【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第七章 宿願(四)

「え……?」

 

 (かおる)はただただ唖然とするばかりだった。珠世(たまよ)はなるべくわかりやすい言葉で話してくれてはいたが、やはり即座に理解するのは難しかった。

 

「え……と、あの……つまり、稀血(まれち)が鬼の血を消した……ということですか?」

 

 頭の中で整理しながら聞き返すと、珠世は頷いてさらに続けた。

 

「そう。つまり稀血は鬼にとって最上の栄養源であると同時に、最悪の毒でもあるのです。一つの器 ―― 例えば森野辺(もりのべ)さんの体内において、稀血が鬼の細胞よりも少なければ、鬼の細胞が彼らを侵食して栄養素とします。けれど今回のように、鬼の血に対して、稀血の量が大きく上回った時、稀血の中にある『Χ(カイ)』が、鬼の細胞を駆逐するのです。この現象は、森野辺さん個人の資質によるものではなく、他の培地(ばいち)においても確認されました」

「……は…ぁ」

 

 薫は途中から専門用語についていけず、曖昧に相槌をうつのみだった。

 一方、いち早く理解した宝耳(ほうじ)が珠世に問うた。

 

「つまりそれは、無惨を弱体化させるための、極めて有効な発見……いうことでっか?」

 

 珠世は宝耳のほうを向くとコクリと頷いてから、ニコリと笑った。

 

「このことについては、伴屋(ばんや)様にもお礼申し上げねばなりません。貴方(あなた)が訳してくださった那霧(なぎり)博士の覚書が、とても役に立ちました。恐るべき御方です。研究の熱心さに加えて、非常に優れた洞察力をお持ちだったのでしょう。あんなに少ない手掛かりから、よくもこんな仮説を考えられたものです」

「ハハ。そら良かった。亡くなった那霧博士も、まさかそないなことで貢献できるとは思っておりまへんでしたやろけど。こうなると無惨の運も、那霧博士という人物を手に入れ損ねた時点で、尽きてたのかもしれまへんな」

 

 軽く宝耳がその名を出すと、珠世の顔は途端に曇った。憂いを帯びた瞳とは対照的に、内心には(うず)()のようにいつまでも消えぬ怒りがある。軽く唇を噛みしめると、かすかに頬を歪めて言った。

 

「……あの男は傲慢ですが、自分よりも優秀な人間には、奇妙な寛容を見せるのです。卑屈さゆえに、認めることで優位に立とうとするのか……。確かに、貴方の言うように、もし、那霧博士が生きて、研究を続けておられれば、あるいはあの男の長年の望みも叶ったかもしれませんね」

 

 普段の穏やかで柔らかな口調からは想像できぬほど、そのときの珠世の声は暗く、怨念に満ちていた。

 珠世の無惨への恨みの深さが伝わってきて、薫は無言で胸を押さえた。まるで刀で貫かれたかのように痛く、傷口を焼かれたかのように苦しい。

 こんな気持ちを抱えて、長い時を……人には長すぎる時を生きてきたのだと思うと、その先の見えない日々にゾッとなる。只人(ただびと)であれば、もはや狂って、太陽に()かれて灰と消える道を選んだだろう。だが、珠世がそうした辛苦(しんく)を背負いながら生きてきた理由もまた、この燃え尽きることのない憎悪なのだ。

 

「ほな、これでかねてからの鬼を人間に戻す薬も含めて、ますます研究も進みそうでんな」

 

 重苦しくなった空気を剥いだのは、またも宝耳の暢気(のんき)な声だった。

 しかし薫は宝耳の言ったその言葉に、すぐに反応した。

 

「『鬼を人間に戻す』? そんなことが可能なのですか?」

 

 思わず身を乗り出して珠世に詰め寄ると、「おい!」と愈史郎(ゆしろう)が声を荒げた。

 珠世は愈史郎を手で制すると、複雑な表情で薫を見つめた。

 

「……森野辺さん。貴女の望みはわかります。稀血によって、新たに享けた鬼の血はほとんど消滅しましたが、幼少時に享けた血は消えていない。これは貴女の成長と同時に、鬼の血が、極めてゆっくりと、貴女の細胞と混ざり合って変異したからです。既に単純な鬼の細胞でなくなっている。だから貴女は鬼にならなかったけれど、同時に私の作り出した鬼から人に戻す薬は、貴女には効きません。あれは鬼でないと(・・・・・)、効果がないのです」

 

 薫は一気に脱力した。

 (にわか)に期待して、あっという間に再び絶望の淵に戻ってきたかのようだった。

 鬼でなかったことに安堵したのが、今度は苛立ちに変わる。いっそ鬼となっていれば、珠世の薬で人間に戻れたのだろうか。つくづく中途半端な自分がもどかしい。

 珠世は憐れむように薫を見ていたが、フイと目を伏せると、静かに話を続けた。

 

「……貴女という人に来てもらったのは、貴女の血を調べるだけではありません。貴女は稀有な存在です。貴女の中にある『鬼の(タネ)』は、覚醒していない、いわば鬼となる前の原初の状態で固定されているがゆえに、あらゆる角度からの研究が可能なんです。だから……」

 

 そこまで言って、珠世はキュッと眉を寄せると口を噤んだ。

 

「珠世さん…?」

 

 薫が問いかけると、愈史郎がまるで珠世を守るかのようにズイと出張ってきて、冷たく言った。

 

「お前を呼んだのは、無惨を弱体化、出来うれば殺傷できる毒薬を開発するための実験体としてだ」

「あ……」

 

 薫はハッとなって、珠世を見た。

 柳眉(りゅうび)に寄せた皺に、苦々しい痛みがよぎる。数日一緒にいただけだったが、薫は珠世がとても繊細で、誠実な、温かい心の(かよ)った(ひと)だとわかっている。人を実験体として使うことなど、彼女の本来の優しい性格からすれば、相当に抵抗があるのだろう。それこそ愈史郎を人から鬼に変えたことも、彼女はいまだに自問自答しているのだから。

 

「やれやれ……」

 

 やり取りを見ていた宝耳が、またものんびりと割って入った。

 

「相変わらず身も蓋もない言いようやのぉ、愈史郎。珠世様はゆぅっくりと話してきかせようとしとったというのに」

 

 愈史郎はギロリと宝耳を睨みつけ、すぐさますげなく言い返す。

 

「お前に愈史郎などと呼ばれる覚えはない」

「そっちに覚えはなくとも、こっちは覚えとるから、そら名前で呼ぶわ。そやなかったら、なんや? 鬼の書生さんとでも呼ぼか?」

「……貴ッ様ァ」

 

 ここに来てから、宝耳は先程も言っていた那霧博士の資料を渡す用件などもあって、何度か訪ねてきていたが、愈史郎との仲は絶望的に悪かった。もっともこれはしのぶなどと違って、愈史郎が鬼であることに起因しているというよりも、ただただこの二人の相性の問題であるようだ。

 薫は愈史郎と宝耳の滑稽なやり取りに、少し心がほぐれた。

 にっこりと笑うと、さっき自分がしてもらったように、珠世の両手を取って、そっと包んだ。

 

「珠世様。大丈夫です。ある程度、宝耳さんからお話は伺っています。どうせ死のうとしていた身です。お役に立てることがあればと思って志願したのですから、今更、嫌だと駄々をこねる気はありません。ただ……」

 

 一度、言葉を切って深呼吸する。

 我儘だと知りながらも、捨てきれない……それは薫にとって、唯一といってもいい希望だった。

 

「ただ……もし、可能であるならば、皆と……鬼殺隊のみんなと一緒に戦いたいのです。今、こうして研究に(たずさ)わることも彼らの支援になっているとは思います。でも、やはり私は彼らと共に……」

 

 話しながら、これまで一緒に戦ってきた仲間の姿が思い浮かんで、薫はそれ以上言うことができなかった。

 秋子にも久々に会いたかった。翔太郎もきっと腕を磨いているだろう。升田(ますだ)や、信子など、今となっては古参になった懐かしい仲間。そこに加えて死んでしまった人たちの顔も浮かぶ。……

 珠世は震える薫の両手をそっと握り返した。

 

「確約はできません。与えられた時間がどれほどあるのかもわからないから……。でも、なるべく貴女の意志を尊重します」

「ッ……ありがとうございます!」

 

 薫はあわてて顔を見られないように頭を下げた。

 この前から、本当に情けないくらい、涙もろくなっている。しかもそれは、大概の場合、嬉しくて出てくるのだ……。

 

「さァ……いよいよ、大詰めかな」

 

 パン、パン、と宝耳がわざとらしく拍手する。

 

「お前が(まと)めるな」

 

 愈史郎がムッと睨みつけると、ぺろりと舌を出しておどけてみせた。

 

「ハ、さよで。では、ここでの用件も済んだようですから、ワイも別件のほうに行くことにしまっさ」

「……まだ、何かあるのですか?」

 

 薫はあわてて涙をこすって胡麻化し、宝耳に尋ねた。

 鬼がすっかり鳴りを潜めているこの状況において、もはや鬼を生け捕ることもない。

 どうやら無惨はこれを機会に鬼殺隊を一掃しようと考えているらしい……というのが、お館様の予知を含めた推測であった。

 そのため、今は鬼殺隊一丸となって来るべき決戦に備えて、いよいよ柱直々の稽古が始まると、惟親(これちか)から聞いている。今更、何かまだ調査する事柄があるというのだろうか?

 薫の疑問に、宝耳は苦笑して手を振った。

 

「いやいや。ま、懇意にしとる女性(にょしょう)からのお願いをまだ、叶えておりまへんのでな。そちらのほうに専念しようかと」

「あ、そうですか」

 

 薫は一気に冷めた顔になった。

 今、皆で無惨に向かっていこうと、珠世との協力も再確認していたというのに、まったく相変わらずフザけきった人だ。

 

「ハハ。こら、すっかり呆れられましたな」

「当たり前だ。とっとと帰れ」

 

 愈史郎も本来赤いはずの目を白くする勢いで、冷たく宝耳を睨みつける。宝耳はへぇへぇ、と肩をすくめて立ち上がると、おとなしく扉へと向かった。

 が、珠世が鋭く呼び止めた。

 

「伴屋様。その()は、まだ貴方にお願い(・・・)とやらを申しておりますのか?」

「………いや。最近はとんとお目にかかれておりませんのでな。でも、いずれ会うときに、手土産(・・・)でも持っていけば、喜んでくれるかもしれまへんやろ?」

「………それが、貴方の覚悟であるならば、止めることは致しません。けれど、その()はもはや必要としていないでしょう。もう、太陽を克服した鬼(ねずこさん)がいるのですからね」

 

 薫も愈史郎も当惑した。

 珠世と宝耳の間に流れるピリピリとした空気が、肌を刺してくるようだった。そのくせ宝耳の態度は、いつもながらのお気楽なものなのだ。

 

「そうでんな。ま、ただの余興ですわ。さほど心配されるようなことではおへん」

「………さようでございますか」

 

 珠世の言葉は丁寧であったが、丁寧である分、滲み出る不快感が露わだった。だが、その珠世の怒りを内包した返事にも、宝耳は笑顔で手を振る。

 

「ほな。しばしのお別れ。皆さん、せいぜいおきばりやす~」

 

 最後の最後に下手くそな京ことばを吐いて、宝耳は出て行った。

 

 

<つづく>

 




次回は明日2024.03.24.に更新します。
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