【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
彼の最初の対となった隊士は、いつもニコニコ笑っているおしゃべりな男の子であったが、鬼殺隊士となった三年目の冬の日に、鬼に殺された。本部に彼の死を
それでも
祐喜之介は以前の少年隊士が忘れられなかった。だから少女が自分を名付ける前に名乗った。少年がつけてくれた名前を。
本当ならば、鎹鴉の名前は対となった隊士が決めていい。そのことでまさしく『
けれど祐喜之介はそれを拒んだ。
少女はそうした事情は知らなかったかもしれないが、そのまま祐喜之介を祐喜之介と呼んだ。
少女は強かったが、時折ひどく頼りなげに見えた。
だから祐喜之介は少女がこの鬼殺の世界で長生きできると思えなかった。
少年を失ったときの悲しさを思い出し、祐喜之介はこの少女に必要以上には関わらないようにしようと思った。心を見せなければ、たとえいつか少女が鬼に殺されたとしても、悲しむことはないだろうと。
予想に反して少女は鬼狩りとして成長し、いつしか祐喜之介の最初の対となった少年隊士の階級も、彼が死んだ年齢も越えた。
それでも祐喜之介が心を開くことはなかった。
あくまでも事務的な交流だけが続いた。
彼女は祐喜之介に鎹鴉としての任務以上のものは求めなかった。
それでも彼女が自分を置いて失踪したときには、祐喜之介はやっぱり傷ついた。
自分を置いて去ってしまったことが、悲しかった。
最初の対となった少年隊士は、祐喜之介にしょっちゅう愚痴やら、任務以外の家族のこと、友達のこと、好きな芝居のこと、様々に語ってくれていたが、彼女は祐喜之介に基本的に自らのことを語らなかった。
自分が心を開かなかったから、彼女も祐喜之介に言わなかったのだ。
ようやく戻って再会したとき、彼女はすっかり痩せ細っていた。
それでも鬼殺隊に尽くせるのだと喜んでいる姿は痛々しいくらいだった。
訳の分からない試薬を飲んでは、嘔吐したり、昏倒して何日も寝込んだり。
だが彼女は自らの境遇を嘆くこともなく、むしろ祐喜之介に申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさいね、祐喜之介。お前に迷惑かけて。今も隊士としては、何のお役に立つこともないのに……きっと、お前ももっと鎹鴉として飛び回りたいでしょうね」
「薫ゥ……」
おそらく祐喜之介はこのとき初めて、彼女の名前を呼んだ。
「俺ハ……オ前ノ対ダ。薫ゥ」
そのとき、ようやく祐喜之介は素直に彼女が対だと認めた。
最初の対であった少年隊士の思い出はそのままに、彼女もまた自分にとってかけがえのない対だ。
一人の鬼狩りであり、守るべき、共に闘うべき存在だ。
彼女は初めて祐喜之介に名前を呼ばれたことに驚いて目を丸くしたあとに、クスッと笑って言った。
「びっくりしたわ、祐喜之介。前から思っていたけど、あなたの声って、少し実弥さんに似てるわね……」
◆◆◆
子供の泣く声が聞こえる。
かすむ靄の中に、座り込んで泣いている小さな男の子の姿が見えた。
あの子だ……。
薫はようやく見つけたその子供に向かっていこうとして、止められた。
振り返ると、そこには桃割れに髪を結った着物姿の女の子が薫の服を掴んで立っている。
「あなたは……」
薫が声をかけようとすると、女の子がジロリと見上げてくる。
「オ前ガ、
恨みと怨念のこもったドス黒い女の声。
「オノレ、鬼狩りメ……マダ、我ラニ関ワルカ」
薫は眉をひそめて、少女を見つめた。静かに問いかける。
「どうしてあなたは、そこまで鬼狩りを嫌うの?」
「…………」
「あんな約束をさせてまで、
「……襲ッタノハ……紅儡、ダ」
「いいえ、違うわ。あなたは最初から嫌っていた。風波見家も、鬼殺隊も。だから浩太を追い詰めて、鬼にさせて、次々と風の剣士を襲わせるように仕向けたのよ。紅儡の……浩太の復讐は、すべてあなたの考えたことよ。…………千代さん」
薫がその名を呼ぶと、少女はニヤァァと口の端を上げて嗤った。
ピン、と指をたてて真上を
見上げると膜に覆われたような、うすらボンヤリした光景の中で、鴉が一羽飛び回っていた。
薫はすぐに気がついた。
「……祐喜之介?」
つぶやくと、かすかに声が聞こえてくる。
―――― 薫ゥ! 起キロオッ!! 薫ゥゥ!!
ハッ、と薫は我に返った。
「祐喜之介!」
薫が叫ぶと同時に、少女の指が目にも留まらぬ速さで伸びて、飛び回る祐喜之介の体を貫通した。
鋭い爪で貫かれ、祐喜之介が落ちていく。
薫は絶叫したかもしれない。
強引に意識を戻そうとして、ビリビリと痛みが走る。
ねばつくような紅儡の意識を引き剥がし、薫は無理やり目をこじ開けた。
途端に絶命した祐喜之介の死骸が目に入ってくる。
ぐぅぅと怒りと悲しみが煮えたぎって、声も出なかった。
「カ、ワ、イ、ソ、ウ、ネ、エ」
背後から女の声が聞こえる。
薫は腰の刀に手をやったが、女の長い黒髪が腕に絡みついて、抜くことができない。
「くっ!」
薫は歯噛みして、かろうじて動く右手で鞘の
そこには小刀が仕込まれてある。
これもまた
その小刀に触れると、すぐさま抜き取ってザクリと女の黒髪を切り落とす。
ヒャアアとどこか間延びした悲鳴とともに、女が離れた。
「薫さんッ!
翔太郎が叫び、刀を横に薙ぐ。
女の胸から上がスパンと斬れた。
力を失って女は崩れ、そのまま紅儡の中に吸収されていった。
翔太郎はチッと舌打ちした。
一方、薫はクルリと体を回転させて、翔太郎の剣撃から逃れると、そこで『伍』と刻印された緑の瞳を見つけた。
すぐさまスゥゥと息を吸い込む。
鳥の呼吸 漆ノ型
瞳の中心に刃を突き立て、ねじ込むように押し刺す。
強く、深く、力を込められるだけこめて、その一点に熱を集中させる。
ウゴオォォ! と紅儡は吠え、激しく揺れ始めた。
「うわっ」
翔太郎がよろけて、転げ落ちていく。
薫もまた、うねる紅儡によって空中に投げ飛ばされた。
岩屋の壁にぶつかって落ちてから顔を上げると、紅儡はまだ激しくのたうち回っていた。
コォォォオ!!
再び耳をつんざく
「森野辺さん!」
「ご無事ですか!?」
隊士たちに声をかけられ、返事しようとしたとき、今度は突然、足元がゴゴゴと音をたてて揺れ始めた。
「地震?」
「血鬼術か? 警戒しろ!!」
隊士たちは互いに声をかけあったが、あまりに激しい揺れに立っていられず、岩にしがみつく。
薫も紅儡に警戒しつつ状況を見ていたが、上へ上へと、ものすごい勢いで突き上げてくるような感覚に、四つん這いになった。
近くの突き出た岩にしがみついて、ひたすらこの急激な上昇が終わるのを待ったが、今度はベキベキと岩屋の天井が割れて、岩が降ってくる。あわてて岩の窪みに身を潜ませて、どうにか落石をやり過ごす。
その間にも揺れは続き、岩屋ごと何かに持ち上げられているかのようだった。
紅儡の体が、積み上がる岩の向こうに埋もれていく。
やがてガガガガと激しい音がしたかと思うと、急にピタリと動きが止まった。
「地上だ!」
誰かが叫んだ。
薫はあわてて、岩を押しのけて顔を出した。
もうもうとした砂塵の中、何人かの隊士らしき人影が見える。
「みんな、無事?!」
薫が声を上げると、数人の声が返ってきた。
岩の生き埋めになっている者はいないかと辺りを見回したときに、コオォォオ! と、また紅儡が吼える。
薫はすぐさま腰の刀を抜いた。
紅儡の巨大な腕が、積み重なった岩を押しのけて伸びてくるや否や、パッと手を開く。
血鬼術
バリバリと振動波が襲いかかってくる。
薫は岩の上から跳び上がって、技を放った。
鳥の呼吸 伍ノ型
かろうじて自分とその周辺にいた隊士らは守れたものの、着地した岩の上から見下ろすと、数人の隊士が倒れていた。だが気にかけている暇もない。
紅儡の巨大な腕は、先程までの沈黙と打って変わって、狂ったように激しく動いた。辺り構わず振り下ろしては、岩を砕き、地面を叩く。
土煙が上がって視野が濁る中、隊士らは振り下ろされる拳の影に入らないように、四方八方に散った。
あちこちから隊士らが紅儡への攻撃を始めると、また血鬼術が放たれる。
血鬼術
風の呼吸を模して作ったのであろう無数の
土煙の中で、隊士らの悲鳴やうめき声が聞こえる。
「くそっ! このままじゃ……いつまでもやられるばっかだ」
「コイツ放って、無惨のところに向かおう!」
「馬鹿! 無惨の居所だってわからんだろうがッ」
混乱する戦況の中で、隊士らの結束が乱れる。
薫はギリッと歯噛みした。荒く息をする。
呼吸の技で
「くそぉ……さっきは休んでたのに」
近くにいた隊士の一人がつぶやいた。
「休んでた?」
薫が問いかけると、隣に人がいたことに気付いていなかったのか、ハッとした様子で薫を見る。
棘のついた鉄球に見覚えがあった。さっき、秋子が教えてくれた岩の呼吸の剣士だ。確か
佐戸のほうも薫だとわかったのか、早口に説明した。
「はい。さっきは一時的に攻撃が止むことがあったんです。三好さんがそれに合わせて総攻撃を……」
「アコさん……そういえばアコさんは?!」
「三好さんは、無惨発見の報せを受けて、
「そう」
薫は頷いた。
秋子の采配は一々、的確だ。
無惨相手であれば、なまじの隊士ではかえって柱の足手まといになりかねない。あたら若い命を散らせることもないと思ったのだろう……。
「じゃあ、私が紅儡の動きを止めるわ。援護、お願い」
言うなり薫は走り出す。
佐戸は止める暇もなかった。戸惑いを捨てて、ひとまずは薫の援護に回る。
今や紅儡は狂っていた。
巨大な右腕で血鬼術を操る一方で、十本近くある長い腕をグニャグニャと伸ばしては、死んだ隊士から奪ったであろう刀を振り回して、時に風の呼吸の技を放った。
再び紅儡への接触をはかろうとする薫の前に、急に翔太郎が現れた。
「駄目です! 薫さん」
一本だけになった腕を精一杯伸ばして、薫を止める。
「これ以上、コイツの中に入ったら……!」
必死になって言う翔太郎に、薫はニコリと微笑んだ。だが、次の瞬間には跳躍して、ちょうど薫らを狙っていた紅儡の長い腕の一本に掴まる。
「薫さんッ!」
翔太郎が上を向いたときには、薫は紅儡の腕に掴まってぶら下がり、攻撃を
「クソッ! 駄目だってのに!」
翔太郎はまた紅儡の上へと登っていこうとしたが、そこへ血鬼術が放たれる。
「
佐戸が叫び、鉄球を振り回して攻撃を回避する。
翔太郎もまた日輪刀を振るって技で相殺したが、長く続く戦いに呼吸が乱れ始め、威力も精度も落ちてきていた。
紅儡が放った鎌鼬の刃で、脛や脇腹、肩を切られ、一瞬よろける。
「ああぁ……くそぅ……」
翔太郎は刀を構えようとして、ブルブルと震える自分の手を忌々しげに見つめた。
ふと、前にも似たようなことがあったなと思うと、それは風柱の屋敷での『特別稽古』のときだった。
―――― ふん。その程度か。
もはや苦行、いや殺される寸前まで叩き上げられた
あまりに激しい打ち込みの連続に手が震えて、刀もまともに握れなくなった翔太郎に、吐き捨てるように言ってきた風柱……。
「……っざけんなァ! あのクソ柱!! お前なんかに負けるかあぁ!!」
わかりやすい怒りによって、翔太郎は元気を取り戻した。
叫びながら紅儡本体に向かって突進していく。邪魔するように伸びてくる紅儡の細い腕 ―― といってもそれですらも太さは大人の胴体ほどもある ―― を斬り捨てながら。
佐戸は急に怒りだした翔太郎に戸惑いつつも、少し心が軽くなった。正直、この終わりなく思える戦いに疲れきっていたが、目の前で発奮する翔太郎を見て、気合いを分けてもらえたような気がする。
「よし!」
佐戸は鎖を持つ手に力を込め、再び紅儡への攻撃を開始した。
<つづく>
次回は明日2024.06.02.更新予定です。