【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第九章 無限の城、夢幻の果て(一)

「やぁ、久しぶり」

 

 横たわったまま声をかけてくる耀哉(かがや)に、鬼の生け捕り師にして、諜報探索方の(かくし)、さらには鬼殺隊唯一の監察方でもある伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)は、昔見た光景を思い出した。

 まさか親子二代に(わた)って、こうして遺言を受け取ることになろうとは……と、少しだけ感慨めいたものが去来したが、所詮は使われる身である。父親同様に、息子もまた厄介事を頼んでくるのであろうと、いつも通りの慇懃な笑みを浮かべて枕辺に座った。

 

「さて、ご用意は整いましたやろか?」

 

 宝耳の問いかけに、耀哉もフッと笑った。

 

「そうだね……もう、そろそろ頃合いだろう」

「フン。まだまだ稽古の足りなさそうなのは、ようけおりますけどな」

「厳しいね、宝耳。子供たちは懸命に励んでくれたよ。これ以上は、かえって身体を疲れさせるだけだろう」

 

 耀哉は隊士たちを気遣ってから、一息つくと、天井を冷たく見つめて話し始めた。

 

無惨(むざん)が……ここを探している。なかなか優秀な使い鬼がいるようだ。もうすぐ、そこにまで来ているよ。だが、おそらく産屋敷邸(ここ)を見つけるのは、彼らには難しいだろう。先祖たちや、代々の式柱様たちによって編まれた強固な結界は、太陽の下で歩くことのできぬ鬼には、そう簡単に破れるものではない」

 

 宝耳は無表情に耀哉を見下ろした。

 耀哉は何度か大きく深呼吸してから、見えぬ瞳で宝耳を見つめる。

 

「君であれば、可能だろう?」

 

 問いかけられても、宝耳はしばらく返事をしなかった。

 構わずに耀哉は続ける。

 

「無惨は気が短いらしい。禰豆子(ねずこ)を手に入れるために、鬼殺隊に総攻撃を仕掛けてくるなんて、なかなか一途な(・・・)性格じゃないか。放っておいても、いずれ来るのはわかってるけど、がむしゃらにやって来られては、こちらの作戦に支障を(きた)すからね」

「やれやれ……」

 

 そこでようやく宝耳はあきれたようにつぶやいた。

 

「ホンマに、周到なお人や」

「お師匠様の薫陶のよろしきを得て……」

「ワイはそないなこと、教えた覚えはないんやけどなぁ」

「優れた弟子は、師匠に教わらない。見て盗むんだよ」

 

 フゥとため息をつく宝耳に、耀哉は笑みを消して言った。

 

「せっかく案内しようと申し出ても、九つある結界門を開けるのに手間取ってなんかいたら、無惨が怒って殺してしまうかもしれない。こればっかりは例え門番の(かくし)であっても、すべての暗号に精通しているわけではないからね。……君なら、どんな暗号が出ても、たちどころに解答できるだろう?」

「さぁ? どうやろか?」

「冗談を。今日だって、案内もなしに入ってきておいて。侵入を報せる警笛すら、無効化したくせに」

 

 少し怒ったように言う耀哉は、ほんの少しばかり昔の頃の、少年の面差しに一瞬戻る。

 宝耳は耀哉に問いかけた。

 

「ワイが案内している間に、無惨に殺されることは考えまへんのか?」

「まさか……」

 

 耀哉が皮肉げに頬を歪める。

 ククッと喉奥の笑みがひっかかって、()せ込んだ。ゴホッゴホッと苦しげに喘鳴(ぜんめい)する耀哉の背をあまねがさする。

 ようやく咳が止むと、耀哉はあまねの手を借りて起き上がり、宝耳に向かって手を伸ばした。

 苦しげな耀哉に手を差し出すこともせず、冷然と見ているだけの宝耳を、あまねはキッと睨んでから「こちらに……」と、耀哉の手を宝耳の胸元へと案内する。

 耀哉は震える指先で宝耳の襟に触れると、病人とは思えぬ力でグイと襟首を引っ張った。

 

「知らないとでも? もう、君は無惨に会ってるんだろう?」

 

 蒼ざめた顔に、尋常ではない気迫をみなぎらせて、耀哉は問うた。

 そんな耀哉を、宝耳はただ無表情に見ている。いや、見ていなかった。耀哉のそれとは違う意味で、宝耳の目に映るものはすべて無意味なものであった。

 凍り付いた顔のまま、骨と皮だけとなった耀哉の細い腕を掴むと、宝耳は無造作に(ほう)った。

 

「耀哉様!」

 

 叫んだあまねの目の前で、ごろん、と耀哉が布団の上に転がされる。

 宝耳はゆっくりと立ち上がると、力なく仰臥(ぎょうが)する耀哉を静かに見下ろした。ぽっかり空いた穴のような目は、なんらの感情もなく、寂寞(せきばく)としている。

 あまねは耀哉の側に寄り添い、宝耳を睨みつけた。帯に挿した懐刀(かいとう)を握りしめて。

 

「……情けない姿や」

 

 宝耳は冷たくつぶやいてから、フッと笑みを戻した。

 

「まぁ、あんじょう宜しきに取り計らいましょう。お館様の今生(こんじょう)のご要望とあらば」

「……無惨を、連れてきてくれるんだね?」

 

 耀哉はあまねに支えられながら、身を起こし、か細い声で尋ねる。

 宝耳は肩をすくめた。

 

「随分と念を押すことやな、お館様。心配せんでも、言う通りにしますわ。給料(もろ)てますよってな。ワイもそろそろ(ねえ)さんに会いたいと思とったところや」

「……姐さん?」

「ワイが()ぅたのは、美しい女性(にょしょう)でしてな。三味線(しゃみ)の腕は今ひとつでしたけど」

「君ってやつは……無惨が横にいても、平気で(いびき)をかいて寝ていそうだな」

「おや? そんなことまでご存じで?」

 

 こんなときに、こんな話をしながらでも、宝耳は飄々としたものだった。

 耀哉は呆れつつも、頼もしかった。同時に、この男の器量を心底惜しんだ。

 ふわりと、(かな)しく微笑む。

 

「……ありがとう…………宝耳」

「…………ほな」

 

 短い挨拶を残して、宝耳は耀哉に背を向ける。

 これで会うこともないとわかっていても、恬淡(てんたん)とした態度に変わりはなかった。

 

 耀哉は長い間、宝耳の去った先の、なにもない空間を見つめていた。

 ぐらりと体が(かし)ぐ。

 あまねがしっかりと抱き支え、そうっと寝具の上に寝かせた。

 

「湯冷ましを持って参ります」

 

 静かに告げて、あまねもその場を去る。おそらく今、耀哉が一人になりたいことを察してくれたのだろう。(ふすま)が閉まるなり、耀哉は嗚咽(おえつ)まじりにつぶやいた。

 

「……ごめん、ね…………宝耳」

 

 苦い慚愧(ざんき)を飲み込んで、耀哉の光をなくした瞳から一筋、涙がこぼれた。

 

 

◆◆◆

 

 

 その日、鬼殺隊では新たに改良された隊服が全隊士に配られた。

 

「『すぐに着用して、しばらく着心地を確かめる()し』とあるから、着てから軽く稽古してみるといいかもね」

 

 (かおる)が言うと、女隊士たちはそれこそ華やかな声を上げて着替え始める。

 

「はぁ……隊服着替えるのに、なんで騒ぐんやら」

 

 秋子が言うと、まだ一年目の(みずのえ)隊士・田上(タガミ)ミツはウキウキした様子で反論した。

 

「わかってないですねぇ、三好先輩。隊服であろうが何であろうが、新しい服となれば、女心は浮き立つもんですよォ」

「そんなもんかなぁ? 薫ちゃんはどない?」

「私は……ひとまずきちんと着ることができればいいです」

 

 それこそ隊士になったばかりの頃にもらった、やたら胸元が強調されたようなものに比べれば、きちんとした作りになっている上、格段に軽くしかも丈夫になっている。

 一部(というより一人)の人間のせいで、なにかと女隊士からの評判は悪い縫製部だが、こうして地道に、隊士の安全のための努力を欠かさないでいてくれる。まして薫には個人的に、任務とはいえドレスまで作って貰ったこともあるので、彼らの働きには心底感謝しかない。

 

「もう、森野辺(もりのべ)さんまで! せっかくなんだから、もうちょっとはしゃいだらいいのにぃ」

 

 ミツは嬉しくて仕方ないのか、新しい隊服を着ると早速他の女隊士と鏡の前で見せ合いっこをはじめた。楽しそうな彼女らの様子に、薫は目を細めた。

 

「ホンマに……若い子らはやかましいなぁ」

「そんなこと言いながら、秋子さんも嬉しそうですよ」

「そら、サラピンの服は嬉しいもんやで。せやけど、あないにキャーキャー騒ぐような歳でもないよってにな」

「歳って……秋子さんだって、まだまだお若いでしょうに」

 

 とりとめもないことをしゃべりながら、薫と秋子も着替えると、外に出た。いつもの訓練場に向かっている途中で、翔太郎に呼び止められる。

 

「おおーいっ! 薫さーんっ」

 

 バタバタと走ってきて、翔太郎は薫の(かたわ)らにいる秋子に気付くと、あわてて「秋子さんも」と付け加えた。

 

「わざわざ言わんでもえぇわ」

 

 ムッとしたように秋子が言うと、翔太郎の後ろからのんびりとやって来ていた升田(ますだ)が笑った。

 

「しょうがねぇよ、こいつ。森野辺さん見たら、森野辺さんしか目に入ってないんだからな」

 

 秋子はフンと鼻を鳴らしてから、升田をじろじろと見つめて頷いた。

 

「よかったやんか、アンタ。ずーっとツギのあたったん着とったけど、ようやくまともな隊士らしゅう見えるようになったで」

「うるせぇぞ、このチビが」

「やかましいのはそっちやわ。いつまでデカなんねん、その図体。えぇ加減二十歳(はたち)も越したゆうのに、いつまでもメキョメキョメキョメキョと」

「なんなんだよ、そのメキョメキョメキョメキョって」

「アンタの背が伸びる音やがな」

「そんな音するか!」

「しそうやねん!」

 

 薫はまるで落語に出てくるようなやり取りに、たまらず吹き出した。同じような感想を抱く人はほかにもいるようで、秋子と升田のやり取りを見ていた他の隊士からも「相変わらず、息ぴったし」だとか「もはや熟年夫婦」と、通り過ぎざまに声がかかる。

 

「誰が夫婦や!」

「こんなちんちくりん嫁にするかっ」

 

 二人ながらに、言い返す()まで一緒だった。

 

「本当に、仲がいいんだか悪いんだか」

 

 翔太郎はあきれたように言ってから、まじまじと薫を見つめると、深くため息をついた。ひどく気落ちした様子に、薫は首をかしげた。

 

「どうしたの? 翔太郎くん」

「いやまぁ、わかってた……ちゃあ、わかってたんですけど、結局、風柱様でも薫さんを説得できなかったんだなーって」

「え?」

「俺、風柱様に直談判しに行ったんですよ。薫さんが……あの、薬を()んでるって話聞いて」

 

 すぐさま薫の脳裏に、訓練場で皆に自分の体内に鬼の(たね)がいることを話したときの光景が浮かぶ。そういえばあのとき、翔太郎は必死になって薫に鬼殺隊を出て行くように言っていた。

 

「直談判だなんて……稽古のときに言ったの?」

 

 あの日の翌日から翔太郎は姿を見せなくなって、今日会うのは二週間ぶりのことだった。聞けば風柱に特別稽古をつけてもらっていたらしい。その稽古の間にでも言ったのだろうか……と思い、聞いたのだが、

 

「そりゃもちろん、あの日聞いてすぐですよ」

 

 あっけらかんと返ってきた翔太郎の答えに、しばし固まった。

 

「え……?」

「もう、大変でしたよ、あの日。風柱様の屋敷に行ったら、もう柱稽古終わってて、霞柱様と稽古してるっていうからそっちに行ったら、今度は柱合会議だとかって……なんだかんだでようやく捕まえられたときには、とっぷり日が暮れてましたよ」

 

 薫はあのときに実弥(さねみ)が血相変えてやってきた理由を初めて知った。秋子から聞いたと言っていたので、てっきり秋子がこっそり実弥にだけ話したのかと思っていたのだが……。

 チラリとその秋子のほうを窺うと、渋い顔で翔太郎を見ている。そんな微妙な視線を送られていることなど知りもせず、翔太郎は話し続けた。

 

「風柱様が走っていって、俺もついて行くって言ったのに、三好さんに止められるし。俺、心配で風柱様の屋敷の前で待ってたんですよ。それなのに、あの人全然帰ってこないからどうなったのかと思って」

「あ……そう、ね。少し、遅くなったかも……」

 

 薫はまともに翔太郎と目を合わせていられなかった。というより、もはや顔を上げていられなかった。秋子と升田の視線が痛い……。

 

「遅くなったどころじゃないですよ! 帰ってきたの明け方ですよ!! しかも説得できなかったからって山で稽古してたとか言って……そのまま俺、しごき倒されたんですよ。腹いせに! 頭おかしいでしょ、あの人!」

 

 翔太郎が受けた『特別稽古』の理由がわかって、薫は無言で顔を伏せるしかなかった。

 明け方に帰ってきて、やかましく問われた実弥(さねみ)が苛立つ様子が目に見えるようだ。

 薫は翔太郎に謝りたかったが、下手に謝って、かえってその意味を聞かれても何も言えない……。

 

「はいはい、翔太郎。もう文句は十分に言うたやろ。ほれ、稽古行き~」

 

 秋子が適当にいなして先へと促すと、それこそ升田が調子を合わせて翔太郎の肩を叩く。

 

「いつまでも過ぎたことで、ぐちぐち言ってんじゃねぇよ。お前は。そんなだから、見向きもされないんだぜ」

「なんスか、それ!?」

「まぁまぁ、あとは俺が聞いてやるから……ホレ、行くぞ」

 

 グイグイと升田に押されるようにして、翔太郎が歩いていくと薫はホッと息をついた。

 しかし秋子がしれっと急所を突いてくる。

 

「薫ちゃんも帰って来んかったもんなー」

「…………」

「まぁ、途中から心配しとらんかったけど」

「…………すみません」

 

 秋子は頬を赤らめる薫を見てニンマリ笑うと、耳元で囁いた。

 

「まぁ……衣紋(えもん)はあんまり抜かんようにしときや」

「え?」

 

 きょとんと目を丸くする薫に、ツンと後ろの首元あたりを突っつく。

 

()()。風柱様もあれで、案外とやきもち焼きというか、独り占めしたいんやろなぁ。もう薄ぅなってるけど、しばらくは()()()()ついとったで」

「…………」

 

 理解するまでに五秒。それから蒸気が出そうなほどに真っ赤になった薫が、声にならない悲鳴を上げる様子を見て、秋子はケラケラ笑って言った。

 

「何人か気付いとるんもおるから、まぁ、ほどほどにしてもらいーなー」

「そんなことっ……もうありません!」

 

 薫が思わず言い返すと、秋子は興味津々と聞き返す。

 

もう(・・)?」

「あっ……」

「薫ちゃん、チョロいわ~」

 

 秋子はニヤニヤ笑って言うと、走り出した。

 

「アコさん!」

 

 薫もあわてて追いかけていく。

 

 そうやって、その日は始まったのだった……。

 

 

<つづく>

 




次回は明日2024.05.05.更新予定です。
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