【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第九章 無限の城、夢幻の果て(六)

 (かおる)は、紅儡(こうらい) ―― 浩太の記憶を辿っていた。

 助けを呼ぶ声の主はまだ見つからない。―――

 

 

◆◆◆

 

 

 父の死の真相を聞いたあと、浩太は明るくなった。それまでずっと、母からの遺言によって苦しい気持ちをかかえていたのが、あの日に周太郎から真実を聞かされて、ようやく肩の荷が下りたかのようだった。しかも周太郎に「息子」と認められたことで、風波見(かざはみ)家で暮らすことへの遠慮もなくなった。

 

 稀代の風柱・風波見周太郎の息子の一人として、恥じないだけの努力も自らに課すようになると、元より体格にも恵まれていた浩太が、めきめき上達するのは当然だったろう。

 周太郎も浩太の成長を喜んだ。

 

東洋一(とよいち)も出て行ってしまったから、賢太郎や千代の兄代わりとして、面倒を見てやってくれ」

 

 尊敬する師匠からの信頼を受けて、浩太はますます張り切った。

 この頃の浩太は最も充実していた。日に日に自分が強くなるのを感じ、着実に自信を積み上げていった。

 

 一方で周太郎の息子であった賢太郎は、日ごと強くなる母からの干渉と、周囲から寄せられる期待に、気息奄々とした毎日だった。

 彼はいつも諦めたような顔をしていた。

 子供であるのに大人びた態度に、周囲の人間は風柱の息子であり、次期風波見家の跡取りとしての落ち着きを褒め称えたが、それが取り柄のない自分をかろうじて褒めそやすものであることは十分に承知していた。

 だから鬼殺隊士になるための最終選別に訪れた藤襲山で、賢太郎は浩太に言った。

 僕が死んだら風波見家に戻って、父の後を継いでほしい……と。

 

「なに言ってんだ、一緒に帰るに決まってるだろ。東洋一さんにだって、千代にだって、そう約束したんだからな」

 

 怒って言う浩太に、賢太郎は力なく首を振った。

 

「強い人が柱になるべきなんだ。だから……僕じゃ、きっと父上の後を継ぐ柱にはなれないよ。それに僕は、父上の本当の子じゃない……」

 

 寂しくつぶやく賢太郎に、浩太は少しでも賢太郎の背負うモノを軽くしてやりたかったのだろう。

 励ますように言った。

 

「よし、じゃあ強い奴が柱になろう。俺がなっても、お前がなっても、俺ら以外の誰がなっても、そいつが強かったら文句なし、だ」

 

 賢太郎はホッとしたように頷いた。

 彼は彼で、伝説の風柱の跡継ぎという重荷をかかえることがつらかったのだ。

 

 このときが二人にとって、もっとも理想的な関係性であったのかもしれない。

 浩太にとって賢太郎は守るべき弟で、賢太郎にとって浩太は頼れる兄であった。

 それは永遠に続くかに思えたが、均衡は徐々に崩れていく……

 

 

 藤襲山から戻った浩太は、早速、鬼殺隊士として鬼狩りの任務についたが、最初の戦闘において深傷(ふかで)を負った。寝たきりの生活が一ヶ月近く続き、そこから歩けるようになり、剣を持って稽古できるようになるまでに半年近くかかった。

 

 ようやく二回目の任務を言い渡されたとき、数人の隊士と一緒に行くことになった浩太は最初、不満だった。自分一人でもできると思っていた。

 だが実際には、いざ鬼を目の前にすると、一気に恐怖にのまれてほとんど動くことができなかった。

 この二回目の任務において、浩太は同僚を一人亡くした。

 最初の任務で重傷を負ったことよりも、この二回目の任務で仲間を死なせたことが、浩太にはつらかった。しかも自分を庇って。

 

 そこから何度か任務が回ってきたが、いつも鬼を目の前にすると強張ってしまう。

 だんだんと自信を喪失していく浩太にとって、決定的なことが起こったのは、久しぶりの単独任務で鬼と対峙したときだった。

 やはりその時も浩太の動きは鈍かった。

 恐怖が勝って、技を出すのが遅れた。鬼の爪が首にまで伸びてきて、死を意識したとき、不意に横から現れた影が、あっさりと鬼の首を斬った。

 呆然と尻もちをついていた浩太に声をかけたのは賢太郎だった。

 

「大丈夫? 浩太」

 

 その科白(せりふ)を聞いた浩太は、一瞬にしてドス黒い気持ちになった。

 ずっと今まで、守ってきた(・・・・・)と思っていた賢太郎に、助けられた(・・・・・)

 こんな恥辱と、敗北感を浩太は知らなかった。

 

 気付けば ――― 賢太郎はもう遙か遠くに行っている。

 自分を置いて。

 

 彼は淡々と隊務をこなし、着実に階級を上げていく。

 浩太が鬼に震えている間に。

 

 浩太は認めたくなかった。

 賢太郎が自分よりも強くなっていくことを。賢太郎が大人になっていくことを。

 だからいずれ千代と結婚することがわかっていても、いざ目前に迫ると、途端に息苦しいほどの焦燥に囚われた。

 

 だが幸いなことに、この結婚に違和感を持っていたのは浩太だけではなかった。

 もう一人の当事者である千代もまた、幼い頃から一緒に過ごした賢太郎を夫にすることに疑問を持っていたのだろう。

 式の前日に賢太郎と大喧嘩をして、飛び出してきた千代を慰めながら、浩太は少しだけ嬉しかった。自分と同じように、大人になってしまった賢太郎に戸惑っている仲間(・・)がいることに。

 

「私、賢太郎さんとは結婚できない。したくない」

 

 決然として言った千代に、浩太は安堵し、賢太郎にそのまま千代の気持ちを伝えた。それなのに賢太郎は表情を変えることもなく、物憂げに首をかしげただけ。

 

「……賢太郎、お前、千代の気持ちを無視するのか?」

「無視なんかしてないよ。でももう、どうしようもない」

「どうしようもない、ってなんだよ!」

 

 激昂する浩太を、賢太郎は探るようにじっと見つめた。

 

「浩太は……千代のことが好きなの?」

「はぁ? 何言ってんだ、お前は。千代は……家族だろ」

「そうだね。じゃあ、知ってる? 千代の好きな人」

「は? あいつそんな奴いるのか?」

「……たぶんね。誰かはわからない。好きな人がいるのに、僕と結婚するなんて、可哀相なことだ」

「お前……」

 

 浩太には賢太郎の態度がわからなかった。

 それに千代の気持ちも分からなくなった。

 どうして二人とも、自分の気持ちと反対方向の道へと歩もうとするのか。

 

「お前……お前は、どうなんだよ。好きな女とか、いるのか?」

「わからない。好きなのかどうかも。僕は……誰かに執着したくないんだ」

 

 浩太は誰かに執着したくないという賢太郎の気持ちは理解できた。

 いつも夫の愛人たちに悋気(りんき)を起こして子供の賢太郎に愚痴を垂れ、ときに無関心な夫への当てこすりのように不倫する母を見て育った賢太郎が、そうした男女の関係を忌避するのは無理もないことだ。だから、浩太にとって衝撃であったのは、賢太郎にとって『好きなのかどうかわからない』と言わしめる存在がいたということだった。

 

 だが結局、賢太郎と千代はそのまま結婚してしまった。

 前日にはあれほど「結婚したくない」と泣いていた千代が、祝いの席に集まった人の前では嬉しそうに笑っているのを見て、浩太はすっかり混乱した。

 

 認めたくなかった。

 二人が自分の知らぬところで、大人になってしまうことを。

 

 そんな浩太の気持ちを周囲は勝手に誤解したが、うまく説明できなかった。

 浩太自身も、どうして自分がこんなに苦しいのか理解できなかった。

 東洋一(とよいち)に千代が好きだったのだろうと言われて、違うと言いながらも、そうなのか? と自分に問いかけた。

 自分は千代が好きだったのだろうか?

 だから賢太郎と結婚する千代を、腹立たしく思うのだろうか……?

 

 自分の気持ちすらあやふやな中で、確かなことがあった。

 この不愉快な状況を変える手段はただ一つ。

 賢太郎よりも強くなることだ。鬼殺隊士となる前の頃のように。

 

 だから浩太は追い求めた。

 ひたすら自分が強くなる道を。

 弱くなれば忍び寄ってくる不安や焦燥を打ち消すために、ただ必死に強くなることだけを考えた。

 

 

 だが運命は浩太に非情だった。

 岩の呼吸を使う下弦の鬼によって利き腕を失い、自信を喪失していた浩太を、さらに追い詰めていったのは千代だった。

 

「お義父(とう)様も賢太郎さんに柱を任せることに決めたみたい」

 

 浩太は自分の心が罅割(ひびわ)れていくのを感じた。

 なんてことないように言った千代の一言に、自尊心が深く(えぐ)られる。

 もう、賢太郎と自分は決定的なほどに隔たってしまった……。

 

「嘘だ……」

 

 浩太がつぶやくと、千代は不思議そうに首をかしげる。

 

「どうして? お義父様は最近、具合が悪くていらっしゃるし、賢太郎さんはもう(きのと)で、おそらく次の討伐でまた鬼をやっつけたら、(きのえ)に上がるわ。そうなればお義父様だって、安心して風柱をお譲りになられるわよ」

「そんなこと……東洋一さんがいるだろう!」

 

 怒鳴りつける浩太を、千代はじっと見下ろしていたが、急にフフッと嘲るような笑みを浮かべた。

 

「馬鹿ねぇ、浩太」

 

 妙になまめかしい声音に、浩太はゾクリとなった。

 

「東洋一さんが柱になんかなるわけないじゃないの。あの人は風波見の血統ではないんだから」

「そんな……の……時代錯誤だ」

 

 浩太は急に雰囲気の変わった千代に気圧(けお)されながらも、かすれた声で訴えた。

 

 その言葉は、東洋一の同期である霞の呼吸の遣い手・香取(かとり)飛鳥馬(あすま)が何度となく言っていたことだった。

 長らく続いた徳川の世が終わり、世の中が変わった今、世襲にいつまでもこだわるのはおかしいと。

 実力がなければ生き残れない鬼殺隊のならい通り、柱もまた最強の者がなるべきだと。

 以前、藤襲山で浩太も賢太郎に言っていたことだった。

 

「時代錯誤でも何でも、そうなるのよ。でも……確かに東洋一さんは可哀相よね。お義父様に散々利用されて……結局、賢太郎さんの露払いでしかないんだから」

「馬鹿なこと言うな! 師匠が東洋一さんを利用なんかするはずないだろ!」

「そう思う? でも最近ではお義父様の仕事はほとんど東洋一さんがしているのよ。当然、お義父様がやった(てい)でね。もう東洋一さんは甲で、これ以上、位を上げることもできないから、代わりにお金を与えているのよ」

「違う! あれは……東洋一さんが師匠に一時的に借りて……」

「浩太」

 

 千代はヌッと浩太に顔を寄せると囁いた。

 

「じゃあ、試しにお義父様に頼んでごらんなさい。新しい技を教えてくれ、と。今、お義父様はね、蔵にある部屋に籠もって新しい呼吸の技を考えていなさるの。とても強力で、それを修得すれば、十二鬼月だって簡単に首を取れるほどの大技だそうよ。でも一子相伝で、他の弟子には教えないつもりなんですって」

「馬鹿な!」

 

 浩太はすぐさま否定したかった。

 周太郎は公明正大で、隠し事などしない人だ。風の呼吸の遣い手であるならば、すべての技について隠すことなく教えてくれるはずだ。

 だが――――

 

「駄目だ」

 

 新しい技を教えてくれと頼みに行った浩太に、周太郎はにべなく言った。

 厳しい顔をしてつぶやく。

 

「まったく、どこで聞いたんだ……? まだ先のことだというのに」

 

 浩太は周太郎が教えてくれなかったということに呆然としていた。千代の言葉を否定するために来たのに、周太郎の態度はむしろ肯定していた。

 

「新しい技のことを考える前に、お前にはすべきことがいくらでもあるだろう? まずは体をしっかりと治して、それからは地道に鍛錬して勘を取り戻すことを考えよ」

 

 浩太の体を(いたわ)り励ます言葉も、今は素直に受け取れなかった。ただ、新たな技を賢太郎と二人、親子で隠そうとしているように思える。

 

「お前、師匠と二人で新しい呼吸の技を考えてるらしいな」

 

 遠征から戻ったばかりの賢太郎にも尋ねると、やはり渋い顔になる。 

 

「どうしてそんなこと……浩太は気にしなくていいよ。まだ完成してないし」

「じゃあ、新しい技のことは本当なんだな? なんで隠すんだよ!」

「隠しているわけじゃないよ。ただ、完成してないから……」

「じゃあ、完成したら俺にも教えてくれるんだな!?」

「それは……難しいかもしれない。君には」

 

 困ったように視線をそらして言う賢太郎に、浩太は愕然とした。

 胸が潰れたかのように痛くて、息が荒くなる。

 

「なん……で?」

 

 あえぐように尋ねると、賢太郎はあやすかのように浩太の肩をやさしく叩いた。

 

「ともかく今は、ちゃんと体を治すことだけに集中したほうがいい。浩太には……たぶん無理だ」

「…………」

 

 浩太は虚脱した。

 信じるために問うたのに、信じたかったから問うたのに……彼らは浩太を拒絶した。

 

「間違ってなかったでしょう?」

 

 薄暗がりの部屋の中で、絶望と怒りに震えて固まっている浩太に、千代が勝ち誇ったように言う。

 浩太は千代を睨みつけた。

 周太郎と賢太郎の変心に傷つきながらも、千代にその姿を見られたくなかった。

 唇をかみしめる浩太の前に、千代は屈み込んで囁いた。

 

「お義父様が仰言っておられたでしょう?『まだ先のこと』って。あれがどういう意味かわかる? 賢太郎さんに技を伝えるのがまだ先だということよ」

「…………」

「賢太郎さんが柱になったときに……一緒に新しい技のお披露目もすれば、()がつくでしょうから。本当の親子でなくとも、一応は賢太郎さんはお義父様には甥ですもの。自分の跡目を継ぐにあたっての、(はなむけ)みたいなものでしょうね」

「…………そんなもの、大して意味ねぇ」

「あなたにはね」

 

 千代は斬りつけるように鋭く言った。

 

「あなたには関係ないわよ、浩太。そうよ、賢太郎さんにも『無理』と言われたでしょう? あんたは関係ない人間なの。必要ないのよ、あんたは」

 

 千代に指摘されると同時に、浩太の脳裏に賢太郎が同じように言う声が響く。

 

「違う……」

 

 浩太は奥歯を噛みしめながらつぶやいた。

 違う、違う、違う……と、何度も。

 そんな浩太を千代はやさしく抱きしめながら、冷たくつぶやく。

 

「可哀相な浩太。可哀相よ……みんな。東洋一さんも……みんな利用されるだけ、利用されていつか鬼に殺されるの。なんて無意味なのかしら。こんな家に囚われて……」

 

 浩太はう、う、と嗚咽しながら、千代にしがみついた。

 仮初めでもいいから、ひとときの優しさを求めた。

 千代の柔らかな肢体の中に沈みながら、すべてを夢にしたかった。

 

 

◆◆◆

 

 薫は気分が悪かった。

 見たくもないのに、流れ込んでくる浩太の記憶は止めようもない。

 遮ってくれたのは、わずかに開いた襖から見つめる賢太郎の意識だった。自分の妻である千代と浩太の情事を、無表情に見つめる賢太郎の心もまた、なんの怒りも悲しさもなかった。

 

 ふと、賢太郎が顔を強張らせた。

 視線の先で、千代が賢太郎を見ていた。

 浩太に抱かれながら、襖の向こうで自分達の痴態を見ている賢太郎を凝視していた。

 やがて艶然と笑う。

 賢太郎は顔をしかめると、そのまま背を向けて立ち去った。

 

 薫はまた気持ちが悪くなって胸を掴んだ。

 

「どうして……?」

 

 薫にはわからなかった。

 幼い頃にはあんなにも仲良くじゃれ合っていた彼らの関係性が、どんどんと(いびつ)なものになっていくことが、苦しい。

 

 夫である賢太郎に知られているとわかっているのに、千代はまったく動じていなかった。

 最初からそう狙っていたかのようだ。

 いや……狙っていた。

 

 不穏な気配に薫の心臓がドクン、と強く打つ。

 急に千代の意識まで流れ込んできた……。

 

◆◆◆

 

 

 ―――― やっぱり何も言わないのね……。

 

 千代は心の中で、去って行った賢太郎を(あざけ)っていた。

 そこに怒りや憎悪はない。

 結婚してから今に至るまで、自分を放置してきた賢太郎に対して、もはや熱をもった感情はなかった。

 ただ冷め切った軽蔑の対象としてしか見ていない。

 

 千代は一度、目をつむってから、また妖艶な笑みを浮かべた。

 

「可哀相な浩太。お義父様の本当の息子はあなたなのにねぇ」

 

 しかしその言葉に浩太は動きを止めた。

 ガバッと千代の胸から顔を上げて、問いかける。

 

「なんだと?」

 

 千代はしどけない姿のまま、小首をかしげてみせた。

 

「あなたはお義父様の息子なんでしょう? 賢太郎さんが言っていたもの。昔、泣いてるあなたに父親だと言っていたと。お義母様はその話を聞いて……だから、ずーっとあなたをいじめていたのよ。あなたが賢太郎さんよりも、ずっと強かったから余計に」

 

 もっと浩太を昂ぶらせようとして千代は言ったが、その企みはかえって浩太を萎えさせた。

 

「違う。あれは……師匠が……俺を……なだめるために……」

 

 困惑しながらつぶやく浩太の言葉に、すっと千代の表情からも熱が失せた。

 

「どういうこと?」

 

 起き上がると、浩太と距離をとるように後ろに退がって、(いぶか)しげに尋ねる。

 

「浩太……あなた、まさか……お義父様の本当の息子でないの?」

「そんな訳ないだろう!」

「あぁ、そう!」

 

 千代はすぐさま立ち上がると、怒気も露わに吐き捨てた。

 

「なによ! あなたが風波見周太郎の息子だと思ったから許したのに。とんだ時間の無駄だったわ」

「なんだと?」

「仕方ないでしょ。賢太郎さんは私のことなんて好きじゃないんだから。せめてお義父様の血を引く者であれば許されると思っていたのに……」

 

 乱れた着物を直しながら、千代は早口につぶやく。

 先程までの優艶たる姿が幻であったかのように、今や般若の形相となった千代に、浩太は呆気にとられた。

 それまでの幼かった日の千代……お転婆だった千代……口やかましいながらも何かと世話を焼いて、かいがいしく介抱してくれていた千代……

 普通(・・)の、平凡(・・)な女だとばかり思っていた幼馴染みの姿が、どんどん崩れていく。

 

「あなたの死んだお母様にお義父様が相当に入れ込んでらしたというから、もしかしたらと思っていたのに……なんだ、やっぱりそうなのね。そうでしょうね。あなたじゃ、まったくお義父様に似たところなんてないんだもの」

「……なにを言って……」

 

 浩太にはもう何がなにやらわからなかった。

 急に死んだ母親のことまでも出てきて、しかも周太郎が母のことを好いていたなど、聞いたこともない。

 すっかり混乱している浩太に、千代は底意地悪い笑みを浮かべた。

 

「知らなかった? お義父様はあなたのお母様が好きでいらしたのよ。あなたも昔、言っていたでしょう? お義父様が家によく訪ねてきていたと。死んだ友人の家族だからと言っていたけど……あなたのお父様が殺されたというのも、案外、鬼の仕業(しわざ)ではないのかもねぇ?」

 

 父親の死は表向き任務中の殉職扱いになっている。鬼となってしまったことは、周太郎と浩太と、死んだ母しか知らない。だが、その話も浩太は周太郎からしか聞いていないのだ。

 

 

 ―――― あの男は、許してもらいたいのよ。…………私に

 

 

 幼い日。周太郎を見送る母がつぶやいた言葉が甦る。

 

「嘘だ……嘘だ……」

 

 浩太は頭を掻き毟って、小さくうずくまる。

 信じたくなかった。

 嘘だと思いたかった。

 けれど、追い打ちをかけるように思い出される母の記憶が、浩太をますます疑心暗鬼にしていく。

 

 

 ―――― あの男を信じては駄目。あの男は、傲慢で、自分勝手な男よ……

 

 

 己の殻の中で小さく震える浩太を冷然と見下ろし、千代はピシャリと襖を閉じて出て行った。

 

 暗い廊下を歩く千代の頬が、ニヤリと歪む。

 

 

 薫はゾクリと悪寒がした。

 狡猾で非情なその姿は、まるで鬼のようだった。

 

 

<つづく>

 




次回は2024.05.25.更新予定です。
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