【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「やぁ、お嬢さん。えぇ夜でんな」
相変わらず、人を食ったような話しぶりだ。だが薫は、その顔を見た途端にホッとなった。
「久しぶりですね、
「まったくでっせ。いやはや……まさかと思うたけど、ここにまで戻ってきはったとは。で、世話になった方々への挨拶はできましたんか?」
「…………」
薫は俯いた。
会うことはできなくとも、どんな様子かぐらいは見ようかと、幼い頃に世話になった
亡くなったコウの墓を教えてもらったが、誰一人身寄りが参ることもなくなった墓は、石も崩れ、周囲には雑草が生い茂っていた。薫は草を取り除いて簡単に掃除し、道辺に咲いている野菊くらいしか供えられないことを詫びながら、手を合わせてその場を後にした。
実父母の墓にも訪れて線香をあげたものの、顔も覚えていない両親である。正直、あまり感慨はなかった。美しい御影石で出来た墓石を見ながら、これを建ててくれたのが、
薫の母の墓は、当初、粗末な
今回、久々に故郷に戻ってきたついでにやっては来たが、墓石の前に立っても、彼らに話すことなどない。昔のことを思い出し、母にも事情があったのだと理解はできても、感情は納得できない。実の母に殺されかけたという
それからは特に
「銀二という男の墓を探してますんやろ?」
宝耳はそんな薫の心を見透かしたかのように言ってくる。薫はさすがに驚いた。
「どうして……?」
「ハハハ。いやぁ、お嬢さんの考えてることなら何でもお見通し、と言いたいところやけど、
「情報提供者?」
「昔、オナゴ同士で盛り上がりましたんやろ。初恋の相手やら、なんやら。秋子が言うてましたわ。なんでも字ィ教えてくれたんやて? ハ…
秋子の名前を出されて、薫はすぐに納得できた。
確かに昔、秋子や他の女隊士たちと任務終わりの宿などで、そんな話をしたことがある。そのときに、自分が幼少期に東北の片田舎で暮らしていたことも、子守女中で働いていたことも、秋子には言ってあった。
宝耳は秋子に鬼殺隊に入ることを勧めたという間柄だから、訊くのはたやすかったろう。
「まさか…銀二さんのお墓が、わかったんですか?」
ちょっとだけ期待して尋ねてみると、宝耳は申し訳なさそうに頭を掻きながら首をすぼめる。
「いやぁ~。さすがに時間がありまへんわ。一応、ここら根城にしとる親分さんから、話でも聞こうか……と思ぅとったら、こうしてお嬢さんに会えましたんでな」
「そう……ですか」
薫は頷いてから、自分の身勝手さに頬を歪めた。
そもそも宝耳には銀二の墓を探す理由などないのだ。薫を見つけるために、その手掛かりについて調べようとしていただけ。それなのに当たり前のように教えてもらおうなど、おこがましいにも程がある。
薫は顔を上げると、まっすぐに宝耳を見つめた。
「秋子さんにまで聞き回って、こちらにいらしたということは、私をお探しだったということですね?」
「ハァ。まぁ、そうでんな」
「また、あの鬼たちのときのような、勝手な単独行動ですか?」
以前に薫が仕留めようとしていた二人の鬼を逃したとき、宝耳はその理由と目的を明確にしなかった。どうして本部と連携をとらないのか、と怒った薫に、のらりくらりと意味のわからない説明をして、結局彼の意図はつかめないままだ。
しかし今回は、明確な返事がかえってきた。
「いいや、今回はしっかりお館様からのご命令でっせ」
「…………」
薫はそれを聞いて、表情を固くした。
薫が鬼になったと
八重は黒死牟と薫が話しているのを聞いていたらしい。
黒死牟はおそらく八重がいたのに気付いていただろうが、見逃したのだろう。八重が下手に鬼殺隊士ではなく、恐怖で怯えて声も出ずに震えていたことで、かえって捕殺対象にならなかったようだ。
薫はその話を聞いたとき、八重が生きていてくれたことに
薫はふっと目を細めた。
その八重の話を聞いて、宝耳がここに来ているということは……目的はもう明らかだ。
「よかったです、あなたが来てくれて」
薫がしみじみと言うと、宝耳はキョトンとした。
「ワイが来て良かった? なにが?」
「あなたでしたら、きちんと処理して下さると思うので」
「………ほぅ」
宝耳は腕を組んで唸った。「覚悟は固めておられるようでんな」
薫はこの数ヶ月、ずっと持て余してきた自分が、ようやくすっきりと旅立てるのだと思うと、いっそ
「良かったです。自分ではうまく死ぬこともできなくて、かといって誰かに頼むこともできなくて……ずっと迷っていたので」
「ハハ。ワイやったら、なーんも悩まんとバッサリ
宝耳が茶化したように言うのを、薫は真面目な顔で見つめていた。
初めて会ったときから、この人は変わらない。
どこか裏がありそうでいて、その実、宝耳には隠し事などないような気がする。良くも悪くも彼は無色透明で、透けて見える向こうに彼がいると思っていたら、まったく別のものを見ているだけなのかもしれない。
薫はぼんやりとそんなことを考えてから、ポツリと言った。
「あなたは、神様みたいな人ですね。宝耳さん」
「………カミサマ? ワイが? なーんのご利益もございまへんで。ワイは」
大仏のような仕草をする宝耳に、薫は首を振った。
「神様にご利益なんてないですよ。いつだって、見てるだけ。苦しいことも、悲しいことも、何もせずに見ていられるから、神様なんですよ……」
薫の中で、神様にお願いするなんてことは、とう昔に失われていた。
薫は顔を上げると、またニコリと微笑んだ。
「あなたはきっと、私を殺しても、明日には平然と忘れていられるでしょう?」
「そら、ひどいなぁ」
宝耳は渋い顔になったが、否定もしない。
薫は笑ったまま付け加えた。
「褒めているんですよ、一応」
「やれやれ……」
宝耳はポリポリと頭を掻くと、珍しく困ったような笑みを浮かべた。
「泣きわめいて助けてくれとせがまれたら、一思いに殺してやろと思いましたのに、そうも諦観されておっては、こちらもやり
「あら、そうですか。じゃあ一応、戦いますか? でも私、日輪刀を持ってないんですけど」
「お嬢さんがホンマに鬼になったんやったら、血鬼術の一つ二つ出せるんと
「生憎と……そんな異能を持てるほどではなかったようです」
そう言いながら、薫は宝耳の前にしゃがみ込むと、膝をついて首を垂れた。
手を合わせながら、忠告する。
「ちゃんと首を落として下さい。下手に命をつなぐと、私の理性が切れて、あなたを襲ってしまうかもしれません」
「…………」
宝耳は黙り込んだ。
じっと待つが、刀の鯉口が切られる音もしない。
薫はあまりに長いので、顔を上げた。
宝耳が無表情に薫を見下ろしている。
「……宝耳さん?」
薫が戸惑って尋ねると、宝耳はフンと鼻を鳴らした。
「生憎と、ワイも
「でも、お館様のご命令なんでしょう?」
「さいでんな。人に
「だったら……」
「但し今後、無惨を始末するにあたって、協力するというなら……連れて来いと言われとりましてな」
「協力?」
薫が驚くと、宝耳はポケットから何かの瓶を取り出し、差し出した。中には藤色の液体が入っている。見た途端に、ザワリと鳥肌が立った。
「これ…は…?」
「藤の花からつくった……まぁ、鬼からしたら毒ですわな。ワイが鬼を生け捕りにするのに使ってるんと、ほぼ同じ薬効のモンですわ」
薫は震える手で、その瓶を取った。それが自分にとって毒であるということは、にじみ出てくる汗が証明している。瓶を掴んで青い顔をしている薫に、宝耳は抑揚のない声で話してくれた。
「今、無惨を確実に始末するために、より強力な鬼の毒を精製するという実験をしてましてな。しかしご存知の通り、鬼というのは毒をくらってその個体は死んでも、別の鬼にはもう効かん。どうやら鬼同士で、毒についての情報を共有して、解毒してまうようですねん。今後は以前、お嬢さんも会った二人の鬼、あれと連絡とって、共同でその毒を開発しようかという話が持ち上がってましてな。向こうの持つ鬼としての情報は、今までこちらが入手してきた
「人間を……助ける……鬼?」
薫は聞き返しながら信じられなかった。
前に宝耳が話していた二人の鬼が、人間に協力的であったという話だって半信半疑……というより、全く信じられなかったのだ。
だが、今となればその言葉は、薫にある一つの可能性を示してくれる。
「しかし、ここでひとつ問題が生じとりますんや。毒を作ったとしても、実際に鬼で試すわけにいかん。向こうに筒抜けになってまいますからな。そこで鬼娘の血液を使って、どこまで効果があるのかを見てますんやけど……これがなかなかうまいこといきまへん。ワイがつい最近、
薫は震えた。それは恐怖ではない。喜びだ。こんな自分ですらも、鬼殺隊で役に立てることがあるのだと。それが、何よりも嬉しい……。
「これ……飲めばいいのですか?」
震える手で、瓶の蓋を取る。途端に立ち昇ってきた匂いに、軽く頭痛がした。
「もしかしたら、お嬢さんにとっては劇薬かもしれまへんで。舐めただけでも、悶え死ぬかもしれまへん」
「そうであれば、それでいいです。……死ぬことすら、叶わないのかと思っていたんですから」
宝耳はなんとも言えない顔で首をひねる。薫は構わずに、瓶の中の液体をすべて飲み干した。
「…………あれ?」
なんの反応もなくキョトンとしていると、急に喉が焼けつくように痛みだした。
「うぅっ……」
猛烈な吐き気がして、空っぽの胃から酸っぱい胃液がせり上がってくる。ゴホゴホと
ハァハァと呼吸が荒くなる。
うまく息ができない。
ビリビリと四肢から始まって、全身が痺れてきて、薫はその場にバタリと倒れた。
急速に意識が朦朧としてくる……。
「やっぱりキツいようでんな。ま、死にはしまへんやろ。少々、眠ってもらって……」
宝耳が言うのが、遠くに聞こえた。液体はほとんど吐き出してしまったのに、やはり藤の毒は自分にとって致命的なものだったのだろうか。
視界が暗くなり、薫は目を閉じた。
もし、このまま死ぬのであれば、それもいい。
でも、もし、生き延びることができたのなら。
自分のような者にも、役立つことがあるのならば。
そのときは……鬼殺隊のために生きて……死のう……。
<つづく>
次回は2023.11.11.更新予定です。