【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第八章 柱稽古(五)

「まったく不死川(しなずがわ)さんも容赦ない……」

 

 しのぶはプリプリ怒りながら、(かおる)の腕や足にできた打ち身に膏薬(こうやく)を塗りつける。

 

「これでもマシなほうですよ。手加減されていたのだと思います」

「そんなこと言って、打合が終わったあとに盛大に吐いたって聞いてます」

「それは私だけじゃなく、皆さんそうですよ」

 

 薫は苦笑して言った。

 ようやく実弥(さねみ)から許可をもらった次の日に、薫は早速、打合稽古に(おもむ)いたのであるが、これがこれまでの稽古における総集編とも言うべきようなものだった。

 体力、持久力、柔軟性、素早い身のこなしと、無駄のない所作。それらを総動員して風柱に挑む。

 終わりのない打合は、風柱が待ったをかけるまでと言われたが、たいがいにおいては挑戦者である隊士が、さんざんに打ち据えられて反吐(へど)を吐いて終わるか、立つ気力もなくなって白目を剥いて倒れて終わった。

 薫の場合、なんとかやり合ったものの、長すぎるその稽古にとうとう身体が耐えきれず、庭の隅で嘔吐してしまい終了を告げられた。

 

「本当は、もう一番、お願いしたかったんですけど」

「冗談でしょう。十分です」

 

 しのぶはピシャリと言って、膏薬をぬった箇所に包帯を巻いていく。言葉は昔と変わらず厳しいが、それも心配の裏返しである。普段の蟲柱は亡き花柱同様に穏やかで優しい雰囲気を見せていたが、薫相手には以前の態度のままであった。

 

「体調は大丈夫ですか? 薬の副作用は出ていませんか?」

「思ったほどではありません。最初はずっと胃が重い感じがあったんですけど、何度か()んでいる間に、慣れてきたみたいです」

 

 溌剌(はつらつ)として薫は言ったが、しのぶはその言葉に眉を寄せた。

 薫の()んでいるものは、薫にとっては毒ともなり得るものだ。いまは普通に過ごせていても、この先、無惨との最終決戦において、薫の体内に残る鬼の(タネ)が芽吹いたそのときには、一気に毒として命を奪うだろう。そして、その可能性は低くない。

 しのぶは小さな声で薫に尋ねた。

 

「……不死川さんには伝えているのですか?」

「え?」

「薬のことです」

「…………いいえ」

 

 薫は言ってから、暗い顔でうつむいた。

 実弥にはいまだに詳しいことは話せていない。

 

 珠世(たまよ)らを中心とした、対無惨の毒薬精製については、いまだに鬼殺隊内においても一部の人間しか知らない。柱の中でも、しのぶを除き知っているのは、最年長である悲鳴嶼(ひめじま)行冥(ぎょうめい)だけだった。

 自分の身体について秘匿(ひとく)しておくよう厳命されたわけではなかったが、薫はやはり怖かった。果たして今の自分の状態を素直に話して、実弥や秋子、その他の鬼殺隊士たちが受け入れてくれるのか……。

 しのぶは包帯を巻き終えると、心臓の聴診などいつもの診察を行う。

 すべてが終わって、息をついた。

 

「問題ないですね。珠世さんにも伝えておきましょう」

 

 薫は衣服を整えると、立ち上がってからしばし逡巡したあとに、しのぶに尋ねた。

 

「風柱様にお伝えしたほうがよいでしょうか?」

「……最終的には薫さんが決めることです」

 

 しのぶは薫をじっと見つめてから、率直に言った。

 

「私が不死川さんに伝えたほうが良いと思ったのは、あの人であれば、きっとあなたがそんな状況だと知れば、すぐにでも鬼殺隊から離そうとすると思ったからです。あなたの薬については、珠世さんから処方箋もいただいています。少し練習すれば、あなた自身が調合することも可能でしょう。鬼のいない場所で静かに暮らせば、十分に天寿を全うできます」

 

 薫はじぃとしのぶを見つめてから、ふっと笑みを浮かべた。

 

「でしたら、尚のこと、実弥さんにはお知らせできませんね」

「駄目ですか?」

「駄目です。決して、風柱様の耳に入らぬようにして下さい。私も気をつけます」

 

 薫が念押しすると、しのぶは少し頬をふくらませ、むくれた。

 

「……いっそ訊かなきゃよかった」

「ありがとうございます、しのぶさん。でも、私は鬼殺隊のみんなと一緒に戦いたいのです。最後まで」

「あなたのような人は、犠牲にならずともよいと思うんですよ。私みたいに、鬼殺隊(ここ)でしか生きられないわけでもないでしょうに」

「そのお言葉、そのままお返しします。私より年少でいらっしゃる蟲柱様が何を仰言(おっしゃ)ってるのかしら」

「もう! 意地っ張りな」

「鏡をご覧なさいませ」

 

 薫は堅牢な微笑みを浮かべ、しのぶはその澄ました顔を睨みつけ……しばし見合っていたが、途中でおかしくなったのか、しのぶが吹き出した。クスクスとしばらく笑ってから、やれやれ……と、首を振る。

 

「さすが、姉さんにすらも頑固者と言わせただけありますね。薫さん」

「あら。花柱様にも、蟲柱様にも、ご姉妹方々からお褒めにあずかり光栄です」

「まったくあきれます」

 

 しのぶは嘆息してから、ふっと沈んだ顔になった。

 

「正直なところ、あなたの事情(こと)は珠世さんのことも含めて、極秘事項になっています。説明すればわかる人間もいるでしょうが、感情的に許せないのは誰しも同じですから……暴発する隊士が出ないとも限りません。そうなれば毒の精製も頓挫(とんざ)して、無惨を殺すための手段が一つ消えてしまいかねない。だから、本来薫さんの判断が正しいのです。鬼殺隊の為にも」

 

 しのぶとしては、柱としての責任もあり、自分から機密を暴露することはできかねたのだろう。だが、薫本人が信頼する実弥に言うのであれば、それは許してもいいと思ったのか……。

 

「お気遣いいただき、ありがとうございます」

 

 薫は頭を下げた。

 しのぶはふっと笑って手を差し出す。

 

「頑張りましょう、互いに」

「えぇ」

 

 薫はしのぶの手を握った。

 ひんやりと冷たく、細い腕。

 その華奢な体の中には、普通の鬼であれば一滴で即死するほどの凄まじい毒が巡っている。こうして普通に会話することさえ、常人であれば耐えられぬであろう。

 だからこそ、しのぶのこの笑顔を、決して忘れないでいようと薫は思った。

 

 

◆◆◆

 

 

 診察を終えて蝶屋敷の門へと続く飛び石の上を歩いていると、庭のほうから言い争う声が聞こえてきた。

 

「私は直接、勝母(かつも)先生から教えてもらっているの!」

 

 キリキリと怒る声に聞き覚えがある。薫が声のするほうへと向かうと、案の定、そこには八重(やえ)がいた。

 かつて勝母(かつも)の弟子であった少女 ―― 星田(ほしだ)八重(やえ)

 薫と黒死牟(こくしぼう)が話すのを聞いて、薫が鬼の手先となったと思い込み、意識のない薫を殺そうとしていたらしい。結局、実弥に阻止された後、宝耳(ほうじ)に連れられて、お館様のお屋敷に行ったと聞いていたが……。

 

「あなたなんかよりも、ずっと詳しく教わっているし、勉強もしているわ! それにお館様のお屋敷でだって重宝されていたんだから。知ったかぶって、あれこれ指図しないで頂戴!」

 

 キンキンと甲高い声で怒鳴りつける先には、蝶屋敷において、しのぶの下で看護など救護者の世話全般を行っている女の子たちがいる。中心にいるのは、確か『アオイ』と呼ばれている子だったろうか。あまり頻繁に話したことはないが、きびきびと指示している様子は手慣れていて、無駄もない。しのぶに「有能な助手さんですね」と言うと、

 

「助手ではなくて、彼女は立派な看護者です。患者の状態については、私よりも詳しく把握しています」

 

と、言っていた。相当に信頼されているのだろう。それに――

 

「あなたの経歴がどうあれ、ここではここのやり方があるんです! それを教えているだけなのに、どうしてお館様のお屋敷で重宝されていたことを持ち出してくるんです? それ、関係ありますか?」

 

 薫が出るまでもなく、ちゃんと言うべきことも言える子らしい。

 

「くっ……」

 

 八重は忌々しげに詰まったが、ギロリと睨みつけて吐き捨てた。

 

「なによ! せっかく隊士になれたくせに、鬼が怖くて逃げ出した臆病者が!」

 

 それはアオイにとっては、最も心をえぐる言葉であったのだろう。言われた瞬間に顔が固まり、悔しげに唇を噛みしめてうつむいた。

 八重はそれを見て、ますます快哉を叫ぶかのように、言い立てた。

 

藤襲山(ふじがさねやま)でも、霞柱さまと一緒だったんでしょう、あなた。道理で生き残れるはずよね。鬼は全部霞柱様が退治してくれたんだから! 他人の手柄で生きながらえておいて――」

 

 あまりの言いように、薫はさすがに黙っていられなかった。

 

「いい加減になさい!」

「何言うてんねん!」

 

 ほぼ同時に、アオイと八重が言い争う現場を差し挟むように声が交差する。

 泣きそうなアオイと、彼女の周囲にいた女の子たちが一斉に顔を上げて、キョロキョロと見回した。

 

 薫がその場へと歩いていくと、同じように屋敷の渡り廊下から出てきたのは、秋子と数名の女隊士だった。以前に任務で一緒であった信子をはじめ、この柱稽古の期間に秋子に紹介されて、仲良くなった面々が一様に厳しい顔で八重を見ている。

 

「アコさん……」

 

 秋子はニヤッと笑って、軽く手を上げた。しかしすぐに厳しい顔になって、八重を睨みつけた。

 

「さっきから聞いとったら、なんやぁ、アンタ。しばらく見ん間に、ますます性格がねじくれたもんやな。我らがアオイちゃんに向かって、なんつぅ口の()きようや」

「な……わ、私はここで治療の手伝いをするように言われたから、少しでも役に立つようにと思って」

 

 八重は言いながらも、薫をチラチラ見ながら距離をとる。顔には恐怖が滲んでいた。

 薫はふっと目を逸らした。怯えさせるつもりは毛頭ないが、実際に八重は黒死牟と対峙している薫を見ていたという。あの鬼を見ているならば、その恐怖を忘れるのは難しいのだろう。

 だが、だからといって、アオイに無体なことを言って、傷つけるのは間違っている。

 

「役に立とうという気持ちがあるのであれば、尚のこと、この蝶屋敷で看護の指揮を執っているアオイさんのことは、立てるべきでしょう」

 

 薫が言うと、八重は信じられないように、薫を凝然と見つめる。

 前にもそうだったが、この子は自分の考えに固執しすぎて、現状を見誤るところがあるようだ。

 

「八重さん。あなたが勝母(かつも)さんの下で、薬学や怪我人の手当について学んでいたのは間違いありません。ですが、それは十全(じゅうぜん)ではない。アオイさんは今も忙しい中、しのぶさん……蟲柱様から学んで、自らも本を読んで勉強されています。あなたも彼女と一緒に、まだ学ぶことがあるのではありませんか?」

 

 薫はなるべく冷静に諭したが、八重はプイと顔を背けた。話を聞く気もないようだ。その様子を見て、秋子があきれたようにため息をもらした。

 

「ホンマに、けったいな子やな、アンタは。そら、アンタも勝母のおっ母様のところで、似たような経験はあるんやろうけどな。郷に入れば郷に従え。まずは新しい環境に馴染むことが肝心と()ゃうんか? そのうえで、おかしいと思うところがあるんやったら、そのことについてのみ、進言すればえぇんや。今ここで、アオイちゃんが隊士にならんかったやの、何やのと……関係ないやろ。今のアンタの言葉は、ただ攻撃するためだけの言葉やで。それをアンタわかってて言うとるやろが。せやから、性格がねじくれとる言うねん」

 

 秋子がビシリと言うと、一緒にいた女隊士たちも頷いて、それぞれに遠慮無くあげつらう。

 

「ほんまやで。だいたいアンタ、勝母さんトコでも、大して役に立っとらんかったやないか」

「ほとんど律歌(りつか)姐さん任せだったわよ」

「包帯巻くの下手くそやし」

 

 形勢不利となった八重は、ブルブルと震えながら小さく身をすぼめた。さすがにこれだけ周囲から一斉に非難されてはいたたまれないだろう。

 

「役に立とうとする気持ちはあったのでしょう? 今はまだ慣れない環境だから、戸惑っていたのよね」

 

 薫は優しく声をかけたが、八重は拳を握りしめて、低くつぶやいた。

 

「…………なによ。わかったような顔して」

 

 不穏な八重の様子に、薫は首をかしげ、秋子はギュッと眉を寄せる。

 八重はとうとう我慢ならぬようにぶちまけた。

 

「どうしてアンタがここにいるのよ! 鬼のくせに!!」

「ハァ!?」

 

 すぐに反応したのは秋子であった。「なに言うとんねん、アンタは!」

 

 しかし八重は数歩下がって薫から距離をとると、ギリギリと歯噛みして睨みつけた。ビシリと指をさして、吠えるように叫ぶ。

 

「みんな、騙されているのよ! この女はね、鬼なの! 鬼と会えば、鬼になっちゃうのよ。鬼の娘なのよ。鬼に言われてたんだから! しかも上弦の鬼に!!」

「えぇ加減にせぇ! さっきから何言うとんねん、アンタは!!」

 

 秋子がそれこそ大音声(だいおんじょう)で怒鳴りつけ、一緒になって信子や他の女隊士も怒りだした。

 

「せっかく、薫さんが助け船出してくれとるのに、なにを意味のわからんことを!」

「鬼ィ? 鬼がこんな太陽が燦々(さんさん)と照ってる場所で、のんびり立っていられるわけないでしょ! 禰豆子(ねずこ)ちゃんでもないのに」

 

 しかし今度ばかりは、八重も黙っていなかった。

 

「今は薬で抑えてるのよ! だから太陽のあるところでも平気なだけで……馬鹿なのは、アンタたちだわ! このままこの女を放っておいたら、鬼と戦ったときには、この女は裏切って、アンタたちを殺すでしょうよ! そのときになって、私の言葉を思い出して後悔しても、知らないんだから!」

 

 秋子は途中から聞く気にもなれなかったらしい。ハアァーと長いため息をついて、薫に向き直る。

 

「阿呆なこと言うてんで。なぁ、薫ちゃん」

 

 しかし薫は同意を求める秋子に返事できなかった。

 八重の言っていることが間違いでないことは、なにより薫が一番よくわかっているからだ。

 本当はもっと、ゆっくりと伝えたかった。心をこめて話せば、きっと秋子は理解してくれたろうから。さっき、しのぶからは秘密だと言われたが、秋子であれば誰に言うこともなく、胸に納めておいてくれただろう。

 言葉の出ない薫に、秋子は困惑したようだった。信子や他の女隊士も互いに目を見合わす。

 八重が勝ち誇ったように、ニヤリと頬を歪めた。

 

「見てご覧なさいよ。本人が認めてるじゃない。だから言ってるでしょ! この女は ――― 」

 

 八重の言葉は途中で止まった。

 見開かれた視線の先で、伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)が腕を組んで立っていた。不思議なことに、笑っているのにその顔は、まるで何かの仮面であるかのように無機質だった。

 

「約束を守れん悪い子はどこやぁ?」

 

 のんびり言いながら、歩いてくる。

 

「あ……あ……」

 

 八重はよろよろと後退(あとずさ)ったが、低い灌木(かんぼく)にあたって、それ以上逃れられない。

 

「困った子やでぇ。お館様からも、あまね様からも、お嬢様方からも散々に注意されて、十分に諭されたはずや、ゆうのに……こないな困った騒ぎをつくりよる」

「わ、私は……間違ったことは ―― 」

 

 八重は震える声で抗弁しようとしたが、それもまた宝耳は中途で封じた。

 

「間違っとるんや」

 

 あっさりと断定して、宝耳はズイと大きく一歩、八重へと近付く。 

 

「吉野から逃げ出して、今に至るまで、お()はんの選択は間違ってばかりや。いや、そもそも鬼殺隊に来たんも間違いや。それよりも前に、母親と一緒に祭りに行ったのも、とっとと帰ろう思て、藪道に入ったのも間違いや。そんな間違いばっかの女の言うことを、誰が信じるんや」

「…………」

 

 八重はブルブルと唇を震わせて、真っ青になった。それは普段、押し隠している八重の罪悪感を正確に撃ち抜く言葉だった。

 

「妄言を吐き散らかして、今は一致団結して、無惨に向かわなあかんとなってる隊の和を(みだ)すのであれば、監察方としては見逃せんなァ。さっき藤襲山がどうやこうやと言うとったが、あそこの鬼が全部いなくなったんかわからんし、お()はんに確認しに行ってもらおうか」

 

 八重はヒッと恐怖に顔を歪めた。プルプルと頭を小刻みに振る。

 

「わ、わ……私は……ただ、みんなの為になると……思って……」

「さっき、さんざそこのお嬢さん相手に、やれ逃げて卑怯やの、他人の力で生きながらえただのと抜かしておったくせして、今更『みんなの為』?」

 

 クックッと喉の奥で笑いながら、宝耳は立ち尽くす八重まで近付いていき、腕を掴むとボソリとつぶやく。

 

「まるで鬼のように腐った性根やな」 

 

 八重はわななき、ブンと手を振って宝耳の手を振りほどくと、その場から駆け去った。

 

 

<つづく>

 




次回は明日2024.04.14.更新予定です。
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