【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第一章 出会い(二)

「あの、すみません。わざわざ」

 

 家を出て歩き出すなり、薫は頭を下げる。

 

「どっちが」

 

 実弥(さねみ)はカランカランと下駄音をならしながら、あきれたように言った。

 

「わざわざお袋の忘れ物届けに来て、アイツらに握り飯握ってやって、変なことするな、アンタ」

「……そう、でしょうか…?」

 

 薫にはよくわからない。

 確かに、おむすびを作ったのはちょっとばかり出しゃばった感がないでもないが。

 

森野辺(もりのべ)のお嬢様が握り飯なんぞ作れると思わなかった」

「あぁ……」

 

 確かに普通の華族令嬢のすることではなかった。

 自分のやったことをふりかえって、薫はクスクス笑った。

 

 実弥は横で笑っている薫を不思議そうに見た。

 ヘンな奴だと思いつつも、嫌味な感じはしない。

 

 実弥の中では華族なんてものは、威張りくさった鼻持ちならない連中という印象しかなかった。

 ただ、母が森野辺の屋敷で働くようになって、そこでの話だとご主人という人は穏やかな紳士で、その奥方も優しい人だと聞いていたので、森野辺家に関してだけはそうした色眼鏡を外してはいたが。

 

 そういえば……と、母が前に言っていたのを思い出す。

 

 ―――――お嬢様はねぇ、旦那様達に引き取られておいでになって……

 

 興味がなかったので、その後のことは聞き流してしまった。

 しかし、だとすれば生粋のお嬢様でないということか。

 だからこういうヘンな奴なんだろうか…?

 

「実弥さん、疲れてるんじゃないんですか? お仕事帰りだったのでしょう?」

 

 いきなり『実弥さん』なぞと呼ばれて、背筋がむず痒くなった。

「別に……」と、小さく答える。

 

「いつも志津さんから聞いてます。実弥さんが本当によくやってくれてるから、家族一緒に暮らせている、って」

 

 その台詞(せりふ)は普段から母がよく言ってはいたが、いざ他人から聞かされると、ただただ面映(おもは)ゆい。

 夕焼けのきつい西陽のせいで顔が赤くなっているのを見られないのが幸いだった。

 

「私と年もそう変わらないのに、すごいなぁって……」

 

 薫は実弥の方を見ず、夕暮れの景色を見つめながら話を続ける。

 

「……アンタ、年は?」

「え? 年ですか? 私は今年で…十一」

「は? アンタ、俺より年下なのか?」

 

 随分と大人びた感じがしていたので、うっすら年上だと思っていた実弥は、思わず大声で聞き返していた。

 

「え…と、そう、です。そう…だと思います。実弥さんはおいくつなんですか?」

「俺は十三だけど……」

 

 言いながら、自分よりも二つも下とは思えない薫の落ち着いた風情(ふぜい)になんだか違和感を感じた。

 それとも、ご令嬢というのはそもそもこういうものなのだろうか。

 あぁ、でもこの娘は生粋のお嬢さんなのではない。

 

 ぐるぐると考えていると、薫は「老けて見えるのかな、私」とつぶやいて、へらと笑った。

 

「いや、そういう訳じゃなくて……」

 

 否定したいが、実際その通りだったので、実弥はもごもごと言い訳をした。

 

「なんか、しっかりしているように見えたから」

「そうですか? でも、私よりずっと実弥さんの方がしっかりなさっておられますよ」

「いや、俺は…」

 

 人は良いがどこかしら要領の悪い母親。

 四六時中しっちゃかめっちゃかなな兄弟が6人。

 しっかりするしかないだけだ。

 考えると、少しばかりゲンナリして、小さい溜息がもれた。

 

「お父様も亡くなられて、きっとみんな実弥さんを頼りにしているんでしょうね」

 

 薫が丁寧にも『お父様』なぞと言うので、実弥はフッと皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「あんなモン、いようがいまいが……いなくなって清々(せいせい)したくらいだぜ」

 

 薫は困ったように顔を俯けると、おずおずと言った。

 

「あの…こんなこと、私が言うのもなんなんだと思うんですけど……私も、ちょっとホッとしてます」

 

 心にもない弔慰(ちょうい)よりも、薫の素直な言葉に実弥はちょっと驚いた。

 

「志津さんが、時々顔を()らしてて…。絶対、何があったとか言わないんですけど、道を歩いてて電信柱にぶつかったとか、顔を洗おうとして流しに打ちつけたとか……絶対そんなの嘘だってわかってたけど、言わないのは言いたくないんだろうって思って聞かないでいたんです。でも、他の人達が話してるのを聞いて……。ご主人が亡くなってから、志津さんの怪我も減って、よかったなぁって思ってたんです。でも、やっぱり寂しそうだから、よかったね、とはとても言えなくて……」

 

 早口に話す薫の話を聞いて意外だったのは、母が寂しそう、だということだった。

 

 呑んで酔って暴れまわって、小さい体で稼いできた母の給金も取り上げて博打(ばくち)とまた酒、そしてまた暴れる…の繰り返し。

 

 あんな男でもいなくなって寂しいなんぞと思うのか?

 ようやく解放されて、喜んでいると思っていたのに。

 

 

 

「あ、もうここでいいです」

 

 小さな橋のたもとで、薫は言った。

 

「ありがとうございました。送っていただいて」

 

 丁寧に頭をさげると、髪を結ってある赤い矢絣(やがすり)模様の布が揺れる。

 実弥が返事をしないので薫は一瞬戸惑ったが、「じゃあ、失礼します」と歩き出しかけたとき―――

 

「名前は?」

 

 突然、大声で訊かれて、薫はきょとんとなった。

 

「名前、聞いてなかった」

 

 実弥が繰り返す。

 言われてみれば、最初に声をかけられた時にもちゃんと挨拶せずじまいで、気がついたらおむすびを作っていたのだ。

 

 薫はくしゃりと笑った。

 

「すみません。私は………」

 

 名前を言おうとして、一瞬、止まる。

 少しの間考えて、答えた。

 

(かおる)です。森野辺薫といいます」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ゆきこお嬢様、ちゃんと送ってくれた?」

 

 帰ってくるなり母の志津が言うのを、実弥は「え?」と聞き返した。

 

「だから、送っていったんでしょう? 大丈夫だった? お嬢様、途中でお腹すいて倒れたりしなかった?」

 

 志津は心配そうに言ったが、もちろん薫は元気に帰っていった。

 それよりも、だ。

 

「…お袋、ゆきこお嬢様って?」

「なに言ってるの? あなたが今、送ってってくれたんでしょう?」

「え? あいつ、ゆきこ、っていうの?」

「そうよ」

「…………」

 

 実弥は黙り込んだ。

 

 確かにあの時、橋のたもとで教えてもらった名前は『かおる』だった。

 なんで、そんな嘘をつくんだろうか。志津(はは)に聞けばすぐにバレる。今なぞ聞かなくてもバレている。

 

 固まった実弥に構わず、志津は薫が持ってきてくれた風呂敷包みを広げて、中から古びた着物を取り出した。

 

「ホラ、玄弥。直したから、今度は破らないようにね」

「やったーっ」

 

 玄弥は嬉しそうに駆け寄ってくると、かすめ取るように受け取って、またバタバタと走って行く。

 志津はハァーっと、長い溜息をついた。

 

「あの着物もねぇ、私がうつらうつらしてたら額に針をプスッと刺しちゃって……」

 

 志津のこの手のドジはいつものことなので、実弥はそのことについてはもはや何か言う気もない。

 我が母ながら、本当に不器用なのだ。

 それでも一生懸命やってくれているのはわかっているので、文句はない。

 

「そしたらお嬢様が来て、ささーっと縫って下さって。本当に、何でもお出来になるから……」

「お袋、働きに行ってる先のお嬢さんに何させてんの?」

 

 母のこういうぼんやりした所はある程度は許容範囲なのだが、さすがに呆れた口調になる。

 しかし志津は頬に手をあてて、おっとり言った。

 

「そうなんだけど。お嬢様って…なんだかうまいことのせられちゃうのよ。気がついたら、任せてしまってるの」

 

 さっきの握り飯を作る時も、決して無理を通すのではなく、幼い寿美(いもうと)にまで心くばりして、いつのまにか進んでいってたように思う。

 確かに、そういう雰囲気を作るのがうまい。

 

「今日もきっと、お弁当を隠されたんだわ。それで召し上がってないからお腹を空かしてらしたのよ」

「は? なにそれ」

 

 いきなり妙に不穏な話になって、実弥は眉を寄せた。

 嘆息して、志津が話し出す。

 

「お嬢様、学校でいじめられているみたいなの。ホラ、前に言ったでしょう? お嬢様は養女で、森野辺の家に入る前は…その、子守奉公みたいなことをされてたらしくて……それでああいった学校の子女の方々からすると、嫌なんだろうって……笑っておられるのよ。痛々しくて。旦那様にも奥様にもご遠慮してお話にならないし」

 

 いじめられてる――――?

 

 実弥は薫の、令嬢にしては気にし過ぎのような、おどおどした様子を思い出して、成程とは思った。

 そういう生い立ちであれば、傲慢で権高いごお嬢さん連中には格好の標的にされそうだ。

 しかしもっと苛立たしいのは、親にもそのことを言えずにいるということだ。

 

「なんで遠慮なんかするんだよ、親子だろ」

「それは……お嬢様は思慮深い方でいらっしゃるから。ご両親に心配かけたくないのでしょうね」

「なんだ、それ」

 

 実弥は思わず大声になった。ひどくモヤモヤする。

 

「そんな窮屈そうなとこ、俺だったら逃げるな」

 

「仕方ないのよ。お嬢様はきちんと森野辺の血は引いてらっしゃるんですから。ゆくゆくはご立派な殿方と結婚されて、森野辺家を継がれるのでしょうね」

 

 志津はそう言うと、「早くあなたも食べなさい」と実弥に声をかけて、泣き出したこと(・・)のおむつを替えに行った。

 

 実弥は座敷の間に座り、ちゃぶ台の上のおむすびに手を伸ばす。

 三つある内の一個だけきれいな三角むすびが置かれてある。

 

「兄ちゃん」

 

 玄弥が隣に座ってきて、うずうずした様子で言った。

 

「俺、守ったんだよ。貞子が無理に食べようとするからさぁ、兄ちゃんはお仕事して疲れてるんだから、俺らよりいっぱい食べないといけないんだって言ってやったんだ」

「そっか。ありがとな」

 

 玄弥の頭を軽く撫でて、薫の作ったおむすびを食べた。

 冷えているが美味しい。

 

「ゆきこお嬢様、きれいな人だったなー」

 

 玄弥は無邪気に言って、にこにこ笑っている。

 寿美も聞きつけて、実弥の隣に座った。

 

「ほんと。見た? あのリボン!」

「リボン?」

「そう。髪結わえてたでしょ? 矢絣(やがすり)模様の」

 

 お辞儀したときに見えた布きれのことを『リボン』と呼ぶのだと、実弥は初めて知った。

 

「いいなぁ…。可愛かったなぁ。さすがお嬢様だよねぇ」

 

 寿美はよっぽどそのリボンとやらが羨ましかったらしい。

 もし、あの場でそんなことを言っていたら、きっと「どうぞ」と言って薫は寿美にリボンをくれてやっていたろう。

 

 ふと、思い出す。

 薫に声をかける前、下町に不似合いなその姿に、しばらく様子を見ていたのだ。

 

 薫はこの家の前に立って、見上げて、中から聞こえてくる声に、淡く微笑んでいた。

 とても優しい顔だった。だが、なぜだかひどく寂しそうにも見えた。 

 

 自分よりも年下なのに、奇妙なくらい大人びているのは、いつも大人に遠慮して生きているからなのだろうか。

 

 食うにも寝るにも着るのにも困らない身分だというのに、生きにくそうな薫の境遇を、実弥は少しばかり可哀想に思った。

 

 

<つづく>

 

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