【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第六章 彷徨(一)

 (かおる)が吉野の百花(ひゃっか)屋敷から失踪して、一月(ひとつき)が過ぎようとしている……。

 

 

 その間に、鬼殺隊では稀有なことが起こっていた。

 音柱の宇髄天元を始めとする三人の鬼殺隊士によって、とうとう上弦の陸が討たれたのだ。

 百年近く続いた膠着状態を塗り替える出来事だったが、その戦闘は激しく、天元は左目と左腕を失う重傷を負い、柱の引退を余儀なくされた。

 蛇柱の伊黒小芭内は、音柱苦戦の情報を受けて向かっていたが、着いたときには戦闘は終わっていたらしい。戦闘後の天元と会って、婉曲な激励をしたようだが、岩柱・悲鳴嶼行冥に次ぐ古参であった音柱は、妙に清々した様子で若手が育ってきていることを伝えた。

 その若手の中には、例の忌々しい鬼の妹を連れた隊士・竈門炭治郎もいたらしい。一緒にその妹も戦い、なんであれば鬼の放った毒で死にかけていた天元を助けたというが、本当に鬼が人を助けることなどあるのだろうか? もし、それが本当なら……。

 

 そこまで考えたところで、実弥は軽く頭を振った。

 どう考えても、薫が鬼だなんてことは信じられない。

 その妹だって、太陽の光に当たれば灰となることを恐れて、日中は必ず(はこ)の中に入っているのだから。あんなに太陽の照りつける場所を歩いていた薫が、鬼であるはずがない。

 

 だが、あのとき薫は言った。

 

 

 ―――― 鬼に……なってるんです。私……

 

 

 落ち着いた顔で、落ち着いた声で、薫は告げた。嘘とは思えなかった。こんなフザけた嘘をつくような奴ではない。

 それでも信じられない実弥に、薫は自らが昔、鬼に血を与えられたのだと言った。静かな声音だったが、体は耐え難い事実にか細く震えていた。

 実弥は何をどう言えばいいのかわからなかった。

 

 どうにもできない沈黙が流れたあとに、薫が問うてきたことを思い出すと、いまだに顔が火照ってきそうになる。なんだって、あんな場面であんなことを訊いてきたのだろう。ぶっきらぼうに答えた自分に、どうして泣きながら笑っていたのだろう……?

 

 

 ―――― ありがとう……ございます……

 

 

 錯覚かもしれないが、うれしそうに見えた。幸せそうだった。

 けれど嗚咽に震えた声は、哀しげに響いた。

 

 嫌な予感がした。嫌な予感しかなかった。

 

 本当ならずっと薫に張り付いて、どこにも行かないように見張っておきたかった。

 けれど、柱の身で許されるはずもない。

 

 互いに一言も話さないまま百花屋敷に戻ると、爽籟が帰京するよう指示してきた。今回はさすがに長くこちらに逗留していて、そろそろ来る頃だろうと思っていたから、仕方がない。後ろ髪引かれる実弥に対し、薫の態度は淡々としていた。

 

恙無(つつがな)く任務を果たされますよう、お祈り申し上げます」

 

 そつのない見送りの言葉に、実弥はギリッと歯噛みした。

 なんだか気に入らなかった。

 一歩、薫に近づいて、釘をさした。

 

「……ここにいるんだぞ。いいな?」

 

 薫は下げていた頭を上げると、実弥をじっと見つめる。その瞳だけは、()()()()()()()のように、どこかあどけない。

 だが不意に哀しげに潤んで、寂しそうに目を伏せた。

 

「オイ!」

 

 思わず大声で怒鳴ってしまったのは、そのまま薫が消えてしまいそうだったからだ。

 なんであれば、精神を病んで幼女となっていた頃よりも危うく思える。

 どこにも行けないように、実弥は薫の細くなった手首を掴んだ。

 

「いいか! どこにも行くなよ!! お前はここにいるんだ! ここで待ってろよ!」

 

 薫はパチパチと目をしばたかせて実弥を凝視してから、困ったように身じろぎした。

 

「あの…離してもらっても……?」

 

 おずおずと言われて、実弥はハッとなってあわてて薫の手を離す。

 隣で見ていた律歌(りつか)はニヤニヤと訳知り顔に笑みを浮かべ、その後ろに控えていた翔太郎(しょうたろう)はあからさまに白眼視した。

 実弥はすぐさま踵を返して歩きかけ、振り返って薫の姿を確認すると、もう一度だけ念を押した。

 

「勝手にどっか行くなよ!」

 

 薫は上気した頬に手をあてながら、笑って言った。

 

「はい。待っています……」

 

 そう ――― 言っていたくせに。

 

 

 数日後、鬼狩りを終えて一眠りしていた実弥に、薫が失踪したと律歌から知らせが届いた。

 

 

◆◆◆

 

 

「お前、ちゃんと寝てんの? なんかすげーひどい顔してっけど」

 

 久々に見た元音柱は、着流し姿で髪も下ろし、さっぱりした姿だった。鬼殺隊にいた頃のやたらジャラジャラとした、目にやかましい格好は鳴りを潜めている。

 

「問題ねェ」

 

 実弥は言葉少なに言って、ジロリと宇髄と一緒に入ってきた女三人を見た。

 

「相変わらず剣呑としてるねェ、風柱。で、今日はなんの用だい?」

 

 天元は殺伐とした実弥から、それとなく妻三人を守るかのように、身を乗り出して尋ねてくる。眼帯をしていない天元の右目が、実弥をなだめつつも、軽く威嚇していた。

 実弥は自分が相当に切羽詰まっていると気付いて、態度を改めた。

 

「あ……いや、すまねェ。ちょっと、その…アンタの奥方達に訊きたいことがあって」

「私たちに?」

 

 問い返したのは真ん中に座っていた()()()だった。

 

「なにー?」

 

 のんびりと尋ねたのは、()()()の隣にいる須磨だ。斜向(はすむか)いの天元と()()()に挟まれて座っている雛鶴は、一度チラと天元を見てから、問うてきた。

 

「どういったことをお訊きになりたいんでしょう?」

 

 それぞれに問われて、実弥はしばし言いあぐねた。

 薩見(さつみ)惟親(これちか)から薫が天元の嫁たちと親しかったことを聞いてやって来たものの、どこからどう説明すればいいのか……。

 唇を噛み締めながら逡巡する実弥を見て、天元が見かねたように口を開いた。

 

森野辺(もりのべ)(かおる)のことか?」

 

 まともにその名前を出されて、実弥はそれとわかるほどに動揺した。思わず立ち上がって、天元の襟首を掴んだ。

 

「いるのかッ!?」

 

 天元はいきなり怒鳴りつけてきた実弥を見て、唖然としたように見つめてから、自らの襟首を掴む傷だらけの手をペシペシと打った。

 

「おいおいおい。人に物を尋ねる態度じゃねぇなぁ。余裕がないのはわかったから、ちーとは落ち着け。先に言うと、森野辺はここにはいねぇし、来てもいねぇ」

「あ……」

 

 実弥は我に返ると、天元の襟首を離して、その場にストンと座り込んだ。

 すっかり意気消沈した実弥を見て、天元はため息をつき、雛鶴たち奥方らは心配そうに様子を窺った。

 

「正直、姿をくらますのはいいとしても、俺にも嫁にも挨拶もナシに行きやがったのは癪に障るこったよ。何を考えてんだか……」

 

 天元は乱れた襟を直しながら、少しばかり怒ったように言ってから、ジロリと実弥を睨みつけた。

 

「お前、原因じゃねぇだろうな?」

「……どういう意味だァ?」

「あのお嬢さんの四角四面の堅真面目な性格からして、世話になった人間に挨拶もなしに消えるなんてのは考えにくいんでな。よほどの事情がねぇと」

 

 実弥はギリと畳に爪を立てた。

 ここで薫が失踪した理由を言ったところで、信じてもらえないだろう。そもそも実弥だって信じていない。だが最も厄介なことに、薫当人が信じ込んでいる。そんなはずがないと、皆が口を揃えて言っても、薫は信じきっている。自らが鬼に堕ちた……と。

 

「体調が……悪ぃんだよ。なかなか治らねぇから、ちょっと自暴自棄になってやがんだ」

 

 実弥は目を伏せて、つぶやくように言った。そういう言い方しかできないことに歯がゆさを感じる。

 天元は奥歯に物が挟まったような答えに、フンと鼻をならした。

 

「どうにも…いつもの風柱じゃねぇなぁ。まぁ、いい。ともかく、ウチに森野辺薫は来てねぇよ。ただし、消息を訊きに来たのは、お前ェが初めてじゃねぇ」

「え?」

「お前、知ってるか? 白髪混じりの薄汚ぇオッサン。伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)っていう……一筋縄じゃいかなそうな、インチキ臭いジジィ。奴が先だって来てなぁ、根掘り葉掘り、しつこく訊いていきやがった」

 

 実弥の脳裏にすぐに人を食ったような笑みを浮かべる男の姿が浮かぶ。

 一気に顔が険しさを増した。

 

「奴が……? なにを……」

「なんでも、お館様の命で森野辺を探してるとか言ってたな。相変わらず、いやらしい奴さ。こっちにゃ喋らせておいて、そっちの話はしやがらねぇ。突っ込んで訊こうとすりゃ、『お館様の下知』だから、自分には『何がなんやら』わからねぇ、と抜かしやがる。っとに、小狡(こずる)いジジィだ」

 

 実弥はゴクリと唾を飲んだ。

 まさかあの聡明なお館様が、あんな滅茶苦茶なことを喚き散らす女の言葉を信用するとは思えなかったが、鬼殺隊の監察という宝耳の役割を考えると、精神的に不安定な薫を拘束することは考えられなくはない。

 

 鬼殺隊士は多く鬼に殺られるが、生き残った者の中には時折、精神を病む者もいて、そうした人間は本部の方で療養させるらしい。刀を持っている以上、そのままにしていると、一般人に害なす(おそ)れもあるからだ。

 考え込む実弥に構わず、天元は話を続ける。

 

「なんだかボソボソ言ってやがったよ。()()()()生きてる人間に会いに行くのは控えているようだ、とかなんとか。だから、死んだ人間には挨拶に行ってるかもしれねぇ……って」

「死んだ人間……?」

 

 実弥はオウム返しにつぶやくと、立ち上がった。

 そのまま出て行こうとする実弥に、天元が声をかけた。

 

「おい、お前。追いかけんなら、覚悟を決めろよ」

「……なに?」

 

 実弥は天元が薫の事情について知っているのかとギクリとなったが、どうやら鬼になった云々についてではないらしい。

 

「ようやく見つけたとして、お前が受け止める気もなきゃ、お嬢さんはついて来やしねぇよ。どうする気もねぇなら、いままで通り放っておけ」

「いままで通り……って」

 

 実弥は天元の言葉に反駁しようとしたが、結局、何も言い返せなかった。

 ギリリ、と唇を噛みしめる。

 

 いつも置いてきたのだ。

 ()()()から、自分勝手な本心と欲望は、置き去りにしてきた。自分には必要ないものだと、薫になすりつけて。

 

 こんな薄情な男に愛想をつかせて、薫が匡近を好きになるなど当然なのに、そうなったらそうなったでまた勝手に傷ついた。

 匡近の死後、久しぶりに会った薫が、その形見の数珠を持っているのを見たとき。

 それを匡近から託されたのだと聞いたとき。

 匡近が鬼殺隊に入る原因となった弟のことを、既に薫が匡近本人から教えてもらっていたと知ったとき。

 実弥は自分を打ちのめすかのように、匡近との思い出を積み上げていた薫に、理不尽な怒りが湧いて止まらなかった。

 傷つけるつもりはなかった……。

 心の表面ではそんなふうに取り繕っても、奥底のどす黒い嫉妬は、もはやこの世にいなくなってしまった友ではなく、目の前の薫を傷つけた。

 傷つけてやろうと思って、傷つけたのだ。

 

 

 ―――― お前が(うん)と言って、一緒になりゃ良かったんだァ。そうすりゃ匡近は……

 

 

 とんだ詭弁だ。

 死んだ友への哀れみを借りて、密やかで獰猛な妬心は、薫が傷つき、後悔し、心を痛めることを望んだ。

 あのとき、実弥(じぶん)は最も醜い生き物になっていた。吐き気がした。自分にこんな感情があることが信じられなかった。認めたくなかった。

 そうしてまた、その(よこしま)な気持ちと一緒に薫を封じた。――――

 

 実弥は顔を上げて天元を見た。

 一つだけになった目は、穏やかさと厳しさを含んで、実弥を見つめている。一瞬、いつも実弥を励まし、叱咤してくれた匡近の姿が重なった。

 

「あいつが……なにか言ったのか?」

 

 実弥は苦い気持ちを押し殺して問うた。

 匡近亡きあと、天元は薫にとって、相談相手だったのだろうか。吉野に向かわせたときの態度からしても、自分たちの関係について、なにか知っているような気がしてならない。

 しかし天元はあっさり否定した。

 

「いいや。何も聞いてねぇよ。あのお嬢さんが、俺に相談なんぞすると思うか?」

「………」

 

 黙り込む実弥に、天元はベシッと額を打ってきた。

 

「おい。妙な勘違いする前に言っとくがな。俺が森野辺薫と一緒に行った任務があったろう? あそこで鬱陶しい鬼婆ァにぶち当たってな。そいつの血鬼術のせいで、互いに見たくもない過去を見せつけられたんだよ」 

「見たくもない……過去?」

「お互い様だからな。向こうも訊いてこないし、俺も訊かねぇ。今更どうしようもねぇ過去の記憶(こと)なんざ、蒸し返すだけ無駄に気持ちが(すさ)むだけだ。そこんとこ、あのお嬢さんは大人だよ。しかしお前は……わかりやすいねぇ」

 

 心底呆れ返ったように言う天元に、実弥はすべてを見透かされた気がして、一気に血が上った。

 

「うるせぇ! ともかく……アイツがここに来たら、知らせろよ。オッサン、いいな!」

 

 誤魔化すように怒鳴って、実弥は逃げるように出て行った。

 まさしく一陣の風が吹き去ったあとのような静けさが、宇髄家の四人を包む。

 

「なぁに、あれ。いきなり来たと思ったら、いきなり帰っちゃって……」

 

 須磨があきれてつぶやくと、()()()は眉間に皺を寄せて、ムッとしたように口を尖らせる。

 

「薫のことが心配で来たんでしょうけど……なーんか感じ悪いの」

「心配しているのでしょうけど、風柱様は相当に素直じゃありませんね」

 

 雛鶴までもがあけすけに言うと、天元は大笑いした。

 

「やれやれ。俺の嫁たちを敵に回して、風柱も難儀なことになったもんだ……」

 

 

<つづく>

 





すみませんが、来週はお休みします。
次回は2023.09.16.更新予定です。
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