【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第九章 無限の城、夢幻の果て(五)

 それは紅儡(こうらい)の……鬼殺隊士であった鏑木(かぶらぎ)浩太(こうた)の、人間であった頃の最後の記憶だった……。

 

 

「鬼となり……より高き強さを……求めるか……?」

 

 黒死牟(こくしぼう)に問われて、浩太はブルブルと震えながらも頷いた。

 鬼殺隊士として、風の呼吸の剣士としてそれなりに実績を積んできた。数多の鬼を(ほふ)り、十二鬼月とだって対したことがある。そのせいで右腕を失くしはしたが、それでも鬼に対する恐怖は一般人ほどではなかったはずだ。

 その浩太をしても、六つ目の侍姿の鬼を前にして、驚愕と恐怖で自然と足が力を失う。ガクリと膝をつき、四つん這いになって必死に呼吸をする。泥濘(でいねい)の中、ひれ伏す自分の(みじ)めさに、浩太はギリと歯噛みした。

 こんな訳がない。自分はこんな哀れな男ではない!

 

「強く……なりたい。賢太郎より、東洋一(とよいち)さんより…………あの男(・・・)より」

 

 最後に吐いた言葉はドス黒く、目の前の圧倒的な強さを持つ鬼への恐怖を、憎悪で駆逐した。

 

「よかろう……」

 

 連れられて、向かった先には鬼の惣領たる鬼舞辻無惨が待っていた。

 浩太を見るなり、あきれたようにため息をつく。

 

「また鬼狩りか……。黒死牟、お前の執着も鬱陶しいことよな」

 

 浩太が今まで対峙してきた鬼の中で、桁外れの強さを感じる黒死牟を前にしても、無惨の態度はまるで幼子を相手にするかのようだった。それでいて無惨からは、黒死牟に感じるような図抜けた力を感じない。色白の美しい顔立ちではあるが、さほどに珍しい風体でもなく、垢抜けた姿は、そこいらを歩く洋行帰りの学者か、貴族子弟かのようだ。

 だが、どこか奇妙であった。違和感と呼ぶにはあまりにも奇怪で禍々(まがまが)しい雰囲気が、浩太を一気に不安にさせる。このまま鬼にもしてもらえなかったら、自分は結局、間抜けな鬼狩りとして死ぬだけだ。

 

「お、お、お願いします! どうか……必ずお役に立ちます! 俺に力をください。お願いします。お願いします! お願いします!!」

「うるさいな」

 

 つぶやくなり、ブスリと無惨は浩太の額に爪を刺した。

 ドクドクと異質の血が流れ込んでくるのがわかった。

 同時に目の前に立つ無惨への恐怖が、一気に増大して浩太を窒息させる。

 

「あ……あ……」

 

 喉が苦しくなって、息ができなくなった。

 無惨が額から爪を抜くと、浩太は倒れ込んだ。

 

「この程度で死ぬならば、役になど立てるわけもなかろう」

 

 皮肉げに言って、無惨は去った。

 黒死牟も、何も言うことなく、いなくなった。

 ひとりぼっちの空間で、浩太の意識はだんだんと失われてゆく。

 虚ろな瞳から涙がこぼれ落ちたこともわからぬまま、浩太はその日、死んだ。

 

 

 再び浩太が目覚めたとき、ぼやけた景色の中でまず目に入ったのは無惨の赤い瞳だった。反射的に目を逸らしたかったが、それはできなかった。(またた)きすらも。

 自分の体の感覚がなかった。

 気温も感じず、寝ているのか立っているのかもわからず、何かに触れている感触もない。

 そもそも肌や、自らの体の重さすらも感じなかった。

 

「面白いモノに化けてくれたではないか……」

 

 初対面の不機嫌な様子とは打って変わって、無惨は上機嫌だった。

 目を細めて、指でなにかをはじく。

 すぐに目の前に軽い衝撃を感じた。そこでようやく自分が、何かの中に入っているらしいと気付く。透明な、ガラスか何かの中だ。

 無惨は浩太の入った何かを、コツリと平坦な場所に置いた。

 視界の中から無惨が消える。

 代わりにガラスの円筒がズラリと並んでいるのが見えた。一つ、二つと数えてみれば、全部で六つある。

 それぞれの中には、気味悪い肉片(にくへん)のようなものが入っていて、脈打つように一定の間隔で動く。中には目玉のようなものが、こちらを向いていたりした。

 

『なんだ、これ。薄気味悪い……』

 

 浩太はボソリとつぶやいたが、声にはならなかった。

 頭の中で響いただけ。

 だが、浩太の声が聞こえたのか、コップに入った肉片は、それぞれにギョロリと目を動かして浩太を凝視した。

 浩太はあまりに気味悪い光景に叫んだが、その声もまた空気を震わせることなく霧散する。

 

「知りたいか?」

 

 無惨には浩太の声が聞こえたのだろうか。

 返事をする間も与えず、一番端にあった円筒を取ると、浩太の前でぐしゃりと掴み、手の中で割った。粉々に砕けた破片で、美しい白い手が傷ついたが、傷痕として残ることもなく、一瞬で消えていく。

 一方、円筒の中にあった肉片は、無惨の手に巻き付いて叫び声をあげていた。細かなガラスの破片が刺さって痛いらしい。

 ビクビクと(うご)めく肉片を、無惨は無造作にグニョグニョ揉んで言った

 

「お前は七つに分離したのだ。しかも、七つの心臓を持って。不思議なことだ。心臓を作り出すことなど、普通の鬼では生半(なまなか)にできるものはないというのに……」

 

 浩太には意味がわからなかった。ただ、単純に嬉しかった。自分が特別なものだと言われた気がして。

 無惨はそんな浩太の気持ちもわかったのか、うっすらと笑むと、肉片にブスリと爪を刺した。

 浩太は自分が直接、刺されたわけではないのに、一瞬痛みを感じた。次には、ドクドクと無惨から流れてくる血を感じて、だんだんと体が熱くなってくる。

 目の前の肉片はあっという間に、鬼の姿をとった。

 

「さぁ……お前の恨み(・・)を晴らせ。紅儡(こうらい)

 

 その名で呼ばれると、もはや自分は最初から『紅儡』であったとしか思えなかった。

 憎しみのままに(はし)り、恨みのままに殺す。

 不思議な感覚だった。

 自分は『紅儡』として、かつての同門、風の呼吸の隊士を次々と屠っている。為す術なく倒れていく彼らを見て嗤っている。それは間違いなく自分であるが、目の前の光景は他人事のようにも見えた。透明な壁の向こうの、自分と関わりのない世界に思えた。

 

 

「……浩太」

 

 静かに自分を呼ぶその声に、浩太は泣きそうになった。

 かつての兄弟子。誰よりも慕った、同門の先輩隊士。

 だが、そんな弱い自分を叱咤するように、紅儡は東洋一を(おとし)める。

 

「ハハハハッ! すごい! すごいぞ!! 篠宮東洋一でさえ、この程度か!」

 

 自分の力に酔いしれる紅儡に、東洋一は冷たく告げた。

「所詮、お前は逃げただけだ」と。

「自らの弱さに向き合うこともなしに、逃げたのだ」と。

 

 浩太はゾッとした。

 東洋一の目には、いつも浮かんでいた楽しげで優しい光はない。

 完全に自分を鬼としてとらえ、殺そうとしている。

 次々に繰り出される風の呼吸の技。そのどれもが、浩太が隊士であった頃に放っていたものとは、格段に違う。威力も速さも、まるで及ばない。しかも続けざまに技を使っているのに、まったく呼吸も乱さずに。

 初めて敵として対峙して、ようやく気付いた。

 この人は、本当に異様なのだ。ただの鬼殺隊士じゃない。今まで散々に殺してきた、かつての同胞たちのような、たやすく殺せる人間じゃない。

 そのとき、紅儡(・・)は初めて鬼として恐怖した。鬼狩りに殺されるかもしれない、恐怖に怯えた。

 

 ―――― 有り得ない! 有り得ない! 有り得ない!!

 

 浩太(・・)もおののいた。

 東洋一にはもう、一片の同情の余地もない。目の前の鬼を、かつて弟弟子として可愛がっていたことなど、記憶から消し去ったかのように。

 

 浩太は叫びたかった。

 違うんだと。

 自分は間違っていない。騙されているのは、あなたの方なのだと、教えてやりたかった。

 だが首を斬られ、すぐに右腕も落とされて、紅儡の体はゆっくりと塵となって消えていく。

 

「……と、よ……いち……さ」

 

 震える声で呼びかけた浩太に、東洋一は哀しげに問うてくる。

 

「……なぜだ……?」

 

 その答えを言う暇はなかった。

 心臓が大きく跳ねたのは、抗いようもない強大な力を感じたからだ。

 すでに目を失っていた紅儡には見えなかった。だが、その異常な気配が何であるのかはすぐにわかったのだろう。崩れながらも、恐怖に震え上がった。

 

 最初の斬撃によって足を斬られた東洋一の劣勢は明らかだった。

 絶対に、彼が死ぬとわかった。

 

 浩太は震えた。涙を浮かべたかもしれない。

 さっきまで戦っていた相手。

 自分を殺そうとしていた相手。

 それでも消える浩太を哀しく見つめていた。

 

 幼い頃、風波見(かざはみ)の家に来たばかりで、居場所を探しあぐねていた浩太に、小さな木刀を作ってくれたあの日から、東洋一はいつも優しかった。

 兄同然……いや、兄であった。

 軽口を叩き、時に怒られ、拗ねてはなだめられ、落ち込む浩太を見守りつつ、手を差し伸べてくれる……誰よりも信頼していた兄だった。

 

 一気に押し寄せた思い出と、それに伴う感情は、今しも崩れていこうとする紅儡を揺り動かした。

 黒死牟からの攻撃を躱しきることができなかった東洋一が、まさに殺されようという寸前に、浩太は大好きだった兄弟子に抱きついた。

 

「浩太ァッ!!!!」

 

 最後の最後に、名前を呼んでもらえたことにホッとしたのも束の間。

 黒死牟の斬撃によって、切り刻まれた。

 焼けるような痛みに、声にならない悲鳴を上げる。

 

「この期に及んで……まだ……情けを乞うか……」

 

 黒死牟が無表情につぶやく。

『紅儡』の体がなくなっても、浩太の痛みは続いた。

ひとつめの紅儡(・・・・・・・)』の死が、浩太の中に黒い空洞をつくった。

 

 

◆◆◆

 

 (かおる)はわからなかった。

 どうして紅儡は……浩太は、ああまで風の隊士に対して恨みを抱いたのだろう?

 強くなるために、鬼となった。だが、その強さはただ人を超えた高みを目指してというよりも、誰かと比べてだった。

 東洋一よりも。

 賢太郎よりも。

 あの男(・・・)よりも。

 

「あの男って……誰?」

 

 薫の問いに答えるように、浩太の夢が揺らぐ。

 

◆◆◆

 

 

「では、私はこれにて」

 

 その男は浩太のために買ってきたという饅頭を置いて、母に頭を下げると出て行った。母は浩太の手を引いて、去って行く男を見送る。にこやかに手を振っていたのが、男の姿が橋の向こうに消えた途端、母の顔からスッと笑みが消えた。

 すぐさま家に戻り、男の持って来た饅頭を囲炉裏の火に投げ入れた。浩太は驚き、母に文句を言った。饅頭が食べたかったのに、どうして捨てるんだよ? と。

 母は冷たい(おもて)で、焼けて灰となっていく饅頭を見つめながら言った。

 

「あの男は、お前の父を殺したのよ」

「あの男を信じては駄目。あの男は、傲慢で、自分勝手な男よ」

「あの男は、許してもらいたいのよ。…………私に」

 

『私に』と言い添えた母の顔は、奇妙に歪んで笑っていた。

 浩太はその母の顔に生理的な嫌悪感をもった。なんだかひどく、いやらしいものを見せつけられたかのように、胸がザワザワして落ち着かなかった。

 それから数ヶ月して、病に倒れた母はそのままあっさりと逝ってしまった。

 死ぬ前に、浩太にそっと囁いた。

 

「母さんが死んだら、あの男の家に行きなさい。頼んであるから……いいわね? わかっているわね?」

 

 念を押された言葉が示すことが何であるのか、浩太はぼんやりと理解した。

 母はきっと浩太に(かたき)を討つように言ったのだ。だが、まだ幼い浩太にとって、現実的ではなかった。それは単純に、身寄りのなくなった浩太を引き取ってくれた男が、母の言うような悪人に思えなかったからだ。

 

 男 ―― 風波見(かざはみ)周太郎(しゅうたろう)は、大きな人だった。それはがっしりとした体つきのことだけではなく、人間として安心してしまう懐の大きさがあった。

 当初は、母親からの遺言のこともあって、浩太は周太郎に対して頑なな態度であったのだが、それを周太郎が咎めることはなかった。むしろ可愛げのない浩太に文句をつけた妻を叱るほどだった。

 柱の重鎮として忙しい中でも、決して疲れや苦悩を見せることはしなかった。たまに遠方に出たときには、息子である賢太郎だけでなく、千代にも、浩太にも、必ずそれぞれが喜ぶお土産を買ってきてくれたりもした。

 

 浩太はだんだんと苦しくなっていった。

 周太郎という存在に安堵してどんどん親しくなるほどに、母の遺言が胸に引っ掛かって、ずっと昔に死んでしまった顔も知らない父に申し訳ない気持ちになる。

 だから、浩太はある日、周太郎に思いきって尋ねたのだ。

 

「おじさんは……俺の父上を殺したんですか?」

 

 周太郎は驚いていた。すぐに返事ができないようだったが、しばらくして軽く息をついてから反対に浩太に尋ねてきた。

 

「それは……美緒(みを)殿が言ったのか?」

 

 美緒、というのは母の名前だった。

 浩太が頷くと、周太郎は目を伏せしばし沈黙する。

 何も言わない周太郎が、浩太には恐ろしかった。いや、周太郎本人が恐ろしかったのではない。それが事実であると認められることが、浩太には一番怖かったのだ。

 否定してほしいから、浩太は尋ねた。

 

「本当に? 母さんが言ったのは、本当のことなんですか?」

 

 問いかけながら、浩太は泣いてしまった。

 認めてほしくない。嘘なのだと言ってほしかった。母を失って、この風波見の家で暮らすようになって、周太郎の妻であるツネからはいい目で見てもらえなかったが、千代や賢太郎、それに兄のような東洋一、その土台となっている周太郎への安心感は、浩太にとって失いたくないものだった。

 

 だが周太郎は厳しい顔で言った。

 

「その通りだ」

「嘘だっ!」

 

 浩太は叫びながら、周太郎をなじった。

 どうしてそんなことを言うのか、と。

 どうして父を殺したのか、と。

 どうして母に恨まれているのか、と。

 自分でも感情がぐちゃぐちゃで、周太郎の言葉を否定したい気持ちと、父を殺された母の恨みがない交ぜになって、目の前に周太郎に叩きつけるしかなかった。

 

 周太郎は泣きじゃくる浩太をしっかりと抱きしめながら、教えてくれた。

 

「……阪栄(さかえ)は……お前の父の鏑木(かぶらぎ)阪栄(さかえ)は、鬼となってしまったのだ……」

 

 それまで母は浩太に父のことをあまり教えてくれなかった。尋ねるといつも暗い顔になって落ち込んでしまうので、幼い浩太は次第に父のことを口にすることはしなくなった。だから、その日に周太郎が語ってくれたことが、浩太にとって父のすべてだった。

 

 浩太の父である鏑木阪栄は、周太郎と同じ風波見家で継子として修行した仲間だった。同世代で気が合った二人は、鬼殺隊士として共に各地を巡り、鬼を狩って回った。

 微妙な変化が訪れたのは、周太郎が風柱となり、風波見家を継ぐことになったときだ。

 ちょうど阪栄も浩太の母である美緒と結婚したばかりだった。

 妊娠した妻のために、より一層隊士として高みを目指そうとしたのか……阪栄は段々と独り善がりになって、周囲の意見を聞くことなく、ひたすら鬼狩りに没頭するようになった。

 そうしてある日、阪栄は鬼となって戻ってきた。自分の妻と子供の待つ家に。

 

「鬼は……鬼となった者は、多く自らの身内を殺し食う。なぜかはわからないが、彼らは身内の血肉を欲するのだ……」

 

 周太郎は美緒と浩太を喰おうとしていた阪栄を斬った。

 まだ赤ん坊であった浩太は、美緒(はは)に抱かれて……何も覚えていない。

 だが、夫の死を目の前で看取った美緒は、その周太郎の決断が仕方ないものだと理解しながらも、受け入れられなかったのだろう。

 

「……美緒殿が私を恨んでいたことはわかっていた。それでも許しを乞うたのは……私の弱さだろうな。あの人に許されれば、阪栄にも、許してもらえると……我ながら勝手なことだ。お前にとってはただ一人の父を、美緒殿にとってはただ一人の夫を殺されたことに変わりない……」

 

 苦しげに話してくれた周太郎に、浩太はホッとした。周太郎が父を殺した理由が理不尽なものでなかったことに。だが反面、父親が鬼であったという事実は、浩太にとってひどく重い(かせ)となった。

 

「俺は……鬼の……子供……?」

 

 自らの(うち)に巣くった父という鬼の影に怯える浩太に、周太郎はゆっくりと(かぶり)を振った。

 

「違う、浩太。お前の父も母も、高潔な魂を持った人間だった。悪いのはただ唯一、お前の父を外道に堕とした鬼 ―― 鬼舞辻無惨なのだ」

「でも……父上は鬼になってしまったんだ。鬼になって、母さんも俺も殺そうとした……! 俺も……俺も鬼になってみんなを殺してしまうかもしれない!!」

 

 浩太はすっかり混乱していた。

 自分がどういう気持ちでいればいいのかわからなかった。

 ただ怖かった。怖くてたまらなかった。

 ここは鬼狩りの家だ。

 そんなところに、鬼の息子である自分がいていいの?

 自分も殺されるんじゃないの?

 

 恐怖によって支配された幼い心は、短絡的な思考に陥る。

 だが、そんな浩太を周太郎は落ち着かせるように、柔らかく抱きしめてくれた。

 

「大丈夫だ、浩太。お前はそんなことにはならない」

「そんなのわかんないよッ!」

「浩太」

 

 周太郎は泣きじゃくる浩太にやさしく言った。

 

「浩太……お前は、私の息子だ。お前が、許してくれるならば」

 

 

 薫は周太郎の胸の中で大声で泣く浩太の姿に、胸が痛くなった。同時に風波見周太郎という人が、以前東洋一が語っていた通りに、度量の深い人物であったのだと再確認する。

 このときの二人の関係性において、後々、起こりうる不幸の予兆はない。では一体、何が浩太を狂わせたのか?

 

 再び疑問が浮かんだと同時に、ふと視線を感じた。

 その先をたどると、部屋の奥、(ふすま)の向こうの暗がりに、男の子が一人、立っている。浩太と同じ年の頃からして、おそらく賢太郎だろうか。表情は見えなかったが、薫は妙な息苦しさを感じた。

 

 なぜか賢太郎のつぶやきが聞こえてくる。

 

「……やっぱり浩太は……父上の子供なんだ」

 

 暗い廊下を歩く賢太郎の姿までも見える。

 

『違うわ!』

 

 薫は叫んだが、賢太郎は肩を落として、トボトボと廊下を去って行く。

 

 おかしい……どうして賢太郎の意識まで見える(・・・)のだろう。

 ここ(・・)は紅儡の……浩太の記憶の中ではないのか……?

 

 

◆◆◆

 

 

 一方 ――― 無限城内、岩屋での紅儡との戦闘は続いていた。

 

 薫が紅儡の中に吸い込まれると同時に、また瞳はすべて閉じた。

 代わって肉塊の表面数カ所に穴が空いたかと思うと、そこから次々に小さな鬼が吐き出される。

 キャーッとけたたましい叫び声をあげながら、小鬼たちは走り回って隊士たちを翻弄した。しかも同じ小鬼同士がぶつかると、一つの鬼に変化する。体も大きくなり、色も変わる。

 小鬼を追いかけてきた翔太郎と、また別の小鬼を追い回していた秋子の目の前でぶつかった小鬼たちは、ギャーッと大声が響いたあとには、太い一本角の赤鬼になった。

 ダン! と一歩足を踏み出すごとに、地面から無数のタケノコ状の棘が生えて秋子らを襲ってくる。

 

「秋子さんッ!」

 

 翔太郎はうねりながら襲ってくる棘を躱しながら、秋子に声をかけた。

 

「薫さんがッ、紅儡の中にッ!」

「なんやて!?」

 

 聞き返しながら、秋子は呼吸の技を鬼に向かって放つ。

 鬼は自分の周囲に棘を生やして、秋子の技をはじいた。

 チッと秋子は舌打ちして地面に降り立つと、再びスゥゥと息を吸い上げた。翔太郎も一瞬止んだ鬼からの攻撃の隙を見逃さない。

 

 水の呼吸 肆ノ型 打ち潮

 

 風の呼吸 肆ノ型 昇上砂塵嵐

 

 二人がほぼ同時に技を繰り出すと、鬼を守っていた棘もろともに、鬼はみじんに切り刻まれた。

 息つく間もなく、秋子は翔太郎に問いかけた。

 

「薫ちゃんが、この鬼の中におるんか?!」

「さっき、自分から入っていったんだ。紅儡が新しい鬼を産むのをやめさせる……って」

「くっ……」

 

 ギリッと秋子は歯噛みして、赤い巨体を睨みつけた。

 グニョグニョと蠢くその様は、もはや鬼というよりも、人知を超えた醜悪なる化け物の類いだ。

 

 だが、急にその動きが止まった。

 小鬼を吐き出していた穴も閉じたまま沈黙する。

 

「今や!」

 

 秋子は叫んだ。「今のうちに、紅儡を潰せ!!」

 

 それぞれの持ち場にいた隊士たちが、一斉に紅儡に向かって技を仕掛ける。

 

「三好さん! 中に薫さんがいるんですよ!」

 

 翔太郎が非難すると、秋子はギロリと睨みつけた。

 

「薫ちゃんが攻撃するなと言うたんか?」

「え……その……」

 

 翔太郎は口ごもった。

 こうなることを予想していたからだろうか……。

 薫は紅儡の中に入っていくときに言った。

 

 

 ―――― このまま攻撃を続けて……

 

 

「あぁ! もう!」

 

 翔太郎はイライラと怒鳴った。

 

「俺は……薫さんを助けます!」

 

 言うなり、さっき薫が吸い込まれていった場所へと走って行く。

 秋子は止めなかった。どうするのかは知らないが、今は援護している暇はない。ともかくもこの醜い赤蛞蝓(なめくじ)を討ち取らねばならない。

 

「……ごめんやで、薫ちゃん」

 

 秋子はつぶやいてから、自らも攻撃を開始した。

 

 

<つづく>

 




次回2024.05.19.更新予定です。
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