【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第八章 柱稽古(四)

 玄弥(げんや)と別れて、再び実弥(さねみ)の待つ屋敷へと戻ると、門の前で(まもる)が立っていた。

 

「あっ、(かおる)さん!」

 

 薫の姿を見つけるなり、タタッと走ってくる。

 

「守くん。久しぶり」

「よかったです。本当に……本当に、無事で良かった」

 

 守は泣きそうな顔で言って、安堵の長い吐息をつく。薫は心底申し訳なくなった。こんな少年にまで心配させていた自分が情けない。

 

「ごめんなさいね、心配をかけて」

 

 薫が謝ると、守はぷるぷる首を振ってから、軽いため息をもらした。

 

「俺なんか……風柱様に比べたら、全然なにもできなかったです。本当に心配されていたんですよ。任務の前にも後にもあちこち行って、人捜しなんて慣れないことして……いっときは、おはぎだって食べないくらいだったんですから」

「それは……大変……ね」

 

 薫は今更になって、実弥に相当の負担をかけていたことに思い至った。

 心配をかけているのはわかっていたのに、何が驚かせよう、だ。天元のせいになどできない。珠世の薬で、皆と一緒に戦えることが嬉しくて、すっかり浮かれきっていた。ずっと実弥は薫の無事を気にかけてくれていたのに。

 

「あの……」

 

 守がひどく言いにくそうに、薫に囁いた。

 

「風柱様に言われてて。薫さんを中に入れるなって」

「…………そう」

「怒ってるんじゃないですから。あの、薫さんの体調を気遣ってて……だから、悪く思わないでください」

「わかってるわ。ありがとう、守くん。ごめんなさいね、いろいろと面倒をかけます」

 

 ぺこりと薫が頭を下げると、守は恐縮したように手をぶんぶん振った。

 

「いや、俺は皆さんの手伝いくらいしかできないから。手伝いって言っても、洗濯したり、ご飯つくったりくらいだけど」

「まぁ、大変でしょう。守くんはとても器用だから、なんでも出来ちゃうんでしょうけど……無理はしないようにね」

「大丈夫ですよ。さすがにたくさんの人の分の用意しないといけないんで、隠の人とか、隊士の中でも料理好きの人とかに手伝ってもらってます」

「そう」

 

 薫はにこりと笑ってから、門の向こうへと目を向けた。チラホラと隊士の姿が見える。以前訪れたときには、ひっそりと静まりかえった屋敷だったのに。

 

「とりあえず、今日のところは帰るわ。実弥さんに話を聞いてもらえるように、なんとか考えてみるわね」

 

 薫は笑って言ったものの、ここに向かっている間の高揚感はすっかりなくなっていた。

 しょんぼりと寂しげに去ろうとする薫に、守が思わず声をかける。

 

「あの! よければ、薫さんも手伝ってもらっていいですか?」

「……え?」

「あ、あの……風柱様って、なんでも食べるんですけど、玉子焼きにちょっとこだわりがあるみたいで」

「玉子焼き? おはぎじゃなくて?」

「おはぎは、まぁ、いつも行ってる店のものを出しておけば、だいたい問題ないんですけど、おはぎばっか食べておくわけにもいかないじゃないですか」

「それはそうね」

「だから普通のごはんのときに玉子焼きをつけたら、三度目くらいに『玉子焼きはいらん』って言われてしまって。お嫌いでしたか? って聞いたら、そうじゃないけど、味がなんか合わないって」

 

 薫は少しだけ考えた。何となく思い当たることがある。

 実弥の母の志津(しづ)は、わりとおっちょこちょいで、よくドジをしたが、一つだけ特技があった。それは卵料理だ。志津の実家は、その頃には珍しい養鶏業を営んでいたらしく、小さい頃から卵を使った料理に親しんでいたらしい。薫も志津に作ってもらった卵料理をよく食べたし、一緒に厨房で教えてもらって、作ったりしたものだ。

 

「じゃあ……でも、いいの? 私を入れるなって言われているんでしょう?」

「それは、薫さんが柱稽古をしに来るのは止めろってことで、お料理の手伝いは僕がお願いしたことですから」

 

 守はへへっと悪戯(いたずら)っぽく笑う。

 薫も微笑んだ。存外、守は実弥とうまくやっているようだ。

 最初は実弥が風柱ということで畏怖して、遠慮がちであったが、一緒に暮らしている間に、見た目は凶暴な風柱が、存外優しくて不器用な性格であることがわかっていったのだろう。

 厨房に入ると、数人の(かくし)が忙しく動き回っていた。稽古が終わって、ひとっ風呂浴びた隊士が、わらわらとやって来ては、料理の並べられたお膳を一人一人持って行く。

 ちなみに稽古中、風柱の屋敷に起居するのは男の隊士だけで、女の隊士は基本的に急遽改修した空き家にて暮らし、各柱の稽古に向かうことになっていた。なので今ここにいるのは、男隊士がほとんどであった。

 

「薫さん、こっち。こっちでお願いします」

 

 守が台所の隅にまで連れてきて、置いてある素焼きの焜炉(こんろ)を示した。上に銅板作りの玉子焼き鍋が乗っている。卵、それを入れて混ぜる大きめの丼、菜箸、あとは調味料をいくつか置いて、

 

「こんなものでしょうか?」

 

と、守が尋ねてくる。薫はひとしきり準備してくれたものを見てから、一つだけ頼んだ。

 

「みりんはあるかしら?」

「はい。もちろん」

 

 用意してもらうと、薫は昔、志津に教わったことを辿りながら、作っていく。使い込まれたらしい銅の玉子焼き鍋は、卵が貼り付くこともなく、思った通りに焼けた。守がちゃんと道具の手入れをしているのだろう。

 

「守くん、できたわよ」

 

 薫が出来上がった玉子焼きを皿に乗せて運んでくると、守は受け取ってお膳の上に置き、その膳を薫にはい、と渡してくる。

 

「え?」

「僕、忙しいので。すみませんけど、これ風柱様のところに持っていってください」

「…………」

 

 薫は一瞬、呆気にとられた。守がまさか、こんな用意周到に事を進めると思っていなかったのだ。

 守はニコリと笑って言った。

 

「仲直りしてくださいね」

 

 やんわり釘をさされてしまった。どうやら先程の実弥との喧嘩を見られたか、誰かから聞きつけたのだろう。

 薫は恥ずかしいやら、おかしいやらで、軽く肩をすくめると恭しくお膳を受け取った。

 

「はい。肝に銘じます」

 

 お膳を持っていくように言われたのは、賑やかな道場近くの棟と反対側。前に薫も訪れたことのある客間だった。

 縁側に面した障子戸は開け放されている。

 薫は部屋に入る手前で腰を下ろし、一度膳を置いた。

 

「お食事、お持ちしました」

「あぁ、そこ置いて……」

 

 ちょうど何かの書き付けを読んでいたらしい実弥は、振り返ってそこにいるのが薫とわかると固まった。

 

「失礼致します」

 

 薫は硬直した実弥に構わず、部屋の中に入ると、指示された場所にお膳を置く。それから、少し離れた場所に端座(たんざ)した。

 

「……なんの真似だ?」

「とりあえず、食べられてはいかがですか? お味噌汁が冷める前に」

「入って来させるなと、守に言ったはずだ」

「えぇ、守くんはちゃんと言いつけ通りにしました。私が頼んで、入れてもらったんです。稽古じゃなくて、夕餉のお手伝いですから、いいでしょう?」

「…………」

 

 実弥はむぅと眉を寄せたまま、薫を睨みつけたあとに、チラと膳の上の並べられた料理を見た。

 すかさず薫は言った。

 

「玉子焼き、作ってみたんです。お口に合うといいんですけど」

「……そんなことで俺が許すとでも思ってんのかァ?」

「そんなつもりはないですよ。ともかく召し上がってみてください。一応、昔、志津さんに教わった通りに作ってみたんです」

「お袋に? お前が? なんで?」

「志津さん、卵料理が得意だったじゃないですか。私も好きだったから、教えてもらったんです」

 

 実弥はお膳の上の玉子焼きをにらむように見つめると、チッと軽く舌打ちしてからドスリと膳の前に腰を下ろした。

 黒い塗り箸を手に取ると、むっすりした顔で玉子焼きを一口食べる。もぐもぐと食べていると、表情がわずかに動いた。

 

「上手くできてますか?」

 

 おずおずと薫は尋ねた。

 実弥は眉を寄せたまま、低くかすかに「あぁ」と返事する。

 相変わらずの素っ気なさであったが、薫は嬉しくて、思わず志津に教えてもらった玉子焼きの調理法をペラペラと話し出した。

 

「私もその玉子焼き大好きで、教えてもらったんです。志津さんの玉子焼きの甘味付けは、砂糖じゃなくて、煮切りみりんなんですよね。だからほのかに甘くて香ばしくて。ただ、すぐに焦げるから手早くしないといけないって……」

 

 実弥は話を聞いている途中に、また玉子焼きを一切れ口に放り込んだ。黙って咀嚼(そしゃく)しながら、ジロと薫を見て目が合うと、さっと()らしてご飯を頬張った。

 

「志津さんが卵料理得意だった理由、知ってますか?」

 

 薫が尋ねると、実弥は一瞬考えるかのように止まった。だがすぐに、味噌汁をずずっと啜る。

 無言をつらぬく実弥に、薫は話を続けた。

 

「旦那様がお好きでいらしたらしいですよ。だから志津さん、わざわざお料理屋さんに手伝いで入って、そこで教えてもらったりして、いっぱい練習したんだって言ってました」

 

 カタン、と実弥は飲み干した味噌汁椀を置いた。虫唾の走ったような剣呑たる表情になっている。

 

「……俺の前であの野郎の話をすんなァ」

 

 実弥にとって父親はロクデナシの、いまだに嫌悪の対象であった。

 薫はふと笑みを消してうつむいた。余計なことを話してしまったと、後悔する。

 

「すみません。失礼します」

 

 頭を下げて出て行こうとすると、実弥が呼び止めた。「待て」

 薫が振り返ると、眉間に深く皺を寄せたまま、軽く息をつく。

 

「……あの?」

「言いたいことがあるんだろうが。とっとと言え」

 

 ぶっきらぼうな言いようであったが、その科白(せりふ)に薫は少し驚いた。正直、問答無用で追い出されても文句は言えないと思って来たのだ。

 薫はまじまじと実弥を見つめた。粗暴に見えて、元々誠実で真面目な人だ。柱という責任を担うようになって、多少、心境の変化もあったのかもしれない。

 

「ありがとうございます」

 

 薫は再び向き直って、居住まいを正すと、深く頭を下げた。

 

「どうか稽古に参加させてください」

「…………体の具合は?」

「大丈夫です。一応、定期的に蟲柱様をはじめとする方々に()てもらっていますし、もし、なにか問題があれば、すぐにも……皆様に迷惑をかける前に、稽古は中断するようにします」

 

 薫は素直に話した。

 実際、珠世の薬は定期的に服用して、経過を観察する必要があった。それにしのぶにも「くれぐれも無理は禁物」と何度も念押しされている。

 薫はもう一度、頭を下げた。

 

「本当に、この数ヶ月の間、すみませんでした。柱としてお忙しい実弥さんに無理をさせて、心配もさせて……」

「一回だけだ」

 

 それ以上、謝罪を聞きたくなかったのか、実弥は遮るように言った。

 薫が目を丸くして見つめていると、ギッと睨みつけて繰り返す。

 

「お前には一度しか稽古はつけねぇ。それで十分だ」

「……え、あ、は……はい」

「わかったら、今日はとっとと帰れ。こんな野郎どもばっかのとこに、いつまでもいるんじゃねぇ」

 

 急に、今更めいたことを言い出す実弥に、薫は首をかしげた。

 

「どうして急にそんなこと……? 気にしていませんよ、私」

「俺は……!」

 

 言いかけて実弥はさっと目を逸らす。「はい?」と薫が尋ねると、いつも通り怒鳴りつけてきた。

 

「いいから、早く帰れ! さもねぇと、さっき言ったこと取り消すぞ」

 

 薫はあわてて頭を下げて礼を言うと、その場から立ち去った。

 廊下で守に会って、どうにか稽古をつけてもらえるようになったことを伝える。

 

「よかったです。仲直りできたみたいで」

 

 屈託なく言う守に、薫は曖昧に笑った。

 

「うん。そうね……たぶん」

「どうしたんですか?」

「また、最後に怒らせてしまって。よくわからないけど」

「あぁ」

 

 守は実は途中から廊下で話を聞いていたので、すぐにクスッと笑った。

 

「心配なんですよ、たぶん」

「心配?」

「薫さんにほかの男が ――― 」

 

 言いかけた言葉は、実弥の拳骨で遮られた。

 いつの間にか、きれいに食事を平らげた膳を持って実弥が立っている。

 

「余計なことを抜かすなァ」

 

 凄味(すごみ)をきかせて言うものの、守も負けてなかった。殴られた頭をさすりつつ、お膳を受け取って言い返す。

 

「そうやって怖い顔してたら、まーたヘンに勘違いされちゃいますからね!」

 

 言い逃げとばかりに、守はお膳をかかえて小走りに去って行く。実弥は振り上げた拳の行き場をなくして、チッと舌打ちして下ろした。

 薫はクスクス笑って言った。

 

「守くんは、よくわかっていますね」

「なにが……口減らずなガキだ」

「嫌いじゃないでしょう?」

「……早く帰れ」

「はい。玉子焼きも食べていただけたので、今日は満足して眠れます」

 

 薫はまた頭を下げて立ち去ろうとしたが、実弥がボソリと問うてきた。

 

「……お袋はお前に話してたのか? あの野郎のこと」

 

 薫はハッとして実弥を見上げる。

 その顔は暗く、どこか傷ついているようにも見えた。

 

「そんなには……聞いていません。ただ、昔、優しかった頃のことは、時々話していらっしゃいました。そのときだけは楽しそうに……」

 

 薫は志津の夫に会ったことはない。だが、志津に対して暴力を振るっているらしいことは、周囲の使用人の話から聞いていたので、正直、大嫌いだった。

 けれど志津が時々、昔話としてその男のことを語るとき、ひどく幸せそうで、とても愛しそうだった。

 その夫が死んだと聞いたときには、思わず「よかったね」と言ってしまったのだが、それこそ子供っぽい同情だった。

 志津は困ったように微笑んだあとに、哀しい顔になって「そんなこと、言わんでください……」とか細い声で言って、泣いた。

 薫はすっかりあわてて、慰めようとして訳がわからず、結局、一緒になって泣いてしまった。かえって志津が驚いて、慰めてくれたものだ。……

 薫は寂しげにうつむく実弥に言った。

 

「夫婦のことは、わからないそうです」

 

 ピクリと実弥の眉が動く。薫は淡く微笑んだ。

 

「私も、父に言われたことですけど。家族でも、両親の間のことは、子供には理解できないことがあるものですね……」

 

 それは薫自身も、実父母のことなどいまだに理解できぬし、したくないという気持ちがあるからだ。おそらく自分の両親の男女間のことなど、子供は永遠に理解したくないのかもしれない。

 

「それでは、失礼致します」

 

 薫は軽くお辞儀して、その場を去った。

 残された実弥は、障子戸によりかかって、しばらく宵闇の空を見るともなしに見ていた。

 

 

<つづく>

 




次回は2024.04.13.更新予定です。
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