【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第六章 邂逅(二)

 ―――― 森野辺薫と申します。

 

 

 風呂場で聞いたのと同じ、すずやかな落ち着いた声音が響く。

 

 その余韻を遮るようにガチャン、と音がした。実弥が湯呑を落とした音だった。

「…………」

 めずらしく動揺しているらしい。目を見開いて薫を凝視し、固まっている。

 

 薫は不思議そうに実弥を見つめ返していた。「あの……?」と声をかけられ、実弥はあわてて俯いた。

「あーあ、なにやっとるんだ」

 東洋一(とよいち)があきれていると、薫と名乗ったその女の弟子は低い姿勢で立ち上がり、部屋へと入ってきた。

「大丈夫ですか?」

と、言いながら、実弥の前にある箱膳を横によけ、手拭いで着物を拭こうとして ―― その薫もまた止まった。

 

 まじまじと実弥の顔を見つめている。

 

 実弥は俯いたまま、薫の方を見ようともしていない。

「実弥……さん?」

 おそるおそる薫が問いかけても、実弥は返事をしなかった。

 

 奇妙な沈黙が流れた後、東洋一がのんびりした口調で尋ねた。

「なんじゃ、薫。お前さん、実弥と知り合いか?」

 東洋一から『実弥』という名前を聞いて、薫は驚きと嬉しさが入り混じった、輝くような表情を浮かべた。

 それからすぐにぐにゃりと泣きそうな顔になったかと思うと、いきなり実弥に抱きついた。

 

 匡近と東洋一は、顔を見合わせた。

 互いに今、何が起こっているのかを無言で問いかけ、二人ともわからなかった。

 

「……よかった。……よかった」

 薫は何度も繰り返した。小さくつぶやく声は震えていた。

 実弥の表情はわからない。ほんの少しの間、放心していたかもしれない。

 だが、いきなり乱暴に薫を押し返すと、立ち上がった。

 恐ろしいくらいの表情で薫を睨みつけ、足音も荒々しく部屋を出て行った……。

 

 薫は呆然としていたが、東洋一と目が合って、我に返ったようだった。

「すみません、動揺してしまって……」

 あわてて袖口で涙を拭うと、転がったままの湯呑を取って箱膳の上に置いた。こぼれたお茶を拭き取っている薫に、東洋一が問いかける。

 

「お前さん、実弥と知り合いだったのか?」

「えぇ。志津さんの……昔、お世話になった人の息子さんです。あ、実弥さんにもお世話になってましたけど」

「幼馴染…とか?」

 匡近が訊くと、薫は考えるように小首をかしげた。

「幼馴染っていうのとはちょっと違うと思うんですけど……実弥さんのご妹弟(きょうだい)とよく一緒に遊んだりしていたので、その縁で実弥さんとも何度かお話したことがあったんです。でも、ある日いきなり………」

 薫はいったん口を噤み、東洋一に向き直った。

 

「あの…寿美ちゃん達……実弥さんのご家族は、やはり鬼に殺されたのでしょうか?」

 その問いは、おそらく薫自身が幾度となく考え、推測していたことだったのだろう。

 東洋一が頷くと、あまり驚くことはなく、ゆっくりと肩を上下させた。一瞬、燃え上がりかけた怒りを必死で鎮静させていた。

 

 東洋一は静かにつぶやいた。

「……あれは、(むご)い宿星を背負っておるからな」

 

「君も家族を鬼に殺されたの?」

 匡近が尋ねると、薫は黙ってこくんと頷いた。

 東洋一がふと気付いた様子で尋ねた。

「お前さん、実弥の家族が鬼に殺されたのだと思っていたなら、奴が鬼狩りになっていることも想定しておったんじゃないのか? それでウチに来たのか?」

 

「いえ、それはまったく」

 薫はきっぱりと否定し、

「実弥さんが剣士になってる想像なんてできません。普通の、とてもやさしい人でしたから」

と、微笑んだ。

 

 やさしい………?

 

 今までに一度も、実弥のことをそんな風に評する人間はいなかった。

 確かに根は優しいのだが、天の邪鬼というか、とにかく素直でないのだ。その棘を乗り越えて話せる人間は、東洋一や匡近以外皆無だ。

 

 薫は匡近や東洋一の顔に浮かんだ疑問符に気付かず、話し続けた。

「さっきもあまりに雰囲気が変わっていたので、最初は分からなくて…。私、全然気付かなくて、失礼なことをしてしまいました。謝らないと……何処に行かれたんでしょう?」

 不安そうな薫に、匡近は明るく笑いかけた。

「あ、大丈夫。俺、連れてくるから」

 立ち上がると、足早に離れの道場へと向かった。

 

 案の定、実弥は道場の濡れ縁に腰掛けて、厳しい表情で庭を見つめている。

「おぉい、食べようぜ。せっかくのご馳走だぞ」

「………いらん」

「嘘つけよぉ。あんなに旨そうな猪肉前にして、食べない気かぁ?」

「………いらねぇってんだろ」

「なんで? あの子が作ったから? 気に入らないのか?」

 矢継ぎ早に質問する匡近を、実弥はギロリと睨んだ。

 

「っせえな。放っとけよ」

「そうは言ってもなぁ。なんだってそんなに怒るんだ? 知り合いだったんだろ? 久しぶりに会ったんだから、普通に挨拶したってよさそうなもんだ。お前の弟妹(きょうだい)と仲良く遊んでたって言ってたぞ」

 実弥はギリと唇を噛み締めた。

 まさかこんなところで亡くなった妹や弟達のことを思い出すことになるとは……。

 

「お前の家族が鬼に殺されたらしいことも、薄々わかってたみたいだ」

「……言ったのか?!」

「師匠がな」

「余計なこと言いやがってあのジジィ……」

 苛立ちも露わに立ち上がると、ドスドスと、また無遠慮な足音をたてて、先程の居間へと向かう。

 

「おい! ジジィ!!」

 パン! と障子を勢いよく開けて入るなり、炒り豆腐を食べている東洋一を怒鳴りつけた。

「さっさと、この女を破門にしろ!」

「この女ぁ~? どの女じゃ~?」

「ふざけんな! そこにいる……」

 言いかけて、言葉を呑み込んだ。薫の姿はもうない。

 

「あれ? さっきの子は?」

 匡近が尋ねると、東洋一はたたき牛蒡を食べながら、酸っぱそうな顔で言った。

「薫なら、風呂じゃ。儂らが食べてる間に入れと言うとる。前におった弟子共が隙あらば覗こうとしよるんでな」

 実弥は恐ろしい早さで東洋一の前に立つと、襟首に掴みかかろうとする。匡近はあわてて後ろから押さえた。

 

「やっ、やめろって! 実弥!」

「おー、怖いのぉ~。なんじゃあ、恐ろしい顔しよってぇ~」

「おい、ジジィ……貴様、野郎共がいる時にあいつを弟子にしたのか?」

 低い、怒りを押し殺した声だ。

 東洋一はいよいよとぼけた表情で、とんでもない話をする。

 

「そうさな。まぁ、一月(ひとつき)ほど、一緒だったかな? 最終的には薫に返り討ちにあって、逃げ出したようなもんだ」

「っ…ざっけんなよ。返り討ちって…襲われてんじゃねぇかっ!」

 

「大したもんだぞ、あのお嬢さんは。いつ襲われるかもしれんから、と割れた茶碗の欠片を懐に忍ばせておってな。なんでそんなもの持ってたのかと聞いたら、

『刃物だと下手すれば殺しかねない。これだったら思いきり切ったとしても大した深手にはならない』

とな。しっかりヤスリまでかけとってなぁ……なかなかどうして豪胆なもんだろう?」

「馬鹿か、テメェ! そんな危ないことになる前に、あいつを破門しとけ! っていうか、なんで取るんだよ! 女の弟子は取らないんじゃなかったのかっ!!」

「取らん、と標榜していたわけじゃないが、無理だとは思うからなぁ…来ても断って、どうしてもって時には、水なり花なりの師匠を紹介しとったんだが……ほら、さっきも言ったろ~? あの娘、しつこぅてしつこぅて。門の前で四日近く、穀断ちなんぞしよるし」

「はぁ……」

 匡近は思わず感嘆の声を漏らした。綺麗な子だが、ああ見えて中々、頑固な気質のようだ。

 

 しかし実弥の方はそんなことは関係ないらしい。

「うるせぇ! どうでもいい。さっさとここから追い出せ!」

「他の育手を紹介せいということか?」

「それも駄目だ! 家に戻せよ!」

「……その家がもうない」

 東洋一は猪肉をもしゃもしゃ食べながら、無表情に言った。「あの子の親は鬼にやられた」

 実弥は愕然として言葉をなくした。

 

 東洋一はフゥと溜息をつき、傍らに置いてあった徳利を持つと、猪口に酒を注いで、くいっと(あお)った。

「自分の目の前で親が殺されて、喰われる様を見とったんだ。あの子自身も、もう少しで殺られるところだった……」

「師匠が助けたんですか?」

 匡近が尋ねると、東洋一は頷き、「間一髪でな」と軽く吐息をつく。

 

 実弥はしばらく黙り込んでいたが、再び恐ろしいほど真剣な表情で、東洋一を睨みつけた。

「どうであろうと…あいつに鬼殺隊なんぞ務まるわけがねぇ」

「ほぅ? なんでだ?」

「あんた、あいつが元々華族のご令嬢だったってこと知らねぇのか? 子爵家の一人娘だぞ。そんなんが鬼狩りなんぞなれると思うのか?」

「さぁの。ご令嬢であろうが、女工であろうが、やってやろうという気概があれば問題ないだろうと思っとるがな、儂は」

 

「やる気だけでどうにかなるわけじゃねぇんだぞ。一歩間違えりゃ死ぬんだ!」

「ホゥ………死なせたくないかぁ~?」

 いつもと変わらぬのんびりした口調だったが、その目つきは鋭かった。

 匡近はまじまじと実弥を見つめた。それこそ、実弥が一番願っていることなのだろう。そろそろと、羽交い締めにしていた腕を緩める。

 

「儂だってな、あいつが鬼狩りになるのを喜んでいるわけじゃあない」

 東洋一は言いながら、箱膳に並べられた料理を見つめた。

「これを見ろ。買ってきたのもあるが…毎日、ちゃあんと飯を炊いて、味噌汁作って、きちんとした食事の支度をしてくれるんだ。掃除も、洗濯も、裁縫も。お前らの頃からすると、段違いだ。いい嫁さんになれる才能は十二分にある。鬼狩りなんぞせず、普通の女として、当たり前の幸せな生活を送ってもらいたい、と………何度も諭したんだがなぁ~」

 ふぅぅぅと、東洋一は嘆息する。

 

 おそらくはにべなく断られたのだろう。匡近にはなんとなく想像できた。

 あの秀麗な顔で、ニコニコと笑いながら、決して折れることのない頑固さ、一途さ。その(つよ)さもまた、あの美しさの一端なのだ。

 

「……とにかく、食べませんか? 俺、さっきから猪肉が食べたくって」

 匡近は重くなった空気を払うように、少しおどけた調子で言った。ちょうどいい具合に腹も同意の声を上げた。

 東洋一は笑った。

「そうだそうだ。今日は、儂の酒につき合ってもらわんといかん」

 

 

 

<つづく>

 

 

 

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