【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第八章 柱稽古(九)

 実弥(さねみ)は走っていた。ひたすらに走っていても、なかなかたどり着かないことが苛立たしい。

 早く、早く、早く ―――― 。

 気ばかりが()いて、土を蹴る足がもどかしかった。

 

 

◆◆◆

 

 

 ついさっき、秋子と翔太郎から話を聞いて、実弥はようやく(かおる)が鬼殺隊に戻ってきた理由を知った。

 

「薫ちゃんの中には、鬼の(タネ)が眠ってる。今は眠ってるだけやけど、鬼と出くわしたら、それが影響を受けて、薫ちゃん自身を鬼にする可能性がある。まして無惨になんか会ったが最後、即座に取り込まれて鬼にされてしまうかもしれん。せやから蟲柱様やらの力を借りて『薬』を作ったんや。それを()んどったら、いざ鬼の(タネ)が薫ちゃんの身体(からだ)を鬼につくり変えたとしても、すぐさま変化した細胞自体を殺すようになってるらしい。鬼になった薫ちゃんを攻撃するように、仕組まれた『毒』なんや」

 

 秋子の説明は淡々としていた。そのことについて、もはや悩む時期は過ぎたかのようだった。

 一方、翔太郎はまだ納得できていないのだろう。

 

「でも、鬼を避けて……鬼のいない場所で静かに暮らせば、そんな心配しなくていいんです! 俺らが無惨との戦に勝てば鬼はいなくなるんだから、薫さんが鬼になる心配もなくなる。だからこの戦いが終わるまで、薫さんはここから出て、遠い場所に行っておけばいいんです! それだけでいいんですよ!!」

 

 実弥はしばらく立ち尽くしていた。

 秋子の話も、翔太郎の話も、聞こえてはいたが、すぐに理解できない。考えるためには、実弥がある程度、自分の感情を押し籠める必要があった。

 フゥゥと長く吐く息が震える。

 

 

 ―――― 私は、もう……鬼狩りはできません……

 

 

 あの日、吉野の河原で確かに言った。あれほど実弥が鬼殺隊を辞めろと言ってもきかなかった強情が、すっかり力を失くして弱々しくつぶやいた。

 

 

 ―――― 鬼に、なってるんです……

 

 

 あの日、吉野の河原で言われたことは本当だったのか?

 その後、帰ってきた薫のことを尋ねても、薩見(さつみ)惟親(これちか)をはじめ誰も教えてくれなかった。薫の診察をしているという胡蝶しのぶに尋ねても、そのことについての言及はなかったのだ。

 ふと、あまねの言葉を思い出す。

 

 

 ―――― 森野辺(もりのべ)様には、無惨を倒すための毒の調合を手伝っていただいております……

 

 

 その毒は、無惨に対してではなく……自らを殺すためのものだったのか?

 鬼と戦う中で、鬼となってしまったときに己を殺す毒を手に入れたから、鬼狩りに戻ったと……?

 

「馬鹿がァ……」

 

 低く呻く。

 ぐしゃりと前髪を掴んで、額を押さえた。

 

不死川(しなずがわ)さん」

 

 秋子が静かに声をかけた。

 

「薫ちゃんは、もう死ぬ気でおる。ウチらはみんな、死ぬ気で戦ってるけど、薫ちゃんはそれとはまた別や。死ぬために戦う気なんや。その覚悟……止めること、できますか?」

 

 実弥は沈黙していた。うつむいたまま、しばらく身動(みじろ)ぎもしなかったが、

 

「……うるせェ」

 

 ボソリとつぶやいて、日頃から凶悪と恐れられる不機嫌な顔を持ち上げる。

 

「俺とあいつのことで、お前らに四の五のと言われる覚えはねェ」

 

 その科白(せりふ)に、秋子は一瞬、虚を突かれたように呆けた。それから、プッと吹き出して笑い出す。

 

「あーあ……かなんなぁ、風柱様は。ホンマに、好き勝手しはるわ」

「うるせぇ。あいつはどこだ?」

「この時間やったら、岩柱様の山にある川の訓練場にいはるわ。昼間は他の子の稽古の相手したりして時間ないし、やっぱり体調も今ひとつみたいやから、夜のほうが集中して稽古できるんやて」

 

 言いながら、秋子はさりげなく道を示す。

 走りだそうとした実弥に、翔太郎が声を上げた。

 

「俺も行きます!」

「あんたはいいんや」

 

 即座に秋子が翔太郎の肩を掴み、そのまま首に腕をまわしてがっちりと固定する。振り返った実弥にヒラヒラと手を振った。早く行け、と。

 

「なんでっ? ちょっと! 三好さんっ?」

 

 走り出した実弥の背後で、翔太郎がわめく声が遠くなっていった。

 

 

◆◆◆

 

 

 静かに流れる川面には、濃紺の夜に冴え冴えと光る月が浮かんでいた。

 薫は川に突き出た岩の上を飛び跳ねて渡ってゆく。徐々に速くなって、最後に空中をくるくると二回転すると、一番大きな岩の上に飛び乗った。その下はちょっと流れの淀んだ淵となっている。

 すぅ、と深く息を吸い込んで、真下へ向かって飛び込む。パシャリ、と水音が響くと同時に、誰かの声が聞こえた気がしたが、闇に沈む水へと潜っていくともう何も聞こえない。

 吉野の滝壺と違い、そこまで深さはないので、すぐに底に行き着く。

 軽く手を地面に触れてから、ゆっくりと川面に揺れる月に向かって上昇してゆく。

 

 だが、急にそのささやかな光が翳った。

 暗い影が急速に近付いてくる。

 薫はゾッとなって、あわてて方向転換した。

 川の浅瀬部分へと必死に手を掻いて泳いでゆくと、足が地面に着くなりバシャバシャと走った。後ろからも同じように騒がしい水音がして、何かが追いかけてくる。

 もう少しで川縁(かわべり)に置いておいた日輪刀に手が届く……というところで、グイッと右腕を掴まれた。すぐさま応戦しようと左手を振り上げたところで、

 

「おい!」

 

と、怒鳴られ左手も掴まれる。

 間近に迫った顔に、薫はようやく気付いた。

 

「……実弥さん?」

 

 荒く呼吸しながら問いかける。

 実弥はいつもながら怒ったような顔であったが、肩を大きく上下させながら薫を見つめる目には困惑が浮かんでいた。

 

「す、すみません。その……なにか獣か何かかと……」

 

 すぐに薫が謝ると、実弥はギリッと歯噛みしてからいつものように怒鳴りつけた。

 

「こんな夜中に……川の中に飛び込んで……何考えてんだ、お前は!」

 

 薫は一瞬、ポカンとなった。

 どうやら実弥は、薫が怯えて逃げたことに怒っているわけではないらしい。

 しばしパチパチと(またた)きしてから、薫は素直に答えた。

 

「あの……修練を」

「馬鹿か! 風邪引くだろうがァッ」

 

 実弥は怒鳴るなり、反論の隙も与えずに薫を抱え上げると、そのままジャバジャバと浅瀬を早足で歩いていく。

 

「ちょっと、降ろしてください! 実弥さん!!」

「うるせぇ! 体が冷えるだろうが。ここの水はただでさえ冷たいんだぞ」

「そうですか……?」

 

 薫は内心で首をかしげた。

 自分が特殊なのか、元々寒さの厳しい場所で暮らしていたからか、さほどに冷たいと思ったことはない。最初に入るときは冷たく感じるが、慣れると爽快だった。

 これは薫だけでなく、秋子らを始めとして女隊士はなべて水中での修練を嫌がることはなかった。むろん、だからといっていつまでも水に()かっていると、感覚がなくなることもあるので、それぞれに時間を決めて上がっては、すぐに休憩所で着替えて暖を取るようにはしていたが。

 

 実弥は問答無用で薫をその休憩所まで連れてくると、ようやく降ろしてくれた。

 

「とっとと着替えろ!」

 

 扉の向こうにドンと押されて、薫はよろけながら中に入る。言われなくても、あの潜水の修練が終わったら、ここで着替えて少し温まってから帰るつもりだったのだが、なんだかおかしな具合になってしまった。

 薫は腑に落ちないものを感じつつも、手早く水練用の衣服を脱ぐと、簡素な無地の(あわせ)と袴に着替えた。

 囲炉裏に火をつけてから、そうっと扉を開くと、実弥がムスッとした顔のまま腕を組んで立っていた。

 

「あの、着替え終わりました」

 

 一応報告すると、実弥はじろっと見て「あぁ」とぶっきらぼうに返事する。

 

「あの、実弥さんも着替えられますか? 一応、予備の着物が置いてあるので。寸法は多少、合わないかもしれませんが」

「いらねぇ」

「でも、そのままだと風邪を引きますよ」

 

 さっき言われたことをそのまま返したが、実弥はますます機嫌悪そうに眉間の皺を深めるだけだ。

 薫はフゥとため息をついてから、濡れそぼったその袖を掴んだ。

 

「上着だけでも、脱いでください。それと中に入って、温まってください」

「……ここでいい」

「でも、お話があるのでしょう?」

 

 薫が尋ねると、また不機嫌な顔に困惑がよぎる。

 薫は微笑みかけた。

 

「こんな夜中に、わざわざここに来るということは、私を探していらしたのでしょう? 何か用があって……」

「お前……」

 

 何か言いかける実弥を、薫は素早く制した。

 

「中で伺います。入ってください」

 

 今度は薫が有無を言わせなかった。実弥がようやく中に入ってくると、囲炉裏の方へと促し、戸棚から手ぬぐいと袷の着物を取り出して差し出す。

 

「私はこちらでお茶の用意をしていますから、その間に着替えて下さいね」

 

 反論の間を与えずに、薫は実弥に背を向けた。

 土間の流しに置いてあった鉄瓶に水を注いでから、湯飲みや急須などを盆に乗せて振り返ると、実弥はちゃんと上着だけ着替えてくれたようだった。

 鉄瓶を囲炉裏の上に伸びる自在鉤(じざいかぎ)に引っかけてから、薫は実弥の斜向(はすむ)かいに座った。

 

「何か、御用でしたでしょうか?」

 

 実弥はギロリと睨みつけてから、低く言った。

 

「ここから離れろ」

「……どういうことですか?」

「鬼殺隊を辞めて、出て行けと言ってるんだ」

 

 薫は目を丸くして実弥をまじまじと見つめてから、あきれたように笑った。

 

「またですか? もう、何度めでしょう? その科白(せりふ)

「薫……」

「返事は言うまでもありませんね。わかっておいででしょう?」

 

 実弥はもどかしげにギリと歯ぎしりしてから、薫を見つめた。

 その目は睨むというよりも、どちらかといえば懇願に近かった。

 

 沈黙の中で、パチパチと火の中で()ぜる枝の音だけが響く。

 

 実弥が重い口を開いた。

 

「……三好から聞いた」

「あぁ……」

 

 薫は苦笑いとともに頷いた。

 ようやく実弥の深刻な表情の理由がわかった。

 

 秋子は口の堅い人間だが、同時に気の回る人でもある。

 薫の決意を、実弥には知らせておくべきと思ったのかもしれない。あるいは ―――

 

「秋子さんは優しい人です。本当に私のことを考えてくださってのことでしょうね」

 

 薫の覚悟を認めながらも、秋子は実弥に託したのかもしれない。唯一、薫を止められる相手として。

 

「毒を()んでまで、鬼と戦う必要はねぇだろうが!」

 

 とうとう我慢できなかったのか、実弥が叫ぶ。怒っているのではない。むしろ悲鳴に近かった。

 薫はじっと実弥を見つめてから、頭を下げた。

 

「すみません。変えられません」

「薫!」

「できません」

 

 静かに告げて顔を上げると、実弥が拳を握りしめて、ガックリと首を垂れている。

 ひどく憔悴したかのような姿に薫はあわてた。

 

「実弥さん? あの……すみません。私、傷つけるつもりじゃなくて、ただ皆と一緒に戦いたいと思って……」

「なんでお前も玄弥(げんや)も、言うことを聞かねぇんだ」

 

 つぶやく声は、まるで途方に暮れた迷い子のようだった。

 

「鬼は俺が殺して、殺しまくって、やっつけるから……お前らは、それまで安全な場所にいろと……何度も言ってるのに、どいつもこいつも……聞きゃしねぇ」

 

 ブツブツ言って、実弥は深いため息をついた。

 薫は打ちひしがれたような実弥の態度に、少しだけ腹が立った。

 それから少しだけ(いと)しく思えた。

 

 鉄瓶からお湯を急須に注ぎ、再び鉄瓶を(かぎ)にかけてから、薫は静かに問いかけた。

 

「じゃあ、私がここを出て、鬼も来ないような、人里から離れた場所でひっそり暮らせばいいのですか?」

 

 実弥は気怠(けだる)げに顔を上げると、にぶく薫を見つめる。

 薫はにっこり笑った。

 

「いいですね、それ。じゃあ、一緒に行ってくれますか?」

「なに……?」

「実弥さんは、いつも私のことを考えてくださるけど、一緒にいることは考えてくださらないんですね。…………絶対に」

 

 

 笑顔で言いながら、薫の声は震えていた。

 実弥が愕然として言葉をなくしていると、薫は泣きそうになりながらも、無理な笑顔を浮かべて、矢継ぎ早に問いかけてくる。

 

「柱稽古も、無惨との戦いも投げ出して、実弥さんも一緒に来てくれますか? 私と一緒に……ここを出て、逃げて、二人でどこかに隠れて……鬼殺隊の皆が無惨を倒してくれるのを待ちますか?」 

 

 だんだんと強い口調になって、怒りが滲む。それでもその表情は、ただ哀しく微笑んでいた。

 

 

 ―――― 一緒に……。

 

 

 互いに最も叶えたい望みであればこそ、夢でしかない。それがわかっていたから、実弥は一度も薫に言えなかった。薫が求めているとわかっていても。

 

 ヒクッと薫がしゃくりあげる。

「すみません」と小さくつぶやくなり、はらはらと涙が頬を伝った。あわてて手でこすってから、両手で自分の頬をパンパンと強く()って懸命に涙を隠そうとする。

 

 実弥はその手を掴んで、グイと引き寄せた。

 薫は実弥の胸に顔を埋め、しばらく静かだった。だが、やがて細かく肩が震え出す。

 無言の歔欷(ききょ)に、実弥の胸がしめつけられた。ただ、薫を抱きしめることしかできずにいる自分が、ひどく無力に思える。

 結局、最終的にはこの罪悪感に戻ってくるのだ……。

 

「ごめんなさい」

 

 謝ったのは薫だった。

 実弥は眉を寄せる。

 

「なんでお前が謝る?」

「困らせるのはわかってましたから……ずっと、胸にしまっておこうと思ったのに……結局、我慢できなかったですね。すみません」

 

 この期に及んでも、そんなことを言う薫に、吉野にいた頃を思い出す。

 ひととき子供に戻っていた薫の、虚ろな、何の感情も宿さぬ瞳。まるで茫洋とした穴のような……。

 きっとこのまま一人で、薫をここから送り出せたとしても、薫はあの日々に戻るだけだ。

 

 

 ―――― それが、俺の望みか?

 

 

 自問自答して実弥は唇を噛みしめる。

 そんなことは、とうの昔にわかりきっている。

 あのときですら、薫の過去の境遇を憐れに思い、慈しみながらも、あのままでいることは望まなかった。

 実弥は薫の一途で強い瞳が好きだった。

 その強情な瞳から流れる涙は、いつも綺麗で、哀しかった。

 

「我慢なんてするなァ」

 

 実弥は言いながら、薫をより強く抱きしめた。 

 

「お前は、我慢のし過ぎなんだよ。だから、いきなりいなくなったりしやがって、言いたいことがあるなら……」

 

 言いかけて実弥は口を噤んだ。今の今まで我慢させていたのは自分だというのに、勝手すぎる言い分だ。

 押し黙る実弥に、薫が胸の中でフフッと笑った。

 

「言ってもいいんですか? 本当に?」

「……言えよ。言うこと聞けるかは……わかんねぇけど」

 

 もぞもぞと動いて、実弥の腕の中で薫は顔を上げる。

 さっきまでとは打って変わった、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

 

「じゃあ、実弥さんのお嫁さんにして下さい」

「…………は?」

「今日だけ……いえ、この夜の間だけ……実弥さんのお嫁さんでいさせて下さい」

「…………」

 

 薫の潤んだ瞳に、炎が揺らめいていた。

 

「……本気か?」

 

 実弥が問うと、薫はそっと唇を重ねた。すぐに離れて、少し、はにかんだようにほほえむ。

 

「……冗談にしましょうか?」

「…………駄目だ」

 

 実弥は言うなり、薫の唇を吸った。

 二人、折り重なって倒れると、互いの求めるままに、手を合わせ、肌を重ねる。

 

 パチリと囲炉裏の中で、小枝が()ぜた。

 時が経つにつれ、だんだんとその火は小さくなり、やがて一筋の煙を吐いて消えた。

 

 まだ朝は遠く。

 ひとときの、秘めやかな夜の中で。

 

 互いの息遣いを封じるように口づけを交わし、熱く火照った体を求め合う。

 

 深い陶酔の中で、ようやく信じ合えた。

 ずっと一緒にいるのだと。

 いつか別れの日がきたとしても、この絆だけは残される。永遠に ――――

 

 世界は二人だけのものだった。

 

 

<つづく>

 




次回は明日2024.04.28.更新予定です。
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