【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第八章 柱稽古(八)

 惟親(これちか)の仕事は早かった。

 言葉通り二日で訓練用の設備をほぼ作り上げ、秋子の要望していた休憩所についても、簡単な炊事などもできるようにと、囲炉裏を備えたものを建ててくれた。これらは(かくし)達による夜通しの作業によって為されたものであり、建設中には女隊士たちによる感謝の粕汁(かすじる)が用意された。

 

 そうして岩柱の山の一隅で、女隊士たち共同の訓練が始まった。(一部、翔太郎(しょうたろう)のように身体が不自由であるために、岩柱の稽古を受けるのが難しい男隊士も参加が許されたが、当然ながら更衣と休憩は、岩柱の稽古場にて行うよう指示された。)

 いざ始まると、(かおる)や秋子らだけでなく、あれほど悲鳴嶼(ひめじま)から釘を刺されていた律歌も毎日のように訪れて、女隊士たちを指導し、丸太の吊り橋上での打合稽古には、音柱・宇髄(うずい)天元(てんげん)の嫁たち三人が相手をしてくれることもあった。彼女らの身のこなしはさすがにくノ一と言うべきもので、助言も的確であったので、女隊士たちの人気も高かった。

 

 そうして一週間ほどが過ぎた頃。

 

 薫が訓練場に入ると、ザワリと奇妙な空気が流れた。

 隣にいた秋子や、一緒に来た信子らもすぐに感じたのだろう。

 

「なんや、なんかあったんかぁ?」

 

 信子があえてのんびりとした口調で尋ねると、固まっていた女隊士たちは互いに顔を見合わせ、譲り合うように目配せする。やがてその中の一人が、一歩、進み出た。

 

「あの……岡島さんが、星田っていう女の子に会って……」

「星田?」

 

 薫も秋子も、すぐにそれが誰かはわからなかった。

 気がついたのは、先に素振り練習を始めていた翔太郎だ。

 

八重(やえ)が? あいつ、まだこの辺ウロついてんのか?」

 

 八重という名前を聞いて、薫も秋子もこの異様な空気の理由がわかったが、双方の反応は明らかに違った。

 

「なんやぁ、あの子。まだ、しょーもないこと言うてんのかいな。性懲りもない」

 

 あきれたように言う秋子と対照的に、薫は沈鬱な顔で黙りこんだ。何の反論もしない薫に、最初に声をあげた女隊士 ―― 城戸(きど)綾子(あやこ)と名乗った ―― が、固い顔で尋ねた。

 

「星田さんは、森野辺(もりのべ)さんが鬼の血をもらった、と言っていたそうです。だから、いつ鬼に変貌するかもしれないと……」

「馬鹿馬鹿しい」

 

 吐き捨てるように言ったのは翔太郎だった。「あんな奴の言うこと、信じるほうがどうかしてるよ」

 

「森野辺さんは、彼女の言うことを否定しないのですか?」

 

 厳しい顔で再び薫に問いかける綾子に、また翔太郎が割って入る。

 

「馬鹿らしすぎて、否定する気にもなれないだけさ。あの馬鹿、前っからそうなんだ。何かっていうと、薫さんに嫌がらせするんだよ。まともに取り合う必要ねぇ」 

「ホンマになぁ……前に吉野で会ったときも、なーんやけったいなことで、薫ちゃんに文句つけとったもんなぁ」

 

 秋子も頷いて、その場に集まった隊士たちを散らそうとしたが、綾子は動かなかった。じっと薫を見つめて、もう一度尋ねた。

 

「森野辺さんって、やたらと蝶屋敷に行かれますよね? それに定期的に、何かの薬をもらってきていますよね?」

 

 薫は綾子を見た。引き結んで白っぽくなった唇に、綾子の緊張が見て取れた。彼女は八重のように、ただやみくもに糾弾したいのではない。ただ、真実を知りたいようだった。

 薫がどう言えばいいのか逡巡していると、翔太郎が苛立たしげに怒鳴った。

 

「だから何だってんだよ! 薫さんはずーっと体調が悪かったんだ。だから診察してもらって、薬をもらってるだけだろ!」

「その薬が、鬼になるのを一時的に止める薬なんだって、言ってたんです!」

 

 勇気を出して声を上げた綾子を(かば)うように、翔太郎に抗議したのは、八重から話を聞いた当人である岡島スエだった。

『鬼』という言葉に、またざわざわと動揺が広がる。

 スエは溜め込んでいた疑問を、ここぞとばかりに吐き出した。

 

「でもそんなの、実際に鬼と戦うまで効果があるのかどうかわからないから、もし()かなかったら、鬼になってしまうだろうって。そうしたら皆、鬼になった森野辺さんに殺されるんだ……って」

 

 言っている間に恐怖がにじり寄ってきたのか、だんだんと涙声になる。ひくっ、と喉を引き()らせながら、彼女はそれまで()き止めていた不安を一気に吐露した。

 

「一緒にやろうって、みんなで戦おうって頑張ってるのに……そんなこと考えてたら、怖くて、気になって仕方なくて……。だって星田さんの言ってること、本当にそうなんだもん。森野辺さんが頻繁に蝶屋敷に行くのも、その隣の館に入るのも見たし、天気のいい日はなるべく影にいようとしたり、そのまま具合が悪くなって、帰って寝込んでいたこともあったし……」

 

 薫は静かに目をつむった。

 誰かを責めるつもりなどない。スエにしろ、綾子にしろ、最初は八重に言われても信じなかったのだろうが、薫の態度を見ていて疑問が募ったのだろう。一緒に戦う仲間への不信は、とてもつらいものだ。疑う側に誠意があれば、なおのこと。

 

「薫ちゃん……?」

 

 さすがに秋子も、この期に及んで何も言わぬ薫に、違和感を持ったのだろう。小さく問いかけてくる。

 薫は目を開くと、集まった人達を見回した。心の中で言い聞かせる。

 

 ―――― 信じてもらうならば、信じなければ……。

 

 ニコリと笑って静かに告白した。

 

「えぇ。そうです。八重さんの言う通り、私の体には鬼の血が紛れています」

 

 シン、と場は凍り付いた。

 川のせせらぎ、森の間を飛び回る小鳥の鳴き声、風そよぐ木々の葉擦れの音。

 いつも賑やかしい声が(こだま)する訓練場は、今、恐ろしいほどの緊迫感を孕みながら、静まりかえっていた。

 誰も身動きできず、咳することすらできない。

 

「上弦の鬼に捕まって、私は鬼の血を()けました。わずかですが、その血はまだ体内に残っています。そのせいで鬼と対峙すれば、誘発されて鬼となる可能性を秘めています」

 

 薫は一旦、話すのを止めた。

 ゆっくりと囲む人々を見回す。

 誰もが困惑していた。

 特に翔太郎は、ずっと吉野にいる頃から八重が言うのも聞いていて、それでも薫を信じてくれていたのだから、一層混乱していることだろう。だが、その翔太郎は文句を言うこともなく、ただうつむいて黙りこんでいた。

 隣にいる秋子も、薫と目を見交わすと、何も言わず頷く。それだけで、秋子の信頼がまだそこにあるのだと、信じることができた。

 

「……ただ、薬については少し違います。あれは鬼となるのを抑止するための薬ではありません。もちろん、そういう効果も多少はありますが、本来の効果はもっと別です。あの薬は私が鬼となったとき、即座に私を殺傷するためのものです」

 

 ひっ、と誰かが息をのんだ。

 ザワリと、それまで凍り付いていた空気が動く。

 秋子が真剣な表情で尋ねた。

 

「それは、つまり……毒、()うこと?」

 

 薫はコクリと頷いて続けた。

 

「少し複雑な話になりますが、私の中にあるのは鬼となる可能性を秘めた(タネ)のようなものなのです。ですから今後、鬼との戦闘の中で突発的に萌芽(ほうが)することもあるやもしれません。そのときに皆さんへの影響を最小限にできるよう、この(タネ)が芽吹いたその瞬間に、私諸共に殺すことのできる毒を作ってもらいました。私が入って行った館というのは、この毒を作っているところです」

「嘘だ……」

 

 震える声で言ったのは翔太郎だった。よろよろと後退(あとずさ)って力なくつぶやく。

 

「だって、今だって……太陽の光を浴びてるじゃないか……」

「それはさっきも言ったように、私が完璧な鬼というわけではないからです」

 

 薫は極めて冷静に答えた。

 

「もし鬼殺隊に入らずに、鬼から遠ざかって暮らしていれば、何も気付かぬまま人に紛れて過ごしていたでしょうね。日差しの強い日に、多少、体調を崩すにしろ、それくらいは人にもあることでしょうから」

「じゃあ、鬼と関わらなければ、普通に……?」

 

 綾子が困惑しつつ問いかける。

 薫が頷くと、翔太郎がすぐさま叫んだ。

 

「だったら、鬼殺隊なんて辞めればいい!」

 

 つかつかと歩み寄ると、薫の腕を引っ張りながら怒鳴りつける。

 

「早く、ここから出て下さいよ! いつ、無惨やほかの鬼が襲ってくるかもしれないのに!!」

 

 翔太郎が必死に自分を逃そうとしてくれているのを、薫は有難いと思った。だが、それは到底受け入れられないことだ。

 

「ごめんなさい、翔太郎くん」

 

 薫は翔太郎の手を掴んで、自分の腕から引き剥がした。

 それから秋子や、信子、綾子、スエら、取り囲む隊士たちの顔を一人一人、脳裏に焼き付ける。

 

「私のことを、あなた達が不安に思うのは無理もないことです。でも、お願いします。私は鬼殺隊士として、戦いたいのです。あなた達と一緒に。どうかお願いします」

 

 薫は深く頭を下げた。

 朝の清々しい澄んだ空気とは裏腹に、重い沈黙が続いた。

 

「もし、薫ちゃんが鬼になって、毒が効かんかったら、ウチが斬る」

 

 決然と宣言したのは秋子だった。

 驚いて顔を上げた薫を、秋子はほとんど睨みつけるかのように、見据えてくる。だがその瞳は真っ赤で、強く噛みしめた唇は血色を失い、ブルブルと震えていた。

 秋子は(はな)をスンとすすると、「信子ッ」と(かたわら)らで呆然と立ち尽くす信子に怒鳴りつける。

 ビリッと震えてから、信子はピシリと背筋を伸ばした。一度、深呼吸してから力強く誓う。

 

「ウチも……アコさんと一緒に!」

 

 固く決意した二人を見て、綾子もしっかと薫を見つめながら頷いた。

 集まった隊士たちも、それぞれに頷く。

 泣きそうな者、ぐっと拳を握りしめる者、固く顔を強張らせる者。それぞれに(はら)を固めて、薫を見つめた。

 

「ありがとうございます……!」

 

 薫は泣きそうになるのをこらえて、もう一度頭を下げた。

 そのまま愁嘆場になりそうな、湿っぽくなった雰囲気に喝を入れるように、パンと秋子が手を叩く。

 

「さぁ! みんな、手ェ抜いてられへんで! 今日もしっかり稽古せんと!!」

 

 その掛け声で、隊士たちは三々五々に散っていった。

 訓練を始めると、もはや誰も薫の体のことについて口にしなかった。

 

 薫はしばらく頭を下げたまま動けなかった。

 皆が信じてくれたこと、一緒に戦うと決めてくれたことが、ただただ有難かった。

 

「薫ちゃん」

 

 小さく秋子が呼びかけてくる。

 薫がゆっくり顔を上げると、途端にギュッと抱きしめられた。

 

「絶対、薫ちゃんに誰も、殺させへんからな……!」

 

 喉奥に涙を押し込めたその声は、掠れながらも強く、薫の胸に響く。

 何も言わずとも、秋子はわかってくれていた。薫がもっとも恐れていることを。

 

「……ありがとう……ございます」

 

 薫は唇を震わせながら、感謝する。

 こらえきれなかった涙が一筋だけ、頬を伝った。

 悲壮な二人の決意を、翔太郎だけが複雑な顔で見つめていた。

 

 

◆◆◆

 

 

 隊士たちに稽古をつけたあと、霞柱である時透(ときとう)無一郎(むいちろう)と地稽古、その後に柱合会議で呼び出された実弥(さねみ)が帰路についたのは、すっかり夜も更けた頃合いだった。

 ふと見上げれば、青く冴えた月が浮かんでいる。

 ほんの一月(ひとつき)ほど前であれば、夜にのんびりと月見しながら歩くなんてことは考えられなかった。

 それもこれも、あの太陽を克服したという鬼 ―― 禰豆子(ねずこ)という少女の鬼のせいだ。

 実弥はどうしても、人間を助けるとかいうその鬼の少女のことを信じられなかったが、彼女の血鬼術によって、音柱の宇髄天元が一命を取り留め、弟である玄弥(げんや)までもが助けられたのだと聞くと、認めざるを得なかった。

 まして()()()()()()()()までもが、禰豆子と類似する存在になってしまったとなれば、否が応でも受け入れるしかない。

 

「森野辺様には、無惨を倒すための毒の調合を手伝っていただいております」

 

 薩見(さつみ)惟親(これちか)に薫の状態について(しつこく)尋ねていると、偶然通りかかったあまねが教えてくれた。

 

「体調がお戻りになられれば、風柱様の(もと)へもおいでになりましょう」

 

 にこやかに釘をさされたのは、それ以上、産屋敷(うぶやしき)家の執事を困らせるなということと、薫が実弥の許を訪れるまでは、そっとしておくように……ということだった。耀哉(かがや)ほどの特異な魅力はなくとも、あまねもまた静かな挙措(きょそ)の中に、どこか抗いがたいものを感じさせる懐の大きさがある。

 あまねは薫に再会したときに、実弥がどういう態度をとるのかまでも見通していたのだろう。柔らかく念を押した。

 

「森野辺様が参られた折には、よくよく、話をなさいますように」

「…………はい」

 

 実弥は仕方なく了承したが。

 

 

 ―――― どうか稽古に参加させてください!

 

 

 案の定というべきか、性懲りもなくというべきか……。

 ようやく元気な姿を確認できたと思えば、相も変わらぬ薫の態度に、心配した分、腹が立った。それこそ弟の玄弥や、例の石頭の隊士同様に、問答無用で拒否するつもりであったのに、結局のところ認めてしまったのは……。

 

 思い出してギリッと奥歯を噛みしめた実弥の目線の先に、見覚えのある顔が立っていた。

 風見(かざみ)翔太郎(しょうたろう)だ。

 門扉の柱に背を(もた)せかけていたが、実弥の姿を見つけて、あわてて駆けてくる。

 

「風柱様!」

 

 実弥は渋面になった。

 正直、翔太郎のことは苦手だった。本来の風柱の嫡流(ちゃくりゅう)家の子孫であるということもそうだが、なにしろ薫に関することで、いちいち実弥につっかかってくるのが鬱陶しい。なるべく相手にしたくなかったが、こうして真っ向から来られては無視するわけにもいかない。

 

「なんだァ?」

 

 仏頂面で尋ねると、翔太郎はひどく思い詰めた顔で見つめたあとに、いきなり頭を下げて叫んだ。

 

「お願いします!」

「はァ? なんだ、いきなり……」

「薫さんを……止めてください!」

 

 その名を聞いた途端に、実弥は固まった。

 本来であれば、翔太郎が薫のことで頼み込んでくるなど有り得ない。その翔太郎がわざわざ夜中に実弥の屋敷にまで訪れてくるほど切羽詰まった状況であることに、一気に全身が冷えた。

 何があったのかを聞くのももどかしい。走り出そうとする実弥の前に、さっと遮るように立ったのは三好秋子だった。

 

「あかんで、風柱様。薫ちゃんの邪魔はさせへん」

 

 手を広げて、秋子は実弥を睨みつける。

 

「どけ」

「どかへん」

 

 押し問答をしていると、背後から翔太郎が怒鳴った。

 

「三好さん! あんただって、本当はあんなのおかしいって思ってるだろ!」

「思わへん! 勝手なこと抜かすな、翔太郎!」

 

 気迫のこもった秋子の怒声に、翔太郎がうっと詰まる。

 実弥はチラと翔太郎を見てから、秋子を静かに見つめた。

 一重の細い瞳は、風柱である実弥を前にしても、落ち着き払っている。長年の戦歴から考えて、それだけの度胸があってもおかしくない。

 

「風柱様……いや、不死川(しなずがわ)さん。あんた、本気で薫ちゃんを救いたいと思うか?」

 

 問うてきたのは、意外にも秋子のほうだった。実弥が眉を寄せると、重ねて尋ねる。

 

「背負う覚悟もなしに、ただ『あかん』やの『駄目』やのと言うつもりなんやったら、薫ちゃんに会わせるわけにはいかん。会ったところで、薫ちゃんが考えを変えるとも思えへん」

「さっきから何をグダグダとホザいてやがる……」

 

 実弥は秋子を睨みつけて言った。

 

「いきなり夜中に来て、あいつに会わすだの会わさないだのと……そんなモン、俺の勝手だろうがァ」

「…………そらそやな」

 

 秋子はあっさり(ほこ)を収めると、フゥとため息をついた。

 実弥の傍らに立つ翔太郎をジロリと見て、顎をしゃくる。

 

「ほな、言うたら? 翔太郎。アンタ、それ言いに来たんやろ」

「なんだァ、一体……」

 

 二人から睨まれて、翔太郎は一歩後退(あとずさ)ってから、小さな声で言った。

 

「薫さんは、毒を()んでるんです。鬼になったとき、すぐに死ねるように」

 

 

<つづく>

 




次回は2024.04.27.更新予定です。
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