【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「
実弥はしばらく驚いて固まっていたが、次の瞬間には恐ろしい顔が、惟親の間近に迫っていた。
「どこだァ?」
それこそ襟首を
惟親はゆっくりと背を反らして、実弥を両手で制した。
「お、落ち着いてください。風柱様」
「どこだッ
「それは、その……言えません」
「ハァ?! フザけてんのかッ、テメェ!」
「フザけてなどいません。今はその……森野辺くんの体調も考えて、その……療養所……のようなところで、養生……しております」
実弥はようやく冷静になると、一歩下がった。だが、ギロリと惟親を睨むように見る瞳は、まだまだ不満げだった。
「療養? 蝶屋敷か?」
「いっ、いいえ。蝶屋敷ではございません」
惟親は即座に否定した。
まさかその隣の洋館にいるとは思いもしないだろうが、隣接しているだけに、いつバレるかと思うと、落ち着かない。
それでも風柱の凶悪……
薫が失踪したと聞いてから、忙しい任務の合間に、休息もろくに取らずに探し回っていたと聞いている。そのため一刻でも早く伝えようとは思っていたが、これからの計画のことを考えると、おいそれと薫の所在を告げるわけにもいかなかった。
実弥が柱として非常に責任感が強いことは知っていても、こと薫に関して、冷静でいられないのは明らかだ。惟親でさえも今回の件における薫の処遇については悩ましいのに、これだけ薫のことを心配している彼に伝えるのは、相当な慎重さを要する。
惟親がゴクリと唾を呑み込み、何から伝えようかと思案していると、急にフイと実弥のほうが目を伏せた。
「……容態は? 悪いのか?」
暗い声で尋ねられて、惟親は一瞬、どういう意味かわからず押し黙った。すぐに返事しない惟親に、再び実弥の鋭い瞳が突き刺さる。
「悪いのかァ?!」
一歩、にじり寄って問い詰められ、惟親はあわてて首をブンブン振った。
「いっ、いいえ! 至って、元気に過ごしております。大丈夫です。心配なさるような、ひどい状態ではありません」
惟親としては、薫に実際に会っていて、確かに以前に比べるとやや痩せた気配はあったものの、変わりなく気丈で凛とした姿であったために、およそ病人としては考えていなかったのだ。だが、実弥からすれば『療養』と聞けば、体調を崩していると思っても無理ないことではあった。
「申し訳ございません。ご心配をおかけする言い方になりましたが、一応、念のために、身体についても詳しく調べたほうがよかろうということで、療養…施設に入ってもらっております」
「……で、どこにいる?」
再び実弥が尋ねてくる。惟親は繰り返される質問に、そこはかとない疲労を感じつつ、同じように返答した。
「それについては……今は、申し上げられません」
「………」
「申し訳ございません。風柱様のご意向に逆らうことは本意ではございませんが、森野辺君の処遇については、お
「……あんたも奴と同じか」
実弥は深々と頭を下げる惟親に、吐き捨てるように言った。
「は?」
「野郎だよ。
いよいよ本来の風柱の凶悪な一睨みに、惟親の足元から頭まで一気に悪寒が這い上った。蒼い顔を強張らせて、それでも惟親がかろうじて冷静さを保てたのは、長年柱と呼ばれる人々と対面してきたという経験であったろう。
「お怒りはごもっともです。ただ、今はひとまず森野辺くんの今後の体調面も含めて管理するためにも、診察を受けてもらい……その後に、必ず対面していただく場を設けますので、どうか……ひとまずお待ちいただけませんでしょうか?」
「………わかった」
気迫のこもった眼差しがふっと翳ると、実弥はボソリと言って、そのまま
惟親は拍子抜けすると同時に安堵もし、ひとまず深呼吸する。
それから、一体いつ二人を会わせたがよかろうかと考えていたのだが ―――
いよいよ柱稽古が始まり、薫のほうも本格的な実験に協力するようになると、それこそ会っている状況ではなくなってしまった。
◆◆◆
しかもありがたいことに、
「そうなんです。素直じゃないところもあるのですけど、あの子は……愈史郎は、人の心を温めてくれる子なんです」
薫はその言葉に、愈史郎が一方的に珠世を慕っているのではなく、珠世もまた愈史郎に救われてきたのだと感じた。それこそ数百年にわたって、自らの身を呪いながら生きてきた珠世にとって、ようやくできた同胞ともいえる存在だ。ただ自らが作り上げたというだけではない、言葉に尽くせぬ思いがあるのだろう。
一方で ―――
「無理に被検体になる必要はないんですよ」
共同研究者である
しのぶはお館様である
「いくら鬼の
しのぶの少しきつい言い方の中ににじむ優しさを、薫はニッコリ笑って受け止めた。
「そんなことを
しのぶが鬼に自らの身を喰わせる覚悟で、藤から抽出した猛毒を日頃から服用していることは、薫もいくつかの試薬研究を手伝う中で知ったことだった。本当ならば、それこそ自分よりも年若いしのぶにそんな無茶なことはやめてほしかった。カナエがこの場にいたならば、絶対に妹にそんなことはさせなかっただろう。ただ、カナエが生きていれば、それこそ自らが猛毒を仰いで、鬼に喰らわせる方法を選んだであろうことも、容易に想像できた。それを咎めればどう言い返してくるかも……。
「私は……柱ですから!」
「…………」
薫はその返答に苦笑するしかなかった。この姉妹は本当に考えることまでもそっくりになってきた……。
◆◆◆
蟲柱である胡蝶しのぶとの共同研究は、思いの外、進んだようだった。
ある日、珠世は最終的に薫に一つの薬を渡した。
「これはすぐに効果が現れるものではありません。今後、
薫は珠世の差し出した瓶を手に取り、まじまじと見つめた。薄い赤の液体に、今まで殺してきた鬼たちの瞳の色が重なる。
「私……感じたことがあるんです」
薫は吉野の
鬼殺隊士となって五年近く。
隊服を脱いでも自らに染みついていた鬼の
「鬼は……おそらく人間の気質を完全に失ってはいないのです。彼らは心の奥底では人間を求めています。鬼狩りに殺されることを求めているのです。そうでないと、自らが救われないことを知っているから……」
その想念は、おそらくその鬼ですらも理解していない、無意識領域のものだった。
人を恨み憎んで鬼となった者ですらも、多くはやはり善良なただの人間であったのだ。かつての同胞を殺し喰らうという鬼としての
「太陽を恐れ、鬼狩りを恐れて、闇の中を生きる日々を楽しんでいる者など、ほとんどいませんでした。だからといって自ら死ぬこともできない。ドス黒く重い恐怖が、常に彼らから自由を……自らのことを考えることすらも、奪っていたからです」
その恐怖は今や薫の中にすらもわずかに芽生えていた。これは理屈でどうこうできるようなものではない。動物が火を恐れるように本能的な、それでいてまるで神であるかのような、脅威的な畏怖だった。
珠世は薫の話に痛ましそうに顔をゆがめた。おそらく今は無惨の
薫もまたギリッと唇をかみしめて、瞳を閉じた。すぅと深呼吸してから、瞼を開く。
「……私は鬼に両親を殺され、復讐のために鬼殺隊に入りました。それは今も変わりありません。でも今は、その時よりも強く思うんです。必ず無惨を殺す、と。鬼によって殺された人々のためだけではなく、彼によって不本意に鬼に堕とされた人のために。彼らを救うためにも、必ず、絶対に、無惨を討たねばならない」
静かに、けれどふつふつとした怒りを抑え込んで、薫は宣言すると、瓶の蓋を取って一気に飲み下した。
「森野辺さん……」
心配そうに見る珠世と目が合って、薫は思わずフフッと笑った。
「なんだ?」
愈史郎が眉をひそめて尋ねてくる。
「いえ……思っていたよりも、甘くて美味しかったものですから」
薫が薬の味について感想を述べると、珠世が目を丸くしてから、コロコロと優しい声で笑った。愈史郎もあきれたため息をつきながら、微笑を浮かべる。
薫は空になった瓶を珠世の前に置いて、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。これで、心置きなく皆と一緒に戦えます」
珠世は約束を守ってくれた。
最後まで鬼殺隊の皆と一緒に戦いたいと言った薫の意志を汲んで、本当であれば作る予定もなかったであろうこの薬を作ってくれたのだろう。
もし、薫が鬼となってしまったとき、薫にとって最も避けたいのは、今まで一緒に戦ってきた仲間を手にかけることだ。そんなことになったら、今こうして珠世たちを手伝って苦しい思いをしてきたことも、無意味になってしまう。だからこそ彼らに少しでも危難が及ぶことのないようにと、考えに考え、薫の気持ちを十分に
「本当に……ありがとう……ございます……」
薫は頭を上げられなかった。
また涙が出てくる。また、嬉し涙だった。
◆◆◆
その頃、
先頃立て続けに上弦の鬼を三匹片付けたという
どんな偉丈夫であろうかと、宝耳は少しばかり楽しみにやって来たのだが、案内されて目に入ってきたのは、広い額に火傷痕の残る、まだまだ幼さを宿した少年隊士だった。
「ほ……これはこれは意外」
宝耳が思わずつぶやくと、その隊士は小首をかしげた。
「なんでしょうか?」
「あぁ、いやいや。失敬。
「はい、そうです。僕が竈門炭治郎です」
はきはきとした受け答えに、曇りのない透徹とした心が見える。
宝耳は一瞬、眉をひそめた。
自分の奥底から、何か懐かしい声が呼びかけてきたような気がしたからだ。だが――
「どうしました?」
不思議そうに尋ねてくる炭治郎少年の、やや赤みがかった瞳に、あわてて笑みを浮かべた。
「あぁ、いやいや。
「へぇ! よくご存知ですね。前にも
「鋼鐵塚? あぁ、あの腕はいいが偏屈の刀鍛治か……」
「ご存知なんですか?」
「知っとるけども、会わんようにしとります。なんぞ合いそうにない気がしましてな」
「そうですか? 時々困ったことする人ですけど、いい人ですよ」
「ハハハ。なんや、坊ンにかかると大抵の人間はいい人になりそうでんな」
宝耳が軽く笑って言うと、炭治郎少年は微笑み返して尋ねてきた。
「それで、どうして僕の家が炭焼きを生業にしてたことをご存知なんですか?」
宝耳はすっと笑みを引っ込めた。細くなった目が油断なく目の前の少年を見つめる。
「存外と……頭も回りはるようや」
「え?」
「いやいや。これはご挨拶もせずに失敬。初めまして、ワイは
「あ、じゃあ先輩ですね。初めまして、
炭治郎少年は律儀にベッドの上で正座になると、また名乗り、ぺこりと頭を下げた。
宝耳はふっと笑った。ピリリと張り詰めた緊張感を途切れさせることのない、隙のない所作でありながら、真っ直ぐに自分を見つめてくる瞳は澄んでいて、好奇心を隠すこともない。
「上弦を続けざまに倒した希代の隊士や、ゆうことで前々から
「いえ。もうそろそろ復帰してもいいって言われてるんです。例の柱稽古、でしたっけ? 早くみんなと一緒にしたくって」
「ハハハ。坊ンなら明日からでも大丈夫そうでんな。そうなる前にと思うて、今日は来ましたんや。実は、聞きたいことがございましてな」
「はい。なんですか?」
「その前に確認しますけども、坊ンの家は雲取山で間違いおまへんな? そこで代々、炭焼き職人をしてきた、竈門家のご長男はん……いうことで」
「はい。そうです。本当によくご存知ですね」
「ハハハ。疑問に思うのも無理おへん。色々と紆余曲折あって、ワイもようやく坊ンにたどり着きましてな。元は坊ンのお
「あぁ……青い彼岸花ですか」
炭治郎少年がすぐに頷いたのを見て、宝耳は軽く息をのんでから、笑みを崩さないように気をつけて、慎重に尋ねた。
「あ、やはりご存じでっか?」
「はい。何度か、母に連れられて見たことがあります」
「そうでっか~。あぁ、ほなやっぱり、雲取山に青い彼岸花はありますんやな」
宝耳がはーっと安堵のため息をつくと、炭治郎少年がまた小首をかしげる。
「青い彼岸花がどうしたんですか?」
「探して回ってますねや。かれこれそうでんな……一年? いや、二年かな?」
「それはまた……随分と熱心に探されていたんですね。どうしてです?」
「どうして、って。そら、珍しい花ですやんか。坊ンかて、彼岸花いうたら、たいがい赤いのしか見たことおへんやろ?」
「まぁ、それはそうですけど」
「いやぁ~。お恥ずかしい話、実は女からの頼まれごとでしてな」
「……女の人からの?」
「そうでんねん。ワイのコレがね……」
話しながら宝耳はクイクイと小指を動かす。炭治郎はよく意味がわかっていないようだったが、黙って話の続きを聞いていた。
「……珍しモン好きの、ちょいとばかし酔狂な女ですねんけど、これが『青い彼岸花いう珍しい花があるらしいんやけど、見てみたいわ~』と、こう言うもんやからね。女の頼みを無下にもできまへんやんか」
「ああ! そういうことなんですね!」
炭治郎は一拍おいてから、ポンと右手の拳で左の掌を打った。ようやく得心したらしい。だが、すぐに困ったような顔になる。
「でも……あの花って、なかなか咲かないんですよ。咲いても、すぐに
「そのようでんな。さっき言うてた森野辺子爵も、坊ンのお祖父さんから
「目印かぁ……うーん。近くにマテバシイの大きい木があったけど。あとは、石が重ねてある場所の周辺なんですけど……」
宝耳は一生懸命に思いだそうとする炭治郎少年を注意深く見ながら、ポケットからあわてた様子で小さなノートとペンを取り出した。
「すんまへんけど……
<つづく>
次回は2024.03.30更新予定です。