【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第五章 決意(四)

 兄弟子達がいなくなった後、相変わらず家事の仕事はあったものの、東洋一(とよいち)からの稽古を独り占めできるようになったので、薫の剣技はめきめき上達した。

 

 だが、東洋一は甘くなかった。

 確かに戦闘における身のこなしや、風の呼吸の型は着実に身につけていっているが、体力・筋力的な不足がある。

 これをより成長させていかねば、これから教えていく呼吸によって型を錬成させ、技として習得することは難しい。

 

 重石をつけた状態での山登りと下山を行う走り込み、打ち込み稽古が続いた。

 体力は確実に向上していったが、体質なのか、筋肉がつきにくいようだった。

「女は男のようには肉がつきづらいのかもしれんな…」

 東洋一がぼそりとつぶやくと、薫は拳を握りしめた。

 努力しても努力だけでどうにもならないこともある。

 

 薫の入門を断る理由として東洋一が言っていたように、風の呼吸は威力を増せば増すほど、力―――特に膂力が必要となる。

 鬼殺隊の創設時からの歴史を紐解いてみても、風の呼吸での女の遣い手は五指にも満たない。

「まぁ、お前さんはその他の利点を伸ばした方がええ。身体の柔らかさと、平衡感覚だな。己の身体の使い方をよぅよぅ鍛錬することだ。風の呼吸にこだわって、強さの質を履き違えてはいかん」

「……はい」

 それからは走り込み等の基礎稽古の他に、自身で考案した柔軟運動や、平衡機能を鍛えるための修行を行うようになった。

 

 

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 瞬く間に、夏が過ぎ、秋となった。

 山々は紅葉で彩られ、田畑の収穫も終えて、年越し前の豊穣で穏やかな時期を迎えている。

 

 

「あれ? 薫子(ゆきこ)……ちゃん?」

 久しぶりに会う薫の姿を見て、加寿江(かずえ)は少しばかり躊躇して名前を呼んだ。

 

 家の使いも兼ねて町に出ていたところ、目当ての店の前で見知った後ろ姿を見つけたので、呼び掛けたのだが、振り返ったその人を、一瞬、人違いしたのかと感じたのだ。

「加寿江さん。お久しぶりです」

 声をかけられた薫は、加寿江の顔を見た途端、笑顔になった。

 

 夏には赤く日焼けしていた肌もすっかり白く戻り、身体(からだ)も丸みを帯びるようになって、以前の頃よりもずうっと年頃の娘らしい、瑞々しく匂やかな容姿になっている。

 後ろで無造作に一つに纏めた髪も、清新ですずやかな印象だ。

 

「久しぶり~。もう、前に会ったのいつだったっけ? 七月くらいだったよね」

 さすがに正式に弟子になった以上、加寿江とても、おいそれと会いに行くことはできなかった。

 前に会ったのも、偶然に東洋一の用をいいつかった薫が、町で買い物をしていた時だった。

 

「そうですね。あぁ、でもお聞きしました。加寿江さん、年明けにお嫁に行かれるって。おめでとうございます」

「え? いやいや。まぁ、私のことなんぞどうでもいいのよ」

「お祝いとかできればいいんですけど……」

「そんなのいらない、いらない! 別に大した相手じゃないんだから」

「そーんなこと言ってていいのぉ?」

 暖簾が揺れて、中から丸髷を結った、頬にえくぼのある、太り肉(ふとりじし)の女が現れた。

 

里乃(さとの)さん。こんにちは」

 薫が挨拶すると、里乃は「いらっしゃい」と軽く会釈し、加寿江を見遣ってニヤニヤ笑った。

「百年は続く造り酒屋の跡取り息子に、大した相手じゃないなんて言って、向こうのお舅さんがひっくり返っちゃうわよ」

「だぁーって、晋太郎なんて昔は私の子分だったってのにさ」

「あぁ、そうねぇ。あの洟垂れ小僧がいい男になったもんよねぇ」

「は? どこが?」

「ま、おいおいわかってきますよ。さ、二人とも。いつまでも店の前でごちゃごちゃ、くっ(ちゃべ)ってないで、さっさと入んなさいな。買いに来たんでしょ?」

 里乃に促され店の中に入ると、大皿に並べられた惣菜の匂いが充満している。

 

「きんぴら、作りたてだぁ」

 フンフンと加寿江が鼻をならした。「これこれ、お父様がこれをアテに飲みたいってさ。買ってくるように頼まれたのよ」

「毎度~」

 里乃は機嫌良く言って、薄い経木の器にきんぴらを盛っていく。レンコンに牛蒡に人参、それに蒟蒻。ごま油で炒ったいい匂いがしてくる。

 

「私のところもください。それと、炒り豆腐と煮豆と…」

「金時でよかった?」

「あ、はい。それと切り干し大根と、小豆と」

 里乃の店は基本的には煮売屋だが、乾物や農家が置いていった野菜なども置いている。

「あらまぁ……えらく物入りじゃないの、今日は」

 言いながら、里乃は忙しそうに動き回る。

 

「今日、弟子だった方がお見えになるそうなんです」

「弟子だった?」

 加寿江は眉をひそめた。「まさか、アイツらまた戻ってきたの!?」

 怒鳴るように言うと、薫は目を丸くする。

 里乃は加寿江の気持ちがわかったのだろう。同じように眉間に皺を寄せた。

「どの(ツラ)さげて戻ってきてんのよっ」

 ヒクヒクとこめかみを震わせて加寿江は握り拳をつくった。

 

 峯田らが薫に対して狼藉をはたらいた上に、返り討ちにあい、その後に東洋一の家から去った―――――という話を、加寿江が聞いた時は、既にその事件から三ヶ月が経過していた。

 

 当然、加寿江は烈火の如く怒り狂い、東洋一を絞め殺さんばかりの勢いで抗議しに行こうとしたのだが、もう決着のついたことを、今更蒸し返すのも薫には辛いことだろうから、放っておけ……と父兄から言われ、不承不承耐えた。

 

 里乃は里乃で、当然ながら知っていて、聞いた時は東洋一をこっぴどく叱りつけ、しばらく無視していたらしい。最終的には薫がとりなして、ようやく以前のような穏やかな関係に戻ってきていたが。

 

「先生がアイツらに敷居を跨がせるってェんなら、ただじゃあおかないよ」

 昔、遊郭でヤクザ者相手に啖呵を切ったという噂に違わぬ気迫を滲ませて、里乃がつぶやく。

薫子(ゆきこ)ちゃんも! なんであんな奴らのためにごはん作ってんの?!」

 加寿江が怒って睨みつけると、薫はポカンとしてしばらく思案し、

「あのぉ、弟子の人って……峯田さん達のことじゃないですよ」

と、おずおず言った。

 

「へ?」

「違うの?」

 里乃も加寿江も途端に気勢をそがれた。薫はコクリと頷いた。

「あの人達が今更ノコノコ現れたら、先生に取り次ぐ前に、門前で叩き潰して帰しますよ」

 さりげなく物騒な言葉を交えながら、薫はニコニコと笑っている。

 

 加寿江は薫が峯田達を『返り討ちにした』ということを、今更ながらに思い出した。

 普段の大人しそうで、やさしげな印象からは考えられないが、やはり鬼殺隊の剣士としての修行を受けている以上、真面目な薫のこと、剣術の腕前も上がってきているのだろう。

 

「なんだぁ、それならそうと言ってよぉ~」

 加寿江はハァーッと長い溜息をついた。

 元は自分の早とちりなのだが、そんなことは斟酌しないのが加寿江である。

 

 薫は「すいません」と笑った。

「今日おみえになるのは、もう鬼殺隊の剣士となっておられる方なんだそうです。私が一人だけで練習してたら偏るからって、時々、先生が元のお弟子さんとかに声をかけてくださるんです。いつもはもう現役を退いた方に頼まれるんですけど、今回はあちらもここで稽古がしたい、ってことらしくて………」

「へぇ? 誰が来るんだろ?」

 加寿江は覚えている限りの、これまでの弟子を脳裏に思い浮かべる。何人かはすでに故人となっているのを思い出すと、少し胸が痛んだ。

 

「粂野さんって方がいらっしゃると聞いてます。あと、もう一人みえるかどうかわからないらしいんですけど…一応、用意だけはしておこうと思って」

「あぁ! 粂野さんかぁ」

「あぁ、あの子はいい子」

 里乃も加寿江も、粂野の柔和な笑顔を思い出して、ホッとなった。彼ならば薫が女だということで(ないがし)ろにすることもないだろう。

 

 薫は棚の隅に置いてあった小豆の袋を持ってきて、勘定台の上に置いた。

「それで、明日は小豆粥でも作ろうかと。赤飯の方がいいですかね?」

 邪気払いとして小豆の料理を作るのは、藤家紋の家として、鬼殺隊の人間をもてなすときの藤森家でのお約束であった。薫は誰かからその事を聞いたらしい。

 

「そんなの、ウチの家でやってるだけのことで、気にしなくていいよ」

「いえ。危ない仕事に赴かれるんですから、せめてそれくらいは……」

「じゃあ、今日は忙しいんじゃないの? 私、後で手伝いに行こうか?」

 里乃は大福帳にそれぞれの品物を記しながら尋ねた。

「大丈夫です。今日は里乃さんのお料理に助けてもらおうと思って、買いに来たんですから。あとは肉を焼くぐらいなので」

「そう? 遠慮なく言ってね」

 

 薫は買ったものを風呂敷に包むと、加寿江と里乃に「では、また」と一礼して去って行った。

 里乃と加寿江はその後姿をしばらく見つめていた。

 修行の成果なのだろうか。駆けていく足は早く、あっという間に小さくなった。

 

 しばらくして里乃がほぅと溜息をついた。

「あの子、弟子修行のほかに、家事もほとんどやってるのよ。先生は言わないと何もしない人だから、なんだかんだで任せっきりだし。私もたまに手伝ったりはしてるんだけど、本当に働き者なのよね。……疲れてるだろうし、忙しいだろうに」

「でも、楽しそうだね」

「そうなの。それが不思議」

「………」

 

 加寿江は今更ながらに両親を殺された日の薫のことを思い出す。

 何も映さない空虚な目。蒼白な顔。あまりに陰惨な状況に、ただただ黙って、心を凍らせて、耐えていた。

 東京に戻ってからは、親戚縁者が薫を押し付けあう始末で、傷心の薫には悪夢のような日々だったことだろう。

 

 ―――――私は鬼狩りになります。そのために、来たんです。

 

 東洋一に入門を断られた後、藤森の家に来た薫はきっぱりと宣言した。

 

 鬼狩りに関わる家筋の者として、父は幼い頃から鬼殺隊士を見てきた。ほぼ男ばかりで、女の隊士はほとんどいない。しかも、女の隊士は死ぬ確率が高い。鬼が好んで捕食するからだ、と正直ゾッとするような話もした。

 

 しかし薫の決意は揺るがなかった。

 誰もが『世間を知らぬご令嬢』だと、薫を侮っていた。たとえ入門できたとしても、すぐに日々の家事や稽古の厳しさについてゆけず、あきらめると思っていた。

 

 けれど薫は一度たりとも弱音を吐いたことはない。兄弟子達からの嫌がらせや悪口雑言に辟易していたが、それすらもギリギリまでは耐えていたのだ。

 今は不埒な兄弟子共もいなくなり、のびのびと稽古に打ち込めている。それが嬉しくて仕方ないようだった。

 

「……今は自分のためにやりたいことをやってるんじゃないのかな」

「それならいいんだけど……にしても、勿体ない。あんないいお嬢さん。いーい女房になったよぉ、あれは」

 里乃がしみじみと溜息まじりに言うのに、加寿江も内心で頷いた。

 本当に、自分なんかよりもよっぽど嫁の貰い手には事欠かないだろう。が、

「三人の男を返り討ちにする女傑だからねぇ。相当な人じゃないと、薫子ちゃんの相手は無理、無理」

 加寿江が冗談まじりに言うと、里乃は真面目くさった顔で「確かにね」とつぶやいた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

 任務を終えて戻ってきた実弥に、粂野匡近はいつものごとく気軽に声をかけた。

「よぉ、お疲れさん。ちょっと師匠ンとこ行かないか?」

「ハァ?」

「新しい弟子の相手してやってほしいって手紙が来ててさ」

「………知るか」

 だいだいここまでは予想通りなので、にべない態度にも匡近はめげない。

 

「まぁ、まぁ。お前だって、弟子の時には色々と先輩にお世話になったろ? 俺だって行って相手してやったし。こういうのは巡り巡るもんだ」

「テメェ一人で行けばいいだろ。俺は呼ばれてない」

「そりゃ、お前に言ったって、無視するのがわかりきってるからな。で、俺経由で頼んできたんだ、と俺は思ってる」

「勝手に解釈すんなァ」

「まぁ、いいじゃないか。だいたい道場じゃ稽古する、ったって限度があるし、師匠のとこなら山でも川でも、修練にはもってこいだ。鬼殺隊に入っても、修行は続く……って、言われたろ?」

「…………」

「最終選別で新しい隊士が補充された今なら、多少は暇もあるし……っていうか、もう本部に届け出してあるからー」

「ハアァァ? テメ、何を勝手に……」

 実弥の抗議を受け流し、汽車に乗せるまではうまくいったと思っていた。しかし、駅に着いて早々、行きがけの駄賃とばかりに、鴉が任務を告げた。

 近くの村にある、無人となった寺に鬼が出現している可能性があるという。

 

「…なんでだよ」

 匡近はげんなりして頭を抱えた。

「そっちに向かってんなら、ちょうどいいと思われたんじゃねェ?」

 実弥はむしろ嬉しそうだった。「俺を騙くらかそうとするから、こういうことになンだよォ」

「別に騙したわけじゃない……」 

 匡近は内心で溜息をついた。

 口は悪いが、仕事は真面目で熱心なのだ。おまけに強いから、任務の割当も自然多くなる。

 

「オラ、さっさと行って片付けるぞ」

 待ちきれないとばかりに、実弥は鴉を追いかけて、一人でさっさと走っていってしまう。

「ちょっと待て! オイ!!」

 匡近はあわててついて行く。

 なぜだか二人での任務だと、こういうのが常態化している。

 一応、兄弟子なのだが……。

 

 それでも、あの頃に比べれば随分とましにはなった。

 初めて会った時は、誰も信用していないと、くっきり顔に書いてあった。

 孤独に取り憑かれ、鬼を殺すことだけに執着し、殺し殺されかける日常の中で殺伐とした精神状態になっていたのだろう。

 

 今もその環境はさほどに変わらないといえばそうなのだが、それでも野良犬に握り飯を恵んでやるくらいのやさしさが持てるようになっただけ、多少なりと、周囲に目がいくようにはなってきたに思える。

 ただ、それはあくまで匡近があの頃の実弥を知っているからだった。

 

 その他の鬼殺隊士からの評判は、『怖い』『異常』『無愛想』という否定的なものが多い。

「いやぁ、粂野さんの弟弟子だからと思って声かけましたけど……無理っす。なんか睨まれるし、なんか怒ってるし……」

 ハハハ、と匡近は乾いた笑みを返す他なかった。まぁ、確かに何も知らなければ、そうとしか見えないだろう。

 

 実弥が自分を追い込みすぎるきらいがあることが、匡近には心配だった。

 あまりにも真っ直ぐで、純粋すぎて、心に余裕がなさすぎる。もう少し、他人から見える自分が見えるようにならないと、また以前と同じに孤立してしまう。

 

 弟がいるということだったが、遠くに住んでいるようだし、一人ぽっちで立ち向かっていけるほど、鬼殺の仕事は生易しいものではない。ある程度の心にゆとりがなければ、精神的な均衡が保てなくなる。鬼に殺られる前に、おかしくなってしまう隊士もいるのだ。

 

 匡近は実弥に友達を持ってほしかった。

 

 今はまだ自分がお節介を焼くからいい。だが、いつか自分も鬼にやられないとは限らない。その時に、一人でいて欲しくなかった。

 

 という―――――匡近の気持ちなど、実弥は知る由もない。

 先に待つ鬼の首をとることだけに集中している。

 やがて寺の近くまで来ると、実弥はニヤリと笑った。

「どっちが先に見つけるかだなァ。俺は東から行く。テメェは西から入れ」

「え? ちょっ、待………て、って」

 最後まで聞くこともなく、実弥は姿を消した。

 

 匡近は溜息をついた。

 この一ヶ月近く、ほとんど休めてない。山陰の方までの遠征が終わって帰ってきたら、逐電した隊士の代わりに共同任務に狩り出され、それが終わると、単独任務が待っていた。

 いや、すべてにおいて五体満足で帰還できたことは喜ばしいのだが、少しはゆっくりしたい。

 

 実弥にでも愚痴ったら「泣き言云うな」と怒鳴られるだろうが、正直、体もきついし、精神的にもしんどい。

 そこへちょうど東洋一の手紙が来て、渡りに舟とばかりに、稽古名目でしばしの休息―――主に酒盛り―――を楽しみにしていたのだが………。

 

 本当に、ついてない。

 きっと、ここでも匡近の方が鬼を先に見つけることになるだろう。生憎とそういう運だけは妙に持っているのだ。

 

 これが終わったら、東洋一のところに行って、少しは休めるだろうか……?

 

 

 

<つづく>

 

 

 

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