【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第七章 宿願(三)

 まるで自分の家さながらに、宝耳(ほうじ)は応接用のソファにどっかり腰かけていた。

 愈史郎はわかりやすく苦虫を噛み潰していたが、珠世は特に気にもしていないように、薫を呼ぶ。

 

森野辺(もりのべ)さん。こちらに」

 

 珠世の前にある診察用の椅子へ促されて、薫が腰掛けると、ソファの背もたれ越しに宝耳が顔を出して、まじまじと見つめてくる。

 

「ほぉ? 随分、顔色良くなりましたやんか。やっぱり鬼同士わかりあうところがありますんやろか?」

 

 悪気があるのか、ないのか、軽い調子で言ってくる。

 薫はやや眉をひそめた。

 

「宝耳さんは、相変わらず意地悪なことを仰言(おっしゃ)いますね」

「うん? なんぞ気に(さわ)ったかいな?」

「……返答に困ります」

 

 薫がムッとして睨みつけると、宝耳はわざとらしく肩をすくめる。

 その姿を見た珠世は微笑しながら、やんわりと否定した。

 

「残念ながら、森野辺さんは『鬼』とはいえません。今回はそのことについて、詳しく説明するためにお呼びしました」

 

 そう言って、珠世は物書き用の机に置かれた薫のカルテを、数枚繰った。一体、採血して何を調べていたのか知らないが、そのカルテはちょっとした冊子並に分厚かった。

 

「まず、森野辺さんはこれまでに二度、鬼の血を与えられています。一度目はおそらく六、七歳頃。冷たい川を流れる中で、おそらく貴女(あなた)は死にかけていたのでしょう。そんな貴女を助けるためであったのか、上弦の壱である黒死牟は自らの血を与えた」

「妙なこともあるもんや。鬼が子供を助けるなんぞ」

 

 宝耳は混ぜっ返すように言ったが、その疑問はもっともだった。薫も信じられない。鬼が、しかも無惨に最も近しい存在であるはずの、上弦の壱である鬼が、死にかけの、みすぼらしい子供を助けるなど。

 

「上弦の壱ともなれば、そのへんのガキ程度であれば情けをかけますんか?」

 

 宝耳の問いかけに珠世はゆるゆると首を振った。

 

「私にもわかりません。その黒死牟という鬼に直接会ったこともありませんし……相当に長く生きているとは考えられますが。助けたというより、ただの気まぐれであったかも……」

 

 言われて薫はハタと思い出した。

 

 

 ―――― 鬼の気まぐれで、生き延びたなら……

 

 

 遠く霞む記憶の中、黒死牟の囁きが聞こえる。

 薫はギリッと奥歯を噛み締めた。その気まぐれに翻弄されている己が情けない。しかもあの鬼は、そんなことを言っておきながら、背を向けたが最後、薫のことなど忘れていたのだ。……

 

「いずれにしろ、その鬼の血によって、一時的に細胞が活性化され、貴女は生き延びた。このとき大事なのは、鬼の血が本当にごくわずかであったということと、貴女がまだ成長著しい子供であったということです」

 

 微量の血の中にあった、鬼を作り出す因子 ―― これを珠世は『鬼の(タネ)』と呼んだ ―― は、まだ子供であった薫の体内に潜み、成長期に起こる頻繁な細胞増殖によって、本来の器質を作り変えていった。つまり奇跡的に、『鬼の(タネ)』は薫の身体(カラダ)に順応していったのだ。この変化も含め、与えられた血があまりにも微量であったことで、無惨からの呪縛を逃れたのだろう……と、珠世は言った。

 

「本来、鬼は無惨からの血を()けることで、鬼となります。そうなれば無惨によって縛られ、思考すらも自由にならなくなる。けれど今回、薫さんの事例でわかりました。単純に鬼の血を体内に入れただけでは、鬼とならない……」

 

 おそらく鬼の血に含まれる『鬼の(タネ)』を覚醒させる何かしらの刺激があって、人は鬼となるのだろう。そのことは薫だけでなく、玄弥の事例からも明らかであった。

 

「彼は鬼の血を吸収して、鬼の能力を一時的に我がものとしますが、無惨による呪縛の対象とはならない。彼が鬼として()()していないからです。だから彼の鬼化は不完全であり、人に()()ことが可能なのです」

 

 その話を聞くうちに、薫の中で封印していた記憶が再び甦った。

 あの日、はからずも再会した薫に、再び血を与えながら黒死牟は言っていた。

 

 

 ―――― …その時…あの方に、お前を鬼としてもらおう…

 

 

 その言葉の意味するところ……つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 

「確か、あのとき、黒死牟が言ってました。『あの方』に……おそらく無惨に…『鬼にしてもらおう』って」

 

 薫があの日、黒死牟と交わした会話について話すと、珠世は静かに頷いた。

 

「そうです。本来、無惨だけが鬼を作り出せるのも、それが理由でしょう。私も人を鬼とする施術を何人かに試みましたが、成功したのは愈史郎だけでした。……簡単なことではないのです」

 

 珠世は重苦しい口調だった。そこにはたとえ本人の了承があったとしても、人を鬼としてしまったことへの、取り払えない罪悪感がにじみ出ていた。

 

「珠世様……」

 

 哀しげな珠世を見た愈史郎が声をかけようとしたが、宝耳がまたその沈んだ空気をかき回した。

 

「しかし、そうやとしたら……お嬢さんはよほどに運が良かったんですな。子供時分に鬼の血ィもろて、そのまんま無惨のところに連れて行かれて鬼にされとったなら、今頃、鬼殺隊に殺されとったかもしれまへんで」

「………そうですね」

 

 薫は相槌をうちながらも、内心は怒りに震えていた。

 あの時 ―― 再会した薫に、黒死牟は心底驚いていた。

 

 

 ―――― 気まぐれゆえ…忘れ果てていたが、よもや鬼狩りとなって、再び(まみ)えるなど……盲亀(もうき)浮木(ふぼく)、とは…この事……

 

 

 そもそも黒死牟は、ほんの一滴の血だけで、死にかけの子供が本当に助かるとは、思っていなかったのかもしれない。だからこそ無惨にも伝えず、そのまま忘れ去っていたのだ。それが思いがけず再会し、しかもその助けた幼子が鬼狩りになっていたことに、よほど興味をそそられたのか……。

 本当に忌々しく、腹立たしい鬼だ。

 

 宝耳は言葉少なな薫に構わず、珠世に再び問いかけた。

 

「ほんで、青い彼岸花の効能は?」

「それについては、未知数のところが多くて、はっきりと診断できかねます。無惨が青い彼岸花を探していたのは確かですが、それが果たして薫さんが食したものと同一であるのかもわかりませんし、必要とされるのが花であるのか茎であるのか根であるのか、あるいは全てなのか……詳細は無惨しか知らぬのでしょうから」

 

 あの青い彼岸花が、実は無惨にとって重要な意味を持っていたのだと知ったのは、つい最近のことだ。詳細については不明だが、無惨は随分と前からこの花を探しているらしい。珠世は昔、無惨と行動を共にしていたこともあったそうだから、知っていてもおかしくはないが、宝耳がなぜそれを知っているのかは不明だった。いつものことだが、宝耳は聞くだけ聞いて、自分のことは教えてくれない。文句を言ったところでこの男には痛痒も感じないだろう。今も、しれっとした態度で、珠世の話を聞いていた。

 

「……なので、はっきりとは申せませんが、あるいは補強にはなったのかもしれません。薫さんの記憶では、その彼岸花を間違えて食べた頃から、寝込んだりすることは少なくなったんですよね?」

 

 珠世に問われ、薫はためらいがちに頷いた。

 

「はい……たぶん。しっかりと日記に書いたりしていたわけではないので、おぼろげではありますが。小さい頃はしょっちゅう熱を出していたんです。でも、ある時から急にそうしたことが少なくなって……両親は大きくなって体力がついたからだろうって言ってたから、そうだと思っていたんですが」

「フン。まぁ、当て推量のようなモンでんな。青い彼岸花については」

 

 宝耳はさっさと結論づけてから、薫の顔をじっと見てきた。

 

「なんですか?」

 

 薫が眉を寄せて尋ねると、ニタリと意味ありげな笑みが頬に浮かぶ。

 

「いや。それにしても、ようもウマいこと難を逃れはったもんやと思いましてな」

「……なにが言いたいんですか?」

「いや、いや。皮肉なもんやと思いましてな。ご両親のことは気の毒としても、そのままあの堅物の坊々(ボンボン)にでも嫁いで、子爵夫人にでもなっとれば、安穏と生きれましたやろに。鬼殺隊に入ったばかりに、鬼と関わるようになって、己の中に眠っていた鬼の血が()()()()ことになってしもて……。ホンマに、お嬢さんには()()()()()()()()()()()んですな。今となれば『辞めろ、辞めろ』としつこく言うてきとった風柱様のお言葉も、身に染みる忠言であったと、思いまへんか?」

 

 薫はジロリと宝耳を睨みつけたものの、すぐに目を伏せた。嫌味だというのはわかっていても、反論できない。鍼治療さながら、宝耳は正確に薫の痛い処をついてくる。

 珠世は黙り込んだ薫の、握りしめた拳をポンポンとやさしく叩いて励ますと、話を変えた。

 

「そうそう。その風柱という人に関することで、興味深いことが発見できました」

「風柱の? なんですねん。稀血と関係おますのか?」

「あら、流石(さすが)ですね。伴屋(ばんや)様。その通りです。今まで稀血が鬼にとって、非常に魅力的な摂取物であることは知られていましたが、今回、薫さんの体内で起きた変化によって、別の側面があることがわかりました」

「私の体内で?」

 

 薫は首をかしげた。

 黒死牟から無理やり与えられた鬼の血を出すために、薫は自ら首を切った。そのとき大量に出血したために、緊急措置として実弥の血を輸血したのだと、律歌(りつか)から聞いている。そのときのことも、うろ覚えに……覚えている。だが、自分の中で特に何か変化したという自覚はなかった。

 珠世はおおきく頷いて、カルテを繰る。顔はいつものように穏やかではあったが、薫は珠世がめずらしく、やや興奮気味であることを感じ取った。

 

「これは二度目に、黒死牟から血を与えられたときのことです。貴女は血を()けましたが、即座に出血させたことによって、体内に残された量としては、ごくわずかでした。その後に大量の稀血が供給されたことで、驚くべき変化が起こったのです。貴女に与えられた鬼の血を、稀血の中にあった、ある種の物質―― 那霧(なぎり)博士はこれを『Χ(カイ)』と仮名しておられましたが、その『Χ(カイ)』が破壊していたのです」

 

 

<つづく>

 




次回は2024.03.23.更新予定です。
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