【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第九章 無限の城、夢幻の果て(七)

 無限城 ――― 岩屋内にて。

 紅儡(こうらい)に対する秋子ら鬼殺隊士たちの戦いは続いていた。

 

 

(かおる)さんッ!」

 

 翔太郎は薫がいなくなった辺りの場所まで来て、ドカドカと怪物を素手で殴りつけた。

 

「クソッ! なんだ、コイツ。さっきはあんなにフニャフニャしてたってのに」

 

 薫が中に取り込まれていったときには、柔らかそうに見えたその肉は意外と固かった。表面に張った血管のような膜だけが、翔太郎の拳でビチッとはじけて千切れては、すぐに再生する。

 

「なんでだよ! 薫さんは入れやがったくせに」

 

 イライラと怒鳴りつけたが、目の前の肉塊は沈黙していた。

 秋子の号令の元、総攻撃が始まったものの、急に静かになったまま反撃もしてこない。

 薫は言葉通り、紅儡が鬼を生み出すのを止めたのだろうか?

 もしかしたら、もう……。

 一瞬、最悪のことを考えて翔太郎は激しく首を振った。

 

 普通に考えれば、鬼の中に取り込まれた薫が生きている可能性は低かった。

 鬼は人を捕食するが、それはいつも口から食べるだけでなく、中には直接体内に取り込むような鬼もいると聞く。

 翔太郎はそうした鬼に会ったことはなかったが、長く鬼となって多くの人肉を喰らっている鬼などは、人をまるごと呑み込んでしまうらしい。だから、薫もまた紅儡の中に吸い込まれた時点で、死んだと考えるべきだった。

 

 だが翔太郎は薫が生きていると信じていた。

 

 一つは薫に鬼の要素があることだ。

 認めたくないことではあるが、鬼の(たね)を持つ薫には、なにか別の能力が宿っている可能性がある。その力こそがこの迷路のような空間で紅儡を探し当て、またこの固い肉を割って入っていけるようにしたのではないか。薫も自身でそう感じていたからこそ、あえて紅儡の中に入り込んで、鬼を産むのをやめさせるということを考えたのじゃないか。

 

 もう一つは、翔太郎自身の経験によるものだった。

 吉野での紅儡との戦闘中、おそらく十二鬼月の一つである鬼の攻撃によって、翔太郎は危うく死ぬところだった。まともにあの六つ目の鬼の技をくらっていたら、確実に今頃死んでいたはずだ。

 だが、生き延びた。それは紅儡によって()()()()からだ。

 いまだに信じられないが、やっぱりどう考えても、あのとき、自分は紅儡によって守られた。六つ目の鬼の攻撃によって半死半生となりながらも、あそこにいた紅儡は塵となって消える間際に、自らの白い肉で翔太郎を包み込んで、()()()()()()のだ。

 

 翔太郎には鬼の気持ちなんかわからない。

 わかろうとも思わない。

 たとえコイツが反省したとしても、母や妹を殺したことに変わりない。

 鬼に堕ちて、己の独善的な復讐のために、風波見(かざはみ)一門の風の剣士を殺して回ったことは、(くつがえ)りようがないのだ。だから今も変わらず、翔太郎はこの鬼を殺すつもりでいる。

 殺さねばならぬ。絶対に。

 それは翔太郎自身の復讐のためだけではなく ―――

 

 翔太郎が再び紅儡の肉体を叩いたとき、ドクン! と大きな鼓動の音が響いた。

 組になって攻撃していた隊士らは、警戒して動きを止めた。

 ドクン、ドクン、ドクンと拍動するたびに、血管の膜に覆われた肉が蠢く。

 やがてメリメリと肉が剥がれるような音がしたかと思うと、白いのっぺらぼうの顔が浮かび上がった。

 

「うわっ!」

 

 翔太郎が()()ってよろめきかけると、ガシリと腕を掴まれた。

 細くて白い、女のような腕だ。

 今までに見てきた紅儡の右腕とは明らかに違う。

 奇妙にねじくれたような紅儡の筋肉質な右腕も気味悪かったが、このいかにも力なさそうでいて、翔太郎の腕を強固に離さない陶器のような白く冷たい腕は、別の意味で不気味だった。

 

「……コ、ウ、タ、ロ、ォ……」

 

 ズルリと肉塊から、人間の女らしき姿のモノが這い出てくる。やや膨らみを帯びた胸や細い腰に、長い黒髪がべっとりと体に纏わりついていた。髪の間からなまめかしい白い肌が見え、おそらく裸体であろうと思われたが、およそ欲情を呼び起こすような形態(なり)ではない。ただただ薄気味悪い。

 女は翔太郎の腕を両手でしっかとつかみ、なぜか父の名を呼ぶ。

 

「コ、ウ、タ、ロ…………ナ、ゼ、イ、ル?」

 

 (しわが)れた声が恨みをこめて問いかける。

 翔太郎の手首を掴む力が増していき、持っていた日輪刀がぶるぶる震えた。

 

「うるせぇ……薫さんを返せッ! 紅儡ッ」

 

 翔太郎が怒鳴りつけると、女はニィィと口角を上げて嗤う。

 

「ソ、ウ……コ、ウ、ラ、イ。ワ、タ、シ、モ……」

 

 小さくつぶやいたと思ったら、急にけたたましい笑い声。

 女の姿は瞬時に紅儡の中に消え、翔太郎を掴んでいた腕も消えた。

 

「クソッ! どこ行った? あの女……紅儡の本体か?」

 

 翔太郎は目の前の紅儡の肉をまたゲシゲシと拳で打ったが、やはり固いままだった。

 チッと舌打ちしたときに、哀しげな咆吼が岩屋の中でこだまする。

 メリメリと音がして、肉塊の上辺部分から、にょっきりとまた紅儡の巨大な右腕が現れた。(いわお)のような筋肉の塊がいくつも重なって、一番太くなった場所の中心に、さっきは閉じていた瞳が開いている。

 鮮やかな緑の瞳孔には『伍』の文字。

 

「上弦の伍!」

「馬鹿な! 上弦の伍は霞柱様が討ち取られたはずだ!」

「また新たな上弦が?!」

 

 対峙していた隊士たちが混乱し、恐慌状態に陥りそうになったとき、秋子がカラカラと大笑いした。

 

「ハハッ! 無惨もいよいよ後がなくなったようやなァ! こんな蛞蝓(なめくじ)の化け物でも上弦にせなやってられへんかったわけか!」

 

 至極馬鹿にしたように言う秋子に、綾子も同調する。

 

「相当追い詰められたわけね、無惨は!」

「そうだ! 一気に討ち取ろう!!」

 

 ガラリとその場の空気が明るくなって、隊士たちの勢いはより増した。それぞれが紅儡の腕からの血鬼術に備えて呼吸を深めたとき、再びメリメリと肉を引き裂く音がして『伍』の瞳の横から、ゆっくりと何かが姿を現した。

 

「え? なに、あれ……」

「あれ……まさか」

 

 翔太郎はその出てきたものを、斜め後ろから見ていた。

 長く伸びた黒髪を見て、すぐにさっきの女だと気付く。すぐさま女の正面に向かって走ってゆき、秋子らのいる場所まで来て見上げるなり、うっと声を詰まらせた。

 そこには先程、翔太郎の腕を掴んだ女が立っていた。

 長い黒髪の間から見えるほっそりした白い腕の中には、薫がいる。う、う……と呻いている様子から、気を失っているらしい。

 

「やらしいことしよって……」

 

 ギリ、と歯噛みして秋子がつぶやいた。

 

 

◆◆◆

 

 現実では不気味な女に(とら)えられている薫は、まだ紅儡の記憶でつくられた夢の中をさまよっていた。

 

 

 なぜだろうか……。

 

 傷つき、病み疲れた浩太の記憶は、段々と曖昧なものになっていく。

 正気を失いつつあるのか……?

 

 そうしてそんな浩太を見て(わら)っているのは千代だった。

 格好の玩具(おもちゃ)を見つけて、(なぶ)るかのように、千代はやさしい声音で、浩太のもっとも痛みやすい部分を着実に傷つけていく。

 

◆◆◆

 

 

「賢太郎さんが(きのえ)になったわ。もうすぐ柱になるでしょう」

「あなたとの約束? そんなのすっかり忘れているわよ」

「風柱になれるのは風波見の人間だけ」

「新しい技も風波見の血筋の人間以外には教えないのよ」

 

 東洋一(とよいち)が、浩太を無理矢理にでも風波見の家から出したのは、正解だった。だが、その東洋一ですらも、千代がここまで陰険な性格であるとは思っていなかったのだろう。

 

 月のモノが止まって悪阻(つわり)らしきものが始まると、千代は自分が妊娠したことを確信した。当然、賢太郎との子ではない。それがわかりきっていたから、千代はまず最初に賢太郎に妊娠の事実について話した。

 

「子供ができました」

 

 妻からの告白に、賢太郎の表情は何らの感慨もなく平坦だった。「そう」と返事した声も、義務的にそうせねばならないからしただけといった感じだ。

 

「あなたの子じゃありません。当然ですよね」

 

 千代が多少の嫌味をこめて言っても、賢太郎の表情は変わらない。軽く瞼を閉じて、頷く。

 

「浩太さんとの子です」

 

 相手を聞いた瞬間、賢太郎は何度か瞬きしたあとに、嬉しそうに笑った。

 

「そうか……浩太の子か」

 

 しみじみと幸せを噛みしめて言う賢太郎が、千代には信じられなかった。

 自分を裏切った妻を(なじ)ることもなく、自分を裏切った親友を恨むこともなく、二人の子供が生まれることを喜ぶ夫が、心底理解できなかった。だが、いずれにしろそう()()()()()くれることが目的なのだから、これでいい。

 千代は冷たく賢太郎を見ていた目を一度閉じ、深呼吸してから言った。

 

「誰にも言わないでくれますか?」

「あぁ」

「浩太さんにも」

「それは……いいのか? 浩太だって知りたいだろうに」

「今の浩太さんが知ったら、かえって追い詰めてしまいます。あなたを裏切ったと。いずれ時期がきたら私から話します。だから、今は……あなたの子として産ませてください」

 

 千代は深々と賢太郎に頭を下げる。

 返事をしない賢太郎をジロリと見上げて、念を押した。

 

「よろしいですね?」

「……あぁ。わかった」

「…………ありがとうございます」

 

 千代は再び平伏しながら、ほくそ笑んだ。

 

 

「千代! お前……誰だ? 父親は」

 

 久しぶりに会うなり、挨拶もなく、脅すように問うてくる浩太に、千代は顔を(しか)めた。掴んできた手を振り払って、三歩ほど後ろに退がる。

 

「いきなりなによ。本当に(くさ)いったら……ただでさえ気分が悪いっていうのに、また吐きそうだわ」

 

 そう言って千代が空嘔(からえずき)すると、浩太は少しだけオロオロと戸惑った様子になった。

 ひとしきり嘔吐感を吐ききってから、千代は浩太に向き直る。

 頭もボサボサで、無精髭も伸びたみすぼらしい姿に、呆れかえったため息をついた。

 

「父親? なんのことよ?」

 

 腕を組んで尋ねると、浩太はギリッと歯噛みしてから、じっとりと千代を睨みつけてきた。

 

「腹の子だ。賢太郎の子じゃないだろうが」

「あら? どうしてそんなこと言い切れるのよ?」

「お前が言ってたんじゃないか。賢太郎はお前のことが好きじゃないから、そんなことにならないと。だから今までだって、できなかったんだろう」

 

 千代はわかっていたことなのに、あけすけに言ってくる浩太が腹立たしかった。

 唇を噛みしめると、ジロリと睨みつける。

 

「あんたには関係ないことよ。賢太郎さんだって、知ってるわ」

 

 そのまま去ろうとした千代の腕を、浩太は掴んだ。

 

「待て。賢太郎が何も言わないからって、どこの馬の骨ともわからない奴の子を、自分の子供だと認めさせる気か? それで風波見の血だと抜かす気か!?」

「まぁ!」

 

 千代は驚いてから、ケラケラ笑った。本当に可笑(おか)しくて仕方なかった。

 

「風波見の血ですって? あれほど東洋一さんが次の風柱に相応しいだの何だのと、強ければいいんだとか言っておいて、結局あなただって風波見の血が大事なんじゃないの」

「うっ、うるさい。俺は……俺は、賢太郎を騙すようなことをして ―― 」

「なぁに? 賢太郎さんが傷つくのが嫌だとか言う気? まだ幼馴染みの情があるのかしら? あきれちゃうわね、あなた達。お互いに思いやって、やさしいこと」

 

 千代の顔が歪む。

 反吐が出そうだった。

 友情だか、なんだか知らないけれども、昔から変わらない。

 

 賢太郎と浩太。

 共に鬼殺隊士を目指す二人の間に、千代が割り込む隙はなかった。

 一緒に遊びながらも、千代はいつもどこかで疎外感をかかえていた。だからいつしか二人とは遊ばないようになり、一人、蔵に籠もって本を読むようになっていった。

 

女子(おなご)は、最低限の読み書きそろばん以外、学を持たなくてよろしい」

 

と、義母はいい顔をしなかったが、義父の周太郎はこっそり本や草紙を買ってきてくれた。

 この風波見の家に来たときから、将来の跡継ぎの嫁たるべくがんじがらめの生活を送っていた千代にとって、物語の世界だけが唯一の逃避であった。

 空想して遊ぶことは、誰よりも上手にできた。

 だからその時、千代は己の中にひらめいた妄想(・・)に狂喜した。

 

「心配しなくってもいいわよ、浩太。だって、ここに居るのは、紛れもなく風波見の血を継ぐ子ですもの」

 

 微笑みながら千代は自らの腹を撫でさすった。

 いかにも(いと)しげに。

 実際、そうなのだと思い込めば、本当に愛しく思えてくる……。

 

「あなたなんかよりも、賢太郎さんよりも、東洋一さんだって敵わなかった人の子よ。お義母様にだって産むことはできなかった。誰もが納得するわ。誰も文句なんて言えないわ。この子の父親は『伝説の風柱』なんですから」

 

 勝ち誇って言う千代に、浩太は言葉をなくした。

 数歩、後退(あとずさ)ってからぺたんと力なく尻もちをついて、呆然と千代を見上げる。

 泣きそうな顔は混乱に歪み、やがて恐怖と憎悪に引き()った。

 その日、浩太はとうとう信じるべきもの、信じたいと願っていたもの、すべてを失った。

 

 蹌踉(そうろう)と浩太が立ち去ったあと、千代は恍惚と自らの狂言に酔っていた。

 いずれバレるかもしれないが、今はこの夢遊(むゆう)に浸りたかった。……

 

 

 風波見から離れた後の浩太の意識はもはや閑散としていた。

 

 無惨によって鬼に堕とされたあと、七つに分かれた身体(カラダ)

 

 一体目が東洋一の攻撃によって瀕死となり、黒死牟(こくしぼう)によって切り刻まれて死んだあと、無惨によって新たに血を与えられた()()()()()()は、再び風の呼吸の隊士を襲い始めた。

 

 もはや紅儡にとって、周太郎と風波見一門は同一のものだった。周太郎への不信と猜疑(さいぎ)が昂じて、彼と彼の作り上げてきたもの、彼の守ってきたものすべてを壊してしまいたかった。

 この根深い恨みと、強くなりたいという気持ちがなければ、無惨の血を入れた時点でおそらく身体が耐えられずに壊れてしまっていただろう。

 人間としての姿を成さぬ肉片のような状態になっても、浩太は希求していた。

 強くなることを。

 賢太郎よりも、東洋一よりも、周太郎よりも、はるかに強大な存在になることを。

 

 だからついに賢太郎と再会したとき、心底嬉しかった。

 鬼と鬼狩りとして対峙できることが。

 

「ようやくお前を()るときが来たようだな、賢太郎」

 

 紅儡が呼びかけると、刀を構えていた賢太郎はそれまで固くしていた表情を緩めた。

 驚いたようにつぶやく。

 

「名前を……覚えているのか?」

「フン! 俺をそんじょそこらの鬼と同じに思うな。俺は特別なのだ。無惨様も俺には期待してくださっている」

 

 賢太郎はしばらく紅儡を凝視したあとに、ふわりと笑った。

 

「そうか……お前は、浩太でいてくれたんだな」

「うるさい! 俺の名前は紅儡だッ!」

 

 ほんの軽い動作だった。殺した風の隊士から取り上げた日輪刀を振るって、風の刃を作り出して斬る。その程度の技であれば、これまで戦った鬼殺隊士だって、たいがいは技を繰り出して相殺し、そこから戦いは始まったのだ。

 それなのに賢太郎はまったく動かなかった。

 

 浩太は焦った。

 まさかこんな一太刀だけで賢太郎が殺されるわけがない。

 ()けろ! と念じると、右腕が伸びて賢太郎を押した。

 かろうじて首元を狙った刃からは逃れたものの、避けきれなかった風の刃によって、賢太郎の脇腹がザクリと斬れる。そのままどうと賢太郎は倒れた。

 

「貴様ァァ……」

 紅儡は低い声でうなった。「なんのつもりだ?」

 

 賢太郎は無表情に空を見上げて、大の字になっている。寄ってきた紅儡をチラリと見て苦笑いを浮かべた。

 

「あぁ……すまない、な。君の腕が斬られてしまったみたいだ」

 

 先程、賢太郎を押したときに伸ばした右腕の先、手首の部分が切断されていた。紅儡がチッと舌打ちする間に、すぐさま再生される。

 その様子を見て賢太郎がフッと笑った。

 

「さすがというべきか……本当に、鬼になったんだな……浩太」

「浩太と呼ぶなァッ!」

「君が本当に呼ばれたくないのであれば、とうの昔に記憶だってなくしているはずだ。鬼となってもまだ君は浩太でいたいんだろう……」

 

 紅儡は怒りと憎しみのままに賢太郎を切り刻みたかった。

 ずっと待ち望んでいた対決の機会がようやく訪れたのだ。それなのに相手がこの為体(ていたらく)では、あまりにも手応えがなさ過ぎる。

 周太郎が死に、篠宮東洋一がいなくなった今、紅儡の相手は賢太郎しかいなかった。彼と戦って勝ってこそ、浩太の復讐は完了するはずなのだ。

 

「立て、賢太郎。それでも風柱を継ぐ者かァ?」

「そう……だな……」

 

 賢太郎はフゥと大きく息を吐いた。

 吐き終わると同時に、ガバリと起きて技を繰り出す。

 

 風の呼吸 陸ノ型 黒風烟嵐

 

 下から巻き上がってくる大きな斬撃を、紅儡はすんででかわした。しかし同時に襲いかかってきた細かな斬撃が、紅儡の血肉を容赦なく斬り裂く。

 紅儡は飛び退(すさ)って、腕についた傷を舐めてから、ニヤリと嗤った。

 

「そうだ……賢太郎。こうして鬼と戦ってこそ、鬼狩りだろう」

 

 賢太郎は返事をせず、静かに紅儡を見ていた。

 紅儡の攻撃を受けた体からは血が染み出していたが、まったく息も乱れていなかった。

 

 二人の戦いは、鬼と鬼狩りのそれというよりも、風の呼吸の剣士同士の練習試合に近かった。

 互いの力量を測るかのように技を放ち、打ち合い、呼吸を整えて再び技を繰り出す。

 

 まるで遊んでいるかのような、どこか(すが)しさも含んだその戦闘に終止符を打ったのは賢太郎だった。

 彼は見慣れた鴉の群れが空を飛び回るのを先に見つけた。おそらく遠からず、救援の鬼殺隊士が来ることを予期したのだろう。

 紅儡の放った攻撃を避けずに、刀でまともに受ける。長い激闘で、刀身に(ひび)が入っていたのか、『悪鬼滅殺』を刻んだ日輪刀がボキリと折れた。

 

 鮮血が賢太郎の肩口から噴き出て、ゆっくりと地面に倒れていく。……

 紅儡はその光景を凝然と見ていた。

 

「…………浩太」

 

 賢太郎がか細く呼びかける。

 地面に仰臥(ぎょうが)する賢太郎の周囲に、大きな血溜まりができていた。

 紅儡は今や虫の息となっている賢太郎を、ただ冷たく見下ろしていた。

 

「……どうして技を使わなかった?」

 

 尋ねた紅儡に、賢太郎はかすかに微笑んだ。

 

「……君に殺されても、文句は……ない。君を追い込んだのは……僕、だ」

「なにを言っている?」

「浩太……千代が生んだのは、君の息子だ」

「…………」

「悪かった。君にも……千代にも……謝りたかった。僕が……」

 

 その先に続く言葉はなんであったのだろう?

 だが、賢太郎はそこで事切れた。

 

 カアァァ、カアァァ、と聞き慣れた鴉の鳴き声が響く。

 

「……やかましい鴉どもめ」

 

 紅儡は賢太郎の折れた刀を取ると、ブンと振るった。

 折れた先に肉や血管が巻き付いて、異様な剣を作る。すぐさま跳躍すると、さっきから物陰に隠れていた鬼殺隊士を斬った。ついでに上空を飛び回る鴉も諸共に風の呼吸の技で蹴散らす。

 

 紅儡は不満だった。

 勝ったという実感のないまま、賢太郎は逝ってしまった。

 こんなことは許されない。こんな馬鹿馬鹿しいことがあってたまるか。

 

 山の()に朝日が昇りくるのを感じて、紅儡はすっかり冷えた賢太郎の体を(かつ)いだ。

 

 

 昼なお光の射さぬ山奥の洞窟で、紅儡は賢太郎の死骸を喰った。

 跡形もなく喰らい尽くせば、このやり場のない暗澹(あんたん)とした気持ちも晴れるかと思ったが、なお一層、重くなるばかりだ。

 ますます怒りが(つの)る。

 だがそれは死んだ賢太郎にではなかった。

 今や紅儡の怒りと憎悪の中心を占めていたのは ――――

 

 

<つづく>

 




次回は明日2024.05.26.更新予定です。
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