あえて話を変えはりますか…?」

 

 ニンマリ笑って、実弥を探るように見てくる。

 実弥は右手の拳を強く握りしめた。宝耳の推測を否定できない。事実、実弥の目の前で薫は死のうとしていたのだから…。

 

 

 ――――― 駄目なんです…私は…死なないと…

 

 

 気丈で、ときに強情ですらあった薫の、信じられないほどに弱々しい声。

 宝耳は不意にずっと掴んでいた実弥の左腕を離すと、何かに気付いたかのように「あ…!」と声を上げた。

 

「そういえば、さっきそこの弟子っ子から、風柱様が取り上げた短刀(みじかがたな)…どこにやったかなァ?」

 

 八重が薫を襲ったときに持っていた短刀は、実弥が取り上げたあと、宝耳が「お預かり致します」と申し出てきたので渡しておいたが、今、宝耳の両手には何もない。あわてたように懐や袂をパタパタと触っているが、どこにも見当たらないらしく、「はてさて…どこへいったんや」とつぶやく声は、鬱陶しいほどにのんびりしている。

 

 実弥は顔色を変え、すぐさま薫のもとへと走り寄った。

 しかし薫は、この大騒ぎの中でも、昏々と眠っていた。手の届く範囲に、短刀は落ちていない。

 

 軽く安堵する実弥の背後で、宝耳が八重に鞘を出すように言うのが聞こえた。振り返ってみれば、宝耳は鞘を受け取り、チンと刀身を収めている。

 実弥が凝視すると、気付いた宝耳は、短刀を軽く振って笑った。

 

「テメェ…」

 

 ギリッと実弥は歯噛みしたが、口を噤んだのは、一瞬、薫がかすかに呻いたからだ。

 宝耳はあいた間を逃さず、おもむろに話し出す。

 

「さぁて……どうやらこの困った弟子っ子の言うことすべてが、嘘とも限らんようですな。さっき、坊ンも言うとったように、お嬢さんはすこぶる責任感の強いお人や。そう簡単に自殺なんぞ選ばんやろ。せやけど、この娘の言う通り、自分が鬼になったとしたら…自ら命を絶とうとしてもおかしぃない」

「そんなことあるわけないだろ! 薫さんは太陽が出てるときだって、普通に修練してたんだ!」

 

 翔太郎が反論したが、実弥はふと思い出した。

 刀鍛冶の里で、夜中に修練していた薫。

 鬼が跋扈する夜にしたほうが効果的だと言っていたが、昼見たときの顔色の悪さや、ひどく苦しげな様子に比べると、確かに夜の方が動き回る余裕はあったのだ。

 それに刀鍛冶の里では結局、体調は戻らなかった。……

 

 言葉なく立ち尽くす実弥の前で、律歌が戸惑いながらも、翔太郎に同調して言い立てる。

 

「そうよ。この部屋にだって日が差し込んできて、寝てる薫に太陽の光があたることだってあるわ。でも、こうして普通に寝ているじゃないの。鬼だったら、とうの昔に灰になって消えてるわ」

「さて。そういう細かい理由がわからんよって、詳しい話を聞かんとあきまへん。お嬢さんがまだ意識不明で寝てる以上、とりあえずはそこの弟子っ子から」

 

 宝耳は指さしてニコリと笑ったが、八重は不気味なものを感じて返事しなかった。

 

「コイツのいうことなんか信じられるか! 薫さんを(おとし)めるためには、平気で嘘だってつくんだからな!!」

 

 翔太郎が侮蔑も露わに言うと、八重はすっくと立ち上がって、猛然と抗議した。

 

「嘘なんか言ってない! 私はこの目で見たんだから!! 六つ目の鬼が、自分の血の繋がった娘だって…そうしたら、この女は自分で自分の首を切ったのよ」

 

 言いながら、八重の目から涙が溢れ出た。

 この数ヶ月、悩みに悩んだ。

 声も出なくなって、文字もまともに書くことのできない自分では、誰かに伝えることも難しい。

 そもそも森野辺薫が鬼であることを知っているのは自分一人なのだから、放っておけばいいのだ。

 もう鬼殺隊も鬼も関係ない。自分だけが穏便に暮らしていけばいい…。

 

 そうして八重は、ひたすら忘れようとした。

 けれど、どうしても夢を見る。

 鬼となった森野辺薫に、翔太郎や律歌が襲われて死に、何も言わずに逃げた八重を責める夢を……。

 

 迷いに迷って、八重はここに戻ってきた。

 元凶となる薫を葬るために。

 もし運悪く薫が鬼になっていたらば、自分も殺されるかもしれない。そんな恐怖を(いだ)きながらも、必死の覚悟で帰ってきたのだ。

 それなのに助けようと思っていた二人は、まったく八重の言葉を信じない。それどころか八重を嘘つき呼ばわりし、ひどく軽蔑した目で見てくる。

 

「お前、さっきから見た見たって…じゃあ、なんでそのときに薫さんを助けなかったんだよ! 何もせずにただ見てたってのか?! とんだ卑怯者じゃねぇか!」

 

 翔太郎に厳しく糾弾されると、八重はヒクッとしゃくりあげた。

 勝母の首を持って現れたあの鬼の姿を思い出し、途端に蒼白になってガタガタ震え始める。

 

「無理よ…無理……だって、先生の首持って……あの…鬼……」

 

 宝耳は異様なほどに怯える八重をチラと見てから、ポンと翔太郎の肩を叩いた。

 

「まぁ、そないに責めるのは無体というもんや、坊ン。お()はんかて、その鬼を目の前にして、怖なって声が潰れたと言うてたやないか。見たこともない呼吸の技を使う、異様な鬼やったと」

「じゃあ、あの鬼が、こいつの言ってる六つ目の鬼だってのか?」

「今、この娘がぶつくさ言うとったやろ? 勝母刀自の首を持って現れたのやとしたら、十中八九、同じ鬼やろうで」

「馬鹿な! あの鬼にまともに会って、生きてなんかいられるわけ…」

 

 言いかけて翔太郎は口を噤んだ。

 それこそ八重の言った理由であれば、鬼が薫を殺さずにいたことも納得できてしまう。

 宝耳は急に黙り込んだ翔太郎を見てから、座り込んだままの八重に手を差し出した。

 

「ホレ、いつまでもへたり込んどってもしゃあないやろ。立って、おじさんと一緒に来てもらおうか。それともここにおって、坊ンと律歌(ねえ)さんにくどくどと説教されたいか?」

 

 八重は正直なところ、この得体の知れない男と一緒に行きたいと思わなかったが、ここにいても自分が歓迎されないのだということはわかった。

 少なくとも目の前の男は、自分の話を聞いてはくれそうだ。

 仕方なく、差し出された手を取って立ち上がる。

 

「ほな、行きまひょか」

 

 宝耳が部屋を出ようとすると、それまで黙っていた実弥が「待て」と低く呼び止めた。

 

「何を勝手にテメェが決めてんだ? この女が薫を殺そうとしたことは事実だろうがァ」

「…さいでんな」

「だったらこの女の身柄をテメェに預ける理由なんぞねぇ。牢屋にブチ込んで終わりだ」

「ふむ」

 

 宝耳はしばらく考えてから、ニッコリ笑った。「見逃してくれまへんか?」

 

 実弥は宝耳の厚顔に、一瞬言葉を失った。

 ヒクッと苛立ちで頬の肉が引き()る。

 

「なにを…フザけたこと抜かすな」

「フザけとりまへん。この事については、ワイに預けてもらいたいんですわ」

「テメェにそんな権限があるとでも思ってんのか?」

「権限でっか…」

 

 宝耳の目がスッと細くなる。

 ヒュウと高い口笛が響き、バサリと鴉の羽音がした。

 土で汚れた廊下に、一羽の鴉が降り立つ。

 

月蘭(ユエラン)

 

 宝耳が呼びかけ、左の腕を上げると、鴉は大きな羽を広げ飛び上がり、ゆっくりとその腕に乗った。

 鬼殺隊士であれば珍しくもない光景だ。

 ただ、宝耳の腕に乗った鴉の首に巻きつけられた紫の組紐に、実弥は眉を寄せた。

 

 実弥が知るかぎり、紫の組紐をつけた鴉は、お館様である産屋敷耀哉の鴉だけだった。執事の薩見(さつみ)惟親(これちか)も鎹鴉を持っているが、彼の鴉の首には水色の組紐が巻いてあった。

 

「この子は…お館様の鎹鴉とは兄妹(きょうだい)でしてな」

 

 宝耳が実弥の内心を読み取ったように言った。

 

「同じ巣で生まれ育ったせいか、以心伝心、ほかの鴉と比べても、早ぅにお館様に伝えてくれますねん。今日のことも、すぐさまに」

 

 そう言って宝耳がかすかに腕を動かすと、月蘭と呼ばれた鴉はその場から飛び立った。

 宝耳は実弥の顔を真正面に見つめ、粛然と言った。

 

「これより、この娘の件については、お館様預かりとなります」

 

 実弥はギリッと歯噛みした。

 

「テメェ…何者だ?」

 

 問いかけられ、宝耳はまたヘラっと笑みを浮かべると、わざとらしく頭を下げた。

 

「これはこれは…そういえば、まだ風柱様にはきちんとご挨拶しとりませなんだな。ワイは伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)と申します。隊士も隠もやってますねんけど、一応、鬼殺隊の監察部(かんさつぶ)にも所属しとります」

「監察部?」

 

 実弥は問い返した。

 今までそんな部署を聞いたことがなかったからだ。だが理由はすぐに知れた。

 

「まぁ、監察部なんぞというても、実質ワイ一人ですわ。隊内にたまーに、ちょいとばかし困ったようなことをする隊士がおったときに、取り締まる必要がございましてな。ま、鬼退治に専念してはる柱の皆様方には、縁のない部署でございます」

 

 慇懃な言い方に実弥は苛立ちながらも、宝耳の言葉を無視することはできなかった。

 実弥の腕を掴んだときの力や、柱である自分にもまったく臆することのないこの態度、それに先程の紫の組紐の鎹鴉。

 只者でないことは、すぐに知れた。敵に回せば、かなり厄介そうであることも含めて。

 

「その女の言うことだけを鵜呑みにして決めるなら、黙っちゃいねぇからな」

 

 ほとんど恫喝するように言うと、宝耳は「まさか」と肩をすくめた。

 

「そこは、お館様を信じておられる風柱様であれば、そのようなことが起こらんことは、重々承知でございましょう? 当代の耀哉様は、聡明であられた先代に比べても、道理を弁え、知略に優れた御仁でっせ」

 

 わざとらしい笑顔を浮かべる白髪混じりの男を、実弥は不信感も露わに睨みつけた。だが、お館様の名前まで出されては、面と向かって文句を言うこともできない。

 

 一方、律歌は目まぐるしい状況の変化に唖然として立ち尽くすばかりであったが、八重を連れて部屋を出ていく宝耳にあわてて呼びかけた。

 

「あ…ちょっと! どうするのよ、この…おっ母様の旦那様の日記!」

「あぁ…また来るよって、置いといてくれ。それと、律歌よ。お嬢さんをよぉ見ときや。勝手にどこぞに行って、勝手に死なへんように…」

 

 宝耳は薄笑いを浮かべ、実弥に意味深な視線を向ける。最後の言葉は律歌に向けてではなく、実弥に言っていた。

 ギロリと去っていく宝耳の背を睨みつけ、実弥はつぶやいた。

 

「誰が…させるか…」

 

 

 

<つづく>

 





なかなか更新できず、すみません。
次回、2週間後の2023.08.12.更新予定となっております。
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