【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第八章 柱稽古(三)

 珠世(たまよ)らの館でいつもの薬をもらい、簡単な診察を受けた後、(かおる)は風柱の屋敷に向かった。

 いよいよだと思うと、多少緊張してくる。

 深呼吸を繰り返しながら、長い塀の横を歩いていると、門の前で少年が一人立ち尽くしていた。

 薫は立ち止まり、その少年を凝視した。

 懐かしい面影……。けれど、記憶に残る姿と比べると、彼はすっかり大きくなっていて、果たして自分の脳裏に思い浮かんでいる彼なのかどうか、確信が持てない。

 

「……玄弥(げんや)……くん?」

 

 おずおずと問いかけると、薫が近くまで来ていることに気付かなかったのか、少年はビクッ! と半歩飛び退(すさ)った。

 大きく開いた目が、まじまじと薫を見つめる。

 

「……え? まさか、あの……薫子(ゆきこ)お嬢……さま?」

 

 小さな声で問いかけられて、薫は一気に笑顔になった。

 

「玄弥くん! やっぱり、そうなの?!」

「え? え? なんで、なんで……ここに、薫子(ゆきこ)お嬢さまが?」

 

 玄弥はおろおろとうろたえたが、薫は頓着しない。すっかり大きくなった玄弥の両肩をポンポンと叩いたり、とさか頭をツンツンしたりしながら、しみじみ言った。

 

「大きくなったわねぇ。実弥(さねみ)さんより大きくなったんじゃない? 私なんてもう見上げちゃうわね」

 

 玄弥はまともに薫と目が合うと、顔を真っ赤にさせて、ドンと薫を押しやった。薫が思わずよろけると、すぐにハッとした様子で心配そうに見てくる。

 薫はニコリと微笑んで、一度気持ちを落ち着けた。

 

「ごめんなさい。嬉しくて……本当に玄弥くんがいる、って思ったら、嬉しくて……急に触ったりなんかして、失礼だったわね」

「あ……いや、そういうんじゃ……すみません」

「いいの、いいの。私が興奮し過ぎたわ。そうよね。玄弥くんも鬼殺隊に入っていたのよね」 

 

 以前には匡近(まさちか)からも聞いたことがあったし、最近では宝耳(ほうじ)からも話は聞いていた。いずれ会うだろうとは思っていたのに、実際にこうして会うと、驚く以上に嬉しくてたまらない。

 しかし玄弥のほうはというと、むしろ薫がここにいて鬼殺隊の隊服を着ていることこそ、理解不能であったのだろう。

 

()……って、まさか薫子(ゆきこ)お嬢さまも?」

「あ……そうそう。ご紹介が遅れました。私、今は薫子(ゆきこ)じゃないの。元々の名前を名乗ってて、森野辺(もりのべ)薫と言うのよ」

「森野辺……」

 

 玄弥がつぶやきかけたとき、鋭い声がまさしくその名を呼んだ。

 

「薫!?」

 

 背後から呼ばれて振り返ると、声のした位置から一足飛びにでも来たのか、実弥は真後ろに立っていた。強い力でグイッと両肩を掴まれる。驚きと、心配と、安堵と……色々な感情の入り混じった実弥の顔。ひどく動揺した様子に、薫はポカンとなってしまった。

 

「お前ッ……」

 

 実弥は怒鳴りかけたものの、パチパチと目をしばたかせて自分を見上げる薫に唇を噛みしめた。ゆっくりと息を吐いてから確認するように問うてくる。

 

「無事、か……?」

「…………はい」

 

 薫は小さく返事した。途端にホッと力が抜けて、実弥に寄りかかりそうになる。だが、すんでのところで、ここが風柱の屋敷前であることを思い出した。

 

「あ、あああ、あの! 玄弥くんが、来てます」

 

 あわてて実弥の胸を押しやろうとするが、また逃げるとでも思っているのか、実弥はガッチリ薫を掴んだまま離さない。その状態でギロリと玄弥を睨んだ。

 

「……テメェ、何しに来たァ?」

 

 唸るように問いかける。

 玄弥はサッと顔を伏せた。「ごめん、兄ちゃん」

 

「うるせぇ。とっとと失せろ。俺に弟なんかいねェ」

 

 薫はギョッとなった。昔の仲のいい二人の姿しか記憶にないので、今の実弥の発言がにわかに信じられない。だが玄弥はそんな兄に怒ることもなく、悄然(しょうぜん)として去って行く。

 

「玄弥くん!」

 

 呼びかけるが、玄弥は振り返らなかった。

 薫は実弥に激しく抗議した。

 

「実弥さん! どうしてあんなこと言うんですか!? 玄弥くんは実弥さんの弟ですよ。それに、今日だって柱稽古に来たのでしょう?」

「あいつには稽古なんぞつけねぇ」

「どうしてそんなこと……玄弥くんだって、鬼殺隊の隊士ですよ」

「辞めさせる」

「また、そんなこと言って!」

 

 薫が怒って睨み上げると、実弥はジロリと薫を見て眉を寄せた。

 

「お前……なんだァ、その服は」

「なにって、隊服ですが?」

「なんでそんな格好してやがる?」

「もちろん、柱稽古を受けるためです。今日からお世話になります、風柱様」

 

 薫が真面目くさった顔で言うと、ギロリと実弥は睨んで、吐き捨てるように言った。

 

「ふざけんな。お前は駄目だ」

「どうして? ちゃんとここまでの柱稽古は受けて来ました」

「関係ねぇ。お前はもう鬼殺隊を辞めたんだ」

「そんなこと言った覚えはありません!」

「鬼狩りはできねぇって、あの時言ったろうが」

 

 ふと吉野の河原で話していたときのことを思い出す。自らが鬼となった恐怖から逃げて、幼い精神状態になっていた薫が、ようやく自分を取り戻したとき。夕闇迫る川べりで、薫は確かに告げた。

 

 

 ―――― 私は、もう……鬼狩りはできません……

 

 

「それは……あのときは……ご迷惑をおかけしました……」

 

 過去の、自信を喪失した自分。忸怩(じくじ)たる気持ちに、薫は唇を噛みしめる。

 しかし……

 

「でも、今は……今度こそちゃんと……!」

 

 薫の訴えを、実弥は聞く気もないとばかりに途中で遮った。

 

「うるせぇ。玄弥にもお前にも、稽古はつけねぇ。とっとと吉野に戻れ」

「聞いてないんですか? 吉野の百花(ひゃっか)屋敷は閉鎖です。律歌(りつか)さんは今後はこちらの治療院で隊士の治療に当たられる予定です」

 

 珠世の館に寄寓(きぐう)するようになってから、律歌には明確な所在は告げぬものの、鎹鴉(かすがいからす)を通じて手紙のやり取りをしていた。いよいよ今後の戦いに備えて、前に開設した施薬(せやく)治療院で隊士らの健康管理を含めた全般について、律歌が取り仕切ることになったのだという。

 実弥もまたそのことについては耳にしていたのだろう。「あぁ……」と思い出したようにつぶやくと、にべなく言った。

 

「……じゃあ、房前(ふささき)のとこに行って手伝え」

「行きません! 私は今日、鬼殺隊士として、風柱様の訓練を受けにやって来たんです」

「だからしねぇ、っ()ってんだろ! とっとと失せろ!!」

「だったらいい加減、離してください!」

 

 薫が身をよじると、そこでようやく実弥はずっと薫の肩を掴んでいることに気付いたらしい。パッと手を離すなり、睨みつけてくる薫から半歩、退(さが)った。

 しばらく互いに睨み合って、先に目を逸らしたのは実弥だった。

 

「……俺は認めねェ」

 

 ボソリと言って立ち去る実弥の背に、薫は宣戦布告する。

 

「認めてもらうまで、あきらめませんから!」

 

 

◆◆◆

 

 

 ひとまず怒っている実弥のことは()いて、薫は玄弥を探した。

 去って行った道を歩いていくと、三つ辻の横にある少し大きな岩の上で、膝をかかえて座っている玄弥を見つけた。

 

「玄弥くん」

 

 声をかけると、弾かれたように玄弥が顔を上げる。

 薫を見て、また困惑した表情を浮かべる。

 

薫子(ゆきこ)お嬢さま、あの……大丈夫ですか?」

「え? なにが?」

「兄ちゃんと、喧嘩してたんじゃ……怒られてないですか?」

「あぁ。全然、気にしてないわ。あれくらい慣れてるもの」

「慣れてる?」

「えぇ。入る前からずーっと言われ続けてきたもの。『鬼殺隊に入るな』『お前なんか無理だ』。入ったら入ったで『とっとと()めろ』……もう耳に胼胝(たこ)よ」

 

 半ばあきれたように言う薫に、玄弥はますます戸惑った様子だった。

 薫はニコリと笑って、玄弥の横に座ると、自分が鬼殺隊に入った経緯(いきさつ)を話した。実弥の妹弟子になったことも。

 玄弥にとっては、華族のお嬢様である『薫子(ゆきこ)』しか知らなかったので、今の薫が鬼殺隊に入っているだけでなく、まさか自分よりも階級が上であるなど思いもしなかったのだろう。

 

「じゃあ、俺なんかよりずっと長い間、戦ってきたんですね」

「そうねぇ。この一年は、ほとんど実働していないけど。でも、玄弥くんよりは先輩よ。これでも」

「……呼吸の技が使えるなんて、すごいです」

 

 沈んだ口調で言う玄弥に、薫は言葉をかけられなかった。

 鬼殺隊にあって、呼吸の技が使えないなど、戦力にならないばかりか足を引っ張る存在だ。それでも隊士となるべく、とうとう鬼喰いという凄絶な方法まで選んだ玄弥の、必死の思いを無視することはできない。彼もまた、兄と同じく母を亡くし、弟妹を失った。どうして復讐の道を選ばずにいられるだろうか。まして兄だけに、その重荷を背負わせることなど、絶対にできなかったのだろう。二人は、本当に仲の良い兄弟だったのだから。

 薫はポンと玄弥の肩を叩いた。

 

「正直、実弥さんの言うこともわかるわ。私に対してすらも、ああして口うるさいんだから。まして玄弥くんに対しては尚のこと……。冷たくもなるでしょうね」

「兄ちゃんが冷たいのは仕方ないんです。俺、あの時にひどいこと言ったから……」

「ひどいこと?」

「兄ちゃんに『人殺し』って……」

「…………」

 

 薫は口を噤んだ。ふと、思い出す。誰もいなくなった不死川(しなずがわ)家を訪れたときに、出会った乞食がつぶやいていた言葉。

 

 

 ―――― 母ちゃん、母ちゃん……ガキが何度も叫んで……死体がボロボロ崩れてったァ……

 

 

「あの日……みんなが鬼に殺されて、朝になったら母ちゃんが死んでて……俺、俺、混乱して訳がわからなかった。ただ、母ちゃんは殺されてて、朝日の中でボロボロになって消えて……兄ちゃんは血まみれで……」

 

 

 ―――― なんで母ちゃんを殺したんだよ! 人殺し! 人殺しィー!!

 

 

 玄弥は頭を抱えて、膝の間に顔を埋めた。

 

「俺が悪かったんだ。兄ちゃんは、俺たちを……俺を守ろうとしてくれてたのに、俺は……俺は……兄ちゃんを悪者にして――!」

 

 うぐっ、とうめいて玄弥は肩を震わせた。必死にこらえた嗚咽(おえつ)が切れ切れにもれる。

 薫は玄弥の隣で、暗い顔でうつむくしかなかった。

 きっとその日、実弥は世界を失ったのだろう。母親と、きょうだいたちと作り上げてきた、温かな家庭。笑い声の絶えなかった日常。鬼となり、殺され、朝日の中で消えていく志津(はは)を見送り、弟の悲鳴を聞きながら、自らの幸せを封印したに違いない。

 

「ねぇ、玄弥くん」

 

 薫はそっと玄弥の背を撫でて、呼びかけた。

 

「どうして実弥さんが、私にしつこく鬼殺隊を()めろって言ってくるのだと思う?」

「それは……」

 

 玄弥は少し恥ずかしいのか、頬の涙をこすりながら、そっぽを向いて答える。

 

「心配してるんだと思います。薫子(ゆきこ)お嬢さまみたいな人が、こんなとこいたら、そりゃ……はやく辞めろって言うに決まってます。俺だって……そう思います」

「あら、二人して私を辞めさせようとするのね」

「それは……だって、薫子(ゆきこ)お嬢さまだったら、もっと安全な場所で、普通に生きていられるじゃないですか」

「さっきも言ったでしょう。私も両親を殺されたのよ」

「そうかもしれないですけど! でも、薫子(ゆきこ)お嬢さまに、戦うなんてしてほしくないんです!!」

 

 玄弥は半ば怒ったように叫んでから、ハッと我に返る。すぐに反省して、申し訳なさそうな顔になる玄弥に、薫は微笑みかけた。

 

「ありがとう」

 

 心から感謝する。この二人の不器用な兄弟に。

 

「そうやって玄弥くんが私のことを心配してくれるように、実弥さんも心配してくれているのよね。……他人の私にすらも、そうやって親身になって、本気で怒ってくれるくらいですもの。玄弥くんのことを……たった一人残った肉親であるあなたを、誰より大事に思わないわけがないわ」

 

 薫は真っ直ぐに玄弥を見つめ、断言した。だが玄弥はこれまでにも、よっぽど冷たく、けんもほろろに実弥に拒絶されてきたのだろう。容易には信じられぬようだった。

 

「でも、今回の稽古も追い出されたし。俺の鬼喰いのことも……ものすごく怒って……」

「それは当たり前よ。大事な弟が、そんな危ない真似をして怒らないわけがないでしょう」

 

 薫もそこについては実弥に完全に同意する。玄弥の切羽詰まった選択を尊重はしても、やはり感情としては、一度はきっちり怒りたくもなる。

 

「今更、グチグチ言うつもりはないけど、ちゃんと定期的に蟲柱様の診察を受けて、少しでもおかしいと思ったらすぐに言うのよ。鬼との戦い以外では、無理しないこと。最低限、それだけはちゃんと守ってね」

「…………はい」

 

 玄弥は薫の勢いに圧されるように、頷いた。

 

「じゃ、行こっか」

 

 薫は岩の上から降りると、玄弥を誘う。

 

「どこに?」

「もちろん、風柱様のお屋敷よ。稽古、つけてもらわないと」

「俺……駄目なんです。本部から、兄ちゃんと接触禁止令が出てて」

「えぇ? そんなことになってるの?」

 

 薫は驚いた。本部までが口を出すとは、なんとも盛大な兄弟ゲンカになっていることだ。それだけが理由ではないかもしれないが。

 

「……そう。じゃあ、ここでお別れね。玄弥くんは次の岩柱様の稽古に行くの?」

「あ、はい。あの、でも……薫子(ゆきこ)お嬢さんも、たぶん断られるんじゃ……」

「断られたわよ、さっき」

「え? じゃあ、無理なんじゃ……」

「あれくらいで尻尾巻いて逃げ出すわけないじゃない。私、これでけっこうしぶといの。あきらめも悪いし」

「はぁ……」

 

 玄弥は呆気にとられたように薫を見た。ずっと玄弥の中にあった『薫子(ゆきこ)お嬢様』の面影を残しながら、ずっと図太く、快活になった今の薫がまぶしく映る。

 

「じゃあ、またいずれ」

 

 ヒラリとマントを翻して去って行こうとする薫に、玄弥はあわてて呼びかけた。

 

「あの、薫子(ゆきこ)……じゃなくて、薫さん!」

 

 薫が振り返ると、玄弥はギュッと拳を握りしめ、思いきったように叫ぶ。

 

「他人じゃないから! 俺も、兄ちゃんも、薫さんのこと家族と一緒だって思ってるから!!」

 

 薫はしばし固まった。

 その言葉がゆっくりと胸に沁みていくと同時に、泣きそうになるのをこらえねばならなかった。

 

「ありがとう……!」

 

 満面の笑みで手を振る薫に、玄弥は少しだけ恥ずかしそうにしながらも、小さく手を振り返した。

 

 

<つづく>

 




次回は明日2024.04.07.更新予定です。
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