【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第六章 彷徨(三)

 翌日、実弥は朝一番の汽車で、久しぶりに亡き篠宮(しのみや)東洋一(とよいち)の家に向かったが、やはり薫に会えず、伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)の姿もなかった。

 薫がここに来たのは間違いないようだったが、どうやら吉野を出てから、先にこちらを訪れたらしい。吉野からの順路を考えればそのほうが自然だ。ここに来て東洋一に挨拶したあとに、東京へと向かったのだろう。

 

「薫さんは夜の間に来たみたいで……書き置きと、お金を置いていかれました」

 

 東洋一亡きあと、出家して僧侶となった三郎は、今はその家を管理しながら、東洋一を始めとする兄弟子たちの菩提を弔っている。実弥は三郎から薫が残していったという書き置きを見せてもらった。小さな紙片には、繊細で美しい薫の手蹟が残されていた。

 

『事情あり、お会いすること叶わず。わずかながら、お役立て下さいませ。 森野辺(もりのべ)(かおる)

 

 短い文面に薫の心境はない。

 実弥は唇を噛み締め、その書き置きを三郎に戻してから尋ねた。

 

「胡散臭ェ野郎が訪ねてこなかったか? 汚ねぇ格好した、上方(かみがた)言葉の、いけ好かねェフザけたクソジジィだ」

 

 いかにも憎々しい様子で言う実弥に目を丸くしながら、三郎は心細げに問い返す。

 

「あ、あの……伴屋宝耳、様でしょうか?」

「あんな奴に()なんぞつける必要はない。で、野郎はどこに行くと言っていた?」

 

 実弥にここのことを教えたのであれば、どうせ次の目星もつけているはずだ。後を追うしかない実弥を馬鹿にして(わら)っているだろうが、そんなことはどうでもいい。

 しかし三郎は首を振った。

 

「いえ。特に何も……」

「なんだとォ?」

「え? えっと……あの、その……困ったような顔されてました。これでもう、八方塞がりや、とか言って」

 

 実弥はギリと歯噛みした。「あの野郎……」

 すぐさま踵を返して出て行こうとする実弥に、三郎があわてた様子で叫んだ。

 

「あ、あのっ、どこに行くとは言っておられませんでしたけど、東京には戻っていかれなかったみたいです」

 

 実弥はピタリと足を止めて振り返った。

 

「……どういうことだ?」

「あの、こちらには汽車に乗ってこられたみたいなんですけど、帰りは別の道を行かれたみたいです。山間(やまあい)の峠道を歩いていかれるのを、木樵(きこり)の平三郎さんが見かけたと言ってました」

「山間の……どこに向かう道だ?」

「隣町ですが」

「隣町ィ? そこに薫の知り合いでもいるのか?」

「さぁ? 僕は聞いたことないです。お師匠様も薫さんは真面目で、遊びに行くなんてことしていなかったと言っておられましたし、近所には親戚筋の藤森さんもいらっしゃいますから、隣町にまで足を運ばれるようなことはなかったと思いますが……」

 

 実弥はしばし考え込んだ。

 あの伴屋宝耳のことだ。隣町に薫がいる可能性があるならば、そのことを三郎に言って、実弥が来るように仕向けていそうなものだ。なんであれば、待ち伏せしてまた「遅かったでんな~」と、フザケた登場をしそうだ。

 実弥と一緒になって思案していた三郎が、ポツリと言った。

 

「もしかして……越後のほうに抜けたのかな?」

「なんだと?」

「その道を進めば、北国(ほっこく)街道に出ます。街道をずっとゆけば、直江津の港にたどり着きますから、そこからどこかに向かったのかも」

「…………」

 

 結局、それ以上のことはわからなかった。

 あの人をくったような男の言うことであれば、実際に薫の行方については手掛かりが尽きたのかもしれないし、或いはまったく別の任務をお館様から仰せつかった可能性もある。

 いずれにしろ薫の行方はいよいよもって、不明となった。

 

 実弥は暗然とした顔で、東洋一の眠る墓の前に一人佇む。

 いつもそこで同じようにその墓を見つめていた東洋一の姿が思い出された。弟子時代にはその姿が寂しげで、ひどく孤独に見えて、いつも声をかけた。だが今、信頼していた人を次々と失い、鬼籍となった彼らを偲ぶとき、どうしても祈らずにはいられない。

 

『頼むから……守ってくれ……』

 

 あのとき東洋一はきっと、この墓に眠る弟子たちに頼んでいたのだろう。

 匡近が無事に任務を完了し、一日でも長く生き延びるように…と。それはきっと、実弥がここを巣立った後には実弥のことも、薫が出た後には薫のことも、祈っていただろう。

 内心に危惧と焦燥を秘めて、飄々(ひょうひょう)と実弥らに接していた東洋一のことを思うと、今更ながらに自分の(おさな)さが苛立たしい。どうしてもっと、穏やかに薫を受け止めてやれなかったのだろう。そうであれば、ただの兄弟子としてであっても、自分を頼ってくれたかもしれないのに。

 

 ハァァ、とため息をついた実弥の頭上を影がさす。見上げると爽籟が旋回していた。

 

「………」

 

 憂鬱に見上げて、一度目をつむる。正面を向いて目を開いたときには、いつもの獰猛なる風柱の鋭い目つきに戻っていた。

 

「産屋敷邸ニテ柱合会議ィ。戻レェ……」

 

 爽籟が告げると同時に、実弥は歩き出した。

 

「面倒かけたな」

 

 実弥の迷惑にならぬようにと、部屋に戻って写経をしていた三郎に声をかける。

 

「もう、帰られるのですか?」

「あぁ。戻らねぇと。また、今度は酒持ってくる。今日は急だったからな。ジジィが文句言ってそうだ」

 

 三郎は笑って「お待ちしてます」と頭を下げた。

 

 門を数歩出てから、実弥は立ち止まった。

 いつかの日の光景が、中天の太陽の光の中で揺らめく。

 

 

 ―――― お前、なにした?

 

 

 後にも先にも、あれほどまでに怒りをあらわにした東洋一を見たことはない。結局あの後、ここへの足は遠のいた。いくら薫が無事に最終選別を突破したとしても、合わす顔などあるわけがない。

 若い頃の東洋一の写真を見に行くという口実で、匡近が無理やり実弥を連れ出したのも、何かしら東洋一と実弥の間にある確執を感じていたからだろう。あの日、紅儡(コウライ)が現れず、いつものように平和に東洋一と対面していたら……どうなったろう?

 仮定を考えても、何も思い浮かばない。

 ただ、思い出されるのは東洋一の最後の言葉だけ。

 

 

―――― 頼むぞ……

 

 

 あれは、きっと……薫だけのことではない。鬼殺隊の行末も含めて、望みを託したのだ。自らも鬼狩りとして生きてきた、長い人生の末に、それでも自らの代では叶えられなかった思いを、実弥に託した……。

 

「あの、不死川さん」

 

 三郎が黙ったまま立ち尽くす実弥に声をかけてきた。振り向くと、少しこわばった顔で、じっと実弥を見つめてくる。

 

「あの…きっと不死川さんは柱のお仕事もあってお忙しいだろうから、僕、僕が……一度、街道の方で探してみます。伴屋さんがどこに行ったのか、もし、直江津まで行っていたら、どの船に乗っていたのか聞いてみます」

「……いいのか?」

 

 実弥が意外そうに聞き返すと、三郎はニコッと笑った。

 

「えぇ。不死川さんや、ずっと修行に励んでいる守に比べたら、暇な身です。きっとお師匠様も、ずっと家にいないで、いい機会だから少しは出歩けって、言ってると思います」

 

 ひたむきに自分を助けようとしてくれる、三郎の柔らかい微笑みに、ふと玄弥の顔が重なった。

 まだ自分に笑顔を向けてくれていた頃の、幼く優しい弟。あれほど反対したのに、あの(バカ)は、とうとう鬼殺隊に入ってしまった。呼吸の剣士としての才能がないと言われながらも、なぜか岩柱・悲鳴嶼行冥の許で修行に励みつつ、隊務をこなしているらしい。

 どうしてあいつは、こうして穏やかに生きてくれないのだろう……。

 

「すまねぇな。でも、無理すんな。わかる範囲でいい。どうせあの野郎のことだから、またフラっと現れて、思わせぶりなこと言いに来やがるだろう」

「はい。お任せください」

 

 決然として頷く三郎に、実弥はどこかしら安堵を感じて、軽く肩を叩いてその場から去った。

 

 自分一人では、どうにもならないことがある。

 誰かに頼るしかないこと、誰かを信じること……。

 

 今はただ進む。

 鬼狩りとして、一匹でも多くの鬼を滅殺し、やがては無惨を葬り去るために。

 自らを焼き尽くしそうな焦燥感を押し籠め、実弥は必死に言い聞かせた。

 

 薫は鬼になってなどいない。なることなどない、と…。

 

 

◆◆◆

 

 

 草木も眠る真夜中の、人っ子一人いない橋の上。

 

 薫は橋の欄干(らんかん)に肘をつき、月夜を映して流れる川を見つめていた。

 久しぶりに見たその川は、あの頃と変わらず滔々(とうとう)と流れている。街も、電柱や電線などが道々にあって、着々と西洋化が進んでいるようにみえたが、それでもやはり田舎特有の閉塞的な空気はどんよりと重苦しい。

 ここは薫にとって、灰色の世界であった頃のままだ。

 

 吉野から出てきたとき、薫は死ぬことを決めていた。いや、実弥に「待っている」と嘘をついて見送ったときから、それは必然なのだと覚悟していた。

 そのつもりだったからこそ、せめて最後の挨拶と思って故人の墓を巡り、生前の感謝と、こんなふうになってしまった結末を詫びた。

 

 それから、死ぬつもりだった。死のうとした。何度も。

 だが、生きる欲というのは心だけではどうにもならないものらしい。

 細胞が生きることを欲するとき、人の気持ちなど簡単に無視される。しかも下手をすると、そうした生命に危機が及ぶときにこそ、体内に潜む()の血はより強く蠢き、そのまま意識を手放せば、鬼の世界(・・・・)へと引っ張っていかれそうだった。

 

 吉野から出て一月(ひとつき)も過ぎた現在(いま)では、自死はもはや選択肢になくなった。きちんと(・・・・)死ねればいいが、もしまかり間違って中途半端に生き残った挙句に、鬼として(しょう)が現れて、罪のない人々を喰い殺すようなことになってはならない。

 

 鬼殺隊士の誰かに殺してもらうことも考えた。だが、それには二つの問題があった。一つは彼らが果たして、見た目には人間にしか見えない今の薫を殺すことに、同意するのかということ。同意したとしても、彼らに余計な負い目を与えるのは本意でない。

 そのうえで人でもなく、鬼にもなれぬ薫にとって脅威であったのは、彼らに染み付いた鬼の匂いだった。普通の人間と違い、日常的に鬼と接する彼らからは、たとえ目に見えずとも鬼の匂いがした。鬼の返り血を浴びた隊服に、その匂いはこびりついていた。

 

 あの日もそうだ。

 鬼を殺して帰ってきた実弥の全身から、殺された鬼の匂いがした。同時に薫の体内にあるナニカ(・・・)がざわめき立ち、鬼の思念の残滓(ざんし)が聞こえた。

 

 

 ―――― コワイよォ……コワイよォ……鬼狩リ……鬼狩リ……鬼狩リだアァ……

 

 

 鬼の血によって、自らに潜む受け入れ難いモノが呼び覚まされるのならば、なおのこと鬼殺隊士に会うわけにはいかない。というより、その鬼の残留思念こそが、薫から鬼狩りを忌避させていた。

 鬼殺隊士らしき羽織姿に黒い隊服を着た彼らの姿を見ると、勝手に体が震え、足が止まった。隠してはいても、日輪刀から放たれる太陽の鼓動のようなものを感じる。それは鞘の中にあっても発光するかのような、強力な波動だった。

 自分が持っていた頃には、そんなものを感じたことはなかったのに……。

 あの日、再び黒死牟によって血を与えられたときに、やはり何かしらの変異が起きてしまったのだろうか?

 

 だが、ふと薫は思った。

 今までにも、もしかすると出会った鬼によって、薫の中に潜んでいたその不穏な血が作用されることはあったのかもしれない。

 最初の任務で出会った鬼となった息子のために、孤児の子どもたちを生贄にしていた男―― 栃野(とちの)は、不思議そうに言った。

 

 

 ―――― 一体、どうして勝手にあなたは入れたのかな? 私が連れて行く前に。

 

 

 血鬼術で作られた絵画の中に、薫は案内人たる栃野の手を借りずに入り込めた。あの時はただ子供たちを助けることに夢中でわかっていなかったが、今であればその理由も、なんとなくわかる。

 薫の中に眠る鬼の血が、あの鬼の結界たる血鬼術を無効化したのだ。そうして馴染んだ鬼の血と、気配、同じように蠢く細胞の中に、鬼とされてしまった彼の気持ちが伝わってきた。

 

 

 ―――― 父さん……助けて……

 

 

 涙をこぼしながら、灰と消えた少年の鬼。

 自らの本意でなく、鬼に堕とされ、自分と同じ子供を喰らって生きねばならなかった彼の苦しみと痛み、哀しみがジワリと薫の胸に沁み込んでくる。

 だが薫は瞬時に、その気持ちが、自分の感傷によるものだと断じた。自らの弱さを鞭打ち、強固に封じ込んだ。だから最後に臨んで栃野()を乞い、伸ばした彼の手ですらも、刺し貫いて微塵にその希望を砕いた。

 それからはひたすらに鬼を(ほふ)りながら、彼らの声に耳を塞いだ。

 

 

 ―――― おヌシ…その……

 

 

 佐奈恵と一緒に戦った三つ頭の鬼。

 あの時に()えた、鬼の恐怖。

 大柄で(たくま)しい隊服姿の鬼狩りが、鎖につながれた鉄球と斧を振り回して追いかけてくる姿。あんな鬼殺隊士を薫は見たことがなかった。薫の記憶にない以上、あれは鬼の記憶なのだ……。

 

 いったん(たが)が外れると、膨大な鬼たちの記憶と本心は、奔流(ほんりゅう)のように薫の中でのたうち回った。

 鬼となった彼らの人生、彼らの恨み、憎しみ、哀しみ。

 無惨によって鬼とされて以降、飢餓にも近い生命(いのち)への渇求(かっきゅう)によって喰らい尽くした、人間たちへの愛惜(あいせき)

 精神(こころ)の奥底深くに封じられた人としての罪悪感は、確かに彼らの中にあった。

 

 

 ―――― 彼らは…人であったのだから……

 

 

 苦く微笑みながら言ったカナエの言葉が、今まで鬼狩りとして冷酷無情に鬼を屠ってきた薫を刺し貫く。

 あのとき、薫はカナエに言ったのだ。鬼に同情などできないと。鬼に容赦などしないと。たとえ自分にとって親しい人間であったとしても……。

 

 

 ―――― 嫌いよ…薫子(ゆきこ)さん。

 

 

 薫を否定する言葉を吐きながら、優しく薫を見つめていた千佳子(ちかこ)

 たとえそれが歪んだ愛情からのものであったにしろ、彼女は鬼となってなお、愛した男の娘である(じぶん)を憎むことはなかった……。

 

 薫はヒクッと喉奥に涙を呑み込み、拳を握りしめた。

 一体 ――― 自分はなんなのだろう?

 本当の親のように慕った養父母たちを殺され、その復讐のために鬼殺隊士となる道を選んだ。

 迷いはなかった。

 いずれ必ず両親を殺した鬼の、その元凶の祖である無惨を殺す。

 その日のために、ただひたすらに鬼狩りとしての実績を積み、懸命に自らの居場所をつくってきたのではなかったのか?

 鬼殺隊の一員として、鬼を殺し、殺して、殺しまくった果てに、自らの希望はあるのだと思っていたはずなのに……!

 

「…………」

 

 橋の下を流れる暗い川を見つめる。

 この川に身を投げれば、あるいは死ねるのだろうか。川底に沈み、身が腐り、魚たちに肉を食われて、この呪われた体から逃れられるのなら……

 

 まるで川から呼びかけられるように、薫が欄干から身を乗り出したとき、いきなりグイと腕を掴まれた。

 

「見ィつけた」

 

 皓々(こうこう)とした満月を背に負って、そこに立っていたのは伴屋宝耳だった。

 

 

 

<つづく>

 





長らく更新が滞り、誠に申し訳ございません。とりあえず第六章は終えようと思います。それからまた、しばらくお時間をいただくことになりますが……本当にすみません。
次回は来週に更新予定です。
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