【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第七章 宿願(二)

「無事で……」

 

 薩見(さつみ)惟親(これちか)は久々に薫の姿を見て、目を潤ませた。だが、すぐに自分の役目を思い出したのだろう。ぐっと唇を噛みしめると、震えながら深呼吸を一つしてから、鹿爪らしい顔になって言った。

 

「……この度は、無惨討伐のための研究に協力してくれるとのこと、はなはだ有り難く思います。早速ですが、今後、あなたと一緒に研究を進めてくれる人を紹介しますので、ついてきてください」

 

 言われるままに惟親のあとに従うと、産屋敷邸を出て、用意されてあった馬車に乗るように示される。どこに向かうのだろうかと、小さな窓から外を眺めていると、次第に懐かしい景色が目に入ってきた。

 

「……蝶屋敷に向かっているのですか?」

 

 薫が尋ねると、惟親は「いや」と首を振った。

 

「正確には蝶屋敷ではありません。ですが隣接しています。この研究については、今から会う者たちも含め、当然ながら蟲柱様のご助力なくば成立しませんからね」

 

 惟親の言う通り、馬車は蝶屋敷の前を素通りすると、背の高い鉄製の格子に囲まれた、こじんまりとした洋館の前で止まった。

 惟親は軽く咳払いすると、鍛鉄(ロートアイアン)の門扉を開けて入っていく。薫も続くと、奥まった(ひさし)奥の扉が開いた。影が濃くてよく見えなかったが、どうやら男性が一人立っているようだ。

 

「その女か?」

 

 鋭い声が問うてくる。惟親はやや緊張した面持ちで頷いた。

 

「早く入れ、女。あぁ、お前はもういい。帰れ」

 

 男の横柄きわまりない態度に、惟親はムッと顔をしかめつつも、軽く頭を下げた。半身を薫に向けて、中へと促す。

 

「この先のことについては、彼らに任せています。ただ、あなたの鎹鴉は今まで通り、そばにいるので、何かあったらすぐに知らせてください」

「……何があるというんだ、まったく」

 

 言葉尻を聞きつけて、男はぶつくさと文句を言いながら、建物の奥へと去っていく。薫はとりあえず惟親に頭を下げると、あわてて後を追った。

 館の中は暗かった。宝耳(ほうじ)の話だと、鬼でありながら協力してくれているというから、当然ながら日光を避けるために、鎧戸などもすべて閉め切っているのだろう。二度ほど廊下を曲がった先の、行き止まりの扉の前で男は止まった。

 

「珠世様」

 

 コンコンとノックして、声をかける。中から「どうぞ」と、柔らかな女性の声が返ってくると、男はそっと扉を開いた。さっさと入って行かれて、薫は入っていいものか迷ったが、そっと閉まりかける扉を押して部屋の中へと足を踏み入れた。

 部屋の中は明るかった。天井から吊り下がった電灯の白い明かりの下、白い割烹着のようなものを着た女が立っている。どうやら彼女が「珠世様」であるらしい。

 

 その顔を見て、薫はすぐに思い出した。以前、任務で斬り殺そうとしていた鬼の女。千佳子(ちかこ)に似ていると思ったせいで覚えていたのだろう。だがあのときもそう思ったが、絢爛たる牡丹のような美しさであった千佳子に比べると、ひっそりと匂い立つ芍薬(しゃくやく)のような、静謐(せいひつ)とした美しさだった。

 あのとき、宝耳はまるでこの鬼の女を守るかのように、薫の邪魔をしてきた。今にして思うと、こうなることを予期していたのだろうか。

 

「……貴女(あなた)

 

 臈長(ろうた)けた風情ながら、意外に愛らしい声で、珠世は呼びかけてくる。やや強張った表情とかすかに震える声に、薫は彼女が自分のことを覚えているのだとわかった。その場に(ひざまず)くと、頭を下げた。

 

「この度は、お館様の声がかりにより、宿年の仇敵(きゅうてき)である鬼舞辻無惨滅殺のご助力をいただけたこと、誠にありがとうございます。鬼殺隊に身を置く者として、心より御礼申し上げます。ただ……」

 

 薫は顔を上げると、真っ直ぐに珠世を見つめた。

 鬼であるというのに、その目は赤くない。人間(じんかん)に紛れてしまえば、きっと気付かぬことだろう。だが、薫は己の血に潜む鬼の性によって、彼女が鬼であることを確信できた。しかも今まで薫が討伐してきた鬼たちなどとは比べ物にならないほどに、長く久しい時を生きてきている……。

 

「かつてあなた方を鬼として滅殺しようとしたこと、これを謝るつもりはございません。私は鬼殺隊士で、鬼を狩るのが仕事です。今、このような状況になったとしても、かつての自らをすべて否定するものではありません」

 

 薫の話を聞いているうちに、男の方も思い出したようだった。

 

「あっ! お前……そうか、あの時のッ」

 

 赤い瞳がギラリと光って、薫を睨みつけてくる。薫はチラとだけ男を見たものの、正直、男の方についてはさほど記憶になかった。

 珠世はしばらく薫を見つめたあとに、ため息まじりにゆるりと首を振った。

 

「立って下さい。貴女を責めるつもりはありません。ただ、あの時……貴女に初めて会ったときに、私は妙な感じを受けたんです。そのときは、ハッキリとわからずにいましたが、伴屋(ばんや)様から貴女のことをお聞きして……さらに今日こうしてお会いして、わかりました。私はあのとき既に、貴女からかすかに鬼の気配を感じていたのです」

「え……?」

 

 薫は固まった。あのときにはもう、鬼として自分は目覚めていたのだろうか? 知らぬ間に自分は鬼として、誰かを傷つけるようなことをしていたのではないのか?

 急に宿った疑問は、一気に薫を恐怖に陥れた。顔から血の気が引き、かすかに震えていると、そっと肩に白い手が乗せられた。いつの間にか目の前に、珠世が立っている。微笑みを浮かべた顔は、それこそ観音菩薩のように穏やかなものだった。とても鬼とは思えない。

 

「心配する必要はありません。おそらく貴女は鬼とはなっていない。まだ(・・)

「……まだ?」

 

 薫が問い返すと、珠世はコクリと頷いた。

 

「詳しいことは、これから貴女の血をもらって調べますが……伴屋(ばんや)様からの話を聞く限り、黒死牟なる鬼から()けた血がわずかであったために、貴方は鬼の血の影響をあまり感じることなく生きてきたのでしょう。けれど、おそらく鬼殺隊に入って、数々の鬼を討伐していく中で、徐々に反応するようになっていったのでしょう……」

 

 薫は混乱した。珠世の話がすぐに理解できない。

 呆然とする薫に、珠世はにっこりと()んだ。

 

「とりあえずはご挨拶しましょう。私は珠世と言います。この子は、愈史郎。貴女のお名前をお聞きしても?」

 

 その声は愛らしいながらも、まるで母親のような安堵感があった。薫はホッと息をついてから、自らを奮い立たせた。大丈夫、と言い聞かせる。自分がどういう状態であるのかを知って、その上で役立ててもらうためにここに来たのだ。

 珠世の笑顔に返すように、薫もニコリと笑ってみせる。

 

森野辺(もりのべ)(かおる)と申します。珠世様、愈史郎様、お世話になります」

 

 

 

 それから一週間ほどは、安穏と過ぎた。

 薫はおそらく心配をかけたであろう律歌(りつか)や、秋子に対して鎹鴉を通じて手紙を送ったが、薩見惟親からの指示で、居場所については伏せておくように言われていた。理由は珠世達の安全を確保するためだ。

 

「今、彼らとの間に無惨討伐のための協約を結んだとはいえ、一部の血の気の多い隊士の中には、鬼であれば関係ない、すぐさま殺す、と息巻く者も少なくない。例の刀鍛冶の里で上弦を相次いで滅殺してからは、鬼も急に姿を潜めていてな。正直、隊士たちは元気が有り余っているのだ。そのことについては柱の方々が色々と考えてくださっているようだが……。ともかく、あの鬼たちの存在は一部の人間にしか知らせていないから、君もそこは協力してほしい」

「はい、もちろんです」

 

 無惨滅殺の悲願を果たすためである。それに珠世たちもまた、無惨に対しての憎悪は深い。それはこの数日、彼らと暮らし、話をする中で折々に感じたことだった。

 詳しいことは聞かなかったが、珠世がかつては平凡に生きてきた女性であったことも、その穏やかな暮らしを奪ったのが無惨であることも、彼女と仲良くなるに従って、薫は自然と感じ取った。ときにその洞察は、自分でも深みに(はま)っていくような感触になることがあって、怖いほどであった。

 珠世はそうした薫の戸惑いにも、すぐに気付いてくれた。

 

「森野辺さん。おそらくそれが、あなたのいわゆる血鬼術といった能力に近いものなのですよ」

「……私が、血鬼術を操っていると?」

「不完全なものですが。……元々、血鬼術というのは無惨によって与えられるものではありません。鬼はそれぞれに固有の能力を持ちますが、それは人間の頃から持ち得た能力をより伸長させたものに近い。貴女の場合、おそらくは鬼の心を読むのでしょう。あるいは鬼殺隊士として、鬼を(ほふ)るための、より(・・)有効な手段として、無意識に作り出したのかもしれませんね」

 

 珠世の推察はいちいち的を得ていた。

 それは自分が鬼の血を享けたことを思い出す以前から、鬼と対峙するとき、時々奇妙に思っていたことでもあったからだ。

 千禍蠱(ちかこ)との戦いのあと、一緒に戦った音柱・宇髄天元にも指摘された。

 

 

 ―――― お前、あの女の血鬼術に馴染みすぎだぞ……

 

 

 あのときは千禍蠱という鬼が、かつて薫が慕っていた千佳子という女性であったから……昔馴染みであったことへの思慕や同情が、そうさせたのだろうと思い込んでいた。だが、知らず知らずのうちに、薫の中に潜んだ鬼の血が、千禍蠱の内奥(ないおう)を知ろうとしていたのなら?

 天元の言う馴染みすぎ(・・・・・)という言葉も、得心がいく。

 

 あの任務のあとに、薫の体調は急激に悪くなった。それこそ刀鍛冶の里に行っても、治らなかった。いや、今にして思えば、鬼の血が強く表れ始めたからこそ、太陽光が充溢する刀鍛冶の里では、どんどん容態が悪くなっていったのだろう。

 何も知らず、ただただ自分を追い詰めることしかできなかった日々。どんなに頑張っても身体は恢復(かいふく)せず、周囲の人間との差に焦燥を募らせ、ときに嫉妬までした。

 

 

 ―――― お前はもう限界だ! だから体が悲鳴をあげてんだろうがァッ!!

 

 

 実弥の指摘は、ある意味当たっていたのだ。

 鬼殺隊士として鬼と対峙することで、薫の中に眠る鬼の(しょう)は、少しずつ呼び覚まされ、抑え込もうとする人としての体力が、限界にきていたのだろう。

 

 薫は実弥のことを思い出すと、申し訳なかった。

 おそらく失踪した薫のことを、もっとも心配しているのは、実弥だろう。わかっていたが、薫は実弥に手紙を出せずにいた。理由は二つある。一つは惟親から止められたからだ。

 

「風柱様も大層心配されておいでですが、しばらく連絡は控えてください。必ず折を見て……必ず、会う機会を設けますので」

 

 惟親としては、あの風柱の性格上、ここに薫がいると知れば、乗り込んでくるのは間違いなく、そのときにまかり間違って珠世や愈史郎に危害を加えることを懸念したのだった。

 柱であるので、実弥は当然珠世らのことも知っていたが、やはり多くの隊士同様に、鬼の協力者について懐疑的であった。元々よく思ってないところに、失踪した薫が一緒にいて、しかも無惨を弱体化する毒を開発するために、その薫を利用していると知れば、ただで済むはずがない。薫と会わせるにしても、今回の研究について十分に説明したうえで、理解してもらうことが重要と考えてのことだった。

 

 だが、この惟親の老婆心ともいえる配慮は、薫にとっても有り難かった。正直なところ、実弥に対しては後ろめたくもあり、きまり悪くもあった。吉野で嘘をついて、悲壮なまでの覚悟で出てきたのに、今こうしてノコノコと戻ってきてしまった。せめてここで、ちゃんと役立てる人材であることを示せないと、とてもではないが合わす顔がない。

 

 意気込んで来たものの、珠世はひとまず薫の血液を採取したのちに、簡単にこれまでの経緯 ―― 特に黒死牟から血を与えられた時期やその量など ―― を問診しただけで、これといって薫の負担となるようなことはなかった。せいぜい愈史郎の隣で、実験についての口述筆記を手伝った程度である。

 現状において、薫の負担といえばこの愈史郎くらいなものだった。

 以前薫が襲ってきたことについてネチネチと嫌味を言ってきたり、珠世に対するやや度を超えた愛情の現れであろうが、いちいち比べては薫を蔑むのも面倒であった。

 

「……まったく、お前など、珠世様とは比べ物にならん!」

 

 その台詞も何度目だったか、もう数えてもいない。だが、いい加減薫も辟易(へきえき)して、昨日、ついに言い返してしまった。

 

「愈史郎さん。珠世様は確かに貴方の仰言る通り、素晴らしい御方です。言われなくともわかっています。ですから、そういうお言葉は心に秘めておいてください。正直……鬱陶しいです」

「なっ……!」

「おそらく珠世様も、少し(・・)困ってらっしゃると思います」

「う……!」

 

 それから今に至るも、愈史郎はおとなしかった。どうやら珠世からもやんわりと釘を差されたらしい。本当に珠世にだけは、どこまでも従順だ。

 

「森野辺、珠世様がお呼びだ」

 

 その日、薫を呼びにきた愈史郎は相変わらず不機嫌そうであった。まだ気にかけているのだろうかと思ったが、どうやら理由は違ったらしい。コンコンといつものように扉をノックすると、珠世の「どうぞ」という声が聞こえる。ゆっくりと扉を開き、そこに座っている人物を認めた瞬間に、すぐに愈史郎の仏頂面の理由がわかった。

 

「よッ! お嬢さん。元気にしてまっか?」

 

 軽妙に挨拶をしてきたのは、数日ぶりに会う伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)だった。

 

 

<つづく>

 

 





更新ペースを変更し、次回は明日2024.03.17.に更新します。
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